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2024-03-07

退却!前進

 anond:20240302205328

コンビニカウンター越しの卒業式

 先日、「コンビニカウンター越しの卒業式」という、拙い私小説風の文章を初めて投稿した。ここは様々な文章が入り乱れると聞いていたため、誰かの目に留まるだろうかと思い、数日。自らのページを開いてみると、あたたかコメントが数件。また、意味の分からないコメントもあった。玉石混交という雰囲気を感じさせた。

 あれは私の実体験だ。鬱病を拗らせ、通信制高校にもう一年在留することになった18歳。今日もこの時間まで眠れず、独りスマホ文章を打ち込んでいる。アルバイトコンビニエンスストアだ。これが私の住んでいる田舎にしては、意外と高時給なのだ低賃金労働、というわけでもない。シフトも融通がきく。非常に働きやす環境だ。

 ほぼ単位は取り終わっているので、(残るは体育のみ。)家で予備校通信学習も取らず、もくもくと勉強する一年がもうすぐはじまる。というか、今からでもやれよ、と言われてしまえばそこまでだが。

 自分のペースで、とか、頑張ったね、とか。沢山ではないが、心温まるコメントがあった。勿論、癪だという人がここには、いや、世間には沢山いることを知っている。それでも、数件の応援だけで、意外と人間って生きながらえることができる。

 まずは退却。疲れた撤退してしまおう。そしてまた進もう。自分のペースで、ゆっくりやろう。

 明日よろしく

2024-03-02

コンビニカウンター越しの卒業式

日の出来事。

3月1日今日高校卒業式だったようだ。16歳の少しの期間を過ごした学校制服を目に留めて、気づいた。2005年まれの18歳、1人コンビニレジを切り盛りしていた。すっかり忘れていた。嗚呼今日シフトを変えておけば良かったと、白くなっていく脳味噌で思った。

 私は幼少から患っていた精神疾患を、高校一年の夏に拗らせ、通信制に転学した。真面目に生きてきたつもりだった。勉強もそこそこ、普通にやってきた、のだろう。行きたい大学もある。やりたいことも沢山ある。身体が、精神が許さないのだ。サボりだと思われるだろう。分からない人の方が多いだろう。この感覚が、私が文章を綴っている媒体から、君の指先に届かないだろうか。

 17の夏。残り一年精神状態回復がみこめない。そこで、通信制の特色を生かし、18の卒業時点で、単位を残すことで、推薦で大学に行くという道を残すことを選んだ。少し、悔しかった。

18の秋。あと1年を切るか切らないかの段階で、あまりにも外部と接触しない己を変えたくて、コンビニアルバイトをはじめた。はじめは精神もめちゃくちゃだったが、今月からスマホ料金や模試の代金も、自ら払えるまでになった。

 職場の方も優しい。過ごしやすい。少しずつお洒落趣味時間も充実してきて、忘れかけていた。

 そんな時、あの制服を見かけたのだ。3月1日だった。「あ、あぁ…」と、マスク越しに声が濁った。私が一年遅らせた卒業が目の前に迫った。しかも、憧れていた、やっと入学できて、そして去った、その場所が。

 女子生徒2人だった。彼女らは店内を見て回る。私がフェイスアップに努めた、袋菓子の棚を。先程まで品出しをしていた、カップ麺を触っては、また戻した。顔に見覚えはあった。少し大人っぽくなっていた。涙が溢れそうになった。自らの再形成されかけていた自己肯定感を踏み荒らされた気分だった。意味もなく怒鳴りそうになった。彼女らは何も悪くない。別に何も悪くない。ただ妬ましかった。嫉んだ。憎んだ。

 数分ほど経って、2人は私の前にカゴを置いた。カップ麺と袋菓子複数打ち上げだろうか。震える声で呟いた。

「袋は…おつけしますか?」

顔を見合わせる2人は、すぐに

「お願いします!」

笑顔で言った。私はいつもより丁寧に、丁寧に、優しく、柔く、そうっと、バーコードスキャンして、袋に詰めた。割り箸も、おしぼりもつけた。お礼の言葉を述べて、袋を手渡した。弾けるような笑顔が視界に入った。

