はてなキーワード: 震災とは
関東の人にとっては忘れられない日なんだろうけど、大阪のおれからすると「そういえばそうでしたね」くらいの感想だったりする。
でも1/17になっても全国区のニュースでは今日ほどの熱量では阪神淡路大震災は報道されていないと感じる。
地元以外を悼むのも難しいのかなと思う。
私は関東で震災を経験して、1年後の5月、九州に引っ越しました。
仕方ないことだけど、3月11日からの関東や東北の「あの空気」がわかる人はここにいません。皆さんモニタ越しでの出来事や、人の話です。それで哀しかったり辛かったりになるのはそう。けれど「あの空気」を共有できる人がいないまま、8年が経ちました。
なんか毎年もやもやするんだけど、
あの日を忘れないとか言って盛り上がるけど、阪神大震災の日は企業メディア、タレント知らん顔やん。これはあれか?
こないだ子役上がりのタレントが東日本の震災から耐震が叫ばれるようになったとかぬかしてて、アホかと阪神大震災とか無かったことか?若いから仕方ないのか、所詮関東ではそういう認識か?
ニュース観てたら東北の震災経験者がオンラインで関西の学校の子供に震災の経験を伝えるって阪神大震災の経験者が死滅したわけじゃないし。
わかる
当時そこそこ被災した(津波ではないが)けど、あのころはまだ子どもだったからか、今の方が辛くて津波の映像も、画像すらも見れないでいる
唯一テレビをつけて見る朝のニュースも震災震災でなんだか落ち込んでしまった
忘れちゃいけないことだとわかってるけど、忘れたい
ちょうど10年目ってことで。
10年もたったらロボットか何か使って処理できるようになってるのかと思ったらまだ何かやってる
今振り返ると被災地で略奪や強姦が頻発してるみたいなデマ大量に撒かれてたらしいな
情報混乱するとヤベー
コロナ下で10代の妊娠が増えたのを見てDVによる強姦が増えたと思いこむブクマカが多かったけど、その類か
実際増えてるのは避妊失敗だろうけど
結局10年原発は復活しなかったな。まああんだけの事故起こしたらそうなるよ
んで、再生可能エネルギーも増えず、何やってるかというとLNG増やして電力不足に陥ってた。何やってんだ
あと数年はインバウンドの客も回復しないし廃業した温泉地買い取って地熱発電でも作っとけ
あの当時一番恐怖してたのは電力不足とその後訪れる不便な生活だったんだけどそれ自体はそんなでもなかったな
震災から10年ということで感傷的な文章をつらつら書こうと思う。
私は大のNHK好きで受信料もお布施のような気持ちで支払っているが、あの曲が真っ向から受け止められなかった。
「花は咲く」ってそんなふわっとしたきれいごとを、、、くらいに思っていた。
けれど最近この時期に合わせて放送しているのを聞いてみて、印象が変わった。
「誰かの」、「いつか生まれる君」の幸せや未来を歌っている、それに気づいたときに何故かこの曲を素直に受け止められるようになった。
震災当時大学生だった私は、住んでいた自治体が受け入れた被災者のための避難所でボランティアをしていた。
発災から数日は、自身も電気・水道等のインフラ停止の影響を受けたが、時間と体力が有り余る大学生こそなにかをしなければと、避難所にほぼ常駐で、炊き出しの調整、物資の差配、避難所の環境整備等をしていた。
無邪気に遊ぶ子供たちもいれば、情緒不安定で泣き出す子供もいる。
大人も避難の疲れとストレスがたまっており、被災の度合いによって避難のスタンスも違うので、被災者同士が喧嘩になることも多々あった。
自宅と息子夫婦、孫が津波で流されて行方不明の老人、自宅は全壊したがなんとか全員無事で避難してきた一家、放射能影響を考慮して自宅を離れた若い夫婦、、、状況は本当に様々だったので仕方ないのかもしれない。
避難所でボランティアしている際、自分の中で決めていたことがある、
私は感動映画を見ればすぐ泣く質で、もらい泣きすることがしょっちゅうある。
話を聞くと共感して辛い気持ちになるが、決して泣かないようと頑張った。
彼らからその話を聞いたとしても、その悲しみは私のものにはならない。
彼らの悲しみは、彼らだけのものだ、私が聞いて泣いたらそれは勝手に悲しんでいるだけだ、自分が可哀そうで泣いているだけだ、と。
そんな風に思わなくても良いのかな、と思ったのは最近だ。
震災のことを思い出すと、自分の関わった被災者のことが思い出されて辛い気持ちになる。
でもその悲しみは、私が自分が可哀そうだと思って感じる悲しみなのか?
