はてなキーワード: トニックとは
ポップスなら概ね、
・Ⅰ、Ⅱm、Ⅲm、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵm、Ⅶm(、Ⅶ(b5))といったダイアトニックコード
・Ⅰ7、Ⅱ7、Ⅲ7、Ⅵ7といったセカンダリードミナントコード、それらをツーファイブで導くためのⅤm7などのコード
を相対的なものとして信頼できるコード譜と照らし合わせてながら聴いていれば、だいたいの理論というかお約束ごとは理解できるようになるんじゃないかな。
あまり内声まで聞き取ろうとせず、ベースとメロディーの関係で、「ああ星野源はⅠ7を必ずと言っていいほど使うよな」くらいに雰囲気的に掴めればいい。
「んー二度目のサビ頭はⅣM7でなくⅣ#m7(b5)で来ますか〜」みたいなね。
たしかに耳がいいに越したことはないけど、結局のところ曲を作ったり演奏したり聴いたりする上で大事なのは、「記号化や言語化できない何か」だったりするので、ほどほどにやっておけばいいんだと思う。
スポーツならまだ分かるんだわ。
素人がいきなり試合やったら、怪我や故障の原因になりかねない。
でも、基本筋肉プレイではない楽器で、延々とそういうつまんねー練習とかナンセンスじゃね?って思うわけ。
こいつらで「よくある反復練習」をするのはモチベーションを損なう拷問でしかない。
ちなみに「よくある反復練習」というのは「表情を付けずに正確さのみを追求する」ってやつ。
そもそも「最初は表情付けずに」というのは「最初は音楽やらなくていいよ」と言っているに等しいわけで。
要するに「演奏していて胸が熱くならないものが音楽なわけねーだろ」って話。
それなのに、大抵は基礎練のみならず曲の練習でもそういう音楽的じゃない練習をして、先生が満足したら「これから表情を付けて」となるわけだ。
でもさ、それって二度手間じゃね?
曲は表情の有無で演奏の仕方が大いに変わるんだから、せっかく一応は完成したものを作り直すとか意味がわからん。
だったら最初から表情を付けまくった演奏で完成を目指せばいいだろうに。
というか、今生き残っている楽器は奏者の感情が音に出るくらい繊細で表現力にあふれているからこそ生き残っているという事実を、もっと重く受け止めてほしい。
上に書いた表情の問題は、たとえ基礎練だろうと、クラシック/ポピュラー関係なく西洋音楽では解釈の根幹とも言える、ドミナントからトニック(トニカ)への解決を音にすることまでセットにするのが必須でしょ。
というか、ドミナントからトニックへの解決を音に込めたら、本当はスケールもアルペジオも、これほど面白いモノはないと思うんだけどね。
だって、そこで学ぶ技巧的な要素も、結局のところ曲の中でできなきゃ意味ないわけで。
だったら直接、曲を練習すればいいんじゃね?って思うんだが。
リンスインであること、コスパがいいこと、そこそこしっかりしてるもの、ということで、
こないだ、近所のスーパーで食材を買うついでに、シャンプーを買おうとした
ひとつだけ、これ置いといたら文句ねーやろ、みたいなトニックシャンプーがそこそこ安かったから妥協してそれにした
(いつものドラグストアまで徒歩2分もかからんけど、面倒だった)
今さっきそれで頭を洗ってきたところだ
目に染みるし、髪もガサガサ。逃避にはいいらしいけど
はたと気づいた
そういえば、家族持ち(嫁と同居)の男って、基本嫁のシャンプーを使ってるんじゃないだろうか
そもそも、洗髪にこだわらずに商品開発を怠らせたのは男性だけど、今のスーパーのシャンプー売り場の状況はひどい仕打ちだと思う
あと、世の女性、髪の毛にこだわりすぎ
さて、直前になったからこっちに追加していくよ
枠出たね
レシステンシアは7番で真ん中あたり
ベストと言えると思う
大外は有利か不利かで言えば不利だとは思う
しかし、メイケイエールは外の方が迷惑かけずに馬群から離して乗れたりもするし、重馬場では大外が絡みやすいというデータがあったりで、割引にするほど損という見方はする必要もないだろう
となると、外枠になった子も変わらず評価する反面、やはり軸がレシステンシアとなるのは不動でしょう
レシステンシアを外す要素は見当たらない
よほどのイレギュラー、ハプニングがない限り勝つだろうし、レシステンシア、信頼していいと思う
