はてなキーワード: 短歌とは
私(40代後半自営業、既婚、子有)的にはすごく「刺さる」映画だった。
偶然を含む特別な出会いがあり、好きな音楽や映画が一緒で、同じスニーカーを履いてたりする
ってことで「私はあなたで、あなたは私じゃん、私達特別じゃん」ってなり、お互いのことを
知っていく過程において、自らの映し鏡としての存在を相手に求める恋愛初期の楽しい日々が
続いていきます。
一緒に暮らすようになり、社会人になり、彼と彼女が一番大切にしていたカルチャー達は
彼らになんの力も与えてくれない(お金を稼ぐ力とならない)中で、彼らにとっての
アイデンティティでもあった、自分達は他の人達とはちょっと違うんだという自負がゆらいでいく。
日々の生活の中で、燃えるような恋愛感情は変質していき、日常の存在としてのパートナーと
なっていき、そして・・という映画でした。
素晴らしい映画だと思いますので、ぜひいろんな方に観て欲しいです。
私は、ラグビーだのアメフトだの基本運動部の人でしたが、サブカルが大好きで
宝島(昔あったサブカル雑誌)を読んで、そんなサブカルに詳しい(好きではなく詳しい)
ことが自分にとってのアイデンティティであり、そんな気持ちを共有できる相手を求めていました。
たくさん本を読んで,映画や舞台を観て、その中から得られるものを、人生にとって大切なもの
として生きていきたいなって思っていました。(〜27歳)
27歳に、大学在学中からやっていた商売がうまくいかなくなり、お金がなくなってきて
アルバイトをするようになったのですが、その時に、当たり前ですが、趣味程度のサブカルは
何も私を助けてはくれないし、少し環境が変わると、それを摂取する時間もお金もなくなり
結婚を考えていた女の子とも別れました。(と、純愛的に書いてますが、10年間くらい同時並行
で3人くらいの子と年単位で付き合っていてカップル喫茶やハプニングバー遊びが好きなただれた
生活だったのでお金が続いていたとしても振られていた可能性は高いですが。)
50歳近くになり、仕事と生活に直接結びつかない小説や映画に触れる機会は極端に減りました。
映画館で映画観たのは、ストレートアウタコンプトン(米のヒップホップスターの伝記的映画)
シンゴジラ、マッドマックス怒りのデスロード、桐島部活やめるってよ くらいです、
映画秘宝寄りですね。
昨年秋に出会い系サイトを通じて彼女(40代前半)ができましたが、メールのやりとりが
はじまってから実際に会うまでの1ヶ月ずっと、若いときと同じことをやってました。
お互いの本棚を写真にとって送りあって「その本、前に読んだ。」「その本読みたいと思ってた」
「私達、趣味が合うよね」どんな映画好き?どんな音楽を聴くの?とやりとりし続けることで
その人のことを知ろうとしていましたし、短歌を語り合ったりしている時には、お互い
「私達って他の人達とはちょっと違うよね。」って部分もあったと思います。
1ヶ月の文通の後、会ったのですが、カフェでもずっとそんなカルチャー話をしていました。
でも3度目のデートでホテルに行ってからは、肌が合ったこともあって、会ってる時間ほとんど
ずっとホテルのベッドです。10月後半くらいから今にいたるまで会っている間の会話はあえぎ声くらいです。
映画劇中と私の過去において、カルチャーが生活するお金に無力であったのと同様に、非日常の愉しさを
求める関係性においては、カルチャーはセックスには遠く及ばないってことを何度目かのホテルの後に
考えたりしました。
会ってないときは、Slackでいまだに読んだ本を紹介しあってます。下手な短歌を送り合ったり
追記( 2021/01/27 03:36)
正解より正解な絵を出されて驚いた。なにこれ完璧じゃん
銅版画の鳥
短歌良いね。検索したときに「三羽の小鳥来ぬ」絵よりも先に「孤独な鳥」の銅版画を見てしまい、なんかこれを見ているうちに、靄の先に一緒に行ってくれる伴侶を得たような気がした。
1 つ目の引用も 2 つ目も、夢を描いたものらしい。これを書いたときは夢をさまよう気持ちだったような気がして、これを書いていくつか反応をもらったことで、同じような気持ちになって表現した人が歴史上には居たのだなと思った。独りで歩む孤独で無い道。
穂村弘さんのことを深くつめたければ
現実入門、蚊が、にょっ記
などエッセイを読めば、こういう人がこういう短歌を作ってるんだな…と思う
ベッドの上で菓子パン食べてジャリジャリさせる人なんだ、と
「石川くん」という、石川啄木のロクでもなさを紹介した本は、どこかコミカルで読みやすい。
「結婚失格」という妻子に逃げられた自伝小説。そこに寄稿している穂村弘が鋭い視点で、同業者の枡野という人間の不器用さを鋭い目で分析してるのがいい
三題からを5分で作るのはテクニカルに難しいので、慣れない間は2題が無難そう
《質問1》
参加者のうち三人が同時に出す単語を使って、みんなで無理矢理短歌をつくります。それだけ。
例「黒」「きみ」「夏」
似た言葉やメタファー、ほのめかすなど、間接的に詠み込むのもOK。
「ほーん」「あーね」「ええんちゃう」くらいの反応でおけ。しなくてもおけ。
自分なりに納得できたら勝ち。
08:30にお題1語を落としてね。
《質問3》お題投下後
(言い換え、比喩等)
締め切りを伸ばしてほしかったら言ってね
《村お題》
困った時の下の句集
「それが最後の言葉になった」
57577を
77577や57777にするのも可
自由律って称して
なんでもありでもよし
なんだっけ…一瞬浮かんだ鮮明な絵が思い出そうとする度に朧気になってくる。小鳥だっけ…?
