はてなキーワード: ワルラスとは
1. 完備性: ∀x,y ∈ X, x ≿ y ∨ y ≿ x
2. 推移性: ∀x,y,z ∈ X, (x ≿ y ∧ y ≿ z) ⇒ x ≿ z
3. 連続性: ∀x ∈ X, {y ∈ X | y ≿ x} と {y ∈ X | x ≿ y} は閉集合
定理: 上記の公理を満たす選好関係 ≿ に対して、連続効用関数 u: X → ℝ が存在し、∀x,y ∈ X, x ≿ y ⇔ u(x) ≥ u(y)
ワルラス需要対応 x: ℝ_++^n × ℝ_+ ⇒ ℝ_+^n を以下で定義:
x(p,w) = {x ∈ X | p·x ≤ w ∧ ∀y ∈ X, p·y ≤ w ⇒ x ≿ y}
選好関係が連続かつ局所非飽和であれば、ワルラス需要対応は上半連続
1. 閉凸性: Y は閉凸集合
3. 非reversibility: Y ∩ (-Y) ⊆ {0} (無償の生産は不可能)
4. 無限の利潤機会の不在: Y ∩ ℝ_+^n = {0}
多重生産技術を表現する変換関数 T: ℝ_+^m × ℝ_+^n → ℝ を導入:
T(y,x) ≤ 0 ⇔ 投入 x で産出 y が技術的に可能
仮定:
証明の概略:
1. 超過需要関数 z: Δ → ℝ^n を定義 (Δは価格単体)
2. z の連続性を示す
3. Walras' law: p·z(p) = 0 を証明
4. Kakutani の不動点定理を適用: ∃p* ∈ Δ s.t. z(p*) ≤ 0
von Neumann-Morgenstern 効用関数の公理:
1. 完備性
2. 推移性
3. 連続性
4. 独立性: ∀L,M,N ∈ L, ∀α ∈ (0,1], L ≿ M ⇔ αL + (1-α)N ≿ αM + (1-α)N
定理: 上記の公理を満たす選好関係に対して、期待効用表現 V(L) = ∑_s π_s u(x_s) が存在
Choquet 期待効用:
V(f) = ∫ u(f(s)) dν(s)
定義 (相関均衡):
確率分布 μ ∈ Δ(A) が相関均衡であるとは、∀i, ∀a_i, a'_i ∈ A_i,
∑_{a_{-i}} μ(a_i, a_{-i})[u_i(a_i, a_{-i}) - u_i(a'_i, a_{-i})] ≥ 0
経済を I 個の財・サービス、J 人の消費者、F 社の企業から成るとする。
各消費者 j ∈ {1, ..., J} の問題は以下のように定式化される:
max Uⱼ(xⱼ)
s.t. p · xⱼ ≤ wⱼ + Σ(f=1 to F) θⱼᶠπᶠ
ここで、
Uⱼ: 消費者 j の効用関数(強い単調性、強い凸性を仮定)
xⱼ = (x₁ⱼ, ..., xᵢⱼ): 消費ベクトル
wⱼ: 初期賦存
πᶠ: 企業 f の利潤
一階条件(Kuhn-Tucker条件):
∂Uⱼ/∂xᵢⱼ ≤ λⱼpᵢ, xᵢⱼ ≥ 0, xᵢⱼ(∂Uⱼ/∂xᵢⱼ - λⱼpᵢ) = 0 ∀i ∈ I
λⱼ(wⱼ + Σ(f=1 to F) θⱼᶠπᶠ - p · xⱼ) = 0, λⱼ ≥ 0
ここで、λⱼ はラグランジュ乗数。
max πᶠ = p · yᶠ
s.t. yᶠ ∈ Yᶠ
ここで、
yᶠ = (y₁ᶠ, ..., yᵢᶠ): 生産ベクトル(正は産出、負は投入)
一階条件(利潤最大化条件):
p · y ≤ p · yᶠ ∀y ∈ Yᶠ
Σ(j=1 to J) xᵢⱼ = Σ(f=1 to F) yᵢᶠ + Σ(j=1 to J) wᵢⱼ ∀i ∈ I
ここで、wᵢⱼ は消費者 j の財 i の初期賦存量。
p · (Σ(j=1 to J) xⱼ - Σ(f=1 to F) yᶠ - Σ(j=1 to J) wⱼ) = 0
1. 価格単体を定義:Δ = {p ∈ ℝ₊ᴵ | Σ(i=1 to I) pᵢ = 1}
4. 予算制約とワルラス法則より、p · z(p) = 0 ∀p ∈ Δ を示す
5. 境界条件:pᵢ → 0 ⇒ zᵢ(p) → +∞ を証明