軸ができたのはよかった
安心した
でも難しいのはそれからの買い方
幸い、有力馬がそこそこ多いため、票が割れており、レシステンシア複勝でも1.3倍はつく、というのが今のオッズ
多少下がったとしても、1.2倍はつくだろうし、元返しはどうやらなさそう
レシステンシア複勝3000円で、600円から900円程度の儲けが見込める
連を買うなら、これを上回らなければならない、というのがスタート地点
5レイハリア - 7 35.4倍
10番人気まではこんな感じ
1番倍率低くても7.2倍だし、この9通りを6通りくらいまで絞ればそれで儲けは出るだろう
レイハリアは勧めはしないけど、個人的に期待してるから買いたい、調教はピカイチだったみたいだし
あとは、くるかもしれないけど可能性は低いと思うことにする
馬連、グレナとエールはそれぞれ4枚ずつでリターン3000円前後
ロータスランドとダイアトニックは2枚ずつでリターン3000円程度
レイハリアは1枚でリターン3500円
この買い方なら計1300円
そしてどれでも当たれば3000円前後つくし、儲けは1500円から2000円程度になる
これ、レシステンシアの複勝5000円買えば、1.3付けばタダ券にできるし、1.2でも持ち出し300円ってことになるなあ、というのが今の考え
レシステンシアとグレナディアガーズのワイドも、3.5倍つくようなので、色々買うのはやめて、7-18のワイド一本に1000円以上ぶっこむのもありかも
とりあえず今夜はドバイシーマクラシック見よう
14時56分追記
買いました
サリオスは買う必要ないと思ってるけど穴開けられたら悔しいから300円
それ以外は連帯する力なしと見る
計2100円
ホープフルステークス以来だね
そろそろG1シーズンがまた始まるのでちょろちょろっと書いていくよ
過去10年に3着以内に入ったのべ30頭のうち、最も人気が低かったのが17番人気
そして、この30頭のうち、10番人気以下だったのが4頭
8番人気以下だったのが6頭
逆に、5番人気以内で決着したのは、10年のうち4年
これをまとめるとつまり、「堅い決着となる年もそこそこあるけど、荒れる年は10番人気以下からも絡んでくる」のが傾向としてあると言える
この傾向が何を表すか?というと、これはそのまま馬券を当てる難易度と言える
みんなが思った通りの年も半分近くはあるけど、誰も考えてない馬が絡む年も半分くらいあるよ、ということ
当てやすさの難易度を5段階で表すと、3.5から4くらいと言ったところ
こういうレースの予想は、この増田も含め、誰の予想も話半分に聞くといいよ、というのがまずは言いたいこと
これはもう誰にもわからない
天候が荒れやすい季節だけあって、ここ10年で良馬場は5年だけ。稍重や重馬場、不良の年もあった
じゃあ馬場が荒れた日に結果も荒れるの?というとそういうわけでもなく、12番人気、17番人気が絡んだ2019年は良馬場
今年も雨は降りそうなので、馬場はパンパンの良馬場、ということはなさそうだけど、それが結果を荒らすかは何とも言えない
しかし、荒れた結果を予想しきるのは難しいので、ひとまずは、荒れない、と仮定して考えて、最後に、荒れたとしても買う価値があるか?を考えるほうがよさそう
まず、今現役で最も強い馬は誰か?というと、ピクシーナイトの名前があがると思う
昨年の春のスプリントG1高松宮記念に勝ったダノンスマッシュ、今年の高松宮記念で最も有力となるレシステンシアなどが出走する秋のスプリントG1、スプリンターズステークスで3歳ながら勝利している
しかし、年末の香港で、前の馬が転倒し、それに巻き込まれる形で骨折しており、現在治療中である
本当に一番いい時期を走れず過ごすのはもったいないと思う
いない馬を嘆いても仕方ない
2歳G1の阪神JFを制したG1馬で、3歳からはクラシックでも桜花賞では無敗の牝馬3冠馬デアリングタクトの2着、NHKマイルカップでも2着とマイルで結果を残す
4歳となった昨年の高松宮記念は僅差で敗れるも勝ちに等しいダノンスマッシュの2着
秋は前哨戦のセントウルステークスを完勝し、勝つと思われたG1スプリンターズステークスではピクシーナイトの成長の前に屈し2着
あれ?G1でも勝ちに等しい内容と、G1でも抜群の安定感を見せているわりにシルバーコレクター?
