はてなキーワード: ペットロスとは
その日は早く出社したからいつもより早く帰った。まだ誰も帰ってきていない家のドアを元気よく開け、今日の晩御飯は何にしようかなと考えながら犬の名前を呼んだ。相変わらず玄関からの呼びかけは聞こえていないのか反応はなかった。もう老犬だから耳が遠いのは知っていた。耳が遠いのか名前を呼んでも「どこだ?」とキョロキョロする姿に家族みんなで微笑ましく見ていた。昨日もそうだった。今日もよく寝てるなと思って名前を呼びながら家の中へ進む。
ソファーの影から犬がよく寝るクッションが見えた。いつもの窓際でいつもの陽ざし。いつもの…。何か嫌な予感がした。
「おーい」と大き目の声で呼びかけるも全く反応がない。いや、そんなまさか。昨日まで老犬とは思えないステップで散歩したんだ。健康診断も耳が遠い以外問題もなかった。「老犬とは思えないほど元気ですね」なんていつも言われた。「申請して長寿の賞状でも貰ったらどうかな」という話をしたのがこの前の休みだった。
ゆっくりと足を止めて犬のそばに立つ。そういえばいつものいびきがない。プーとか、フゴーみたいないびきに話の腰を折られて笑ったあのいびきがない。いつもより脱力している。膝をつき、触ろうと手を近づけた。
あ、死んでる。
体が動いていない。呼吸していたら動くはずの胸が動いていない。
明らかに生気がない。触らなくてもわかった。というか触りたくなかった。冷たさを感じたくなかった。夏は「暑いよ~!お前~!」とのしかかってきたこと、冬は「あったかいな~!お前!」と言って寄り添った思い出が悲しくなってしまうから触らなかった。
ボー然としてしまった。お前が食いつくであろう31の箱を横向きに倒してしまった。
お前は友人から頂いた犬だった。引き取り手がいなかったお前。お前の兄妹は大きかったのにお前だけ小さかった。トイプードルだから「小さいね」と、妹が使わなくなった立派なドールハウスにピッタリ入るくらいの大きさだった。ゲージではなく、よくそっちに入っていたな。
来た当時は夜が怖くてよく泣いていたな。最近じゃもう腹出していびきをかくほどには大丈夫になったな。
小さいころに東北大震災で地震がめちゃくちゃ怖くなってしまったな。最近になってようやく地震に大丈夫になったな。
お前はボールやおもちゃに全く興味を示さなかったな。ドッグランに来ても芝生で寝ているだけだったな。
トイプードルなのにでかくなって、柴犬サイズの服を着てたな。トイプードル用なのにお前に合うkgの参考がなくていつも笑っていたよ。「お前に適切な量はなんだ?」って。そんなこと気にせずお前は大食いだったな。人間でも腹いっぱいになる量をいつも食べていたな。
嫌なことがあって泣いてしまった日はそばにいてくれたな。風邪をひいたときも気が付いたら横にいたな。犬ってそばにいてほしい時はわかっているのだろうか。
老犬だからいつきてもと覚悟はしていた、と思っていただけだった。無理だ。覚悟したって無理なもんは無理だ。
喜んでいる家族を見て『なんだ?なんだ?嬉しい事か?!』と一緒にしっぽ振って喜んでいるお前がもう見られない。
帰路で他の家族と散歩中のお前に遭遇して、「気が付くかな」とニヤニヤしながら通り過ぎては気が付かないお前に「気が付けよ~!」とわしゃわしゃしては『誰だこい…お前か!』と臭いを嗅ぎながら、家族だとわかってベロベロしてくるお前を見られない。お前を留守番にして外食して帰ってくると、ゴミ箱をひっくり返して何度か怒ったな。でも家族が帰ってきて甘えてくるお前が愛おしかったよ。
お前の散歩途中でケンタッキーを持ち帰りした時、匂いに興奮しすぎたお前がその袋に突撃し、反動で膝カックンになって転んで家族に爆笑されたのが亡くなる直前の休み。