6. Kakutani の不動点定理を適用し、z(p*) = 0 となる p* ∈ Δ の存在を示す
社会的厚生関数 W = W(U₁(x₁), ..., Uⱼ(xⱼ)) を最大化する問題を考える:
max W(U₁(x₁), ..., Uⱼ(xⱼ))
s.t. Σ(j=1 to J) xⱼ = Σ(f=1 to F) yᶠ + Σ(j=1 to J) wⱼ
yᶠ ∈ Yᶠ ∀f ∈ F
一階条件:
∂W/∂Uⱼ · ∂Uⱼ/∂xᵢⱼ = μpᵢ ∀i ∈ I, ∀j ∈ J
p = ∇yᶠπᶠ(yᶠ) ∀f ∈ F
ここで、μ はラグランジュ乗数、∇yᶠπᶠ(yᶠ) は利潤関数の勾配ベクトル。
これらの条件は、消費の効率性、生産の効率性、そして消費と生産の効率性を同時に表現している。
経済を表現する空間を E とし、これを局所凸位相線形空間とする。価格空間 P を E の双対空間 E* の部分集合とし、商品空間 X を E の部分集合とする。
Z: P × Ω → X を一般化された超過需要関数とする。ここで Ω は外生パラメータの空間である。Z は以下の性質を満たす:
(b) 一般化された同次性:任意の λ > 0 に対して Z(λp, ω) ≈ Z(p, ω)
(c) 一般化されたワルラスの法則:<p, Z(p, ω)> = 0
ここで <・,・> は E* と E の間の双対性を表す
(d) 境界条件:p が P の境界に近づくとき、||Z(p, ω)|| は無限大に発散
価格の動的調整を表現するために、以下の無限次元力学系を導入する:
dp/dt = F(Z(p, ω))
ここで F: X → TP は C^1 級写像であり、TP は P の接束を表す。
定理1(均衡の存在):適切な位相的条件下で、Z(p*, ω) = 0 を満たす p* ∈ P が存在する。
証明の概略:KKM(Knaster-Kuratowski-Mazurkiewicz)の定理を一般化した不動点定理を応用する。
定理2(局所安定性):p* の近傍 U が存在し、初期値 p(0) ∈ U に対して、解軌道 p(t) は t → ∞ のとき p* に収束する。
証明の概略:リャプノフ関数 V(p) = ||Z(p, ω)||^2 / 2 を構成し、V の時間微分が負定値となることを示す。
不均衡状態における経済主体の行動を記述するために、以下の最適化問題を導入する:
最大化 U_i(x_i)
制約条件 <p, x_i> ≤ w_i + Σ_j p_j min{z_ij, 0}
ここで U_i は効用汎関数、w_i は初期富、z_ij は財 j に対する主体 i の超過需要である。
確率空間 (Ω, F, P) 上で、以下の確率微分方程式を考察する:
dp(t) = F(Z(p(t), ω))dt + σ(p(t), ω)dW(t)
ここで W(t) は適切な次元のウィーナー過程、σ はボラティリティ作用素である。
ε dp/dt = F(Z(p, ω))
この解析により、短期的な価格調整と長期的な均衡の関係を明らかにする。
定理3(一般化された不動点定理):P が局所凸位相線形空間 E の非空、凸、コンパクト部分集合であり、F: P → P が連続写像であるとき、F は不動点を持つ。
この定理を用いて、より一般的な経済モデルにおける均衡の存在を証明できる。
ε → 0 のとき、特異摂動問題 ε dp/dt = F(Z(p, ω)) の解の漸近挙動は、元の動的システムの長期的均衡と一致する。
経済学において、均衡価格の静的理論はワルラスによって始められ、アローとドブリューにより確立された。
単一市場からなる簡明な場合、需要=供給方程式で表され、自然な力学が容易に分かるが、複数市場に関する状況は複雑である。
需要過剰は、価格のなす空間から商品のなす空間への関数Z(p)=D(p)-S(p)と考えられる。
ここでDとSはともに個々の行為の合成によって決定されている。