しかし、今回はダノンスマッシュやピクシーナイトのような馬はいない(と思う)ので、えええー!ってのがなければ勝てる(と思う)
ご存じ、真面目に走り過ぎちゃうじゃじゃ馬、メイケイエールちゃん
武豊も横山典弘も制御できず、危険なほど真面目に走りすぎたメイケイエールちゃんは気性難で有名
その後はチューリップ賞の勝利はあるものの、桜花賞以降はなかなか最後まで力が持たず好走できなかったが、走る能力そのものは疑問符をつけれないほどすごい
そしてついに、癖馬を得意とする池添騎手を迎え、厩舎も馬具を試行錯誤した結果、秋のG1スプリンターズステークスで4着と好走を見せる
そして年明け、今回の高松宮記念と同じ中京1200のG3シルクロードステークスで、待望の古馬重賞を勝利
それほど強い相手は出ていなかったとは言え、年齢や性別の制限がない重賞を初勝利し、ここまで重賞4勝は立派の一言
レシステンシアにまさかの勝利をあげられるとしたら、覚醒したメイケイエールちゃんが最有力なのは間違いない
しかし、何やらかすかわからない、という意識はなかなか捨てられないのが難しいところ
2歳G1朝日杯FSを制したG1馬で、早々にクラシックには行かずマイル路線に進むと表明
マイル路線で圧倒的存在感を示すと思いきや、前哨戦のファルコンステークスで2着、本番のNHKマイルカップで3着と飛んだため、信頼感をぐっと落とす
G1マイルチャンピオンシップでは4番人気に推されながら13着
素質は勿論あるのだけどいまいちマイルで結果を出し切れなかったこの馬が短距離で才能を開花させられるのか?というのが注目ポイント
大崩れはせずコンスタントに3着以内に入り続けるも、重賞初勝利は4歳秋のG2スワンステークスと遅咲き
5歳になった2年前のG1高松宮記念では不利を受けながらも3着に粘りこむ
重賞で勝つ力、G1でも馬券内に入れる力ははっきりあることを証明している
ここ1年半はほとんどまともに走れなかったが、今年年明け初の重賞を4着、続くG3阪急杯を勝利と、復活したと見ていいだろう
力はある、力が出せるかが気になる
キーンランドカップは51kgと軽斤量だったのはかなり有利であはったが、メンバーは揃っていた中で見事な抜け出し勝ちだったし、じゃあ軽斤量なら誰でも重賞2連勝できるんですか?というとそういうことはないので、間違いなく力はある
しかし直近のレースが京阪杯で16着しんがり負けだったのがちょっと気になる
が、スタート決まらなくて競りかけられて萎えての負けなので、気性的な危うさは見えたものの、うーんどうかなという感じ
馬券内入っても驚かないけど、G1ってそんな甘くないよね、というのは俺の冷静な部分が言っている
10番人気以下の穴をあけてくる馬を読み切ることなんてできないけど、穴をあけ得る馬はある程度絞れるかもしれない
人気薄でも穴をあけた馬、というのは、これまでにしっかり短距離重賞を勝ち切っている馬がほとんど
最近は振るわないけど、元々力としてはあったよね、という裏付けがある馬しか3着には入ってこない
そうなると、その裏付けがない馬、キルロード、サンライズオネスト、ダイメイフジ、トゥラヴェスーラ、ナランフレグあたりは消していいのではないかと思う
逆に言うと、それ以外の馬は3着に入り得る
そうなったら諦めよう
傾向から言うと3連を当てるのは至難だろう、と思う
ヒモに1頭は予想外が絡みやすいうえに、軸になり得る馬が3頭いる
軸を決めて、軸がしっかり結果を出してくれるなら大きな失敗にはならないだろうけども、軸が飛ぶ可能性はそこそこある
いちばん安心できる軸はレシステンシアしかいないので、レシステンシア軸で馬連、またはワイドを買う、というのが最も取りやすいのではないか、というのが今のもやっとした考え
しかし、メイケイエールやグレナディアガーズがレシステンシアを上回り、ヒモ荒れみたいなことが起きた場合、レシステンシア4着はそんなにあり得ない話でもない
でもまあ、4着以内には入るよね
メタルとかのディストーション音だったらフルピッキングしないで誤魔化したりできるけど、
いわゆるハンマリング・オン、プリング・オフで弾いたりするわけだけど、
メタルでも尋常でないフルピッキングとか、自分には無理なんだよなぁ
まあ、アコギのシャッフル・ストロークと同じで、とにかく機械的にやる、というのがキモだと思うんだけど
意識しない、考えないところまで昇華するのがキモだと思うのだけど
左手は考えるとしても、右手はまったく考えないで空振らない躓かないようにする
楽器のこういうところは完全に体育会系というか鍛錬の賜物だよね
なんか時間が空いてたり気分転換したくなったら、なんとなくギターを持って、
耳コピとか速弾き練習してたら夕方も暮れていたみたいなことがときどきあるんだけど、
なんとなく練習する、頭にフレーズが浮かんだり思い出したとき、
すぐにそれってどうやって弾けばいいのかな?みたいに思って、
フランクというか、気張らないというか、
なんとなく腕立て10回やってみるか、やってみたけど何か違うな、こうかな、こうかな、
みたいにやって回数増やしてるうちに、
