はてなキーワード: NOTEとは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/honeshabri/n/n4b1841dba85f
noteのマガジンてのは「課金してくれる人」向けに書いてるものだ。
少数ながらもタイトル以外も読む人間がいてその人たちが文意を取ろうと努力してるからだ。
誰一人文意を正確に取らないからまさに「群盲、象を撫ぜる」のことわざ通りになっている。
udonkokko この話、埼玉県批判してる人って「ダメなラインとか存在しない,してはならない」みたいな感じ? 例えば「公共施設を借り切ってヤッてみた」みたいなpornhubを個人撮影したいです、みたいなのは?
kado0428 そもそも他じゃ厳しいから東京の業者が埼玉でやってたという経緯。めんどくさいこと言うなら埼玉も許可しなくていいんじゃないかな
world24 民間のプールでやればいいだけ。それを禁じられた時に公権力の暴走って批判するんだよ。シーンがぜんぜん違う。
ちゃんと課金して文章を読んでる人からどう見られるか想像する力もないのか。
想像力がないから自分がどれだけ恥ずかしいことをやってるかもわからないのか。
君たちは、生きてる意味あるか?
hisa_ino 価値はあるでしょ。なんで生きる価値がnoteたらいうwebサービスに金を出すかで決定すんねん。アホか。むしろそんなもんに金出すほう恥ずかしい。無料部分だけ読んでコメントするのも全く無問題。
優越的なものにせよ劣後的なものにせよ、社会制度の中で"女性"が特別な位置に来る場合って全部その根拠は妊孕能力(があるとみなすこと)によるよな
男性はそうではない方の性という位置付けで、そういう意味で、社会には"女性"と"非女性"しか居ないことになる
トランス女性は女性性を降りること(疑似的な閉経)ができるけど、トランス男性は男性性を降りようとしたところで捨てるものがないから、女性性を獲得しようとする方向に向かう
しかし真に社会において女性性を規定するものは妊孕能力なので、実際に彼女らが纏うのは戯画化された女性性にならざるを得ないわけで
先日自殺したryuchellさんを自分の中で消化しないといけない。
どうしても今書いておかないと思いながらずっとずっと書かないでいたけど、ここでしかかけない。この文章については自分が匿名という形でしかどうしても書けないし、自分のnoteでもtwitterでもfacebookでも絶対にかけない話だから。
私は肉体的にも社会的にも戸籍的にも女性として暮らしていて、自分の遺伝子をもった子供と戸籍上の妻だった人と一緒に暮らしている。でもそんなことは誰にもいえないし、自分たちだけの内緒。端的にいえばカミングアウトもしておらず、対外的にはいろいろある家族といっている。それでもなんとか暮らしていけるぐらい都会なんて他人に興味を持たれないし、家族というユニットは分断が可能だったりする。
こんな私だけど仕事にもお金にも困っておらず、家族を養えて、でも私の心はからっぽでどうしたらいいのかわからなくなる。好きになった人が女性でそのまま一緒にいて、でも自分の子供頃からもっていた違和感から性別をかえてしまった。
ryuchellさんに「新しい家族の形」をみたときには、応援をしたいけど「わざわざ一般に向けて言うことなのかな」というのは私の目からもおもった。家族の形を決めるのはそれぞれの家族にあっていうけど、それは外むけに言うことではないとおもうから。どういう家族の形だろうと家族だし、わざわざ「私たちはこうです」っていうと、どうしても「それはない」という人たちが現れるからだ。そんなのとは関わり合いたくないもん。トランスの人たちが傷つくことは、残念ならがほとんどの人はわからない。たぶん理解もされないし、理解される努力をしても、二項対立の枠内に押し込められて、わからなくなってしまう。
世界の片隅でささやかに暮らしてるけど、それでも、ずっと死にたかった。社会から弾かれている。カウンセリングに毎週、パートナーといっても、ずっと死にたいしかいえなかった。なんで死にたいのか。
もうこの世に生きている意味がないからだ。生きていてなにかをしたいとかもないし、生きているだけ辛いからだ。だから死のうと決意をしたことは何回もあった。毎晩寝るたびに「明日目が覚めなければいいな」とおもったりしてた。
最近転職したら、すごく仲良くなった友達ができた。実は仲良い友達は少し前にもできたんだけど、疎遠になってすごく傷ついた。だから慎重だったけど、結局仲良くなった。仕事はめっちゃできる系女子(笑)なんだけど、仕事上で友達にめっちゃ怒られた。でも不思議とつらくなかった。彼女が私ができる子だとおもって、本気でいってくれているとおもったから。
だから私はその日から不思議と家族とかからの愛を感じられるようになった。だから死にたく無くなった。
そんな矢先にryuchellさんが自殺をしたというニュースがあった。
痛いぐらいその気持ちはわかる。
その気持ちもわかる。
私はパートナの気持ちよりもryuchellさんの気持ちに寄り添ってしまった。
もしかしたら、ryuchellさんは愛を感じられなかったのかなって思う。どんなに愛してるとおもっても愛されていることを拒否してしまったのかなって。
だからSNSに発信をして、ないものをずっと求めようとしてたんじゃないかと。
わからないけど。
私は私がもしかしたら死んでしまっていたのかもしれない、それを思うとほんと心がぎゅっとする。
