はてなキーワード: セクハラとは
女性の場合は素直に「分かる!やたら韓国のエロ漫画?の広告出るんだけど!」「BLの広告よく出るけど腐女子じゃないからやめてほしい!」
出ねえよバカバカしい。
ただで見てるくせにどこまで傲慢なんだろう。
どこまで幼稚なんだろう。
Z世代って老害のことを頭が固くて時代の変化についていけないくせに既得権益を手放そうとしない害悪世代とバカにしてたよな
だが最近Z世代もSNSでのいいね欲しさに暴走する迷惑世代ということがバレてきた
要するに対等にコミュニケーション取れって話だよね
若い世代、接客業などコミュニケーションが重視される仕事の人には少ないと思っている。
なお「俺は理論的だからアドバイスするんだ」っていうのは明確に間違いだと思っている。
ヒトは社会性を持って生活する動物であり、コミュニケーションは群れの中で重要視すべき行為である。
またコミュニケーションはある程度学習と経験で鍛えることができる。
「理論的な会話をするからアドバイスしかできない」というのはヒトはコミュニケーションを必要とする、という理論を無視した行為であり、まるで理にかなっていない。
あるいは「コミュニケーションなんていらない!」と意固地になった感情的な態度の場合すらある。
と思う。毛づくろいはするべき。
セクハラ発言は毛づくろいとして不適当なので今すぐにやめるべき。
何も言えなくなるって?では何も言わないのがよろしい。ご愁傷様です。
クソバイスについては、アドバイスがクソというわけではなく会話の流れぶった切って自分の話をしだすのがクソってことだと思う。コミュニケーションのステップが足りない。
「大根買いすぎちゃった」
この時点では人参を買いすぎた情報しか分からず、処理済みなのかこれから処理するのかわからない。ただ、「〜してしまった」という文末から、ネガティブ要素は汲み取れる。
したがって、コミュニケーションとしては
・「ふーん」「それでどうしたの?」と相槌をうつことで会話の続きを促しつつ待機する
・「大変だったね」「あるある」などと労ったり励ましたりしてネガティブ感を中和する
あたりが流れとして自然。
ここで突然「大根は冷凍できるよ!」とアドバイスした場合、相手がアドバイスを求めているときのみ成立した返答となる。
仲が良ければ省略できるコミュニケーションではあるが、難易度は多少高いと思ってよいだろう。
もう全部大根おろしにしたあとだったり、すでに冷凍済みだったりした場合にはコミュニケーション不成立である。
そういう場合は相槌を打ったり労ったり励ましたりして「自分の場合はこうしたよ」「そういうときはこうすると良いって学んだよ」というニュアンスでアドバイスをすると、コミュニケーションとして成立する。
ただし「なんで○○しないの?」「○○は○○すれば一発なのに…」みたいな不快広告っぽい上から目線アドバイスはやはりコミュニケーション不成立なので気をつけるべし。
「聞いただけじゃん?」「事実を指摘しただけにゃん?」と思うかもしれないが、そこは言い方次第。
病院の診察など、文脈からは分からなくてもシチュエーション次第で明確にアドバイスがほしいと伝わる場合は急にアドバイスしても会話が成立するが、アドバイス単体ではコミュニケーション不全であるパターンもある。
ゴールが「風邪薬飲んでください」だとして、風邪かどうかを判断するためには診察が必要である。
くしゃみというキーワードに反応してノールックで風邪薬の処方箋を書いてはいけない。
炎症があるか、異物が刺さってないか、アレルギーはないか、確認するステップがあって初めてゴールにたどり着く。
うちのかかりつけ医はノールックで処方箋書くよというパターンもあるかもしれないが、それはおそらく「過去の診断」というコミュニケーションの蓄積があって都度のコミュニケーションを省略できるからだ。
あるいは藪医者かもしれない。
言いたいことは、本当にアドバイスが必要な場合でもアドバイス単体でコミュニケーションを成立させることは難しいということだ。
