はてなキーワード: メソッドとは
あなたの小池が釈迦より良いというのも確かめて言えることでしょう?
実証なき正統性の話はしてないと何回言ってもあなたは耳を塞いで怒る。
小池はコラムニストに見えるし特別優れた学識や独自のメソッドを披露したことはないと思う。
なぜよりによって小池なのか。
で、各人が懐疑的に試して何を持って判定するの?
あなたに合わせて言えば、苦しさが減ったかどうか確かめてみるといい。
何回も言うけど、聖なる開祖様に近いから謎の正統性パワーで効果があるとかそういう話じゃないよ。
釈迦がもっとも能力のある最高の先生だから効果があり、それを釈迦ほどの能力の無い人が中途半端な理解でアレンジすればどんどん効果が減ずるという実際的な話。
そこがなんか堂々巡りなのは、あなたに何らかの怒りが生まれて話を聞かない態度になってきてるからじゃないかな
例えばあなたに釈迦を超えた能力があって、釈迦の教えの不完全性と改善案を提示できて、それが確かめられて確かにそうだとなれば、自分は釈迦を捨ててあなたのメソッドを採用するよ
でも釈迦を超える人が現れないので釈迦がディフェンディングチャンピオンなだけ 圧倒的な
極端に言ってしまえば、「真の釈迦の教え」なんてものはもう無いよ。
釈迦この世にいないじゃん?
?
アインシュタインが死んでも彼の発見とアイデアは残ってるでしょう?
俺は今苦しんでいるやつに正しい答えを出せる方を正しいとする立場なので、
だから一番効果があるのは釈迦の教えであってその劣化アレンジではないという話なんだけど何を突っ張りたいのかわからない。
例えば伝統的なものより効果のある瞑想メソッドを開発したのだということなら発表してほしい。試してはみるから。
だから、僕が上げた3人はどうかと言いだしたんだ。
つまりあなたがコレクションしたその三人にあまり感心しない態度を示したから腹が立ったということなの?
でも小池龍之介なんて当然「仏弟子」であって、釈迦より優れてるなんて大胆な主張は小池自身夢にも思ってないと思うけど。
別に小池が良い悪いではなくて、小池なんてどうでもいい人でしょう。小池自身自分が仏教史上の重要人物だなんて主張しないのでは。
>「確かめようがないことを信じる活動」と定義するなら仏教は宗教ではない
>釈迦の教えやメソッドを各人で懐疑的に試して検討していけばよいものだから
で、各人が懐疑的に試して何を持って判定するの?
効果があるかに釈迦から遠いか近いかなんて微塵も関係ないし、僕は重きをおいていない。
それをくだらない笑ったのが一休宗純
今苦しんでるやつに対する薬は結構違う、、、、、と言いたいが、慢の感情絡みが多いのでそのあたり強いやつをいつも使うことになるな。
>無常、苦、無我の観察。
それをすることが悟りなのか?するべきだと気づくことが悟りなのか?
するべきだと気づくというのは1度気づけば終わりなのか、気づく度が悟りなのか?
>正統性とかそんなことはどうでもいいんだけど釈迦の教えを守ることは大事でしょう?
極端に言ってしまえば、「真の釈迦の教え」なんてものはもう無いよ。
釈迦この世にいないじゃん?
更に、今の時代に残るのは「自称釈迦の教え」で何百世代もかけ合わせたものじゃない。
僕は今苦しんでいるやつに正しい答えを出せる方を正しいとする立場なので、
ましてや釈迦は人によって様々なさじ加減で法を説いた。そんな事もうできないよね。
数読んでそのばその場に合わせたことをいう。
まあ、でもわかってきた。要は「釈迦の言葉が絶対で素晴らしいから、それからずれなければ立派な仏教を実践してると言える」
だから、僕が上げた3人はどうかと言いだしたんだ。更に日本の僧の言葉に否定的なんだ。僕は科学の進展も含めて今の時代の人間に解を与える人間を選んだからそりゃ君好みじゃないよね。
「確かめようがないことを信じる活動」と定義するなら仏教は宗教ではない
釈迦の教えやメソッドを各人で懐疑的に試して検討していけばよいものだから
では、超人が2人いたら?
