はてなキーワード: 韓国人とは
浅草に本部を構える新興宗教を信仰する祖母と暮らし(両親は無信仰)、地域の某学会員達に囲まれて育ったんだが、真のお父様を信仰する某協会信者の母親を持つ宗教嫌いの友人に「お前よく宗教アレルギーになんなかったよな」と感心された。
振り返ってみると、祖母が私財を宗教に費やさず勧誘活動を一切やっていなかった(ただ、俺に対しては一緒に勉強しないかと熱心に誘ってきた)のと、近所の某学会員たちも一切勧誘活動はしてこず、平均よりも良識的な人たちだったのが大きいのかもしれない。事実、穏やかで地域奉仕活動に熱心な人が傾向として多かった。
そういう環境にいると「新興宗教にハマってるやつは総じてアタマが狂ってる」というイメージが一切湧かず、「宗教が信者の精神的な支えと生きる指標になっている」という事が見えてきて、今も宗教自体に対してネガティブなイメージは持っていない。(ただし特定の宗教団体はのぞく)
友人の母は、大理石の仏像?に数十万費やしたり、宗教絡みで親族が韓国人と結婚したりと、苦労が絶えなかったようで新興宗教というより宗教全般に吐き気がするようだ。
話は戻るが、友人から指摘されてたしかに無信仰で宗教に偏見がない人間を自分以外で見たことない事に気づいた。俺みたいなタイプってやっぱり俺みたいな環境で育ってたりするのかな?
酷いとは聞いていたが聞きしに勝るゴミだな、これは。俺は粘りに粘って何度もリロードを繰り返した結果、無事に1,2回目共に予約出来たが、これから予約する人はご愁傷様って気分だ。地獄やぞ。
自治体によって違いがあるかもしれんから、これはうちの自治体のみの話かもしれんが、具体的には以下の点がゴミ
会場指定をする場合には、現在予約可能な会場を絞り込むことが出来る。一回目の予約は、これで行う事を想定しているのは理解できる。
しかし、2回目の予約を自分で入れる必要があるので、これは会場検索ではなく日程指定で1回目から20日後以降に入れたいと思うのが当然だ。
この場合、日付で指定した時は空いてる会場と時間帯だけを絞ることが出来ない。会場指定でも空き時間のみを表示させることが出来ない。
するとどうなるか?空いてる時間と会場を探すためにスクロールを行う事になる。これがストレスでしかないのだ。
現在、ワクチンの輸入量の問題で供給が安定してないという問題がある。それ故に殺到する予約に対して枠が十分ではない為に、キャンセル待ちや
突如として拡充される予約枠を求めての操作が苦痛でしかなくなる。
これはシステムの根幹にかかわるような技術的な問題ではなく、ただ単に「気が利いてない」だけだ。
空いてる会場と時間が分かってるんだから、それのみ絞り込んで表示する事は難しくも何ともない。出来ないのではなく、やってないだけ。
主にワクチン供給量に問題がある事は分かってる、したがって予約枠がない事は許せる。
だが、1回目だけは予約できるが、2回目は予約できるかどうか分からんってのは許しがたい。
ご存知のようにワクチンの2回目は、いつからいつまでに打てという要求が存在する。
したがって、1回目だけ打って2回目が予約できないと、900万人が5月に1回目を打って2回目をまだ打ててない韓国みたいな間抜け面を晒す羽目になる。
韓国人はアホを極めているから、日本に1回目接種率で負けたくないと国民が望むので、2回目分を回してこうなってるのがアホ政府の災害レベルの対応なんだが、
供給量が足らないって段階で1回目だけは予約できるが2回目は未知数ですって予約システムは、その非論理的な感情ドリブンの間抜け政府のやってることと変わらない。
自治体によっては、1,2回目の予約枠を交互に作る事で同数存在するようにしているとか、1回目接種後に2回目予約ができるなど対応が異なる。
同時アクセス数、システムへの負荷などの諸問題があるから、簡単ではないのは理解するが、
1,2回目を同時に入れろという指定を自治体が行うならば、1回目と同時に2回目の候補日も抑えられる場合にのみ、予約を受け付けるべきだ。