確かに彼らの悲しみは彼らのもので、誰も「理解した」なんて言えないと思う、
けれど彼らの悲しみに寄り添って一緒に悲しむことは、必ずしも自分勝手なことではない。
過去の自分を擁護するなら、震災直後、壊滅した沿岸部の映像を見ながら被災者のことを思って本当に胸が苦しかったし、
だからこそ少しでも助けになりたいと思っていた。
そしてそれは私以外も一緒だと思う、悲しみに寄り添う人を認めていきたい。
当時大学生だった私が、なんとかかんとか働きながら、
私にとっての「誰かの」、「いつか生まれる君」は、
ベッドの隣で眠る息子や、これから生まれてくるかもしれないわが子だ。
自分のために何か努力したり、我慢するのは容易ではないと思う。
大人なので一通りのことはできるようになったが、自分のためにという思いは続かない。
だが家族や、わが子のためなら違う。
シン・エヴァンゲリオン。
その風景がかつて数年通ったあの村にそっくりだった。うん。そっくりさんだ。
港は壊滅的なダメージを受けていた。コンクリートの建物がごろりごろりと転がっている。
海に向かって破壊された巨大なケージのような建物があった。漁船に氷を積み込む基地だったという。
そこから見る海はどこまでも澄んでいた。漁師のお爺さんもこったら綺麗なのは見たことがねえという。
集落から離れて、ぼろぼろのガレージで暮らす人もいたなあ。。。
慣れた土地から離されてくしゃくしゃに集められ、無理やり仲良く暮らしていた。
そこに訪ねていくと、大人も子供も津波がどんなだったか・・・を話し続けるのだった。
僕のせいで津波が来た、私のせいで街が壊れたという子供がいた。
何人もいた。なぜかそのように強く信じているんだ。
津波ごっこにキャアキャアと全力疾走で遊んで、ふと俺のせいなんだっていう。
何もしゃべらない人もいた。
どろだらけになって植えていった。さすがに機械だったけど、はじっこの方は手で植えた。
水と風の青いにおい。ずーっとおしゃべりしながら笑いながら。
そして疲れるとおにぎりやおかずを山盛りにして食べ、昼寝をした。
ただ何度かおじゃましただけの村。
今はもう解体されてない村。
シン・エヴァンゲリオン。
その風景がかつて数年通ったあの村にそっくりだった。うん。そっくりさんだ。
港は壊滅的なダメージを受けていた。コンクリートの建物がごろりごろりと転がっている。
海に向かって破壊された巨大なケージのような建物があった。漁船に氷を積み込む基地だったという。
そこから見る海はどこまでも澄んでいた。漁師のお爺さんもこったら綺麗なのは見たことがねえという。
集落から離れて、ぼろぼろのガレージで暮らす人もいたなあ。。。
慣れた土地から離されてくしゃくしゃに集められ、無理やり仲良く暮らしていた。
そこに訪ねていくと、大人も子供も津波がどんなだったか・・・を話し続けるのだった。
僕のせいで津波が来た、私のせいで街が壊れたという子供がいた。
何人もいた。なぜかそのように強く信じているんだ。
津波ごっこにキャアキャアと全力疾走で遊んで、ふと俺のせいなんだっていう。
何もしゃべらない人もいた。
どろだらけになって植えていった。さすがに機械だったけど、はじっこの方は手で植えた。
水と風の青いにおい。ずーっとおしゃべりしながら笑いながら。
そして疲れるとおにぎりやおかずを山盛りにして食べ、昼寝をした。
ただ何度かおじゃましただけの村。
今はもう解体されてない村。
庵野ってバトルシーンとか爆発シーンとかがやたら取り上げられるけど
今となっては普通のストーリー・演出なんだろうけど当時としては斬新かつ衝撃でみんなの記憶に残ってる
ストーリーだけなら手塚がいろいろやってるし過去のアニメにもあるけど
これに演出を組み合わせてるのがなかなかないんだよね
4号機から運び出されるまでトウジが乗ってるかどうかはっきり分からないような演出は普通できんと思うんだけどな
シンゴジラにしてもゴジラが内閣総辞職ビーム吐くあたりとかはシナリオもそうだけど演出が上手すぎる
冒頭からあそこまで日本人が震災で経験した非日常の様子をアリアリと再現してて