熱中症気味でふらふらしていた家族の後ろをずっと付いていたのが亡くなる一昨日。
ちょっと開いてしまっていた引き戸をこじ開けて、こっそり在宅勤務中に部屋に入ってきて、反動で閉まったドアで出れなくなってくぅんくぅん鳴いていたのが亡くなる昨日。
「あいつが喜ぶかな」とサービスエリアで買ったご当地ドックフードがまだ未開封だ。「今度はここに連れていこうか」と家族で計画したドライブ用の地図にはまだ印をつけていない。開けたばかりのちょっといい犬用シャンプーがまだ残っている。
スマホの写真フォルダは開いた瞬間に、お前が人間の食べ物を狙うキラキラした顔のお前が表示される。
ペットロスはあると思っていた。あるからこそたくさん思い出を残したのに辛い。
小学校の頃から一緒にいた思い出が出てきては涙が出る。通勤の電車内でもお構いなしに悲しくなる。
お前に追いつこうとした小学校時代。お前に追いついた中高時代。お前と一緒に歩いた大学時代。お前の歩幅にあわせるようになった社会人の自分。寿命の長さが違うというのはこんなにも悲しい。お前の方が遅く生まれたのに、お前の方が早く逝く。
「今日は肉料理だからあいつの分も豪勢に…」といつものように思ってしまい、スーパーの精肉コーナーで立ち尽くしてしまった。亡くなって一カ月も経つのに。
今も寝床について、ふと足をもぞもぞと動かしても重さを感じない。いつも飼い主の足を枕にしてふてぶてしく寝ているあいつがいないのを感じてしまって喉の奥が熱くなる。
いつか思い出が温めてくれる日がくるまで、と言い聞かせて今は涙をなるべくこらえる日々を過ごしている。そんな日がすぐに、いまにでも、はやく早く来てほしい。
幼い頃から犬と共に暮らしていた人間にはデバフが与えられている
金銭負担に加えて旅行の制限や臭い・毛などもあるが本質はそちらではない
犬を飼っていた子供が成長して一人暮らしを始めたとしよう、寂しくなると犬に手を出す
そして餌代に病院代に被服に玩具、ペットホテル、各種諸費用がお出ましだ
飼い犬が寿命を迎えそうであればペットロスを避けるため次の犬に手を出す
犬の無限ループだ
これが犬を飼っていなかった子供だとどうなるだろう
多少一人暮らしが寂しくても「犬飼ったことないし責任が取れないかも」で踏みとどまるだろう
人生左右されかねないのに、幼い頃から犬と暮らしているとそのハードルをいとも簡単に飛び越えてしまえるのだ
犬はかわいいよ
ほぼ読んでないけど、命より大切な愛犬がいるとペットロスすごそうだなと。
猫に置き換えてみた
・幸せすぎる → ◯ 幸せすぎて失ったときのペットロスが怖いけど
・朝も夜も一緒にいる → ◯ リモートワークだと仕事中も一緒
・ご飯も一緒に → △ 別々のものを同じタイミングで食べることは可能
・遅くまで一緒にテレビを見られる → ✕ テレビを見るのが好きな猫もいるが内容は理解してないだろうな
・一緒に献立を考えられる → ✕ 一緒に考えるのは無理だが猫が気に入りそうな餌を考えるのは楽しい
・おやつを作って一緒に食べられる → △ 猫のおやつを食べられる人間なら可能
・マッサージしてあげられる(もらえる) → ◯ うちのはモミモミしてくれるし、おれもモミモミしてる
・すっぴんでも許される → ◯ 化粧してるほうが警戒されるかも
・パジャマでも許される → ◯ パジャマのほうが気にってそう
・いつでもギュッとできる → ◯ いつもギュッとしてるが猫はヤレヤレって思ってるかもしれない
・夜、隣にいてくれるから寒くない → ◯ 冬は一緒に寝てくれるし、昔飼ってた猫は夏も一緒に寝てくれた
・朝起きても隣にいてくれる → ◯ そもそも猫に朝起こされる。もうちょっと寝かせて…