1,2回目の枠を交互に作っていても供給が滞ればバランスが崩れるし、ワクチン自体にも期限が存在するので簡単な話でもないかもしれんが、
1回目だけ打って2回目は未定という状況の人をシステムが作るのは、クソオブクソと言っていい。供給量が限られていても1回目2回目を均等に配分しろ。
十分な開発時間がない中で用意したものだという事は分からんでもない。
容易には解決できない、システム負荷や仕様の問題はしょうがない面もあると思う。1,2回目を同時に確保ってのは、どういう処理を求めるか想像すると頭痛くなる。
自治体側で予約枠をどう作るのか?ワクチンをどう配分するか?って扱いの方が、責任は重たいだろう。2回目が確保できる分しか一回目予約は認めないのであればシンプルだが
何もかもシステムで解決しろと言われたら、そりゃ担当者は頭が痛くなる。クソシステムを開発者の責任のみには出来ないというのは理解するよ。
全くですよね。
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はコンゴでの黒人弾圧を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になるのと同様に、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という無言の主張になりますよね。
たとえフェミニストや性嫌悪者が少数であっても公共の場所では配慮されるべきだろう。
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はコンゴでの黒人弾圧を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になるのと同様に、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という無言の主張になる。
それを我慢させていたら却って多様性の実現からは遠ざかるのであり、そうならないためにも性的なポスターはむしろ積極的に排除していくべき。
飯を食いながら眺めていたら、途中で泣いている自分に気がついた。
彼らの年頃だった自分を思い出していた。
踊っているうちの一人に何故かその頃の自分が重なって見えたのだ。
もちろん彼らのようなアイドル性もないし、ダンスだってうまくない。
垢抜けた見た目どころか、ひと目を避けるように暮らしているくらいには陰気な生活だった。
もう25年以上前の話だ。
自分が周りと違うと強烈に理解したのは、小学校5年生のときだ。
それまで親友だと思っていた友達と喧嘩したときに、「韓国に帰れ」と言われた。
こいつは何を言っているんだろう。帰れとはどういう意味なのか。自分はここで生まれてここで育った。なぜここにいてはいけないのだろうか。
もちろん韓国にも帰るような場所はないし、在日が一部の韓国人からキョッポと言われてバカにされていることも知っていた。
考えても考えても意味が理解できず、しかし、今まで垣根なんてないと思っていた親友から、底の見えないような深さで線が引かれていたことだけは理解できた。
それから自分が韓国人であることを、知人に教えることはなくなった。
中学校に上がって、同じく在日の同級生が早々にいじめに合うようになった。
自分は隠し通していたのでいじめられることはなかったが、でもいじめを止めるようなこともできなかった。
ある日親戚のお通夜でいじめられている同級生とばたりと出くわしたことがある。
なくなった人を通じて、遠い親戚だったようだ。
相手は信じられないと言った顔をしてこちらを見ただけで、一言も会話はなかった。
それからは学校で彼の顔をまともに見られなくなってしまった。いじめは卒業まで続いた。
皆が進路の話をし始めた頃、自分は漠然と高卒で働きに出るのだと考えていた。
一度兄に進学の相談をしたら間髪入れずに返ってきた言葉は、「俺らが就職できる日本の企業なんてない」という言葉だった。
パチンコで財産を築き上げたいとこだけが、有名大学に通っていた。
