はてなキーワード: マーケティングとは
インターネット・テレビ・雑誌、それらの運営費用の大部分が広告費だ。
実際、あんなにも華々しいテレビ業界の業界規模(売上高)は広告業界の1/3ほどであり、スッポリと飲み込まれてしまっている事がわかる。
テレビ局にお金を払ってダイレクトにマーケティングなんてことは滅多に無く、大抵は広告業界が噛んでいる。
同じことを出版業界、インターネットの各種サイトがやっている。
とんでもない額だ。
インターネットは広告ビジネスによって成り立っているということを、Adblockを使いまくってきた自分たちはスッカリ忘れそうになる。
動画配信サイトは楽天カードマンから貰ったお小遣いで運営されているし、個人のブログはアフィリエイトを出す代わりにサイトの使用料を免除されている。
そうして生み出された巨大な広告ネットワークが相互にリンクし、広告に従ってクリックした先のサービスで今度は元々使っていたサービスの広告を見るのだ。
たとえば漫画アプリなんてこれが顕著で、まるで三角貿易のように競合相手のサービスを紹介しあっている。
顧客の奪い合いを促し、そこから利益をむしり取っていく広告業界、それに渡すための金を捻出するために自分たちも広告を掲載するという武器商人お得意の無限ループが繰り返さる。
しかし不思議なのは、よくここまでの規模になるものだという謎だ。
そもそもの話、既に大手テレビ局をいくつも維持できるほどの広告が日本中で垂れ流され、それでも足りずに更に広告が量産されている。
広告を出すことをやめれば他社の広告に埋まってしまうので広告を出し合うという広告レッドオーシャンの中に多くの企業が飲まれているのだろうか。
まさに砂漠で海水を売り続けるが如きあくどい商売の形が組み上がっているのか。
それを批判するためには自分たちはもう広告から利益を得すぎている。
全てのテレビ局にNHKと同じだけの額を払えるかと言われれば不可能だし、各サービスのサーバー維持費を折半しろと言われたらSNSなんてあっという間に人がいなくなるだろう。
ポイ活なんてことをしなくても、とっくの昔にこの世界の人間は広告が生み出す利益によって回る社会の中にいるのだ。
広告という専用の潤滑油を使い続けなければ止まってしまう歯車が各地に組み込まれてしまった。
不思議だ。
https://twitter.com/ogi_fuji_npo/status/1587710525353299968
アダルト流通というのは、誰もが使える流通網ではなく、基本、ポルノ屋さんのマーケティングに特化したものしか流せない構造なんですよ。だから私は以前から、ゾーニングの強化は方法を間違えると、最終的にポルノしか救済できなくなる危険もあるよと警鐘を鳴らし続けているんですね。
BLとかで顕著だけど、Pixivとかで「エロ絵注意!」とか勿体ぶってサムネイルにフィルターかけてたりR-18タグ付けてたりするのが実際全然エロくないとぶっちゃけイラッとするもんな。
まあ作者が「念の為付けました」とか言ってると、色々察して文句も言えないが。
ゾーニング厨ってそういう意味でも害悪なんだよな。彼らの言う「部屋を片付けろ!」というのは、何でもかんでも物置に放り込めという意味であり、物置がどれだけ散らかっていても気にしない。
出版社による「編集」というのは大きく分ければふたつの側面がある。
「雑誌 (とか出版社として得意な種類の出版物) を企画してそれに沿うように作家を監督する」という企画者としての編集。
「作品を成立させるための資料集めや手続き、マーケティングなどを行う」という代理人としての編集。
漫画やラノベなどのエンターテイメントは前者寄りになる。 出版社の意向に従えという力が強く出る。
作品の質が一定以上に面白いということは当然の大前提だけど、人気が出るには広く人目に触れるというのが重要なので広告力がものをいう。
まず存在を知っているという前提がないと選択肢に入らないんだから当たり前だよね。
更に言うと単純接触効果と呼ばれる現象があって、内容にかかわらず頻繁に目にするものには好感を持つものなんだ。
誰もが知っている大人気作品である「ワンピース」「名探偵コナン」「プリキュア」などより面白い作品というのは世の中にいくらでも埋もれているよ。
でも、これらに人気があるのは大手が大々的に広告しているからだ。
作品の人気に作家が貢献している割合というのは (たぶん作家自身が思っているよりは) ずっと小さい。
とはいえ、前述の「一定以上に面白い」というラインを越えられる作家すら割合で言うとそんなに多くは無い。
そしてどれが一定以上に面白いと思ってもらえるかってのは事前にはわからん。
だからある程度には多様性を維持するしかないし、その中でもなんとかウケる手法を確立しようと出版社は努力する。
ウェブ上に投稿された素人作品の内でそこそこ人気があるやつを出版するという方法。
ある程度はウケているということがわかっている作品を出版する形になる。
どうすればウケるのか考えなくなるし、作家を育てるということもなくなる。
アレを真に受けたり、喜ぶ連中ってどういう層なんだろうな?
SADや学歴コンプがピーピー鳴こうが、現実はおバカでもやっていけますよ?の生き見本の方たち?ガチの温室育ち?
『丁寧な暮らし』『サスティナブルな社会を作る』『素朴な生活』『質素倹約』とか題打つよりも、
"貧乏"とか"低収入"にした方が人の目を引くというマーケティング理論は理解ができるが、ホンマになんだかなぁってお気持ち
力のあるヤツが貧乏のラベルすらも奪い取っちゃうのねーみたいな
東京のエリートリーマンやアカデミアに夢見ている人たちが言うところの文化資本()という表現は、鼻で笑ってしまうと言うか、正直情けない連中だなぁとしか思わないが、
セーフティーネットからも漏れたり、セーフティネットに引っかかってるのになぜか困窮したりって人たちの世界における"文化資本"という表現であれば『ほんそれ』っていつも思う
ガチで貧乏な人たちは、元より要求値の上がった現代社会に適応しにくいのに、見本になるモデル(親)がいないばかりか、生まれ持った特性に合わせた訓練を受ける機会を得ることができなかったケースが非常に多い
健康への影響・食の楽しみがいっさい考えられていない、ドン引き節約レシピはまだマシな方で(極端に食に興味がないがないだけの可能性もある)、
そもそもガチで貧乏な彼・彼女らはガスコンロとか買わないからな?
そこそこの収入があって外食・Uber・宅配食などをメインにしてるから要らないという結論に達したとかじゃなくて、
『ガスコンロがお金が無くて買えない』or『ガスコンロを買うという発想がない(そういうモデルの生活をしてきていない)』
福祉やNPOから生活道具もらっても使いこなせない。もちろん重篤な知的障害がなきゃ使えはするんだが、ガスコンロを使った生活を組み立てられない
仕事を終えて家に帰って来て、カップラーメン・ご飯炊いてふりかけご飯くらいなら自分で作って食えるかも・・・みたいなレベル
そしてそれすらも、誰かから生活道具を与えられないとキツい、何故なら、『貧乏で金が無いから』
というか別に困窮していなくても、時短家電買うのそこそこ金かかるでしょ?健康的な生活には、そこそこのお金も文化資本もいるんです
自称、低収入・貧乏で健康的な生活している人は、意図的に収入を抑えて他のところにリソースを回しているだけであって、
昔はブイブイ金稼いでたのかも知れない、さまざまな貯金を持っている、ファッション貧乏です
まぁ福祉とか運送業とか、社会にとって必要にも関わらず、賃金が抑えられている職もあるので、