なんかできないと思ってたことがいつの間にかできるようになってる気がするんだけど、
バカでも繰り返して、なんとか原曲に近付きたいとか、想い続けてるからなんだろうけど
練習の30%も実力が出なくなってしまうの、未だに治らないしなんとかしたい…
そうなると緻密な楽曲を弾こうと思うよりも、まずはペンタトニックとかで、
音数も少なく、シンプルにいい感じにブルースっぽいフレーズを弾くとか、
技巧的でないけどカッコいいみたいなのを目指す方が先なのかなぁ、とも思う今日この頃
12分割をさらに分割するとか、12分割以外というのは民族音楽にもあるわけだけど、
音楽理論を破壊再構築する現代音楽的な発想を面白く解説してたと思う
小山田氏の件で悪く言われてるけど、YMOも音楽理論の破壊と再構築をやってたみたいだし
ディープパープルのジョン・ロードだって半音ずらしの不協和音好きだし
ノンダイアトニックコードがないとドミナントモーションというか、
既存の音楽理論が、聴ける曲はこう作れ、という既成概念を作っているわけで、
それを敢えて壊してみるというのがまずあると思う
で、壊すととても聴ける曲ではなくなってしまう、壊すことが目的化しているからだけど、
それはまた新しい音楽理論だと思うんだよね
ベタなE、Em、それに7thが入るとどうなるか、みたいなのは個々人の感覚で馴染んでもらうしかない
ちょっと間抜けな演奏がしたいと思ってE7を選ぶ、という演奏はない気がするんだけど
まあ、自分は正規の教育受けてないのでなんとも言い難いんだけど、違和感が…
そもそもダイアトニックコードがあって、いわゆる3コードがあって、
3コードと代理コードちょっとあれば、簡単なフォークソングとか弾けるよね、と
長渕剛だったか、C、F、G、Amさえあれば作曲できることが分かったのがスタートラインだったと言ってたし
そこにノンダイアトニックコードが加わって、そこで7thも登場してくるし、
それから、C7、F7、G7みたいなブルース、ロックンロールみたいなのも瞬間的なメジャーとマイナーの転調というか、
メジャーとマイナーのスケールをフラフラ行ったり来たりする浮遊感がブルースらしさというか、
あと、7thコードからディミニッシュコードを見つけてみると、それがブルースとかの合間でいい感じに響く
"Welcome to the Jungle"にも含まれてるけど、そういうのをコードから発見したり
あと、Eメジャーは明るくて、Emは暗いとか悲しいとか、一般論としてはそうなんだけど、
それがコード進行の中で必ずそうかと言うとそんなことはなくて、
Eメジャーが寧ろ暗さを醸し出したり、Emが爽やかに感じられることだって有り得ると思うんだよなあ
まあ、音楽理論はゴチャゴチャ理屈とか文章読むより、弾いた後に納得するのが普通だから、とにかく弾けとしか言えないんだよね
よく偉そうに音楽理論を学びたいなら楽典を読めみたいなアドバイスする人がいるけど、
そういう本を選択した方がいい
やたらに難しい本をアドバイスする人は自分よりレベルが上か、もしくはハッタリの可能性さえあるから(プログラミングも同じで
あと、音楽理論の本だけ読んで理解するものではなくて、寧ろ楽譜をコピーしたり耳コピして、
音が聴き取れなかったら今はGoogleしてみると、できる人やプロの作曲家がブログで解説していたりもするから、
そういう総合的なものを活用して、とにかく弾いて理解するのが音楽理論であって、
今思い出したんだけど、大学時代に理系の大学なのに座学オンリーの音楽理論の授業あったわ
ずっと寝てたわ…
単調なビートというか、反復を繰り返しながらメインのメロディだけをどんどん発展させるアプローチはそれこそジェームスブラウンだかの時代のファンクソウルからポップスに定着してる。
誰でも知ってるマイケルジャクソンの「スリラー」や「スムースクリミナル」もトラックだけ見れば1つのリフレインだけで出来てるし、それ自体は目新しいことでもない。日本でもオザケンの「ラブリー」等、局所的にそういうものがヒットすることはあった。
ただRandBやヒップホップといったブラックミュージックの色合いが強いこのスタイルが、アリアナグランデやジャスティンビーバーといった白人中流層に支持されるポップスターや、J-popのYOASOBIや瑛人のヒット曲に取り入れられたというのは時代の潮目なんだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=tcYodQoapMg
https://www.youtube.com/watch?v=8EJ3zbKTWQ8
ビートが一本調子というのはNiziUやモーニング娘。の新しい曲でも見られる特徴なのでより一層こういうものが主流になっていくのかもしれない。
(反復っていうのはテクノもそうだけど、テクノはミニマルすぎてポップスに転用できる音楽ではない。電気グルーヴにしてもChemical Brothersにしても歌もの要素が大きくなるにつれテクノ本来とはやや趣が変わっていった。)