彼女らは私に気づくことはなかった。それは私があの頃より、身なりが整っていたからか?いや、そんなはずはない。

いなくなったやつのことなんて、きみたちは、ちっともきにして、いないのだ。

自動ドアが閉まった。私はカウンターの奥へ飲み物を取りに歩みを進めた。

始まる。予備校も塾もない、アルバイトをしながらの細々とした、浪人のような、現役生のような日々が始まる。

私の青春は、カウンター越しに幕が下りた。

anond:20240302111714

生産性を2倍3倍って頭ついてる?

予備校に貼ってあった毎日1パーセント向上すれば1年後には37倍とかそういうのを信じてた系?

2024-02-26

民青勧誘を受けた受験生をみてモヤモヤ

大学の行財政関係科目の教員をやっているのですが、民青受験シーズンに合わせて受験生大学近くで勧誘しててモヤモヤしています

というのも、

自分が見たときは通行できなくはなく、通行はスムーズだったもののの、道路占有して椅子と机、看板のぼりを広げて活動していて、ただ単に立って勧誘をしている予備校関係者や不動産屋に比べて明らかに邪魔

大学学費について該当の人にシールを貼ってもらって意見を聞くボードをもっていたのですが、日本とは大学位置けが異なる国(フランス)の話をして『そこだけ切り取っても、、、』と純粋自分の専門の観点から思った

制服姿の受験生が(まんまと?)勧誘されて、入会届的なものを書いているところで、大学に受かってからサークル活動ゼミがあったり、授業で色々なことを学ぶ機会があったりするのに、そういう機会に出会う前に特定政党指導を受ける団体に入ってしまうことが残念

ということをそれぞれ感じたからです。

民青指導団体の主張についてはさておき、こういう形で受験生勧誘してメンバーにしていくのはちょっと頂けないなあと思ってしまいました。

色々と選択肢がある中でアピールをして民青に興味のある方から選んでもらえる組織なのであれば、健全だと思うのですが、まだ合格かわからない学生デフォルメした主張をしつつ道を占有して勧誘しているのはどうなのかなあと思ったり。

とは言え、別に高校生勧誘するのは高校生活で色々な選択肢を見てきた高校生アピールして選ばれたということでもあるのだから問題ないとと思うし、受験生は大抵成人しているのだから、成人しているのであれば勧誘に乗るのは自己責任でもあるし。

モヤモヤしました笑

2024-02-25

学歴コンプこじらせて閉鎖病棟に入れられた

登場人物

 ・父

 ・母

 ・第一子 (以下,私)

  2000年まれ大学4年生.3年生を2回した.

 ・第二子 (以下,二号)

  2002年まれ大学3年生.幼稚園から大学学科まで私と同じ.

 ・第三子 (以下,三号)

  2005年まれ高校3年生.幼稚園から高校まで私と同じ.

大学に行かせてくださいと私が頼んだ時,父は以下の条件を出した.

 ・実家から通える,

 ・理系の,

 ・国公立大学に,

 ・予備校などには頼らず,

 ・現役で合格すること.

これら全てを満たせば学部卒業するまでの生活費学費も払ってくれるという.

私の高校は進学実績が落ちてきてはいたけれど進学校で,教育費には糸目をつけない親を持つ同級生が多くいた.

同級生たちよりも厳しい条件で大学受験に臨むことを不満に感じなかったと言えば噓になる.

が,学費を払えなくなったり,子供ができたりして高校中退した中学の先輩を数人知っていたので,彼らに比べれば自分はずっと恵まれ環境にいるということを私は知っていた.

そして私は父の出した条件に従うことにした.

実家から通える理系国公立大学は3校あった.

 ・A大学

  通学時間は片道2時間.興味のある分野について学べるが,定員が少ないうえに後期試験がない.センターリサーチではC判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.

 ・B大学

  通学時間は片道2時間半.興味のある分野に関連する学科はないが,設備が充実している.センターリサーチではB判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.