・家で使いたいものを一緒に買い物できる → ✕ 一緒には無理だけど、猫グッズ選んでるとき楽しい
・家電とかゲームとか、どちらかが買えば済む → ✕ 猫用グッズを人間が使うことは無いかな
・家事を分担できる → ✕ 猫の手も借りたいぐらいだが、これは無理
・ちょっとした優しさをいつも受け取れる → ◯ 本気で噛んだりせず甘噛みで対応してくれる
・相手の洗濯物を干せる → ◯ 猫自体の洗濯物は出ないけど、寝床とかの洗濯物は出る
猫飼いの人には是非読んで欲しい。特に、猫とのお別れを経験した人や、ペットロスになった人には響く内容になってるので。
まずはDavidという曲がどんなものなのか、先入観を持たずに聴いて欲しい。
この曲は1986年「やっぱり猫が好き」という深夜のドラマ(?)のオープニング曲だった。
やっぱり猫が好き(やぱ猫)は、恩田三姉妹(長女かや乃:もたいまさこ、次女レイ子:室井滋、三女きみ恵:小林聡美)が繰り広げる、ドラマのようなアドリブトークのような、時にはドタバタを含む深夜番組。
日本を代表するコメディエンヌが3人だけで毎週様々に起こる日常の小さな事件(主にレイ子が事件を持ってくる)をゆるゆると乗りこなす、そんな「日常系」の深夜ドラマ。事件と言っても些細なことで、寝苦しい夜に一緒に寝ようとか、すき焼き食べてたらハエが出たから外に追い出してたら、ベランダのロックがかかって閉め出されたとか、ドタバタとユルユルが融合した、本当に面白い番組だった。三谷幸喜脚本も多々あり、三谷幸喜の出世作とも言われている。この番組きっかけで小林聡美と結婚した、という伝説の深夜番組なのである。
まぁ、それはおいといて。猫が好き、というタイトルのわりに「サチコ」という猫が、たまーに出てくるだけのドラマなんだけど、このタイトルとDavidの結びつきが、試聴してた頃はなんとも思わなかったんだが、最近になって、この歌詞の意味がスーッと理解でき、このDavidの歌詞を深く理解するに至り、この曲を思い出すだけで泣いてしまう状態になってしまった(ノ∀`)
これは、解釈としての一部であり、本当のところはどういう意味で矢野顕子が歌詞を書いたのかはわからない。
でも、この曲は「やっぱり猫が好き」な人でない限り書けない曲だと思ってる。
矢野顕子いわく「Davidって誰?」と聞かれるけど、誰でもない。と答えている。ダビデだ、という説もある。
しかし、この「誰でもない」はこの歌詞を読み解くひとつのヒントとなる。
果てしなく広がる街から ひとり離れて
ここへ置いていって
静かな微笑みを 遠い日々の歌を
どんなにか つらかった日々を
あなたは 見つめた
よく笑い よく泣くあなたの 話を聞かせて
こんなに近い 同じ思いで
ここで待っているよ
聴こえるでしょメロディ みんなで待ってるよ
私のともだち Oh David
歌詞を書いただけで、もう涙が止まらなくなってるんだけど、頑張ってひとつずつ解説したい。
この曲は、亡くなった猫が飼い主を思って歌ってる歌なんだ、と。
つまり、Davidは飼い主であり、私は天国にいる猫だ、と解釈すると、この曲の意味がわかってくる。
果てしなく広がる街、というのは、猫の視点からすれば、ただの街ではなく、そこは果てのない大きな大きな街に見える。
ひとり離れて、というのは、亡くなって離れていった。
あなたの手紙、というのは、たぶん火葬する時にDavidは手紙を書いて、その猫とともに天国に持たせたものなんだろう、と。
だから、読み返すうちに思い出が蘇ってきた、と。
こんなに遠い ということに対して「時間も場所も」というのは、やはり猫の時は止まっているけど、Davidの時間は進む。だから時間も、という表現になる。
