はてなキーワード: 短歌とは
最後に会ってたから10日が過ぎようとし、最後のLINEから4日。経過した時間の問題ではない。向こうの少しばかり長い恋愛事情、そしておそらくはまだ僕に伝えてない何か。急に消えないと言っていたのに、結局僕は選ばれなかった、終わったのだとようやく認識できた。そう認識できた途端、酸辣湯麺だけがやけにうまかった。それ以外は喉を通らない強情さ。クリーミーではない澄んだ辛さの坦々麺を食べに行こうとか、無邪気に誘ったじゃないか。そんな辛い記憶は酸辣湯麺で塗り替えてやる。
特にやる気もおこらず、ガストで赤ワインのデキャンタをたのむ。下に引っ張りすぎたTwitterが更新を渋っている。Kindleでも開くか。短歌がわかるわけではないが、穂村弘は好きだ。サインだって持っている。あのゆっくりとジェントルな話でいて、甘ったるいちょっと子供のような声が好きだ。とか言いながら、好きな文体は東直子。
穂村弘『短歌ください』。既読だ。重いものは読めないと思い、なんとなく開く。栞は18%にいるらしい。
“君というあなたが呼んだ何者か わたしはそれになりたかった”
開いたところにあった一首。何者かであったのだろうか。もう呼ばれることもなく不定形のまま、しばらくはグニャリとしなければならないのかな。
いや、そんなことは本当にどうでもいいんだ。それより、この歌を詠んだ人、名前が同じじゃないか。本当にやめてくれ。同じ名前の人がこんな歌を詠んでたよ、それもたまたま開いたら!無い奇跡ではないが、囚われるじゃないか。早く伝えたい。聞いて欲しい。
穂村弘は解説で、「切実な思いを、生な云い回しではなく、「君」「あなた」「何者」「わたし」「それ」という抽象的な語の組み合わせによって敢えて表現することで、一首の世界が深まっていると思います」と。まったく抽象的な語ではない名前、しかも同じくひらがなという名前にまた現実が切実さを帯びてきた。嫌だな。
誰でも詠めるのが自由律とは言うけれども。
自由律で知られているのは山頭火と放哉、あとはせいぜい碧梧桐の名前が出れば良いほうだ。ほかに誰の名前が浮かぶというのか。すすんで自由律の句を読もうとする人の数なんて俳句や短歌のそれに比べればホコリのようなもので、だからこそ知名度のある人にいてほしいのだけれど、たとえば平成期で自由律歌人の名前、浮かびますか?正直、初期メン以外で知られている人はゼロなのではなかろうか。
誰でも詠めるのかもしれないけれどもその句を読んでくれる人はほぼいないのではなかろうか。発表しても聞いてくれる人がいないのはどうしたって張り合いがない。仲間内での遊びとしてなら成り立つかもしれないけれど、このままだと自由律俳句の未来は無いんじゃないかな。
一
(5月に入っても殺気立っているおまいらにざれ歌を献上して、苛立ちが高まっている気持ちをかき混ぜてみるよ)
二
(迫ってくるJKを押しとどめてしまう、悩ましい今日この頃だなあ)
三
(熱といっても貴方への思いをつのらせての熱なので、PCR検査を受けても陰性と判定されることでしょう)
四
(ここ岩手は安全ですが、私の恋は難航しています。感染のおそれは小さいのに、どうして会えないのですか)
五
(毎日夕方発表される感染者の増加数と同じくらい、貴方の心が気がかりです)
六
(オフィスラブのスリルが味わえないテレワークなんてつまらん)
七
けふもまた募る思ひを告げられず誘はむ店の皆閉じたれば
(今日も告白出来なかった…まあ誘える店みんな閉まってるしな)
八
武蔵野を見晴らす棲み処あとにして今は浅間のいたゞきをあふぐ
(都心のタワマン上層階に住んでるんだけど、今は疎開先の軽井沢で暮らしているよ)
九
十
引き籠り人のかほ見ずはや十とせ世の人我をかゞみとなすや
(在宅勤務だとかソーシャルディスタンスとかそんなチャチなもんじゃ断じてねえ)
十一
ぼつち席なじみて閑けき身の上もいまこの時に備へしぞかし
十二
(流行なんて新聞が取り上げる頃には下火になってるものなのに、この流行がまだ収束しないのはなんで?)