 ・C大学

  通学時間は片道1時間.興味のある分野に関連する学科はないし,設備も充実しているとは言い難い.センターリサーチではA判定.二次試験得意科目の配点が大きい.

A大学にどうしても通いたかった私は,合格可能性が低いことを分かっていながら前期試験はA大学を受けることにした.後が無いので後期試験は安パイのC大学に出願した.

私はC大生になった.

入学一週間後には,自分大学の下調べをかなり怠っていたことに気づいた.

シラバスを読む限り1年生の講義高校の復習と言って差し支えなかった.2年生以降も,うちの学科はさして専門的な講義はないらしい.

1年生の時点で,大学で新しく勉強を始めたものは必修でもないのにとった第二外国語くらいだった.

やる気を出さないまま1年生の前期が終わった.GPAは4だった.

私は頭が良いと同期たちがあまりにほめるので,「いやいや,センター数学で65%しかとれないくら勉強苦手だよ」と事実を言うと,めっちゃ頭いいじゃんと返された.

とんでもないところに来てしまったと心から思った.

やる気を出さないでいるうちに色んなことができなくなっていった.オンラインなのに講義毎日欠席し,部長まで務めていたサークルを無断で辞めた.

堕落しているのは自分なのにC大学を見下す気持ちが強まっていく.

3年生前期のGPAは1を下回った.留年が決定した.

その頃,高校1年生の三号が志望大学を決めた.東京一人暮らしをして文学部に通いたいらしい.個別指導の塾に通うし,滑り止めで私大を受けるし,浪人視野に入れているという.

一体どんな手を使ったのか,三号は頑固な父を説得して自分の望み通りの条件で大学受験をすることになっていた.

私は理解できなかった.親の方針って,絶対的ものではなかったのか.大学に入ってからの この3年の月日は何だったんだ.

親に制限されたからぱっとしない大学生活を送ることになったのだと,私はこれまで現実逃避してきた.本当は違ったのだ.

与えられた状況に流されるまま行動してきた結果がこれなのだ

私は自分の至らなさを受け入れられず自殺未遂をした.

校医に紹介された精神科へ通うことになった.

はっきり言ってこれは逆効果だった.

医者に,「私は学歴コンプがあるんです」なんて恥ずかしくてとても言えない.

結局2度目の3年生の春にまた自殺未遂をし,大学病院へ転院することになった.

今度の主治医旧帝大出身で,博士号までもっていた.

学歴コンプさらに加速した.

だが,新しく処方された薬でやる気のなさが改善大学へ通えるようになった.

真面目に大学へ通い始めて,うちの大学には親切な先生が多いことを知った.

通院でどうしても講義を受けられないときは代わりに課題を出せば出席扱いにしてもらえたし,語学試験を受けたいと第二外国語先生相談したら週1でレッスンをしてくれた.

特に親身になってくれたのが指導教員で,色んな学術書を貸しては解説をしてくれた.

次第に興味の対象が広がり大学院へ行きたくなってきた.

進学の準備を始めた矢先,自分でもどうしてだか分からないのだが自殺未遂をしてしまった.入院しましょうと主治医が言った.

その部屋には布団とトイレ監視カメラしかなかった.部屋には何も持ち込めないので情報収集勉強もできなくなった.

数日後に読書が解禁されて,父がたくさん本を買ってきてくれた.一日中本を読んだ.ただ本を読むことに没頭できたのは小学校時代以来かもしれない.

入院しているうちに気持ちが落ち着いてきて,2カ月ほどで退院することができた.

入院したことで準備が間に合わず,C大学以外の大学院は受験できなかった.学科内の同期で内部進学をしたのは私一人だけだった.

昨日の朝二次試験のために東京へ行く三号と両親を,二号が車で駅まで送っていった.飲んでいる薬のせいで私は運転できないから家に残った.

夕食後の薬を飲むといつもは副作用で起きていられなくなるのだが,今日は目がさえて眠れない.

二次試験を受けるのは私ではなく三号なのに緊張してしまっているようだ.

