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どうなる?
そもそも、日本が受け入れればそのまま延長して、日本が拒否すれば延長しないもの?それともGSOMIA破棄は確定?アメリカの反応を見る限りまだ撤回は可能そう。
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/16993549/
アメリカは国益的には延長した方が良いわけだから、そう圧力をかけてくるかもしれない。
韓国は、延長の申し出に対する国内世論をクリアできるならば、日本に対してアドバンテージをとれる可能性がある。日本が拒否すればGSOMIA破棄を日本のせいにでき、日本が受け入れれば日本やアメリカからの再三の要求により延長した的な物言いができるかもしれない。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190828-00080040-chosun-kr
↑これ。
最近のこの手のニュース、いろいろとdéjà vuではあるなぁ、とは思う。旧日帝の国際連盟に至る過程を見るようでもあるし、あまり上手くない、海外事業展開をしていた某企業の事態収拾プロセスにも似ている、気がする。
というか、これってICJにJurisdictionあるんだろうか。そもそも二国間協議不調→(基本合意に規定される)Arbitrationの不調というプロセスを踏んでいないので、「ICJに管轄権なし。まず、Arbitrationしなさい。」という判決になるんじゃなかろうか。
んで、Arbitrationを拒否しているClaimantの心証はあんまりよくないんじゃないだろうか。
それとも「不当な基本合意を強制的に結ばされた、あれは無効」という訴状なのだろうか。「宗主国は旧植民地諸国に対し、無限の賠償責任をもち未来永劫補償し続けなければならないにも関わらず、そのような条項を盛り込まない片務的な条約(基本合意)の締結調印を強要された。」という訴えなのだろうか。
それはそれで、そこまで遡った係争にしようとすると、旧連合国の植民地であった諸国の独立に関する合意にも大きく波及する話にならないだろうか。しかして、そのように、永久に(新たなネタを見つけ続け)補償賠償請求できる権利を持っている国家の自立独立性って、いったい何なのだろうか。はたまた、そのような主張は、WWIで戦勝国がドイツに要求し、ナチスの台頭遠因となった賠償請求とどう違うのだろうか。
教えて、えらいひと。
日本 「韓国よ。おまえは徴用工裁判で私の期待を裏切った。報復としてホワイト国からは除外する。多少は許可するが一部の品目は絶対に許可しない。事実上の禁輸措置だ。分かるよな?」
日本 「では、問題ないな。国に帰ってサムソンに通達しろ。彼らは急いで別の輸入先を捜しはじめるだろう。」
日本 「おい!何を聞いてたんだ?撤回なんて考えられない。いまさら言い訳なんて聞かない」
米国 「まあまあ、仲良くせぇよ(ハナホジ)、ところで、お前らGSOMIAは延長せぇよな。分かっとんだろうな?」
日本 「もちろんアメリカ様には逆らいません。韓国も分かってんだろ?」
韓国 「日本から先に『韓国を安全保障的に信頼できない』と言ったんだろう。破棄する。日本が悪い」
めんどくせ。
日韓関係がこじれている。戦後ずっとこじれ続けている。竹島、日本海、慰安婦、徴用工...日韓の間に横たわる問題は尽きることはない。「もう謝った」「まだ謝りたりない」これがずっと続いている。
日韓併合から終戦までは35年、しかし南北は約70年分裂したままで、いまだ再統合はできていない。
「朝鮮半島が南北に分裂した時、日本はまだ占領下だった。それを日本に言われても...」と日本人なら当然そう思うし、それが正論だ。だからこそ根深い。
日本は戦争で焼け野原になった後、驚異的なスピードで復興を遂げ、経済大国になった。戦後復興の最大の要因は朝鮮戦争だ。朝鮮戦争で兵站を必要とする米軍に物資を送ることで日本の産業は早期に復活した。米国の都合で復活させられた、とも言えるかもしれない。
日本は西側陣営にとっての極東の後方基地だった。そして前線基地は韓国だった。この役割分担によって、片方は発展を遂げ、もう片方は戦争で発展が遅れた。韓国と北朝鮮は、日本...いや東日本と西日本のifの世界だ。
しかしこの事に韓国人は文句を言えない。「分裂を決めたのは日本じゃないから」というのもあるが、それ以上に根深いのは南北融和が韓国にとってタブーでもあるからだ。
「分裂したのは日本のせい。我々は望まない対立を強いられた」というのは「じゃあ南北で争う必要もないよね」という話ともセットになる。徴兵制で国防を担っている韓国にとってこれはタブーだ。徴兵制拒否者の大義名分になる。
だから韓国は南北分裂について日本を責められない。責められないから別の大義名分で責める。しかし別のテーマでいくら話し合っても、本当の問題が解決されることはない。韓国はいつまでも怒り続け、日本は途方にくれる。
加えて韓国は、北に対する敵国意識と同胞意識を両方抱えている。自分たちの命を狙う敵国と隣接しているという恐怖のフラストレーションと、でも同じ民族で争いたくないという感情を抱えている。