このとき、経済学は個人の振る舞いに関する諸条件に根拠を与え、それらの条件はZの持つべき諸公理を導く。
すなわち Z: R_{+}^{l} → R^{l} が需要過剰写像であるとは、次の公理を満たすZを言う。
これにより、Zは境界を含まない正の象限と(l-1)次元球面との共通部分上のベクトル場とみなせる。
均衡価格ベクトル、つまりZ(p^{*}) = 0となるベクトルp^{*}の存在はホップの定理から導かれる。
戦略決定とか価格決定とか言うと、部課長級に説明を求められたりする。
本来はggrksとか言いたいところだろうが、言えないのが宮仕えの辛いところだ。
理解してこいよとも言えない。理解できない方は大抵立場が上で、説明できない方のボーナスが減らされる。
「均衡」は、基本的には、ガッチリハマっている状態を示している。
参加者が選択肢を変更すると今より悪くなるので、変更する理由がない状態。
最適な資源配分とは違う点に注意。全体100万円を、老人80万円、子供20万円で分けた「後」の状態はパレート効率的。
(社会の資源配分問題でよく使うので「パレート最適」という単語を嫌う人もいる。最適配分を示さないから。これ豆な)
需要と供給が大きく動かないでハマっている状態。「需要と供給で価格が決まる」だな。
ある1つに注目すると、部分均衡。市場全体の全部コミコミだと、一般均衡。
フランス人のレオン・ワルラスさんが1874~1877に書いた本に載ってる、一般均衡(general equilibrium)理論のこと。
いやー、ナッシュ均衡は、戦略的意思決定の学問であるゲーム理論(Game theory)の非協力ゲームを解いた時に出てくる「答え(解)」の状態を示す単語ッス。
協力しちゃダメッスよ?んで、他の「選択肢」を取るメリットがなくなった状態を言うッス。
パレート効率的とかも聞くッスけど、誰も損せずにもっと良い改善方法が無い時の事ッス。
ワルラス均衡は、経済学の話ッスね。需要と供給で価格が決まるって話ッス。
同じ「均衡」って単語で僕なんかは間違えそうになるッスけど、全然違う話なんで同じ式の中に入れちゃダメッス。
経済学の価格調整モデルの話で、フツーは戦略的な意思決定の選択肢をどうするみたいな話は出てこないッス。
ヤマダ安 | ヤマダ高 | |
ビック安 | ビック売れる,ヤマダ売れる | ビック売れる,ヤマダ売れない |
ビック高 | ビック売れない,ヤマダ売れる | ビック売れない,ヤマダ売れない |
ヤマダとビックで、売れたほうが儲かる(利得が大きい)時は、当然ヤマダもビックも値下げするッス。
まあ、ナッシュ均衡と言えなくも無いッスけど……あんま言わないッスね。
「じゃあ、目からウロコ!囚人のジレンマって経済にも繋がる話だったのか! - 嗚呼、学習の日々のナッシュ均衡というのは?」
ワルラスの均衡は、需要が多くて供給が少ないなら価格は上がる、需要が少なくて供給が多いなら価格が下がる、結果需給が吊り合って価格が安定した状態のことッス。
「店が意味もなく価格を下げたら、他の店も下げざるを得ない」とか無いッス。
先の例だと、TVを普段から100円でヤマダが売り出したら他の店も100円で売るとか無いッス。
ナッシュ均衡は、選択肢がどんづまって他の選択肢を取ると損する状態を言うので、さっきの例とは関係無いッスね。
(ヤマダが100円で利益が出るならヤマダが市場を寡占するというのは、違うモデルの話でワルラス的調整過程の話では無いッスね)
少なくとも、囚人のジレンマから出す話じゃないッス。超時空の飛躍ッスね。リン・ミンメイッス。
囚人A協調 | 囚人A裏切り | |
囚人B協調 | 2,2 | 0, 10 |
囚人B裏切り | 10, 0 | 5, 5 |
数字は懲役でA,Bの順番ッス。懲役は少ない方が利得が大きいッスね。
囚人Aは、囚人Bがどちらの選択肢をとっても、常に裏切るのが利得が大きくなるッス。
他の選択肢を取ると損をする、これが全部のプレイヤー(囚人A,B)で決定できると、ナッシュ均衡ッス。