三号への感情は羨ましい妬ましいという気持ちと,私ができなかった分も大学生活を満喫してほしいという気持ちがないまぜになっている.

からは三号に対して学歴コンプを抱くようになるのだろうか.今すぐにはできなくても少しだけでいいから,いつかは克服したい.

2024-02-24

法科大学院時代同級生名簿を久々に発掘した

HDDの奥底に眠っていた。

ググったところ弁護士として活躍しているのは1割10名程度。

彼らはもちろん、今や名前も出てこない彼も彼女もあの人も、みな素晴らしかった。素晴らしい時代だった。

予備校試験対策を敵視してた一部教員はもうほんとカネ返せよ。

2024-02-21

ブックサンタしろ寄付しろフードバンクしろ虫唾が走る

賃金に結びつくことをしろ

稼げることをしろ

現代の衰退する日本ではみんな少しの余裕もないんだ。

自分でどうにかできない奴なんて老若男女問わず見捨てろ。

大学生の甥っ子も最低時給で学習支援ボランティアみたいなことをしている。姉も甥も人生観が甘過ぎる。最低時給で学習支援ボランティアなんてやってクズ親のクズガキの面倒見るくらいなら予備校学習塾でアルバイト始めてくらいついて人気講師になって稼げ。

慈善事業なんてこの世から無くなれ。

慈善事業の施しを受けてるやつも提供する奴らもみんなムカつく。

消えろボケカス

今日仕事頑張って自分で稼いだ金でねぎ牛丼とスト缶買って、自分家賃払ってる部屋で寛ぎながら晩酌楽しむぞ。

2024-02-19

27歳大学受験合格体験

10ヶ月間大学受験勉強をして合格したので、備忘録として残す

スペック

27歳、女

最終学歴高卒所謂自称進学校

毒親に進路を強制されて看護学校に入ったが耐えきれなくなり中退就職、今に至る

大学を目指した理由

仕事がない

仕事をやり始めた当初は大変なときがあったが、慣れるとルーチンワーク化してしまいつまらなくなった。

転職しようか悩んだが、興味のある仕事大卒以上の仕事ばかり。

そこで大学に興味を持つ。

大卒新人が優秀すぎる

私の仕事は一時期炎上した底辺ランキングに入っている。

新卒の子たちがうちの現場に来ることがあったんだが、優秀のなんの。

誰でもできる仕事からたまにかなりヤバい人が入ってくるときがあるんだけど、大卒の方はヤバい人率が格段に下がるのを肌で感じた。

さら大学に興味を持つ。

③優秀な頭脳に殴られたかたか

から地頭が良い」と言われていたが20代も後半に差し掛かり、地頭だけではどうにもならないと思うようになった。

私は全く優秀ではないのに、今の職場では持ち上げられてやたら優秀な社員という扱いをされるのも嫌だった。

自分階級が下になれて自分より優秀な人にけちょんけちょんにされたいと思うようになった。

ついに受験勉強をすることにした。

勉強時間

休みの日は一日10時間以上

仕事の日は通勤時間(往復2時間)に英単語or古文単語

週3で予備校にも通った

上司理解のある方で受験勉強をしていることや予備校に通っていることを伝えてシフトを減らしたり、職位を下げてくれたことには感謝している。

社会人受験感想

はっきり言ってまったくオススメしない。

現役時代とき大学に行けるなら絶対に行ったほうがいい。

自分で決めたことはいえ、周りは結婚したり飲みに行ったり遊んだりしている中勉強をすることはつらかった。

モチベーション維持が本当に大変だった。

社会人受験検討者へ

私のように20代後半を過ぎて大学に行きたいと思っている方がいれば参考にしてほしい。

予備校選びは吟味しろ

予備校は2,3校選んで吟味したほうがいい。

私は1校で決めてしまったので後悔している(予備校先生方は本当に良い方ばかりだった)