相手が多民族ならフラストレーションを単純なヘイトとしてぶつけやすいが、それをしたくないという感情がそれを踏みとどめている。その一部が日本にぶつけられているという側面もあるかもしれない。
ホワイト国外しは経済制裁でもなく徴用工問題の合意破棄の報復でもなく、安全保障上信頼できないからやったぞって話だったはずだから、じゃあ本当にそうなってやるよ!って流れだよね
不謹慎かもしれないが、ようやく面白くなってきたなーと思う。そもそもホワイト国外しは安全保障上の懸念からだったはずで(別に日本に徴用工問題に対する報復の意図はないわけだから)、それを受けて韓国も安全保障上の懸念から、特別扱いを止める。まあ人によっては幼稚に見える反応だが、別に筋は通ってる。
別に当人たちは報復の意図はないのだ。表立っては。懸念があるから、それに対応する。それを受けて、相手もより強めに対応する。それが外からは報復の連鎖に見える。そもそも人間ですら、何を考えて行動してるかなんてわかりやしない。ましてや国家なんて巨大な組織では、内部でどんな感情がうごめいてるかなんて分かりっこない。だから行動でしか評価されないのだ。これをみると、世界から「報復の連鎖」がなくならない理由がよく分かる。
これまでの日韓関係は、お互いにモヤモヤドロドロしたものを抱えながらも、それを押し隠してなんとかやってたのが、ついに崩壊しはじめた。これもトランプ的世界の必定だろう。ここから、また以前のように左翼勢力が望むように取り繕って表面的には友好関係を築くのか、右翼勢力が望むように完全に断絶して冷え切った関係になるのか、そうすると中国や北朝鮮、ロシアはどう動くのか。
面白いのは、保守界隈は「国益国益」というわりに、韓国を切り離すことはどう考えても西側諸国の国益には見合わないということだ。どう考えたって韓国を取り込んで防波堤になってもらっていたほうがいい。別に靴を舐めたっていいから韓国をおだてておけばいいものを、やはりそこはプライドが邪魔をするのだろう。
韓国のGSOMIA破棄は戦争に突入する口実として近代で最もな動きなので、ここで日頃平和・反戦を声高に唱えてきた人達の真価が見えてくるだろう。
この期に及んで平和や戦争の懸念よりもやれネトウヨだの見下して過ごしてたり、日本が悪いとお決まりの呪詛唱えてるような人間は全く平和主義でもなんでもない。
平和主義とは名ばかりで日本をただ悪者にしたいだけの反日主義者、即ち差別主義者が殆どである。
基本的で当たり前の話だけど、日本が悪いの口実としてごっちゃにされるホワイト国外しと徴用工問題は全くの別件。
ここをごっちゃにする人間は悪意を持って意図的にやってるか、物事をそれぞれ筋立てて考える能力がないかのどちらかでしかない。
「何が正しいか」ではなく「何が得か」を優先するということだ。
それらを絡めて「何が正しいのか」は時代によって変化するという、陳腐化したテーマを持ち出してみたい。
……では本題へ。
東京裁判における「人道に対する罪」や「平和に対する罪」が事後法であるとの議論は有名なところだが、これはすなわち、先の大戦が人々の価値観の転換期であったことの現れであると考えられる。
世界の大国は、それまで人類が滅亡しかねないような戦争を経験したことがなかった。
だから、それまでのように軽い気持ちで開いた戦端が、どこまでもどこまでも拡大し泥沼となっていったとき、本気でビビったのだ。
もちろん、それまでも「戦争は良くない」という倫理は存在しただろうし、戦争を抑止する法的な取り決めだって存在していた。
けれど、いざ大戦が終わったとき、それまでの考え方では甘かったと世界中の人が痛感した。
もっと強力な抑止力が必要だという風に、世界の価値観が変化した。
だから、事後法まがいとの批判を覚悟の上で持ち出した「人道に対する罪」や「平和に対する罪」の適用を、大多数の人々が許容した。
つまり世界の価値観が変化を迎えた時代には、それまでの「正義」「合法」「筋」「論理性」は事後的にであっても「悪」「不法」「別の筋」「別の論理性」へと置き換えて断罪することが可能なのだ。
「何が正しいのか」は時代によって変化する。
植民地支配も同様だ。
少なくとも古代史の時代においては、植民地どころか他国の占領や奴隷支配も公然と行われ、それを禁止する国際規範なども今のようには存在していなかった。
それが、時代の下るにつれて白からグレー、グレーから黒へと徐々に変わっていった。
先の大戦は「侵略戦争」であったとされているが、少し歴史を遡れば、それは数多の大国が公然と実施してきた行為の焼き直しに過ぎない。
無論、当時は国際法や条約が次々と変化し、その時々においての「正義」や「合法」が存在していた訳で、過去において合法だったから日本の戦争も合法であるとの理屈は成り立たない。
厳密にその辺りを議論しだすと、歴史学者でも無い限り、あるいは歴史学者であっても、結論の出ない話になりそうだが、私が問題にしたいのはそこではない。
問題は、当時の戦争が仮に当時の価値観や法律に照らして「正義」「合法」であったとしても、敗戦国は支配地域の割譲・放棄や、賠償の責任を負わされたであろうということだ。
無論、当時の戦争が当時の価値観に照らして「悪」「不法」なものであっても、支配地域を取り上げられ、賠償を負わされる。
どちらであっても結論は変わらない。
負けた時点で結末は決まっている。
でも、なぜそんな暴挙が許されるのか?