十四
(…)
十五
(そのまんま)
十六
(そのまんま)
十七
流行に緩むきざしのあるとてもなほ注意な怠りそとぞ
(「感染拡大の勢いに低下の傾向が見られますが、まだまだ注意が必要です」ってテレビで言ってたよ)
十八
(青い鳥が結局そこにいたという自宅で、これからのことを考えています)
十九
(実感)
自由詩の谷川俊太郎をみたらすごいと言わなきゃいけない風潮が文芸界隈に強くて、大変生きにくかった覚えがある。
元増田のいう詩を殺した要因は、ただ単に日本の原風景が消えたにも関わらず、原風景を思わせる美しい単語を入れなきゃならない基本が短歌の575にあるからとか、情景よりもキャラクター性が重視されて小説すら情景がカットされるようになったとか、そもそも短歌や俳句の敷居が高くテクニカルであるとか、一様ではないと思う。
ただ一つ言えるのは、メディアが古来の文化を殺していってるともいえるし、単なる流行の移り変わりともいえる。Twitterの自由詩なんて情景で感情を表現してるものなんてない。殆どが自己の感情を比喩もなく叫んでるだけ。あれを見てると無批評で発表する癖のついた人たちが山ほどいて、検索性のみならず文化まで潰していってるんだなと思う。つまりこれは、文化から文化の交代が起こったというより、システムによって(文明によって)文化が潰されてるってことなんだろう。文明は文化を生むと考えていたけど、翌々考えたら旧来文明の文化は潰えるわけで。レコードみたいなものでほそぼそ生き残るだろうけど。
厚生労働省も「3密」を用いている。
「3密」を避けてください
【首相記者会見】首相「三つの『密』を避けて」 - 産経ニュース
夜間のクラブやカラオケで感染多発…「三つの密」回避呼びかけ : 国内 : ニュース : 読売新聞オンライン
「自粛いつまで」歓楽街悲鳴 三つの密、避けられず―立ち入り自粛要請・歌舞伎町:時事ドットコム
三つの「密」リスク再確認を 東北医科薬科大・賀来満夫特任教授に聞く | 河北新報オンラインニュース
「三つの密」という言葉をよく目に… | 社会 | 越山若水 | 福井新聞ONLINE
NHKは「3つの密」だ。(ところで、この見出しから「の調査」を取るか「通信アプリ」を「LINE」に変えると短歌になるな)
「3つの密」避ける対応 不十分 通信アプリの調査 新型コロナ | NHKニュース
飽きてきたので、この辺りで。
「薬剤の投与があれより早くても遅くても彼は助からなかった」という文章を読んで、どのような事態を思い浮かべますか?— いいだかずま (@iida_kzm) January 9, 2020
という意味に取れる。
これは「最適な投薬のタイミングはピンポイントで存在した」という意味である。
という意味に取れる。
これは「結局のところ最適な投薬のタイミングなどなかった」という意味である。
投薬のタイミングを悔やむ医師に「どちらにしろ助からなかったよ」と慰めの言葉をかけるようなシチュエーションが想像される。
ゆえに前提次第でどちらにも解釈できる。
悪文とまでは言わないが、一文だけを切り出して判断することはできない問題だと言える。
花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった
この短歌は「告白」と「道の長さ」がちょっと離れた関係にあるからこそ、
その二つをつなぐ「逡巡する自分」「機を窺う自分」が立ち現れてくるものだ。
「短いと踏ん切りがつかない、長いと逡巡しすぎる、ちょうどいいから告白できた」
とすんなり解釈できるが、
「なぜ道の長さなんて持ち出してきたのか?」という話になる。
「もっと道が短ければ踏ん切りがついたのに…いやどちらにしろ無理だったか…」などと
詠み手が懊悩しているシチュエーションを想像するにはかなりの補完が要求されてしまう。
そういった点で「投薬のタイミング」と「道の長さ」は対称的ではない。