英検利用ができるなら英検を取れ

私は働きながら3科目(国数英)勉強したが、10ヶ月間で3科目は本当に大変だった。

もし英検利用ができれば英語勉強だけでも早めに始めて、英単語英文法を取得したら早めに英検は取るべき。

受験直前に1科目減らすことができるのはかなり気が楽になるだろう。

③現役時代得意科目は意外と得意のまま

私の現役時代得意科目現代文で、現代文だけ模試偏差値が60越えることもあった。

自称進学校卒であれば、模試を受けることもあったはず。

現役時代に得意な科目があれば、そのまま得意科目として得点源になりうる。

私の場合現代文得点源で、あわせて英語の長文読解が伸びて得点源になった。

自称進学校以外卒の方の場合分からん申し訳ない。

2024-02-18

anond:20240218011643

大学受験しか知らないマンとしては、理解できる部分もあるし理解できない部分もあるな

子供自身過去問演習を6年の夏休み終了近くまでやらない方が良い

そうなの? 過去問研究なんてまっさきにやるべきだと思うが。研究は親がやるから子供には演習問題として取っておくってこと?

あと全体的に塾に頼りまくってるのは大丈夫なの?

大学受験だったら、塾とか予備校講義なんてぶっちゃけ時間無駄で、自分計画して自走できる能力が求められるわけだが

中学受験だと、週10時間とかの塾でなんとかなっちゃうのかね?

チョロくね?

anond:20240218013430

塾でのブーストって大学受験予備校と同じで強制的に走らされた結果の成果なので、結局大学受験の際に多くが予備校に行くとスタート地点が揃うからな。

大学受験でも一定割合学校だけや進研ゼミZ会だけで旧帝大受かるような奴がいるように、中学受験でも予習シリーズの自学やZ会四谷大塚通信教育だけで受かる層がいて、そういう層は自然勉強し続けて大学受験でも最上位校受かっていくが。

anond:20240218091811

この界隈だとSがSAPIX、Yが四谷大塚、Nが日能研

伏せ字というか省略として使われてるな。各社の模試合格偏差値に多少の差が出るので、Y60のように使う(大学受験の際のベネッセ模試進研模試)と予備校模試母集団による偏差値差を思い出してみるとよさげ)。

2024-02-17

さいたま市民は日本一金持ち

総務省統計局家計調査によると、2023年の1年間で、最も消費額が大きかった地域、1位は412万9107円でさいたま市

消費額1位の食べ物ケーキトマト

外食にかけた金額東京都区部に次いで2位。

被服及び履物では1位。

美容品でも1位。

アクセサリー京都市に次いで2位。

授業料では5位。

学習塾予備校では4位。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240206/k10014349311000.html

調査結果からは、日本一金を使い高価な服やアクセサリーを買うかなり余裕のあるさいたま市民の暮らしぶりがうかがえる。

何でこんなに金持ちなの?

anond:20240217125018

大学就職予備校ではないとはいえ

就活有利に進めるために準備してきた人と何もしてこなかった人が対等に張り合おうとする考えは甘いんじゃないですかね

2024-02-14

大学就職予備校じゃない

教養を学ぶ所なんだ!とか言いながら同じ口で大学一般入試階層逆転、一発逆転のチャンスだとか言う人はなんなんだ。一般入試が一発逆転のチャンスってそれ大学教養を身に付ける所でもなんでもなく「社会的身分地位」を身に付ける所だって薄情してるも同然じゃん。そんなん就職予備校とかわりないだろ。