「ゲイに迫られたことがトラウマでゲイが嫌いだ!」って言う人をよく見かけるけど、それが普段女性が味わっている男から性的消費される苦しみ(の一部)だよって思う。
ノンケの男に迫られる女性とゲイに迫られるノンケの男って、ゲイよりもノンケの方が多いのを考えると、後者なんかよりも前者の方がずっと多いはず。それなのに「男全員嫌い!」なんて女は一部の過激ツイフェミくらいでほとんどの女性は男から何度もセクハラや性的被害に遭っても男全員を憎むことはなく加害者を恨むだけだ。それなのに男は数回程度ゲイに迫られただけで大袈裟に被害者ムーブして「ゲイ全員嫌い!」と差別しだす。そしてそれを差別だ咎める男もいない。男嫌いのツイフェミは叩きまくるくせに。
いくら差別しようと被害者扱いしてもらえる男様が羨ましいわ。女性は男からの性的視線やセクハラを避けては生きていけないからこそそんな繊細じゃいられないんだよ。
例えばネットのエロ広告がうざいという話題だとすると、女性の場合は素直に「分かる!やたら韓国のエロ漫画?の広告出るんだけど!」「BLの広告よく出るけど腐女子じゃないからやめてほしい!」とウザい広告について一緒に盛り上がってくれるんだけど、一方男の場合は「いつもそういうサイト見てるからそういう広告が出るんじゃねーの?笑 何、○○ちゃん普段エロ動画とか見てんの?」「え?広告ブロックアプリ使ってないの? AppStoreで○○で検索したら出てくるけど〜(以下長ったらしいご高説)」ってセクハラか知識のひけらかししかしてこないの何なの?
その知識とやらも大したものじゃないことが多いし、そりゃこのありさまなら男同士で会話してても楽しいわけないし女性と金を払ってまで話したがるわなって感じ。
ぶっちゃけて言うとヤバい奴の恐怖は女相手でもそんな差がないと思う
鈍器刃物持ってる女なんて普通に勝てないのは同じだし本気で襲われたら死ぬ
ただ女のことは、そんな犯罪行為してきたり襲ってきたりする奴なんてごく一部でしかないし、暴力を本気で傷つけるつもりでふるってこないし、ほとんどの女はいい奴で親切で危害を加えてこないし助けてくれる、という無意識の信頼がある
男は、油断すると痴漢セクハラ性犯罪ギリギリ犯罪にならないレベルの性的嫌がらせをしてくる奴があまりに大量にいて、悪い人じゃなさそうと思ってちょっと優しくすると付きまとわれて、デリヘルの女の盗撮映像を売り買いしてるナンパ集団を繁華街で見かけて、犯罪者情報もあがってて、全く信用できないのは経験則で生まれる警戒心じゃないかと思う
初対面の男は女相手だと距離感バグってストーカー予備軍になるやつのほうが多い
長年の付き合いがあってお互い腹を割って話せてて相手の女関係についてもよく知ってて、マジで信頼できるってわかった男だけが女と同じ「危害を絶対加えてこない信頼安心できる奴」カテゴリに行く感じ
男性といえば父親くらいしか接点がなかったんだけど、女は感情的とか、バカだとか、何もできないとか、意地悪とか、お喋りでうるさいとか、男は論理的とか、乱暴とか、泣かないとか、戦うのが好きとか、性欲強くてセックスのことばかり考えてるとか、バカな奴が多いとか、女をやり捨てするとか、いろいろな偏見を耳にしてたし男にいい印象なかったんだけど、趣味で男友達ができまくって友達ほとんど男、親友は男、遊ぶ時も飲みに行くときも男ばっか、になって分かった
私のほうが大体の男より賢くて論理的で有能だし、大体の男より感情薄いし、大体の男より泣かないし、大体の男よりクールで一人でも平気で強気で行動的でかまちょでも寂しがりでもなくて独立心と野心が旺盛で共感性低くて依存心が薄くて社会性低くて努力家でプライド高くてあんまり喋んないわ
男たち、けっこう泣き虫多いし、なんかみんなかまちょで寂しがりやだし、私なんかよりずっと、おしゃべりで、依存心強くて、寂しいとかもっと遊びたいってすぐ言ってくるし、良い子だし、あんま可愛くないこっちの性格でも話を聞いて理解してくれて味方になってくれるし、ほめてくれるし、共感性高くてこちらの気持ちを私以上に察してくれるし、人間関係に気を使っていろいろできるし、女にがち惚れしてやり捨てどころか恋しまくりだし、弱音吐きまくりだし、素直だし、かわいいし、話せば理解してくれるし、ちゃんと社会性あって気遣いもできて信頼もできて優しいし、性欲に取りつかれてて、普通に賢いし、めちゃくちゃ面白くて、セクハラとか女性差別は気持ち悪いってちゃんと守ってくれるし、良い奴らだわ