そこがミソッス。
ご指摘の通り、両方協調なら、両方裏切りより「どちらも損せずに、改善できる」状態ッスね。
つまり、両方裏切りのナッシュ均衡は、パレート改善できる状態にあるので、パレート効率的ではないッス。
こういう、自分の利益だけを考えて最適な選択をする状態(他の選択は損する状態)が、全体としては効率的では無いのが、ジレンマって呼ばれる理由ッス。
それだけの話ッス。
でも、ワリとこういう、利得の表を作ると両方が得する選択肢の組み合わせはあるのに、その選択肢は選べない状態(ナッシュ均衡で、パレート効率的では無い)は存在するッスよ。
うーん。あんまワルラス均衡って言わない気がするんだけども。((※1))
あ、用語の定義と、その用語が良く使われる場面と、ある場面を説明するモデルとで、全部違うから混ぜないように注意したい。
3番のモデル適用は即一般化はできないし、2番のよく使われる場面を定義に入れてはいかん。
勝手に話を補完したり飛躍したりするのもダメなんだけど、まあアレだ。はてなだし。
需要と供給で価格が決まるよね、というアダム・スミスさんの仮説。
個人の利益追求で、市場が適切な状態に落ち着くよね、というわりと哲学的な話。
需要と供給に合わせて価格が変動して、結果需要と供給は落ち着くよね、というヤツ。
(需給が均衡することをワルラス安定、均衡しないことをワルラス不安定と呼ぶぞ)
需要(欲しい/欲しくない)は即反応できるけど、供給(作る/作らない)は対応時間かかるじゃん?というヤツ。
なので、需要の変更と価格の変更は即座に動くけど、価格を見て供給が動くのは遅れる。
異なるモデルを、一緒くたに適用することは、フツーは出来ない。もちろんできるものもあるけど。
例えば、Cournot competition(クールノー競争)の均衡点は、「供給を絞れば価格が上がる」→「価格が高いから生産すれば儲かる」→「いっぱい生産したから価格が下る」を延々と繰り返せば「生産量と価格が均衡する」って話で、ワルラス的調整過程の「一部分」の説明であって、違う話。
で、全く同じ生産量と価格との関係のモデルで「価格を変える」とBertrand competition(ベルトラン競争)というモデルになって、こっちは「一番低い価格をつけた企業が全ての需要をゲットするので、価格は限界費用に一致する(最安値が市場を占めるから、一番安くなる)」というモデル。
経済学におけるモデルは、現状をどちらが上手く説明できるかのモデルであって、別にどっちが正しいとかそういう話では無い。所詮単純化したモデルだし。
ナタデココ生産量決定におけるベストチョイスは決定できる「だから」ナタデココ価格は市場参加者全員のベストチョイス、とかは言えないかな。(結果的に合っていても、証明過程に飛躍があれば説明したとは言えない)
「除草剤耐性穀物種子におけるクルーノー競争のナッシュ均衡との乖離から見る不完全競争推定」とかそういう使い方するかな。
(ミクロ経済学のオススメ本は……結局思想の話になって荒れるんだよね……ブコメでどうぞ)
http://anond.hatelabo.jp/20151116001112
((※1:この増田では、ワルラス均衡を一つしか財が存在しない仮定で説明している。ミクロ経済学でやる時は、一般均衡になるので、全ての財が均衡するときの話として聞いとかないと単位は貰えない。ワルラス均衡という場合は、全ての市場の価格と、全ての需要とペアで示す事が一般的。とは言え、大抵2人と2つの財で説明するんだけどね))
元増田(id:blueboy氏?)の追記に各個反論するのが大変になってきたので、個人的に重要(論じる価値のある)と思う2点のみ絞って記す。
認めないのであれば、元増田は違う惑星のゲーム論やナッシュ均衡について話していたのだろう。
選択肢の数が無限であるようなゲームなんかいくらでもあるじゃないか。
id:blueboy氏の頭の中ではホテリングゲームやクールノーゲームは存在しないことになっているのだろうか?