ここへ置いていって欲しいのは、静かな微笑みや楽しげに歌ってた日々。つまり、Davidにはペットロスを乗り越えて、日々を進んでいって欲しい、という猫からの願い。
どんなにか辛かった日々を というのは、多分闘病していた猫の辛い日々や、ペットロスになったDavidの日常を空の上から見つめていたんだと思う。
そして、泣いて笑って、そんな日々を思い出して「ここで待っているよ」って、天国で再会することを待ち望んでいる。
みんな、というのは、きっとこの猫より前に飼っていた猫たちのことだろう。会いたいという気持ちは、飼い主だけでなく私たちも同じだよ、と。
最後に「わたしのともだち」というのは、飼い主のことを友達のように思っていた、ということなのかな、と。
パパやママという感覚ではなく、猫としては飼い主を友達のように思ってた、っていう。
この解釈でDavidを聴くと、涙が止まらなくなる呪いがかかるでしょうw
「やっぱり猫が好き」というタイトルだけ聞いて曲を書いた矢野顕子さんが「失ってもまだ猫の心と私の心は繋がっている。寂しいけれど、やっぱり猫が好き」という気持ちでこの曲を書き上げたのではないかな、という推測が成り立った。実際はコメディ番組だから、ここまでの深い考察をするまでは、まったくそんなこと、思いもよらなかった。
自分も先代の猫たちに会いたくて、今でも泣いてしまうけど、この曲の意味をこう解釈することで、亡くなった猫への思いを整理つけてペットロスから抜け出せるような気がしている。
甥っ子姪っ子かわいー。
デブだし歳も行っている。正社員だけど毎日仕事でヘロヘロイライラしている。一人暮らしで家事は好きでも得意でもないからマジで最低限。
それでいて、美しいすばらしいなにものかへの憧れが止められない。
己がぼろきれのようなのに、素敵だと思った人に悪くないと思われたい、この浅ましさ。
私のような者を愛してくれる人、私のような者からの愛を受けてくれる人がいるわけがない。
以前はいざとなったら犬でも飼おうとか思っていたが、実家で飼われていた犬がこの前寿命で往生してペットロスがものすごい。とても、とてもあの悲しみを繰り返せない。
もうなんか何もかもがどうにもならなくなってしまった感がある。
親に申し訳ない。
甥と姪の夜泣きで親(我がきょうだいと配偶者)たちがふらふらになってるところを手伝ったりしたこともあるからかわいいばかりじゃやってられないのは知ってるが、それでもやっぱり、子どもはかわいい。
愛の捌け口が欲しいだけなんだきっと。子どももそれで産み出されてもいい迷惑だろう。
もう何をどうするべきなんだか。
いや笑えん。
何かやるのにすごい時間かかる。朝メシを支度して食うとか、着替えを選んで着替えるとか、PCつけて仕事始めるとか、そういうのがなんかすごく下手になってる。ゆっくりやんないとうまくできなくなってるというか、上の空が常になってる感がする。1秒ごとにスリープに切り替わるPCをがんばって稼働させてるみたいな。
別れとかを意味するような特定の言葉を書いたり声に出して読んだりできなくなってる。ペットの名前と紐づけて無理やりやろうとすると状態異常が発生する。
でも状態異常の発生条件はだいぶわかってきた。
生身で地雷原を行くキツさだったけど赤外線センサー起動の警報くらいに緩和されて、しかもセンサーの向きが何となく読めるようになってきたような気がする。
昔話とか、よく「悲しみのあまり死んでしまいました」とか「王妃様が亡くなってから、王様も後を追うように…」みたいなのあるイメージだけど、震災のときのデータとかで、実際に心臓病(心筋症とか)の発作が起きてて死者も出てるっていうデータがあるんだってな。