https://www.youtube.com/watch?v=a6QT0acJFQE
https://www.youtube.com/watch?v=Ty0dkunCvNw
宇野さんが崇拝に近い持ちあげ方してる宇多田ヒカルもかつてからループさせることへの意識が高かった。
First Love時こそ「稀代の歌姫」として売り出そうというレーベルの意向もあってか、ディアンジェロ風の粘っこいドラム等といった当時のトレンドを表面的になぞっただけで、アレンジ面では当時のJ-popとそこまで違いはなかった。しかし「Distance」以降はRandBからの影響が強い宇多田ヒカル本人の意向が反映されだしたのかどんどんアレンジがミニマリスティックになっていった。
注意深く聴けば20年前の「Addicted to you」や「Can you keep a secret?」のころからすでに16ビートをキープしながらコード進行は8小節ほどで完結してしまっていることがわかる。
(このころはジャム&ルイスの手腕によるところも大きいのだろうが)
さらに言えばセルフプロデュースに切り替わってからロンドンに拠点を移すまでの2005~2015年あたりの宇多田ヒカルはいかにも宅録、DTM然とした手作り感あふるる音を時折鳴らしていなかっただろうか。
マスタリング等のポスプロによってある程度計算ずくで仕上げられたものにしても、Keep tryin’のパッドシンセはあの曲にしては音が厚すぎてややアンバランスだし、Kiss & Cryのホーンはモジュレーションであることを隠そうともしていない。しかしながらそんなことは取るに足らないことだった。
あのころはまだDTMそのものが新しくて費用が掛かる手段だったこともあって、宇多田ヒカルの孤高なイメージをより強固なものにしたし、なにより彼女が自宅にこもって自分の感覚だけで作ったものが、ダイレクトに自分のコンポやミニプレイヤーに届いてきたようなあの距離感がファンにとっては痛快だったんじゃないか。
「Ultra Blue」や「Heart station」時特有の浮遊感のあるきついリバーブや密室感のあるピアノの音像は、宇多田ヒカルの心象世界を垣間見ているようだったし、私生活でのラフな顔を晒してくれている様でもあって一つの魅力になっていた。
DTMはこの20年でどんどんハードルが下がっていったし、ネット上での音楽のコミュニティも成熟してきてる。今のアーティストを取り巻く環境ってあの頃の宇多田ヒカル周りの雰囲気とちょっと似てる気がする。ライブはあんまりやってなくてひたすら曲を書いてブログを書いていたのが宇多田ヒカルだった。
米津玄師にしろ須田景凪やヨルシカにしろ、宇多田ヒカルが敷いたものの上に立ってるんじゃないかな。立ってるというか宇多田さんは彼らのようなことを前時代にやりとげてしまったのかもしれない。
宇多田ヒカルの「traveling」は「夜に駆ける」に似ている。4つ打ちでビートに統一感を出している点や、トニックから長七度上(一度下)への移動が含まれる4小節ほどのコードパターンをひたすら繰り返している点、代理和音や経過音でコードに飽きがこないよう細かく配慮していることやフィルインの多さ、歌メロの譜割の細かさ…と共通項は多い。あの頃は幼くて単にかっこいい曲だなと何も考えず聴いていただけだが、当時の宇多田ヒカルはやはり規格外の存在だったんだなと今にして思い知らされる。
https://www.youtube.com/watch?v=x8VYWazR5mE
アイドルグループ「嵐」が2020年いっぱいで活動を休止する。最後のテレビ歌唱は12月31日の「紅白歌合戦」だろう。
おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソング」キャンペーンとタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。
本来ならば7月24日に東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間が一喜一憂しているはずであった。
嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。
また嵐自身の活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算、ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。
そして国家総力を挙げた一大イベントのアンセムと日本のトップアイドルの記念碑を兼ねたこの楽曲をトータルプロデュースし制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である。
まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。
米津は前年にもNHKのタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしとプロデュースを行っている。