価値観が変化する時代においては、事後的に過去の行為を現在の価値観で断罪することがまかり通るからだ。
価値観が変化する時代において、「今」の正しさは「将来」の正当性を担保しない。
さて、ここまで「価値観が変化する時代」という言葉を使ってきた。
これは一体、どういう時代か?
ひとことで言ってしまえば、私はこれを「世界の過半の利害に関わる危機が訪れた時代」だと考えている。
世界の一部が利害を争い、あるいは危機に瀕しているとき、その係争を、あるいは問題解決手段の正当性を判断する裁判官は「世界の残り大多数」が務める。
「世界の残り大多数」は第三者として、「既存の価値観」というルールブックをもとに、正当性をジャッジする。
しかし、世界の大多数が危機に巻き込まれたとき、そして、既存の価値観によるジャッジが世界の多数派にとって不利益となるとき、価値観は一瞬のうちに反転し得る。
民意で作るルールブックは、民意によって書き換えることができる。
では、価値観の変化は再び起こるのだろうか?
かつて、普通に行われていた侵略と植民地支配が今では「悪」と考えられているように、現代においても価値観の変化は起こり得るだろう。
昨今、日韓関係に限ることなく、世界の至るところで直接的な軍事力を用いない「係争」が激化しているように思われる。
現代の価値観において、これは「不法行為」とは考えられていない。
WTO等の貿易に関する各種の協定は存在するものの、関税や非関税障壁による駆け引きを全面的に「悪」と断じる倫理観は、世界の過半には決して浸透していない。
しかし、今後はどうだろう。
「経済戦争」がどこまでも激化し、明確な「勝利者」と「敗北者」が現れたとき、「勝利者」の側は「敗北者」に対して、経済戦争の戦争責任を事後的に訴追するような事態が訪れるのではないだろうか。
世界の過半を巻き込んだ「経済戦争」が勃発したならば、世界の価値観はきっと「経済戦争」そのものを断罪する方向にシフトする。
そんなものは、価値観が変化したならば、事後的に結論を書き換えることがいくらでもできてしまう。
この前提に立ったとき、昨今の日韓関係に関わる日本のスタンスに、私は一抹の不安を覚えずにはいられない。
だが、これらの正当性は、あくまでも「現在」の世界の価値観における正当性だ。
価値観が変化する時代が訪れた場合、それらの正当性は容易に逆転して「不当」であると断罪される危険がある。
未来の価値観によって遡及的に裁かれ、事後法によって賠償請求されるおそれがある。
価値観が変化する時代が訪れた場合、明らかに日本の不利益となる事態が訪れかねない。
日韓の係争は、利害の絡まない大多数の第三者によって、既存の価値観のもとにジャッジされるだろう。
日本は、どこまでも正当性を示す証拠を積み重ねていけば、それで良い。
変化後の価値観の世界において「多数派」の側に立つという意味だ。
だから、多数派になっておけば、事後法で裁かれる心配をする必要はない。
痛み分けと言ってもいい。
この場合、価値観が変化した後、再び関係が悪化すれば、事後的に問題を蒸し返される危険性が存在するから、将来に渡って永続的に友好関係を保ち続けるのがベターとなる。
もとより妄想だと言ってある。