妙なリアリティがあってからのゴジラの絶望感っていうね ホント上手い
エヴァの新劇は破でトウジじゃなくてアスカ乗せるとかマジで天才かと思った
もう暴走するのが分かってるエヴァにヒロイン的なアスカ乗せるとかどうやったら思いつくのか
シンエヴァはそういう意味でストーリー・演出ともにかなり良かった
「え?マジで?」とか「ああ、そういうこと」みたいなのが多くて良かったし
庵野の才能は涸れてないと感じた
なんか感想とか批評を見るとこういうストーリーと演出に対する話ってあんまりなくて
アニメ的なクオリティとか世界観のディテールとかそういう話に終始してるんだけど
そんなこと言い出したらエヴァを始めとした庵野作品って昔からそんなに凝ってたか?っていう気にしかならん
庵野はそのストーリーと演出で「今の人」に刺さるように作品を作るのが本当に上手い
シンゴジラを震災を知らない人が見ても大して緊張感が沸かないだろうし
旧エヴァを今見ても若干の古くささがあると思う
エヴァ破とかシンエヴァを旧エヴァを知らない人が見ても楽しさ半分だろう
シンウルトラマンも期待してる 早く観たい
震災の被害とか、そのときどんなことがあったのかってのは確認して記録して今後の防災にどんどん役立てていく必要があるんだけどさ、
少し前にテレビで被災者の人が「この震災が忘れられないように」とか「被災地の現状を他の地域の人は何も分かっちゃいない」みたいな、ちょっときつい言い方も含めて、そんな感じのこと言ってて思ったんだけど、
こういうこと(あえて雑に言うと「自分が被害を受けた自然災害を直接被害を受けてない人にも被災者レベルで知ってもらわないと!」みたいなの)
を言う人って他の災害のことをどう考えているんだろうか。
たとえば阪神淡路大震災とか、ここ数年で言っても熊本や北海道、大阪で地震があったし
西日本での土砂災害もあったし、日本で自然災害なんてのは言い出したらきりがないけど、
正直自分や親しい人に直接被害がなかったものって記憶が薄れると思う。
自分が被害を受けた災害について声高に忘れないでと言うけど、他の地域の災害についてどう思ってるの?忘れてたりしないの?みたいな。
阪神淡路大震災が日本の防災の転換点になったように、すくなくとも東北の地震も同じような感じで
かんたんに忘れる人は少ないと思う。
もちろん年月経っていけば戦時中のことを知らない人が増えたり伊勢湾台風の話も少なくなってきたように
色あせていくんだろうけど。
私自身も水害被害にあったことがあって、我が家は幸いそこまで大きな被害にならなかったけど
それを誰かに覚えておいてもらわないと、って考えたこともないのでなんでなんだろうなあって。
その時の被害に基づいて防災がすすめばその過程で必要な記録もされるだろうし、当時の教訓が活きたまちづくりとか法改正とか防災がすすんでいればそれで良いし、
結末にスッキリしなかった。
やっぱり結末をひとつに絞ったことがエヴァじゃない。もっと多様な終わり方を期待していた。
神木くん的な何者でもなさ。
日常に生きている僕らにとってそんな回答は当たり前で、現実への帰還はいまさらではないか。
僕は終わらない物語を求めていた。
成功ではないけれど成功に向けたその途中で終わる、やめたらそこで失敗になってしまう、
希望はないけど希望を目指し足掻く、そんな物語を描いてほしかった。
ミサトさんは「責任」と言った。シンジくんは「けじめ」と言った。
それは違う。
だれかが負うようなことじゃない。
失敗したならみんなでまたやればいい。
繰り返しの物語ではなかったのか。
僕の前にいたエヴァはいつのまにかにずっと後ろのほうに感じた。
Qが公開された震災後の2012年ならこのラストは納得したかもしれない。
でも2021年の僕は、だれかに責任を押し付けて希望を得るべたすぎる終わり方に納得ができない。
これがシンジくんの選択なのか。信用できなかった。それがつらい。
アスカに対して好きだったなんてものわかりよく回答しないで、未練たらたらだけどやっぱりエヴァのない世界を、と選択してほしかった。