はてなキーワード: 勝利宣言とは
終わったような話だけど、「虚構新聞なんかのために夫を嫌いになりたくない」(http://anond.hatelabo.jp/20120813213141)とその記事が釣りであることを暴露した「はてな匿名ダイアリーに虚構日記を書いたらホットエントリ入りしたでござるの巻」(http://d.hatena.ne.jp/muteit/20120814/1344953099)を読んで考えたことを書きます。
「虚構新聞なんかのために夫を嫌いになりたくない」はたくさんの注目を集めたという点で話として面白いかもしれないが、「釣り」という観点から見ると全く面白くないんですよ!虚構新聞よりも面白くないんですよ!
「ドッキリ」が面白い理由は、信じられないようなことにターゲットが騙されているのが面白いからです。嘘のような話を画面の中の人間が素直に信じてしまう(ように見える)から面白いんです。しかし、「現実と誤認する人が大勢出てきてもおかしくない嘘」に騙されてしまったひとを咎めたり、笑ったりすることが面白いとは言えません。虚構新聞で騒ぎになった橋下市長のTwitter義務化の嘘がつまらなかった理由も同じ所にあります。虚構新聞の場合、橋下市長がTwitterを義務化したかどうかは、嘘か真実か調べることが出来たかもしれません。しかし、「虚構新聞なんかのために夫を嫌いになりたくない」はプライベートを切り取ったエントリなので、短い文章の中から本当かどうか判別することは現実的にはほとんど無理です。つまり、「ありそうもないことをおバカさんが信じる光景を画面越しに見守る」エンターテインメントとしては失敗しているわけです。
もう一つ面白くない理由は騙すやり口です。この「釣り」ゲームは騙す側にとって非常に有利なゲームですよね。匿名ダイアリーという場は、エントリの内容以外の情報を読者に与えることなく、ノーリスクに嘘がつけます。個人と結び付けられていないので、嘘が見破られたとしても雲隠れして別人を装っておけば追及から逃れることができます。失敗して注目が集まらなかったとしたら、実はあの話は嘘だったとブログに暴露せずに黙ってまた新しく注目されるような嘘をでっち上げればいいんです。きっと、匿名ダイアリーにはひっそりとひと目に付かず過去ログの中に埋もれていった嘘がたくさんあるのではないでしょうか。
今回、せっかく面白い(?)嘘話でたくさんの人に興味を持たせることに成功したのに、自分のブログというホームグラウンドで一方的に勝利宣言するつまらないネタばらしのお陰で台無しです。誰かわからない人にみんな(ということにしておきます)で面白く騙されていたはずなのに、ブログのネタばらしでは勝手に一人の名前を持った騙す人間とその他大勢の無名の騙されるおバカさんにすり替えられています。はてな匿名ダイアリーという土俵の上で嘘をついたなら、同じ匿名ダイアリーの中のなかで嘘をばらし、説明してほしいと私は思います。
「釣り」=「たくさん騙したほうが勝ちで騙されたほうが負けという暗黙のルールにのっとったゲーム」というつまらない価値観が早くなくなり、騙される側も面白い嘘だったなと思える嘘が増えてきて欲しいと思います。他にも色々書きたいことがありましたがこのへんで。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%EB%CC%CA%DB%A4%CE%A5%AC%A5%A4%A5%C9%A5%E9%A5%A4%A5%F3
>「犬が哺乳類だなんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」
>「犬が哺乳類だという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」
http://anond.hatelabo.jp/20120813153013
>えっ何?当たってた?当たってた?ww
>あっごめんねwwこんなに笑ってるとまた傷ついちゃうよねww
4と11と13の要件を同時に満たしているように見えちゃうね。
自分も相手方も気づいてないのか知らんけど、こういうことすると(しかも文末で目立つし)「詭弁のガイドライン」に抵触するから馬鹿にされるよ。詭弁だね、って。そう思われたら普通はマズイと思わないのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20120615165035
「ボクが優位なんだぞ!」みたいなアピール以外何の意味も無いセンテンスは控えよう。
多分2ちゃんねらーなんだろうけど
本当に「自分より下の人間」みたいなカテゴリやレッテルが好きな人だよね。
いや、きっちり説明して、と言われてもも何も私は説明するべきことは全部説明したんで、付け足すことないです。
反論できないなら出てこないでください。
あと、誤字りまくったり改行忘れたり書き直しまくったりするのも
度が過ぎると人の迷惑です。
ただ一つだけ言っとくと、あなたみたいな反応を見て、ああ、フミコさんは甘かっんだなと思った。
腹田くんとかあなたみたいなバカは奴は、基本的にはバカな発言をしたら相手にされないことが大事だ。
そして、しつこく食い下がるなら、ちゃんと自分の愚かな行為に対して痛い目にあうべきだろう。
今回の件は、どこまで事実かはしらないが、脅迫やら迷惑行為の領域である。それを皮肉るだけでぶん殴らずにおとしまえつけてあげた(本気で処分するのでなく、ネタで済ませてあげた)結果、本来バカは大事にならなかっただけでも感謝するべきだと思う。それにもかかわらず、相手の弱腰な態度に対してよりつけあがるのだということはよく分かった。人の態度がゲスいとか言う前にまず腹田が反省すべきだし、そこすっ飛ばしてよりによってフミコ側を叩くとか、なにいってんの?馬鹿なの?って感じです。
ほとばしるパッションというか体温の高さだけはすごく伝わってきますが
「増田で突っ込まれて超ムカ付いたから改めて腹田君を叩きに行く」という情動は
彼が見せてくれた異常な反応の一つ一つや
「自分に矛先向けられたらすごいスピードで発狂した挙句に何故かまた腹田君を馬鹿にし始める」
という行動は
とてもわかりやすくフミコフミオ消費者の一類型を露呈していると思う。
見下せる相手を探していて、攻撃性が強く、
自分への批判には全く耐えられない。
ちょっと批判されるや激怒して「バカ」だの「ぶん殴る」だの連呼する人ですら
馬脚を現す直前までは自分の攻撃性や本性を隠蔽しようとしてたし、
半ば本人も(ひょっとしたら今でも?)自分を攻撃的な人間ではないとか思ってる。
他人の差別心とか攻撃心とかにうるさいけど、
本当に攻撃心と手を切ってるわけじゃないし、切ろうという努力すらしてない。
攻撃しても怒られたり突っ込まれたりする危険が少なそうな獲物を前にした時に
普段きれいごと言ってる奴の本性がわかる。
「ヘイトスピーチ反対」とか言ってる奴等の異常な口汚さもお笑いだし。
人の攻撃性を非難するブコメですら、別の誰かへの必死な皮肉を込めるのだけはやめることが出来ない。
こういう人間は、
もう無理すんのはやめたらどうなのかね?
見下す相手が居なけりゃ一日とて息が出来ないんだから。
自分の攻撃性やクズぶりをカムアウトして受け入れれば、正義とか良識とか騙る必要も無くなる。
打たれ強さを上げればすむこと。
たったそれだけで、
ストレス解消の排泄を咎められたり
おハロー。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
「このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!
http://anond.hatelabo.jp/20111224192828
を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。
「かわいそうだね?」
って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞のネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。
はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大の自分を直視できないのかねえ。
「格好をつけないことで、格好をつけている」
「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」
やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。