あるいはひょっとして、ナッシュ均衡定理(有限混合戦略ゲームにはナッシュ均衡が存在する)を誤って理解しているのかもしれない。
ナッシュ均衡定理はナッシュ均衡が存在する十分条件を述べたに過ぎず、有限ゲームでなくともナッシュ均衡は存在し得る。
また競争市場においてプレイヤーは価格に影響を与えないと言っているが、だからこそ生産数量が戦略だ、と俺は言ったのだ。
もっとも価格競争が行われるようなモデルも想定可能であり(ベルトラン競争)、
追記によって、どうやら元増田(というかid:blueboy氏でいいのかな?)がゲーム論における「戦略」に誤ったイメージを持っているだけだということがはっきりした。
ゲーム論における戦略とは、「戦略集合」という名前の集合の元であるに過ぎない。
そして戦略集合は(自白、黙秘)のようなものでもいいし、(X_1,X_2, ....,X_n) ,各X_iは実数、のようなものでもいい。
後者の例において、X_1,X_2...に財1、財2、...という意味を与えれば、これは競争市場における戦略に他ならない。
01:12追記
焦って書いて誤ったが、競争市場の戦略はn財の生産計画ベクトルまたは消費計画ベクトル(X_1,X_2, ....,X_n) であり、このベクトルの集合が戦略集合である。
ただしこの誤りによって論旨は異ならない。
09:27追記
なんか「訂正」が入ってた・・・
ゲーム論に対する誤解を一部認めたようだけど
※ 最後に「訂正」あり。
この二つが話題になっていた。
元ページ
http://hatena.aaafrog.com/entry/2015/11/14/104818
http://hatena.aaafrog.com/entry/2015/11/15/142831
http://b.hatena.ne.jp/entry/hatena.aaafrog.com/entry/2015/11/14/104818
http://b.hatena.ne.jp/entry/hatena.aaafrog.com/entry/2015/11/15/142831
ナッシュ均衡は、理系の概念なので、理解している人が多いようだ。ここでは特に解説しないが、次の点を理解しよう。
一方、ワルラス均衡は、文系の概念なので、理解してない人が多いようだ。次のページでちゃんと勉強してほしい。(簡単だ。中学で習ったはずだ。)
http://chu.benesse.co.jp/qat/3519_s.html
http://homepage1.nifty.com/gujyo-economic-res/micro.files/w-antei.htm
ここでは、次の点を理解しよう。
ここで、元のページに戻ろう。
これは、明らかにワルラス均衡だ。どこでも普通に見られる現象である。「それ以上下げられないところ」とは、「それ以上下げられない価格」のことだ。こうして価格が一定の水準に安定するのは、前述のワルラス均衡そのものだ。(ワルラス的調整過程という。)
※ このことを理解できなければ、上の中学生向けのページを読んでほしい。
具体的な例で示そう。
たとえば、イオンは徹底的に価格を下げるので、利益率が1%ぐらいになる。これよる高くしてもいいのだが、そうすると、客が逃げるので、価格を下げざるを得ない。「これ以上下げたら利益がゼロ同然になって困るから、これ以上は下げようがない」という水準が「利益率 1%」という水準であるわけだ。
一方、セブンイレブンは、価格をあまり下げなくても、客が来る。利益率が 10%ぐらいになる。「これ以上下げたら儲けが減って悔しいから、下げてたまるか」という水準が「利益率 10%」という水準であるわけだ。
どっちにしても、ある程度まで、価格が下がる。これはワルラス的調整過程だ。
一方、全員でカルテルまたは談合をすれば、大幅に高値に設定することができる。普通の市場でのカルテルは困難だが、官庁の入札では、参加者が少数だから、談合によって大幅に高値を設定できる。