追記( 2021/01/27 03:36)
正解より正解な絵を出されて驚いた。なにこれ完璧じゃん
銅版画の鳥
短歌良いね。検索したときに「三羽の小鳥来ぬ」絵よりも先に「孤独な鳥」の銅版画を見てしまい、なんかこれを見ているうちに、靄の先に一緒に行ってくれる伴侶を得たような気がした。
1 つ目の引用も 2 つ目も、夢を描いたものらしい。これを書いたときは夢をさまよう気持ちだったような気がして、これを書いていくつか反応をもらったことで、同じような気持ちになって表現した人が歴史上には居たのだなと思った。独りで歩む孤独で無い道。
長編小説のエントリをお見かけしたとき、自分の思考整理のために書いていたものを投げます。
私自身が誰になにを言われたわけでもないんだけど
今いる界隈で字数マウントっぽいのちょこちょこ見るようになったので。
いっぱい書いた貴方はえらいし褒めるし優勝!てなるのはわかるんだけど
じゃあいっぱい書いてない貴方はえらくないのかってことは全然ない。
ひとつの話を完成させてること自体を誇っていこうなという動機です。
というのは、自分が二次創作における文章の文字数に一回仮死状態になったからです。
筆を折ったというよりは筆を止めた。
家にスキャナがなかったので文字を書くことにした類の人間でした。
思いついたお話をかければなんでもよかったし「サイト」をやってみたかっただけです。
自分の考えたことが形になるのは楽しい。というのを繰り返して、
感想をもらって同好の方と交流を持つようになって、同人誌という存在に行き当たりました。
小説とは別にデッサンを習っていたのでそちらの言葉を使いますが
私にとって「書く」ことはクロッキーのようなものでした。速写です。
短時間でいかに核心をつけるか、そのものらしい一瞬をつかめるかが要点でした。
ワンシーンの抜粋、動作の美しさを描写して書き留めておきたい。
けれど本を作ろう、それも折本ではないものを作ろうとするとそれでは持たない。
シーンを複数用意して時系列や構成を思考して配置する必要が出てきて、それが正直めちゃくちゃ面倒だった。
でも油彩や日本画をしようとしたらもっと別の画材がいる。段取りもいる。
デッサンとするにしたって、完成度をあげるなら技法と知識がいる。
30秒や、長くても3分で完結するものばかり描いていた人間が、それを自覚せずに2時間以上、
下手すると無限に時間をかけてもいいものに着手するとそれはもう混乱する。
鉛筆一本だし、チラ裏に描いてたものを本格的に描こうとして「アレッ」てなるのは当たり前なんですね。
今思い返すとこういう言語化ができるけど、当時はできなかったので苦しんだ。
物語を読むことはできるし愛してはいたけど、私が傾倒して読んでいたのはほとんどが詩や短歌でした。
「情景を切り取って見せ方を演出する」が共通していても、小説のそれとは方向性が違う。
あと短時間でたくさん読める。
などの短文の魅力が好きでした。今も好き。
絵に関しても、美しく整えられて丁寧に塗られたカラー絵よりも
要点だけを的確に抑えて踊る筆致に傾倒しがちなので単に好みの問題です。
一口に長編といっても、実際は短編連作だったりする場合もあるので。
読んだの10年以上前なのに今でも思い出すお話あるけど、文字数とか覚えてないしね。
物量と、自分や誰かにとって魅力があるかは全く別なので混同しなくていい。
それがわかっていればよかったんだけど
小説というからには長いほうが立派で、分厚くないとならない。と無言の圧を感じて
(実際、紙媒体として本の形が成り立つためには物理的に必須なのですが)
それは私にはできなかったので、書くことから遠ざかりました。
今は自分がいちばん書きやすい文字数と話のスケールがわかってきたのでまた書いてる。
分量があってスケールの大きい物語を書きたくて目指すのは楽しいけれど
だからといって分量がないものを下に見たり、情けなく思う必要はない。
「こうしなくてはならない」を勝手に制定して自分をジャッジする必要はない。
なかったなぁという回想です。本当になかった。本当にないよ。
万字単位がかけるようになっても、140字以内にあるキラーフレーズが好きだし
3000字以下のショートショートに胸を打たれることがあります。
それに分量があるということはその分その世界に浸っていられる。
これは強い。好きな文章をずっと読んでいられるのは最高に楽しいです。
でも、短い文章が弱いわけでは決してない。恥じる必要は微塵もない。
「削ぎ落としてつくる」を考えさせられるのでとても好き。
長かろうが短かろうが、創りたいものが創れるようになるというのが理想だと思います。
私はインターネットお絵描きマンとか、字書きという呼称が好きです。
軽やかなので。
重厚で肉厚なものと一緒に、インスタントで軽やかなものが同じ空間で息をできるのが創作の醍醐味だとも思う。
そういう覚書でした。
(一般の出版物におけるショートショートは800〜4000字、
短編は4000〜32000字、中編は12万字までのようですが
二次創作においてはもっと細かくて感覚的な区分けがある、という認識です)