結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。
バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンスを披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴的出来事であった。
おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会で使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。
ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱や伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。
(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)
また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙な塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井がラップ、二宮が上ハモ、松潤が下ハモ、相葉がファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数の素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルなパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。
なぜ米津玄師はカイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体をモチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。
同じくNHKのテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。
これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである。
「地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥を超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナーの冒険心を鼓舞する内容なのだ。
対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である。
さらに面白いのはこのカイトは最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界の一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情を吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。
つまりカイトとは未来に向かって邁進する人間そのものの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。
カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズでカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先からの視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。
人は絶えず不安や孤独に苛まれる瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分を形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイトの手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分がカイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以を垣間見た気がする。
「パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワードが散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調の関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調の同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。
これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。
そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉の意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。
パプリカとピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較的甘味があること等で区別されている。ピーマンが実像の象徴とすれば、パプリカは子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカの花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れない」である。僕の解釈では”パプリカ”もまた子どもや次世代を見守りかつて子どもだった自分に郷愁を寄せる歌である。
よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。
「カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。
「パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。
これに加えて5人組の子役集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。
「カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカ」から託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。
そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます。
様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂のアイドルが抱えるドラマテックな感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。
この物語は徳島の実家から独立しニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。
ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーがコンサートやテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズが存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。
オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループのメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的な人間の感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師が作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンスが米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。
うーん、元記事のダイアトニックコード云々とか間違ってはいないと思うよ
子供のヤマハ音楽教室で習うレベル、単純な童謡を作曲するために知ってるべきレベル
楽器弾きながら、音を確認しながらやれば、音感があれば何も難しいこと言ってない
でも、音感というか、この音の次はこの音よりこの音の方が気持ちよくない?みたいなところで感覚が一致しないと難しいかもしれない
元の文章で言うところのドミナントモーションとか、鍵盤で同じようなメロディーを何パターンか弾いて聴いてもらって違いが分からないとか、
音痴の原因はいくつかあって、まず耳の問題というのがある、これは医療の話につながる場合もある
と言っても正常に生活できていれば問題とは言い難いのだけど、独特の感性で生まれたということもありうる
この場合、矯正するべきとは自分は思わないが、元の記事のような幼児の音楽スクールレベルで逸脱してしまう可能性がある
仮に自分が指導するとしたら、地面のレベルで異なる状況に普通に家を建てるようなものでそれは難しい
音楽理論をやたらと批判する人がいるが、音楽理論とは基本的にはすべて後付けの理論である
つまり、何だかよく分からんがこんな音を出したら気持ちがいい、こんな音を出したら不安になる、という経験則が先であって、
そこから、なんか法則性あるんじゃないの?勝ちパターンみたいな?と思うようになって、
元記事のダイアトニックスケールだのダイアトニックコードだのは最も基本的な勝ちパターンでしかない
ダイアトニックスケールという名称があるから難しいのであって、
ルート音がCのダイアトニックスケールはピアノの白鍵盤だけを弾いた、単なるドレミファソラシドでしかないし、