このような高値設定は、連続的に到達できる点ではなく、懸け離れた特異点である。したがって、談合による価格は、「ナッシュ均衡」と見なせる。ここでは、戦略によって、特異点に移行するわけだ。
以上によって、説明ができたことになる。
経済学の理論と、ゲーム理論とは、まったく別のことなので、きちんと区別しよう。
特に、中学で習ったはずの「需給曲線」については、きちんと理解しよう。これは決してナッシュ均衡と対比されるようなものではなく、ナッシュ均衡とは全然無関係で別の話だ。
ブコメで、「ゲーム理論と経済学を区別する必要性は感じない」というのがあったが、それは、「戦略と、価格・数量を区別する必要はない」というのと同じで、狂人の発想だ。
例。
社員 「この新製品の価格と数量は、どのくらいが見込めますか? 10万円で 1000台ぐらいでしょうか? もっと安くして、数量を多くしましょうか?」
社長 「ナッシュ均衡になるように、カルテルを結ぼう。それが正しい戦略だ」
これじゃ、会話にならないし、論理にもならない。気違いの錯乱論理だ。
────────
ワルラス均衡は企業と消費者をプレイヤー、生産計画と消費計画を戦略集合、利潤と効用を利得とするゲームのナッシュ均衡に過ぎない
そんな発想では、プレイヤーの数が無限になり、選択肢の数も無限となり、意味不明になる、という矛盾はさておき。
ナッシュ均衡で得られるのは「戦略の均衡」であり、ワルラス均衡で得られるのは「価格と数量の均衡である」という点を理解できてないね。中学校の教科書を学び直すといい。
なお、「価格と数量は、戦略の一種だ」と思う人もいるかもしれないが、違う。戦略は、個々のプレイヤーレベルで決まるのであり、いくらでも個別に戦略の変更は可能だ。一方、市場の価格と数量は、市場の全体によって決まるのであって、個別のプレイヤーレベルでは決定できない。たとえば、どこかの誰かが、特別に高い価格を戦略的に決定しても、その価格は、市場の価格には影響せず、市場外の価格となるだけだ。
どうも、上記見解の人は、ゲーム理論ばかりを見て、経済学の知識が中学生ほどもないようだ。まずは、中学校の教科書を理解するべき。「市場原理とは何か」「需給曲線とは何か」を理解するべき。それがわかっていないから、すべてを個別のプレイヤー理論で解釈しようとする。
トラバにも、同じ誤解が見られる。
市場価格というのは、個別企業の問題ではなく、市場全体によって決まる、ということを理解できていない。市場価格というのは、経済学の問題であって、ゲーム理論の問題ではない、ということを理解できていない。比喩的に言えば、「個人がどうするべきか」ということだけを考えていて、「国レベルでどうなるか」ということを理解できていない。マクロ的な認識ができていない。
しかしまあ、はてなーというのは、ゲーム理論の知識だけはたっぷりとあるということは、よくわかったよ。あと、文系の知識は、中学生レベルほどの知識もない、ということも、よくわかったよ。
────────
通常2名というのはただの思い込み
実は、ここでいう2名とは、「自己」と「他者」のことである。「他者」は複数でもいいが、一貫して「1名」と同じふるまいをすることが必要となる。
たとえば、カルテルは、「他者」が1名として同じ行動を取ることが要請される。仮に、「他者」が分裂して、複数の行動を取るなら、カルテルは成立しなくなる。「カルテル破り」が出て、カルテルが崩壊するからだ。
この意味で、通常2名という単純化(モデル化)が、ゲーム理論では必要となる。一種の前提のようなものだ。
──────
市場の価格決定は、市場によって決まる。個別企業の選択肢は、市場の価格決定には影響しない。