これもそうだけど、自衛隊のセクハラ被害者を中傷してるのとかもマジで酷い
こいつの信者も含めて女性やマイノリティーを叩ければどれだけ非論理的、非倫理的でも気にしないし、ネットの悪いところをひたすら見せつけられてる気分
人生で何も誇ることのない爺さんでも支配者になることができる。どんなクソな話をしても殴りつけても子供は「ハイ!ありがとうございます!」「すみませんでした」ってみんなで頭を下げてくる
だから支配欲の強いアホなクソオスにとって、とても気持ちいいものらしい
男性は日本だと支配力によってランク付けされるけど、女性は支配力によるランク付けはされないので、アホなクソメスがババアの集会で旦那の地位自慢しながら不倫して自尊心ムキムキしてる間、アホなクソオスは子供相手にセクハラとパワハラで支配力を実感して、家族を養えるようにと下駄で得た金で愛人作りしてショボい自尊心をムキムキに満たしてる
統一教会が「性的搾取」「環境型セクハラ」とか言ってBL図書館を攻撃し、即撤退したせいで、フェミ腐女子が男オタを同じ文言で叩き始めたのと同じ。
統一教会は、「ホモを広め、ホモへの嫌悪を煽って、その反対者たちの支持を取り付ける。」というマッチポンプを、ずっと行ってきた。
統一教会が、本当に、ホモに反対してるかのように言ってる奴らこそ、統一教会の工作員だ。
騙された信者たちは、搾取され、ホモへの嫌悪を掻き立てるためという名目で、ホモをまき散らす工作員になる。
犯罪者がいないと、警察の仕事がなくなるように、彼らにとってホモは、自らの布教に必須の存在だから、ホモは撲滅されるどころか、益々増えるだけ。
連中が、ホモ豚腐女子やフェミを広めるのと、全く同じ熱意で、それを叩いていたら、世論の大半が、同性婚に賛成したり、こんな法案が通るどころか、あっという間に、ホモは撲滅されていただろうに。
実際、2008年のBL図書館の時も、たった三人の自称少数派フェミニストが参戦しただけ、協会を挙げての攻撃が、あっという間に雲散霧消した。
後に残ったのは、フェミは強い、ホモ腐女子には逆らえないという雰囲気だけ。
その後、7年も時を空けて、海女さん萌え絵騒動の時、フェミニストが、それ以来全く使われていなかった、「ゾーニング」「環境型セクハラ」という、統一教会と同じ言葉で、男オタを攻撃し始める。
同性婚、いいと思う。
シェアハウスで助け合いながら暮らすのもいいと思うし、人種差別なんてありえない。パワハラやセクハラも前世代へ置いていってくれと思っている。
概ね多様な価値観の中で生きていこうよ、アップデートしていきながらさ。と思っていて、自分はそこそこできている方だと思っているけれど、一つだけどうしてもアップデートできない感覚がある。
それは「インターネットで不特定多数の人間に向けて顔を晒すなんてありえない」だ。
FacebookでもTwitterでもInstagramでも、顔を出すなんてぞっとする。誰が見てるかもわからないし、晒されてどんな風に使われるかもわからないのに。
容姿はバカにされて育ってきた方だ。やっと下衆な輩からなにかいわれる学生時代を脱したのに、なにが悲しくてまた顔についてとやかく言われなくちゃいけない日々に戻らなくてはいけないのか。
……という感覚が、そろそろ「ありえない」側なのだ。わかっている。でもしんどい。
何周かまわって、職場がYouTubeのチャンネルを作ろうなどと言い出している。社員全員顔出しでやりたいそうだ。好きな仕事、人間関係も悪くなかったが、これをやらされるなら辞めたい。死にたい。インターネットに顔なんて晒したくない。だけどどこかではアップデートしないといけない感覚なんだよな。辛い。