はてなキーワード: アサーションとは
感情がない、何も感じない、それを出せない。
ヒントを一応文章という形で羅列します。しかし、ヒントの羅列と捉えてもらえるとありがたいです。
自分が必要だと思う部分を掻い摘んで読んでみてください。直訳したような文章になってしまいました、悪しからず。
●『好き・嫌いの嗜好すらそもそもない人』
次に、例えば、モノの好き嫌い。
それは何かを感じるからです。で、こいつはこうだから好き、こいつはこうだから嫌い。
自分の意見も出ます。この感受性を高めて下さい。そのためにはもっと「触れる」「知る」ことです。
で、ここで言いたいこと。その肝心の「感情」とは、「喜怒哀楽」。
何か物事が起こった時、それに対して「感じる」力が弱いのです。
自分の意見が言えない人は特に、「怒り」の感情が弱いと思います。
自己肯定感が低い、自己否定感が強い人は、何かあった時にそれを全て自分に帰属しやすいです。
それはあいつが悪いんだろ、って普通思う局面で、僕が●●だから悪いんだ。
これはいじめとか虐待とかされてた人、周りから否定されてきた人に強いと思います。
理不尽な否定に対して、認知的不協和が起こるために、自己否定感を持ってしまう。
これを止めるコツ。それはべき思考を消し、自分の感情を素直に受け止め、それを一旦出すこと。
怒っちゃいけない、怒りの感情がある時は、それを一旦出す(自分の内にはそれを認めること)。
たとえ、自分が一方的に悪いことでも、怒られればムカつくし、情けなくもなります。
それは逆ギレという形で出せ!というのではありませんが、怒りの感情を抱いたことは事実でそれは認めてあげることです。
その上で、冷静に考える。これをちゃんと出来て初めて、「感情のコントロール」が出来るようになるのです。
怒りを抑圧すれば、いずれ爆発します。感情を抑えれば爆発するか、何も感じなくなります。(失感情症=アレキシサイミア)
酒飲んで暴れる人間とかはこの典型です。
しかし、これも有効に活用出来ます。酒を飲んで吐き出したくなる感情が普段抑圧しがちな感情です。
・心揺さぶられる(擬似)体験をする・心揺さぶられるものに触れること。映画、音楽、TV、スポーツ。なんでもいいです。
自分が好き!!と言えるものを探して下さい。泣いて下さい。笑って下さい。笑いが出たらわざと大げさに笑い、涙が出たらもっと泣こうとして下さい。
・その時に出来れば、感情豊かな人の真似をして下さい。
「芸能人、DQN、幸せそうな人、失恋した人、外国人。それらの真似をすることで感情が出やすくなります。」
芸能人のようにわざとらしく泣き、笑い、DQNのように怒り狂い、ウエディングドレスを来た新婦(新郎)のように幸せに身を委ね、失恋した人のように悲しみにくれ、外国人のようにオーバーリアクションをしてみてください。感情は感情ありきでないというか、笑顔になるから楽しい、眉間にしわを寄せるからムカつく、と表情に牽引されて出るものでもあります。
※わざとDQNと書きました。
自分が嫌いなもの、苦手なもの、こうなりたくないというもの、をイメージして下さい。
それは、そうなれないもの、では無いですか?? それが自分のコンプレックスを刺激するものでは無いですか?ある意味羨望。
だとしたら、一旦それを真似して下さい。地面につばを吐いて、店員に悪態をついて、街を肩で風をきるように、歩いてみて下さい。
自分がなりたいイメージがある、変わりたい場合、あえて真逆を言ってバランスを取るのも手段の1つです。
アサーティブとは、自分も相手も台頭ということです。(詳しくは、「アサーション」等でググって下さい。)
自分が何者であるか、そのバックグラウンドがあまり関係ない場です。ネットとかもそうですよね。
●『恋愛をしてください』
…ここまで書けば、何をすればいいか分かりますね??
そう、『恋愛』をして下さい。
アサーティブな関係で、自分の絶対的な「好き・嫌い」、「喜怒哀楽」を出すことの許される関係です。
そして、自分を忘れ、恋に走り、歓び・傷ついて下さい。理性を忘れ、自分の思うがままに相手を求め、SEXして下さい。
『恋愛』…ああ、言いたいことはそういうことね。俺には無理だわ。クソ記事乙ww
こういう自己否定的、斜に構えて物事を見るのを止めて下さい。こういう人はYESマンになって下さい。
物事をそれをする前から、自分には向いてる/向いてない、意味がある/ない、出来る/出来ないで判断しないで下さい。
そんな「効率」や「要領」なら捨てて構わないです。それを誇って生きられるのは、ネットの世界だけですから。
コストパフォーマンス・仕事の効率化…熱量を失った人間ばかりです。それは死に物狂いで何かをして、何かを得た人間がやればいいことです。
あなたは、ネットで難しい言葉で相手を言いくるめ、論破し、罵倒し、勝ち誇った気持ちになれるかもしれません。
自己を肥大化させて万能感でもって、愉しく生きているのかもしれません。
だからこの記事の中にも、批判しやすいように「餌」を何個か用意しました。それを叩いてくれてもかまいません。
しかし、実態は「感情」を持った、人間なのです。感情を失ったら機械です。理性を失ったら動物です。
人間が素晴らしいのは、感情も思考能力(理性)も持っているからなのです。しかし、ベースは感情です。
感情があるから物事を考えることが出来るのです。感情、それは「あなた唯一無二のもの」です。
我思う故に我有り。思うのは、考えられるのは、感じることができるからなのです。
客観性・妥当性だけで生きていたら、平凡な人間にしかなれません。
その平凡さを否定するために、人を蹴落として自分の価値を高めるつまらない人間にしかなれません。