法事で親族が集まるとやれ同胞が暴力事件に巻き込まれただの、やれあいつが際どい仕事でどれくらい稼いだだのそんな話ばかりだった。
彼らは居場所がないなりに居場所を作ろうと必死になっている。しかし、その必死さが返って居場所を奪われる原因にもなっているのだろうと思いながら眺めていた。
そして、これから自分が生きていく世界にも、居場所なんてないのだろうと漠然と考えていた。
高校に進学はできたが、放課後はすべての時間を家の仕事の手伝いで消費した。
手伝いが終わって帰るのは日付が変わる頃で、何度学校に遅刻しても両親は何も言わなかった。
当然大学に進学できる学力はなかった。勤怠不良に加えて沢山の赤点があっても卒業できたのは、教師のお情けであるのか、お荷物を手放したかっただけなのか知る由もない。
ただ、目立ちたくないという気持ちだけで生活していたので、問題と言えるようなことは一切起こさなかった。
仲の良い友だちがいなかったわけでもないが、いつもとても大事なことを隠している後ろめたさがあったので、問題を起こさなかった代わりに関係を深められるような相手もいなかった。
小中高含めて、卒業してから同窓会というものに参加したこともなかった。表面上の案内以外の誘いが来るようなことも、当然なかった。
ただ自分が在日韓国人の家庭に生まれたということだけで、常に後ろめたさと一緒に生きるしかなかった。
何かで人に知られれば、いつ平穏が失われるかびくびくしながら10代を過ごした。
目立つことなんてもってのほかで、何かに打ち込むようなこともなかった。
そもそも放課後はすべて家の仕事で費やして、一日500円程度もらえる小遣いを休日に一人でゲーセンで浪費する生活だった。
唯一ゲーセン仲間とだけは、あだ名で呼び合うことで身元を明かさないで済む気軽さがあった。
もちろん通り名で生活しているので、名前くらいで本籍がバレることもないが。
ゲーセンの、ゲームの腕前だけが評価されるその場限りの関係が、自分にはとても心地よかった。
テレビの中で踊るBTSの一人が、妙に当時の自分と重なって見えた。
もちろん、何もかもが違いすぎるほどに違う。そもそも彼らは在日ではない。
ただ、少し癖のある髪型や、目元やちょっとしたときの表情が少しだけ重なって見えたのだ。
いや、恐れずに言うなら、当時の自分が化粧して同じ衣装を着たなら、見た目だけで言えば割と似ているかもしれない。
そう思えると、まるでそのメンバーが、もしもの世界を生きている自分のように思えてしまった。
どこかで間違えれば、自分にもこんな光り輝くような人生があったのだろうか。
あのとき、いじめを恐れずに在日であることを公表して、通り名ではなくて本名で生活していたらもっと自由に生きることができたのだろうか。
今となっては何もかもが遅く、しかし、今の日本で、韓国の若者たちがこうして受け入れられている現実が、自分は何もしてこなかったにも関わらず、少しうれしく思えた。
悲しかった。嬉しかった。言いようのない気持ちが心から湧いて出た。
澄んだ涙とどす黒い涙が決して混ざることなく同時に流れ出したような気がした。
家の仕事は全てなくなり、住んでいるところを追い出された。
すでに家庭を築いていた兄弟から支援を受けつつ、両親と狭いアパートで過ごした。
それからフリーターから肉体労働から、高卒でもある程度稼げる仕事を転々として、今の会社に拾ってもらえた。
職種は伏せるが、当時は底辺と言われた業種ながら、健全化が進み今では一つの市場として認められている業種にいる。
色々あったが、ここまで帰化する必要のない人生を歩んでこれた。
韓国人であることに誇りなんてないが、日本人になる必要もなく生きてきた。ただそれだけのことだ。
自分が生きていた頃に比べれば随分と選択肢は増えているだろう。
当然今までも韓流ブームはあった。
しかし、今までと違うのは、メディアが作り出そうとしている中高年向けのブームではなく、若者が主体となって作り出された、メディア後追いのブームだという点だ。
これからの世界を作り出していく若者たちに韓国人が受け入れられているという現実に、今までにない、どこか安心感にも似た嬉しさがある。