たとえば、市場価格が 100円であるときに、120円という価格で販売しても、それは、市場には影響しない。その企業がそういう戦略を取ることは可能だが、それは市場価格には影響しない。市場価格は、ワルラス均衡によって決まるのであって、個別企業の戦略によっては決まらない。120円という価格で出した企業は、取引が成立しないので、市場外となるだけだ。
ここで論じているのは、市場価格であって、企業の戦略ではないのだ。
話題となっているのは、プレイヤーの戦略ではなくて、(市場における)価格決定の過程だ、という点を理解するべきだ。(企業における)価格決定の戦略は無関係だ。企業の価格決定は、決して均衡しない。どのような価格決定もできる。100円でも 120円でも、好き勝手に値付けできる。しかし、市場における価格は、決定される。それが均衡点だ。
ごめん。「ナッシュ均衡」という用語の意味をよく理解してなかった。
この用語は、私が理解していたよりももっと広くて、一般的な「均衡」のことを意味していた。
私は「パレート最適」でない場合のことだけだと思っていたが、「パレート最適」である場合を含んでいた。この点は用語を勘違いしていたので、お詫びして訂正します。
ただし、「パレート最適」である例を「ナッシュ均衡」という用語で説明することは、ほとんどない。「パレート最適」である均衡は、昔からずっと知られていたし、ナッシュが発見したり解明したりしたわけではない。市場における価格均衡も、ナッシュ以前からずっと知られていたし、ワルラスが解明していた。
したがって、市場における価格均衡を「ナッシュ均衡」と呼ぶことは、間違いではないにせよ、適切ではない。また、ナッシュ均衡の例を示すために、市場における価格均衡を持ち出すことも、適切でない。
市場における価格均衡を説明するには、「ナッシュ均衡」ではなく「ワルラス均衡」または「マーシャル均衡」という概念を出すのが適切だ。
また、ナッシュ均衡の例を示すのならば、市場における価格均衡を持ち出すのは、間違いではなくとも不適切であり、囚人のジレンマのような例を持ち出すのが適切だ。
私がこれまで「間違い」と指摘してきたことは、「間違い」と言うより「不適切」と呼ぶべきだった。この点は、お詫びして修正します。
参考:
「じゃ、どうすりゃいいのよ」
という質問には、こう答える。
「市場における価格均衡を説明するには、中学生の教科書のような図で説明するのが最適であり、ナッシュ均衡を持ち出すのは過剰である。ナッシュ均衡を持ち出すのはは、紙を切るのに日本刀を持ち出すようなもので、中学生が基本概念を理解するには重武装過ぎて、不適切。元の話の例では、ナッシュ均衡という概念は、一切必要ない。(間違いとは言わないが。)」
どんどん草生やして必死だよね。客観的には壊れたレコードでしかないんだけど。
>いや「有限」と「足りない」は違うだろw
>アメリカの悲惨な自由主義医療の例もあるし、世界大恐慌の例もあるなあ。
>前者を支えているのが、ことさらに「社会主義医療」の恐怖を歌う議論上の詐術なんだけどな。
保険制度は逆選択の問題があって、公的な皆保険の方が「効率的」となる可能性があるんだよ。
ここでも求められているのは効率性、資源の有効活用。個々の製薬会社や医師、保険会社らは
自由主義経済で儲けてるでしょ。それが世界中からの優秀な医師の確保や新薬の開発につながっていたりする。
残るは政治や行政の問題、再分配。ただ他方で、最近の日本の医療崩壊が、診療報酬や医学部定員と言った、
行政や政治の杜撰な決定によってもたらされている面がある。そして重要なのは、それらを再分配によって修正するには、
誰かを「かわいそう」な目に遭わせる必要がある点。医師だったり患者だったり納税者だったりね。資源は常に有限。
世界大恐慌については政治や行政の失敗。アメリカのFRB自体がそう言ってるよ。
まあでも今の所、クメール・ルージュや大躍進や某地上の楽園のような地獄絵図は見あたらないよね。
>つか、そういう実例の評価の話じゃなく、あくまで学問的モデルとして提示しなきゃ話がおかしくないか?