その仮定で仏教徒が困ると思ってるとすればそれは釈迦を崇拝対象だと誤解してるのでは。
釈迦は先生だから、同等の能力があると確認できる先生がもう一人現れたらその人のことも活用するだけ。
まあ釈迦の教えは完璧だという前提があるんだけど、ほんとに釈迦と同等の先生なら失伝部分について注釈を入れてもらえるし実地指導してもらえるということになる。
無常、苦、無我の観察。
こんなことを問い詰めたり定義しろとかいうのは仏教を勉強する人としてはちょっとどうかしているよ。
僕の定義は一つは認知の歪みの是正だが、おそらく君の想定するのは一切煩悩に惑わされることのない世界というのでも想定してるんじゃない?
そんなのは当たり前の前提で、だから戒と実践進めていくんじゃない。
なんでそんな、第一歩目みたいなことを踏ん張りながらいってるのかわからない。
瞑想をする、思考が止まって一時的に苦が収まったすごいぞ、でもまた始まってしまうなどうしよう、
ここまでは瞑想を始めた一日目に体験できること(瞑想をしない人はその体験すら一生無いけれども)
仏教は名言コレクションじゃないし、心が止まらないなんてことはその「名言」を引いて力説するまでもないことだし。
ゲンガク的なことは無益な無駄話なのでやめた方がいいし、そういうのが多いから日本の仏教から距離をとりたい。
死んでやっと悟れるなんてもうわけがわからない。小池龍之介が悟った云々の話とも矛盾してるじゃない。
死ぬ前に悟れるし死んでも悟れないよ。
それで元の話に戻るけど
正統性とかそんなことはどうでもいいんだけど釈迦の教えを守ることは大事でしょう?
あなたの話もどんどん釈迦のアイデアと何の関係もない俺理論になっていってるし、そういうのは単純に理論やメソッドの劣化でしかないじゃない?
君が君の思う正しい仏教なんてものをやりたいのならそれは知らんよ。
もともとは、いかにも苦しんでるやつを助けるのが第一だったから。
でさ、「これこそが仏教だ!」という言い合いになるじゃん?
ちょっと違わない?
だってあなたは元から仏教の宗派の正当性の話なんかしてないもん
(たとえばあなたが「北伝こそ正しい!」と言う主張の持ち主なら言い合いになるけどあなたはそういう人じゃないよね?)
究極的にはそうなるけど
今ある記録からより近いところを探っていくことは出来るし
後世に付け足したことを隠してもいない北伝仏教はそういう意味で「お釈迦様のアイデアとははっきり違う」と言えちゃう宗派だよね
「釈迦といういたずら者が世に出でて 多くの者を迷わするかな」 一休宗純
挙句の果てに「開祖が言ったことと近いか遠いか」という元祖と本家の争奪戦になる。
え、えええええ…。
お釈迦さまが一番、ダントツ、ぶっちぎりで能力のある天才だったからだよ
だからなるべくお釈迦様の言ったことに近づいてその通りにやるのがいい
訴えたいのは保守本流だとか正統性(ここでは字はこっちでいいよね?たぶん)じゃなくて
「マインドフルネスは冒涜だからダメ」とか一度も言ってないでしょ?