ダイアトニックコードも、その白鍵盤で構成されるコードでしかない
ピアノやギターで弾かないで、音楽理論の文章だけ読んだらまったく分からないと思う
逆に、ピアノやギターがちょっと弾ければ、あ、そういうことね、完全に理解した、になると思う
何でもそうだけど、本だけ読んで何も手を動かさないで理解できるわけがない
でも、元の文章の内容が理解できないと、カエルの歌もキラキラ星もちゃんと作曲できているとは言えないと思う
ノンダイアトニック(黒鍵盤を含むようにする)とかちょっとレベル上げるなら、
子供の頃から色々な曲を聴いて、好きな曲ができて何回も聴いたりしてれば、音感は養われてるはずなので、
どういう曲を作るかによるが、いわゆるポップスを作りたいならまずダイアトニックスケールとダイアトニックコードを覚えることだな
KeyをCとするとメジャースケールでC,D,E,F,G,A,B、
このスケールの音を積み重ねてC(CM7),Dm(Dm7),E(Em7),F(FM7),G(G7),Am(Am7),B(Bm7b5)という7つのコードができる
これをダイアトニックコードという、これがコード作曲の基本パーツ
さらにこの7つのコードの中でも、1番目C(CM7)、4番目F(FM7)、5番目G(G7)が重要、いわゆるスリーコード
Cがトニック、曲の中心になる和音、トニックで初めてトニックで終われば自然に聞こえる
Gがドミナント、一番緊張度が高いと言われる、コードの組み合わせの基本はトニックからドミナントに向かいまたトニックに解決すること
なのでC→F→Gと進行してみたり、C→F→C→Cと進行してみたり、C→G→Cと進行してみたり、いろいろ組み合わせを考えてみるのが簡単な作曲法
禁止事項としてG→Fはダメ、つまりドミナントからサブドミナントはダメと言われているが、実際そういう風に進行する音楽も実は多い(ブルースとか)
C,F,Gの3つだけでヒット曲が作れる。例えばハイロウズの日曜日よりの使者はこのルールだけで曲を作っている
しかし、さすがに3つだけだとインスピレーション湧かない場合が多いので、残りのダイアトニックコードを
それぞれC、F、Gの変わりに使える、C→F→G→Cとするところを、C→Dm→G→Amとかに変えてもOK。
更にダイアトニックコード以外からも変わりの和音を使えたりするが詳しくは理論書でも買って読むといい。
(最初に読み物としては憂鬱と官能を教えた学校がお勧め、ただしこれ読んで概略を掴んだら普通の理論書読んだり講師についた方がいい)
メロディも、ダイアトニックコードの組み合わせの上でダイアトニックスケールの音、KeyCならCDEFGABを良い感じに組み合わせれば初歩的な曲ができる
自分だったら違う教え方するかなあと思ったり、あー、あるあると思ったり、観てるとあるあると思うのが多いなあ
ミュートとカッティングが混ざってるのって、Van Halenとか弾いてみるとかどうよ?と思ったり
というか、アコースティックの前に興味なくてもエレキギター試すのがいい気がする
フォークギターにエレキの弦を張るとか、とにかく弦を柔らかいのに変えるべき
どれだけ手の力を使わずに弾くか、
というのはライブやコンサートを最後まで弾ききる体力とも関係するので、
力を抜いてどれだけ弾けるようになるか、みたいな考え方は大事な気がする
どれだけ楽にちゃんとやるかみたいな
ローコードを先に覚えない方がいい気がする
単音でルートを弾くことで、ベースギターみたいな弾き方から音の感覚を学ぶのも大事な気がする
TAB譜通りにまずは好きな曲を1曲選んでちゃんと弾くのも大事な通過点だけど、
そこからTAB譜なんて買わなくてもなんとなく弾けるようになっていく方が、
会話するように楽器を弾けるようになっていく、というのは楽しい
何にしてもちゃんとやろうと思うのは意外と良くない
なんとなくギターなり、やらなければならない個人的な仕事を手に取って、
ちょっとやってみて、なんか違うんだよなあ、と思ったらやめていい、
ぐらい軽い気持ちでやるのがいい
何か音が鳴ったらその音を当ててみるとか、音あてゲームしてみるとか
そのうち、知らない曲がかかっても、すぐに合わせて弾けるようになると思う
まあ、難しい曲はプロでも難しいと思うけど、
ジャムりやすい、途中参加しやすい曲を敢えてやるという文化はあるわけで、
それはジャズとかよく知らないけど、
各楽器がかわりばんこに演奏する、みたいなのはそういう文化だと思う
子供の頃のゴム飛びとか、複数人数でやる縄跳びみたいなものである
ジャムりやすい、セッションしやすい単純な曲からやるべきというのもあるんだろうか
しかし、アラフォーになってギターが弾けるようになっても青春は取り戻せないので、
女の子とイチャイチャパラダイスした方がいいってばよ、と思うのだった
あと、福山雅治のギター講座でうっかりミュートでハーモニクス弾いてしまう話は面白かった
あんまり意識してなかったけど、あー、そうなるよなー、と思った
アンプ通すと余計汚く聴こえるだろうなあ