2024-02-13

ボーっと生きている

定年が見えてきた会社員だが特に何も成さずボーっと生きている

中流家庭に生まれて三食食べることはしてもらい屋根のある家でダラダラ過ごした

勉強は全く好きではなかったし幸い塾に行くほどのお金も無かったので家で漫画読んだり気合いでねだって買ってもらったパソコン雑誌ゲームを打ち込んで遊んでた

夏休みなどはじいちゃんばあちゃんの家に預けられて朝から晩まで山や海や川や草むらで遊んで過ごして当然宿題できずに終わるというのを繰り返した

学校勉強は嫌いだったけど教科書を読んだら分かる内容なのでダラダラと近所の公立高校へ進学

コンピュータが楽しくなったので大学へ行ってコンピュータで遊ぼうと思うが受験勉強をしなかったので大学不合格

近所の予備校がタダで通わせてくれるというのでダラダラ浪人

浪人中暇なのでバイトして自動車免許も取得

年末くらいからは観念してちゃん勉強して国立大学情報滑り込み

しか勉強できないので教養留年

家庭が貧しくなっていたので授業料をまけてもらってたのに留年でパー

たまたま収入だった父が職につけて払ってもらえた

生活費奨学金

専門に上がったら大変楽しくなったけど研究はできないし就職活動もしてなかったので教授先生にお願いして地元企業に放り込んでもらう

当時学生はそんなに就職に苦しんで無かった

学生の間力を入れていた同人誌作りを続けていたらコミケで今の妻と出会いすぐ結婚

一年くらいで子供ができてローンで一戸建て建てて引っ越し

計画なので子供も増える

奨学金もすぐに完済して子供健康に育ち長男特に勉強せずに国立大学入って留年

そこは似るのかよ

あとはこのままずっとヒラ社員で社内システム管理仕事して引退の予定

最近趣味はぶくま

意識が著しく低い

2024-02-11

ビルの同じフロア予備校が入ったら便所の個室が常に満室になった

あのさあ……

 

ていうか、予備校時間割とか、どうなってんの?

なんで休憩時間だけじゃなく、朝から晩まで常に満室なの?

2024-02-10

小学生に塾って無理矢理行かせるべき?

自分某国立教大卒

けどあまり田舎出身だったので塾というものがなく、

距離的に私立中私立高に行く選択肢は考えにくいため

特に塾に行かず高校受験。(と言っても倍率1.2倍くらいの楽勝受験

高3の時、周りに塾がないため電車に乗って塾とか予備校夏季冬季講習にいった。

この時行ってた塾も特にありがたみを感じず(予備校の講習は英語だけ良い感じだった)

総じて「自分参考書なら問題集やるのが一番効率が良い」と感じた。

仕事大阪引っ越し結婚

子供も生まれたが、まわりは結構小5くらいで塾に行かせてる。

大阪市には塾助成金とかもあり、

大阪くらいの都市だと「塾に行くのが当然」なの?と感じた。

関東友達に会った時そんな話をしたら

「そんなん全員行ってるのが当然だよ。行かせてなかったら虐待だよ」とまで言われた。

子供はいたって普通の子って感じ。

学校先生曰く、学校勉強には問題なくついていけてるとのこと。

受験したい?と聞いてもそもそも受験してどうなるのかよくわからんから答えようのない感じ。

ここは騙してでも無理矢理行かせるべきなのか悩んでる。塾いる?

みなさん、子供に塾行かせてます?無理矢理?子供洗脳していかせてる?教えてください。

2024-02-09

anond:20240209054757

他の増田が言う通り、確かにこれは「死ぬくらいなら会社辞めれば」と近い話だと思う。

「つらくて死んでしまうよりは、学校なんて行かないでいい。生きててほしい。」という周囲からの願望だな。

人には得手不得手もあるし、相性もあるから、合わないところに居続ける必要もないという話もある。

一方で、石の上にも三年みたいな言葉もある。

ちょっとした嫌なことがあるくらいで辞めてしまっては仕事は身につかないと思うけれど、継続的・持続的に嫌なことをされ続けてまで行き続ける必要があるとも思えない。

増田予備校に通っているようだからいいのだけれど、「学校に行かないでいい」というのと、「勉強しないでいい」は違うよなとも思う。

学校という仕組みで学ぶ必要はないが、最低限の勉強はしておかないと少年兵あがりのおじさんになってしまうので。

上の学校に行っても不登校になって辞めちゃうのか、そこは登校し続けられるのかは誰にもわからないよ。

学校なんて行かなくていいと周りは言うが

休んだ場合不利益に関しては当たり前だが誰も責任は取ってくれないよね。

しろ不登校になった子こそ通えてる子よりしっかり将来について考えないといけないという事実に気が付いてしまったよ。勉強だけは予備校通って続けてるけどたぶん大学でもまた休みまくって今度こそ留年とか退学みたいな形で決定的な傷が経歴につくんだろうな。