そういうある種のラディカルさであなたとは通じ合うと思ったんだけど
自分は海外の上座部仏教のお坊さんの本ばっかり。特にメソッドとしてはマハーシ長老系列のね。
読み比べて全然こっちがいいなとなった。
小池龍之介のようなスター坊さんにしても俗っぽさが強めに感じる。
マインドフルネスも、確かに科学的な検証を進めていくことは大事だと思うんだけど、
仏教を中途半端にちぎって美味しいところだけ食い逃げしたつもりで実は重要なこと沢山取りこぼして超劣化バージョンになってるような感じがあって。
瞑想は仏教という宗教由来のもの。で、宗教は昔のなんとなく正しい物詰め合わせだと思ってる。瞑想は科学的検証なんて無い時代に生まれたもの。
たぶんここが我々の考え方の決定的に違う部分だ。
自分の認識では仏教は釈迦と言う天才一代の完璧なアイデアであって宗教ではないし詰め合わせではない。
瞑想による心の観察は現代科学なんか全然追いつかないことは瞑想してる人なら同意すると思う。
(追いついていくための科学的検証はもちろん悪くないことだとおもう)
これは野口誠一氏の本になるが、実際苦しんだ人間じゃないと、他人を救えないという考えがある。地涌の菩薩という。まあ、自分で調べてみて地涌の菩薩は創価臭いのがあれだが、、、。
そういうのも典型的な、智慧ではなく情というか、嫌な意味での日本仏教臭さが敬遠したくなる
と同時に、宗教の名を語り、実際は弱った人間に漬け込んで依存させるタイプの霊感商法も多い。瞑想だのヨガだのを隠れ蓑にしてそういう団体がうごめいている。
ここは全く同感
前述のとおり釈迦のアイデアは現状では科学よりずっと先にいるから
科学がキャッチアップした部分だけで瞑想するのは重要なエッセンスの取りこぼしが激しいと思う
(自分でもこの立場は非科学的であり常識的に言えばヤバみがあるのはわかっている
あなたの態度の方が常識的かつ慎重で本来好ましくあらゆる場面でベースとなるべき態度)
結局無我ということをおさえていく道のバリエーションでしかなくそこを特別に大事にする感じはない
増上慢卑下慢同等慢という考え方とか聞いた時には面白いけどそれで面白がらせてもしょうがないというか
ただちょっと食わず嫌いもあったかもしれないから紹介してくれた人の本を改めて読んでみる
https://anond.hatelabo.jp/20181021173314
まず、不用意に伏せ字にせずに苫米地式コーチングと確り書こうよ。
擁護するなら尚更。
私は苫米地英人博士が自身で無料公開されている動画は一通り見て、氏の『洗脳原論』を読んだことがある程度だが。
博士の実力と その技法が、正確かつ強力である事はオウム真理教の幹部を複数脱洗脳している事からも折り紙付きだ。
同時に『今の社会』には『強力過ぎる』とも感じる。
博士も当然、そんな事は分かっていて、
不用意に手法を公開してしまうと、容易に第二第三の より悪質なオウムを生み出しかねない……。
そこで、どうやら博士は二種類のフィルターを設置してるっぽい。
あえて、自身で胡散臭く怪しいオカルト、スピリチュアル風味のマーケティングをしているようだ。
https://tocana.jp/2016/11/post_11623_entry_3.html
オウムのような危険なカルトに取り込まれる前に、博士自身のところへ救い上げる目論見のようだ。
ただ、どうやら、やっぱりと言うべきか…… 元々、オカルト風味の宣伝してるから
【ホンモノ】が釣れちゃったようで、苫米地英人博士を もってしても制御に失敗してしまったようだ……。
正確には博士自身がメソッドを教授した事は無く、本人は[孫弟子]を自称しているようだが……。
じゃあ、[そんな奴]が
【オウム真理教の幹部さえ脱洗脳(再洗脳)可能な苫米地メソッド】を生兵法で使用しちゃったらさぁ……。
当然、地獄の沙汰じゃん……。
「そのメソッドは持ってない」の間違いだろ
プログラミングを教えててよく分かるのは、ちゃんと論理的な思考が出来ているかどうかを計る道具として非常に有用だということ
口先だけで乗り切ってきた人はプログラミングを教えてもちゃんと理解してくれない
知識化するときに表面上だけを理解することに慣れきってしまっていて
だからプログラミングを教えて新しい物を作らせようとすると全然作れない
例えば
def hoge(a, b): c = a + b return c def gaga(a, b): print("Hello ", a, b)
っていうソースがあったとして、gagaっていうメソッドをhogeの演算結果が表示されるように変更してみよう、っていうことをさせると
def gaga(a, b): print("Hello ", a, b, c)
って答える。
もちろんスコープとか名前空間とか、そもそもそれが生まれてきた経緯とかメソッドの意味とかはちゃんと教えてるんだけど
それでも理解してくれない
この問題に関して正解を教えると、この問題は解けるようになるが、しばらくすると似たようなミスを連発する
一方で論理的な思考が出来る子は全然分野違いから来てる子でもそんな間違いはしない
頭の中を整理して理解しているからなのか、とんでもない間違いはほぼない
入試とか面接だと両者の区別は付かないし、下手したら普段の業務でも顕在化しなかったりするんだけど
しばらく一緒に仕事をしたりすると
「あ、なんかそもそもを分かってない」
っていう子はプログラミングができない