後追いはしないけど、蘇りの儀式とかおまじないくらいは手を出すかもしれん。
でも、高齢で病気も多くて、苦しい中最後までがんばってくれたってのに、それを呼び戻すってのもどうなの?とかもあるので、やっぱり何もやらないかもしれん。
呼び戻せたっていつかはお別れするんだ。
最悪俺が置いてく方になるかもしれないんだ。
夏の晴れ渡った高い空が完全にトラウマだよこりゃ。雲ひとつないような抜けるほど晴天の今日は悲しいくらいにお別れ日和で。
泣くとちょっとだけ脈が整うんだ。気がつくとすぐ乱れてんだけどな。
人間が本気で全力で泣くと小学生がよく持ってる防犯ブザーよりでかい声が出るらしい。Apple Watchが教えてくれた。この騒音にずっと晒されていると耳がおかしくなるそうだ。
あんときは大変だった。泣く以外のことがマジでできなくて、息継ぎに失敗してそれでも泣くのがやめらんなくて、酸欠だか過呼吸だかで目眩起こして棚に寄りかかって、このままじゃ火葬の予約に遅刻するってのにそれでも泣くのがやめらんなくて。
いやまじつらすぎんだけど、ペット飼いみんなどうしてんのこれ?いったいどうやって凌いでんだよこれを。
でもじゃあ例えば、このお薬で綺麗さっぱり悲しみつらさが全部消えますよとか言われてもそんなの飲みたくないんだ。だって絶対他にもなんか消える薬じゃんそれ。
あのきれいな毛並みも匂いも消えて、食卓にメシたかりに来る時の真剣な眼差しも寝息も寝言も消えて、エサの準備とかうんこの始末とかも消えて、今これ以上何か無くしても絶対いいことないじゃんこれ。
あいつをナデナデして一緒に昼寝でもすれば、すぐ治るのに。こんなの。
小動物を飼ってた。
まあ寿命通りだった。
今まで命の大切さってなんだよとか思ってたけど、その子は自分より親より友達より大事だった。1年半ペットロスに苦しんで涙が止まらなくて不眠症が悪化した。
先日、通りがかった露店?で死んだ動物の気持ちを占いますっていうのを見つけた。あの子はすごい苦しんで死んで、私は徹夜で看病してたからもう楽にしてくれって言った瞬間に死んで、絶対恨んでると思ったから占い師の人にあの子は私を恨んでますかって聞いた。
答えは恨んではないけど貴方のことは普通に嫌い。今は上の仲間と仲良くやってるだった。
嫌いだって。
もうさ、どうすればいいのかわかんなくなっちゃった。あの子の穴が埋まらなくてめちゃくちゃ動物飼って家が動物園。みんな懐いてくれてるのにあの子じゃないとダメなの。でも嫌いだって。どこがダメなのかな、ダメなとこ直すから嫌いなんて言わないでよ。どうすればいいのわかんないよ。
私があげたものはなんでも大切に遊んでくれてなんでも美味しく食べてくれた。写真写りがめちゃくちゃ良くて、人嫌いでめちゃくちゃ噛まれた。でも好きだった。大好きだった。はじめて他の存在を信頼した。なのにあの子すら信用出来なくなったら誰を信じればいいの。
他の動物と仲良くしてるなんてさ、ペットショップからお迎えした私が悪者じゃん。
後追い自殺を考えてたけど死ぬ理由がなくなった。生きる理由も無くなったから消えたい。
最近あの子が夢に出てくるんだ。別に何を言うわけでもないんだけど。それも占い師さんに聞いたら「昔みたいな本当の自分に戻って欲しいからですよ」って言われた。本当の自分ってなんだよ。私はお前に出会ってお前を好きになったから今自殺未遂もしないようになって明るくなって周りに愛されて生きてるんだよ。お前に出会う前みたいなクソ隠キャに戻りたくなんかねえよ。私はお前のために生きてたんだよ。
今も涙が止まらない。めちゃくちゃ吐いてる。私とあの子の2年ってなんだったの。無駄だったなら死にたいんだけど死後の世界にあの子がいるなら死ねない。消えたい。生まれなければよかった。