2024-02-08

anond:20240208043709

障害基礎年金2級はもらっている。

障害厚生年金は資格なし。

スマホ代とカウンセリング料金だけ自分で払ってて、あとは貯金してるよ。

あと、基本情報技術者予備校代も自分で払ったかな。

毎月4〜5万円貯金できてる。

2024-02-07

anond:20240207113636

千万も積まなくても障害児でなければほぼ個人教授医学部専門の小規模予備校に300万くらいかけて行かせればほぼ受かる

2024-02-06

俺の実家は太い

実家が太い云々という増田を目にして、俺もつ自分人生について書きたくなった。

約30年前、俺は両親が医者の家庭に長男として生まれた。

医者というとなんとなく世間的にもお金持ちのイメージがあるだろうが、事実裕福な家庭に生まれたと今でも思う。

そんな俺だが、結局30も手前になって職歴なしどころか学歴すらない立派な引きこもりに成り果ててしまった。

まず前提として俺の家系は代々医者一族で、父方の祖父地元(と言っても俺の住んでいる市内)でおそらく一番大きい総合病院理事長をしていた。

その祖父思想が強く、医者でなければ人間でないと言わんばかりの態度を常に振り撒いていた。

母方の祖父母は確か医者ではなかったと記憶しているが、いつだったか父方の祖父母の家に連れて行かれた際、「あまりあっちのじいじ・ばあばと話をすると頭が悪くなっちゃうぞ」などと耳打ちされたことを今でも覚えている。

当時は家や身なりも立派で見るからに"偉い"祖父漠然尊敬していたためにその言いつけを守り、母方の祖父母とはほとんど口も聞いていなかった。

俺がそんなだからか、或いは母親か誰かがそんな祖父辟易したのかは知らないが、小学校の高学年くらいから母方の祖父母に会うことは無くなった。

そんな祖父プレッシャーのせいか物心がついた頃にはもう塾に通っていた。

習い事も多くさせられ、ピアノバイオリン空手水泳テニスを確か幼稚園くらいから習っていた。

これは気質もあるのだろうが、自分の意に反して何かをさせられるのがかなりのストレスのようで、あまりにも習い事に行きたくなくてよく体調を崩していたり、時には仮病を使ったりしていた。

また、センス問題なのかモチベーション問題なのか、どの習い事も全く上達せず、発表会や大会のたびに親に恥をかかせてはよく平手打ちをされていた。

ある夜、何かをしたくてリビングに降りた時、両親が俺が何もできない無能である事について真剣に話し合っているのを耳にしてしまい、眠れなくなってしまたこともある。

いつしか出来損ないのレッテルを貼られた俺は、それでもなんとか医者に仕立て上げなければならないという強迫観念を持った両親の元で家にいる間は四六時中机に縛られ、常に勉強をさせられていた。

朝起きたら強制的に机に座らせられ、親の指定する量の勉強をこなすまでは朝食すら取れないような生活だったので、朝起きるのが苦痛睡眠障害になってしまい、次第に学校にすら行けなくなってしまった。

勉強ストレスで常に吐き気がしており、食欲もなく、睡眠不足も相まって頭も余計に回らず、さらに両親に叱られるといった感じで完全に負の連鎖に入ってしまっていたと思う。

ネットテレビに触れなかったためか、「自殺」という概念が当時の自分の中になかったために踏み切ることがなかったものの、もしもその概念を知っていたなら、間違いなく自殺を選んでいたと思う。そんな精神状態だった。

そんな両親の下なので中学受験をさせられ、結果としてはそれなりの中高一貫校入学することはできた。

しかし、高ストレス下で勉強だけをさせられて育った結果、いつしか俺は著しいコミュニケーション障害を抱えていた。

小学生の頃に友達と遊ばせてもらうことができなかったせいか、両親に過度に気を使う癖が付いてしまったせいか、原因は今となってはわからないものの、とにかく友人とフラットコミュニケーションを取るということが全くできなくなっていた。