>とりあえずさっきの投稿で、君の考える企業像が現実に即してないことは示したなあ。
どこで?つかこっちは「いわゆるネオリベラリスト」じゃないよ。再分配重視してるし。
>なるほどなるほど。そんなに優れた例なのであればどうしてあの先生は謝ったりしたのかねえ。
>出来てないw
経営学というか企業を始めとする組織のいらない世界というのは、妄想の中では存在しうるね。
>お前の中の企業はそうなのかもしれんが、現実の企業は必ずしも利益の最大化だけを目的にしてるわけじゃないねえ。
より利益を上げないと不要な本店の維持なんて無理でしょ。当たり前の話を繰り返させないでほしい。
>いや、かわいそうな百貨店を生かすのだって別に行政や政治の問題だけじゃないだろうに。経営者の判断の話だが。
いや、「かわいそう」と思う主体は「かわいそう」な百貨店じゃないよ。行政や政治の話。
経営者はいかに競争相手を「かわいそう」な目に追い込むかを考えてるわけ、いつも。
そういう意味では百貨店と競合他業態は対等なの。カルネアデスの板だね。
悪い、単なる見落とし。冗長だから省いても良かったと思うけど。
ま、そちらの理屈に反論出来ないなんて事はまず無いから安心してほしい。
それって長期的な評判の問題だよね。結局、企業は自分の利益の事しか考えてない。
というかこれ、件のサヨクの人達が分裂勘違い君劇場さんに説教してた内容だけどね。
経営学や経済学では「企業は自分の利益しか考えていない」と想定するってさ、彼らも。
後は(というか元々そうだが)全部ゴミかな。論破or説明済みなんで面倒。
自分の知能の希少性を十分思い知っているとは思うけどさ、もう少し慎重にレスできないかな。
>でも、あらかじめ「足りない」ことを想定はしてないなあ。
逆。「足りない」のはこの世の現実だから、想定する必要がなければ経済学は生まれない。
>経営学はどこにも有限なんて書いてないなあ。
有限じゃない物を効率的に利用するインセンティブは誰も持たないよ。
公害問題が台頭する以前の工場排煙なんかの事ね。空気ですらタダでも無限でもない。
ちょっと考えれば分かる事で粘る癖やめようね。相当頭悪いか必死なのかのどっちかだ。
>いや、モデルの話だろ? 経済学のモデルがそういうことを想定しているという例をくれ。
モデルがどうであっても、共産圏なんかの悲惨な実証例が山ほどある事の方がわかりやすいからさ。
モデルならワルラスモデル。市場の競争によってパレート最適が達成されるって理論。
>あと、過去レスにあるのは現実経済に対する君の勝手な解釈でしかないわけで。
新聞や歴史の教科書や日常生活や常識レベルの話だよ。否定したいなら逐一どうぞ。
>だから、トリアージは残酷なことじゃなくて経営学に大いに取り入れられるべきものだ、と言ってるわけ?
意味不明。まあトリアージは物凄くわかりやすくて便利だと思うからどんどん取り入れてもいいと思うけど。
でも普通はトリアージなんて持ち出す以前に理解していなければおかしい話なんでね、そうそう出番はないよ。
>常にリソースが欠乏しているという仮定をおかなければならない、というのは経営学のルールなの?
>経営的には赤だけど歴史ある本店だから残したい、なんてのはいくらでも現実の経営で起こってることだし、そういう想定の元に経営計画を立てるのにも経営学は使われるね。
それは単なる資源制約として処理される。あくまで企業は利益を追い求めるのみ。
あとそれって「かわいそうな」百貨店を生かすのとは別の問題だよ。行政や政治の問題じゃないから。
>以降、明らかに経営学じゃなくて、君の原理主義的資本主義の主張でしかないよな。
>百貨店がつぶれるのがかわいそう、という論理を女のたわごとと切って捨てたのは誰だったかね?
知らない。経営学の授業という事を考えれば誰もが戯言だと思うはずだけど。
>証明しなければならないのはどっちなのかは明白だよなあ。
もちろんトリアージが経営学の例示として使えないという論証ね。
短期的にも長期的にもトリアージ的な発想が資源の効率的配分をもたらし、
「かわいそう」を減らすリソースを生む事は散々論証例示済み。
>鏡をみよう。すごく見苦しいよ君は。
別にこちらはいくら見苦しくても構わないんだけど、一応ググれば一発でわかる
Wikipediaの記述をわざわざコピペしてあげたりしてるんだけどね。
まあ少なくとも君が、新書レベルの知識もなしに人様に突っかかってるのは明らかでしょ。
そしてこちらがいくら見苦しくても、件の粘着サヨクの皆さんの醜悪さは
ほぼ一般的に通用する認識だと思うね。
>週末にも働かないと利益をサイダイカできないじゃないかwww
きっと企業と労働者の行動原理を勘違いしているから、たとえば自発的・非自発的失業の項を調べる事をおすすめ。
>当の先生ですら撤退してるのにいつまで負けた議論を蒸し返し続けるのだか。
あれは個人的に私淑している相手に説教されたからじゃないの?
ブコメ見てもトリアージの例の教育的効果自体は物凄くはっきりしているよ。
出来の悪い生徒には多少の摩擦を恐れずにわからせてやる方が良い先生だと思うけどね。