似たような立場だとしても、なにが一線「ライン」を越えさせたのかはわからない。
「ライン」はほんとすぐそばにあって、私もそこの縁にたっていたんじゃないかとおもう。
ryuchellさんは「ライン」を超えた。
私は「ライン」を超えなかった。
鷺沢萠さんを大好きを先輩がいて、自殺してしばらくしたら「もう死んじゃうと記憶からなくなるよね」といわれたのがとっても印象に残っている。
だから「ライン」を超えちゃうということは記憶から消えちゃうことだとおもっている。
それでも私の代わりに亡くなってしまったryuchellさんのことはずっと私はたぶん覚えている。
だれにも言えないけど。
R.I.P
あら、この記事の中に、「国際日本文化研究センター」とありますが、私は国際日本文化研究センターの職員の元愛人です。1995年~96年にかけて、私は当時17歳~18歳だったのですが、森岡正博国際日本文化研究センター助手(当時)からインターネットで声をかけられて、交際して、DVを受けました。
bio
@N3pJn1
わいせつ教員被害の被害者です。「自分はロリコンです」と本に書き、英語と韓国語に翻訳して海外に輸出した大学教員がおり、私は被害者です。深刻な精神病になり、自宅療養中です。さらに、大学連携という政策で、大学人が市役所にどんどん入ってきていて、パワーハラスメントが多数発生しています。トラウマを多数受傷し、寝込んでいます。
さんざん、どうしようもない事をグチャグチャ言った後に、女性を罵倒してさらに孤独になり、最後には解決策はない、強くなるしかない、みたいなどうしようもない、クソみたいな結論で大体終わるよね
「僕は弱者男性代表で弱者男性の味方です」みたいなアカウントって結局は弱者男性を踏み台にして、信者にしてフォロワー稼いで、noteやらで稼いでるだけで、なんら有効な解決策とか提示しないし。
はっきり言ってお前らが弱者男性をバカにして、養分にしてんじゃんね。
フェミは好きじゃないけど、表現の戦士界隈とか弱者男性界隈もたいがいクソだなと思うようになった。 それからは全く興味なくなった。
まあ、元増田は(本当にドラァグクイーンにそんな意図があるのか疑わしいけど)話としては分からなくはないと思う。
ただ、ブコメで紹介されていた「女装はミソジニー」のnoteは久しぶりになんか愕然としたわ。
わい、服装倒錯オジサンなんだけど、だいたい症状は下記のリンクで「異性装」を検索してほしい。
https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
そんな自分だからパートナーも持たず外部に女装がばれないように(アマゾンで誤配にあったときは死ぬかと思った)社会の片隅でこっそり生きてきたわけ。
それをフェティシズムは悪だってフェミニズムの大先生が一刀両断。別に好き好んでこうなったわけじゃない。
そりゃ、薄汚いおっさんに同じ服を着てほしくない、という気持ちは理解できる(逆に憧れる人間と同じ服を着るんだろうし)。だから隠れてるわけだし。
だけど、頭の配線が違っちゃってる人間に懇切丁寧に悪の定義付けをしてくれるのは、ほんま何様と思う。
フェミニストの皆様はせいぜい自分と同じくらい苦しんで死んでほしい。
地獄に落ちろ。
「女装はミソジニー」のnoteはあまりにひどいんで、もし異性装の傾向がある若い人が読んだらかわいそうかと思ってコメントしたけど、消されてしもうた。
もう自分ではどうしようもないので諦めることにする。
異性装は治るようなものではなく社会に何とか適応する・できるようにするしかない。
精神医学の分野でそういったことが調べられているのに、”ミソジニー”とか今さらフロイト時代のような”精神分析”の出来損ないみたいな概念で断罪して見せるフェミニストの度し難さ。
偏見を持ち嘲笑・排除するものと社会悪として糾弾するものと、前者は魔女狩りの処刑を楽しむ群衆であり後者は異端審問官である。
このnoteがやたらと絶賛されている。noteでエモさを露出するベンチャーまじで大丈夫か。
https://note.com/yfujita/n/nf6fa24824c79
まとめるとこう
ということで、この人に本当にお金あずけていいの?この人の元で本当に働いていいの?注目を浴びる手段として笑いものになってるだけで大丈夫なの?「最初はみんな嘲笑ってた」という逆境からの大逆転をドラマとして完成させたいの?作りたいのは事業なの?ドラマなの?
ブログほどかしこまらず、はてなほど匿名でなくそこそこの長文がかけて、閲覧数がわかるツールないかなぁ。
いまいちしっくりこないな…
ブログって人が読んで、何かを得られる文章を書かないといけない気がして…
内なる自分が『お前の日常なんぞどこにも需要ないぞ』って言ってくるから、描きにくいんだよなぁ。いまどき情報集約場でもなく、誰でもやってるし、そんなこと気にしなくてもいいんだろうけど。
連投だから書くスペースが変わる度に集中力きれるんだよなぁ。かといって課金したくないし。
mixiってどうなんですか。
自分の知ってるmixiなら求めている雰囲気はかなり近いと思うけど… いま、どういう状況な場所になってる??? なんか残った種族が独特なコミュニティを作り出してそう。
自分の記録を残すための"ノート"だと思って使えば場違いでもなさそうかな?
あれ?自分の記録を残すだけでいいなら、はてなでいいのでは…?苦笑
なんていうか
その辺に落ちてる石ころよりは、ちょっと注目されたいんだよなぁ。
駐車場の縁石ぐらいの注目度が欲しい。
でも、まぁ、よくこんな気持ちになるけど…