当然の帰結かもしれないが、イジメにあった。

と言っても育ちのいい生徒ばかりだったので、ドラマアニメで見るような苛烈ものではなく、ただ無視されるとか陰口を言われるとか、そんなレベルではあったが。

いずれにせよ学校に居場所をなくした俺は、いつしか不登校になっていった。風邪で休んでそのまま復帰できなくなったとか、そんなんだった気がする。

クラス替えというシステムがない学校だったため、一度不登校になってしまったら人間関係を取り返す術はなく、そのまま5年半ほど不登校を続ける形になった。

留年して再スタートすることも提案されたが、両親の面子を保つためか受け入れられず、(どういうシステムかは今思えば謎だが)とりあえずそのまま進級し、卒業を迎えることになった。

当然医学部を目指させる家庭方針だったため、塾・予備校には通わせられていたし、家でも小学校の時さながら机に縛られる生活だった。

しかしながら、反抗期を迎えたこともあり、また俺の体格が大きくなってきたこともあるのだろうが、小学校の時ほどは勉強強制されず、俺も次第に家の中でも部屋に引き篭もるようになった。

もちろんある程度独学はしていたものの、受験の結果は案の定ダメで、箸にも棒にもかからないような成績だった。

とは言ってもMARCHくらいなら合格できる成績だったのだが、医学部以外の受験は認められなかったため、全落ちのまま浪人生となった。

それ以降は特に語ることもないが、2浪、3浪とする中で、親の洗脳も次第に解けていった。そうすると、ただ親の意向のためだけに医学部受験をしていることの虚しさを目を向け始めてしまい、勉強にも身が入らなくなっていった。

そうはいっても医学部以外への進学を認めないという親の方針は変わらず、一応俺は10浪中ということにはなっている(と思う)。

が、2年前くらいかセンター試験(共通テスト)の出願すらもしないようになった。そのことに両親が気づいているのかもわからないが。

もちろん住む場所にも日々の食事にも何一つ困ってはいないのだが、俺はきっと社会に出ることはできず、ひたすらに自我と向き合いながら、この広い実家幽閉され続けるのだと思う。

もう30も目前となった今さらになって、軌道修正を図る気力も無いし、仮に何か行動したとて無意味なんだと思ってもいる。

そしておそらくは両親も、こうなってしまった俺をどうして良いのか、そして俺と、ひいては自分たちの過ちとどう向き合って良いのかがわかっていないんだと思う。

から今日も変わらず義務のように母親は俺の食事を用意し、父親は何も言わずに俺のボロいスマートフォン通信量を払い続けいてるんだと思う。

多分お互いに、行動を起こすのが怖いんだろうな。

から現状維持に甘んじて、昨日と変わらない今日を過ごすことで失敗から目を背けているんだと思う。

こうやって気づけば10年以上が経っていて、きっとそのまま老いて死んでいくんだろうな。

いつだったかネットで『5億年ボタン』のコピペを読んだ時に感じた、途方もない無の中に幽閉される恐怖。

思えば俺はその中に今居るし、ついぞ抜け出すことなどなくそのまま死ぬんだろうと思う。

とりとめもなく書いてしまって終わり方もわからなくなってしまったが、一旦この辺で終わりにする。

読んでくれてありがとう。これを書くことをコミュニケーションとまでは言えないだろうが、誰かに自分気持ちを表明する経験が無さすぎて、書きあげるとともに凄いカタルシスのようなものを感じている。

2024-02-05

昨日、家族4人で外食して7,000円。

なんか高いなと思いつつ、今日来年度の予備校費用で約90万円。

こっちはそんなに高くないと思っちゃう

なんか麻痺していると思うが深く考えないことにする。

anond:20240204195928

おー!一人暮らしだけど俺も似たような状況!

司法試験予備校ロースクール奨学金抱えてる。

撤退して公務員試験受けて4月から働く予定。

実家の米だけで生活してるからチアミン欠乏症から脚気になって今はバイト以外ひたすらスマホいじりながら痛いの我慢して寝っ転がってる!

頑張ろうぜ!

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