ぼくはきみたちの断末魔の叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートはエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。
ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。
これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。
きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかにカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね。東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。
では、いきますよー。
「ボンクラ」なんていう安っぽい価値観で連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスターの宇多丸や町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。
「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。
中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。
自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚のフンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。
彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸のラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。
そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画のポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。
この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフルで宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画、町山智浩がキラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画をネタにしているのを見たことあるよ」でも可。
「人生で大切なことは、すべて伊集院光のラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。
映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャーを必死に否定してくる。「最近のアニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。
自分が中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画やアニメは伊集院が褒めるものだけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。
映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットのMP3音源を違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴や職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメな自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。
もうなんでもあり。
こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛な自己肯定は。
「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽな自分を必死にデコレートしようと頑張っている。ビレバンに下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分がビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。
こういう奴がセンスいいと思われたい一心でカルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画が悲惨な犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍なマリオネットたち。
こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。
さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローをリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。
もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。
そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆
はてブやツイッターなどの安全圏からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。
文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ。
大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後に勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。
このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報をいかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。
以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者4タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性が大事」という間違った教育と、「作品の解釈は受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。
確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。
ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督の紀里谷和明か、小説家の岩崎夏海くらいか。
特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代のクリエイターズ・バイブルだね、この本は。
みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽな自分を直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスもプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20111004121908
飽きないな 守備力が上がりすぎて哀れささえ届かなくなったらしい
いったいどこへ行こうというのか
http://anond.hatelabo.jp/20111004122216
妄想の中で吐き捨ててカラに閉じこもる
守備力と哀れさアップだね
http://anond.hatelabo.jp/20111004123201
理解できる言葉が少ない人には理解できるまで減らしてやるのが優しさというもの
http://anond.hatelabo.jp/20111004124254
守備力と哀れさアップだね