世界的に見て日本は一国家としては必ずしも低い評価を受けてはいないが、1人1人の「日本人」という立場で見るに日本人は折衝力が極めて低い民族とみられているのは確かだ。
それは今に始まったことではなくペリー来航の頃から少なくともそのようになっていた。これは長年にわたる遺伝子の取捨選択の結果とするならば、その原因は日本の風土にあると言わざるをえない。
日本人は人に何か強硬な主張をされたり何か痛い部分を批判されたりした場合に、じっと堪え忍ぶ民族と思われている。
それは日本の古き良き付和雷同の文化では個が強く主張するのは好ましくなくて、少しへちまなことを言えば村八分やGoogle八分にされてしまう。
日本の風土を考えるとこれはさも当然のことと言える。底辺校でもデキる奴はデキるように見えるのと同じく日本でも主張の激しい人はいる。それは海外諸国の大多数では平均なのだ。
それが世界から見ていかに奇異に映ろうとうちはうちよそはよそであり郷に入れば郷に従ーえであるからそれ自体は問題ないと言えるが、それに付随していささか厄介な問題が付随しているということを今申し上げているのである。
具体的に話すと日本は何か言われたときに言い返すと基本的にバカをみる国でありだからスルー力がことさらに言われるのであることは想像に難くないであろう。
しかしよくよくつぶさに観察してみれば本当にコミュ力のある人間はちゃんと言い返せる。このコミュニケーション様体をアサーションと呼ぶのが一般的だ。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃの言葉通り言いたいことを言えないのが人間にとって一番苦しい。その場で言い返せればいいが言い返せない時は裏で陰口をたたいたり
机の引き出しの奥にしまってある日記帳に怒りとともに激しく書き殴ったりするのが日本風である。それでも我慢を重ねているうちに無駄に耐性がついてしまうのが人間の設計の悪いところ。
人間は我慢というスキルを無駄に身につけてしまったがために、より良い適応のチャンスを失ってしまった。
つまるところ、その場で変に押し黙ったり変に意地悪な態度をとったり変にねじ曲げたりせずに素直に自己主張しなさいという話である。普通に接することのできる人間を人は最も信頼するのである。
だからホームステイなどした人の体験談に頻出するのが日本人はよくわからない人、それも単に変な人やシャイな人という意味ではなく、人として普通に接しにくい人とみられてしまう。
【話の流れとは関係ない(個人的な?)用件です。大元増田さん、すみませんm(_ _)m】
http://anond.hatelabo.jp/20130530164516を書かれた増田さん、
もし気が向いたら、で結構ですので、よろしかったらご参加ください。
http://space.hatena.ne.jp/~/14217943783081005465
今回のご発言を拝見し、「この増田さんといろいろ話してみたい」と感じたので
トラバさせていただきました。(話の流れと関係のないことですみません。)
わたし自身、増田が大好きで、増田は増田でいつもたのしませてもらっているのですが、
ひとつのご発言に注目して「このひとの話すことを、もっと聞いてみたい」と思ったとき、
次のご発言や過去の著作を知る術がない、それを残念に思うことがしばしばあります。
もちろん、そういう1回限りのサッパリした関係性こそが、増田の醍醐味であると思うのですが。
バカな話もマジメな話も硬軟織り交ぜ、
疑問に思うところは率直に突っ込んだり突っ込まれたり、
そうだねと心から思うことは素直に認めたり、
そういうコミュニケーション(アサーション?)ができたらいいな、
見解や議論(話題)もあるんじゃないかなあ、と思ったりしています。
(もちろん、増田こそがその格好の場なわけですが、矛盾したことをダメモトでちょっと欲張ってみてます。)
失礼いたしましたm(_ _)m
同意するところが多かった。
お互い、フェアに図々しくありたいな。ほんとに。アサーションしたい。
権利を主張することは図々しいことだ。しかし、それよりも更にずっと図々しいのは、「自制せよ、謙虚であれと他人に求め、権利の主張をさせない」ことだ。
もちろん、権利を主張していいんだったら、その主張を認めないということもあっていい。
しかし、主張の却下はあくまで、「主張をよく聞き、それが妥当か否か議論した上で」行われるべきだ。
同じ社会に生きる他人の主張を封じ込め、一切聞く耳を持たない。そんなのは対話の放棄であり、それこそ「社会人」として、最も恥ずべき態度ではないだろうか。
とか
今、私たちが享受している権利のほとんどは、図々しく生きたご先祖様のおかげである、とも言える。
だとしたら、「図々しさ」というものに少し位感謝してもいいかな、と私は思うわけで。
その人の主張に賛同するなら、この閉塞感を少しでも打破するためにも、ぜひ応援してあげてほしい。(社会運動は起こすには、最初のフォロワーが大事だと聞く)
については、わたしは同意できなかった。
個々人が「わたしはこのひとのいうことに賛同する!」と自由に発言するのと、その発言に「閉塞感の打破」「応援してあげる」といった変革への意志が伴うのとは、まったく別の話になると思う。
これについては、それこそ、「援護射撃してください」という「当事者からの図々しいお願い」の過程を、キッチリ踏むべきだと思う。
社会運動って、ある意味「利害関係や価値観の戦争」みたいな側面を持ってると思う。戦争するなら、当事者側には事前にある程度の覚悟と計算(勝算、メリット・戦果)が要るし、当事者にその意志がないまま周囲が勝手に社会運動化してしまうのは、「当事者に益なき高リスク」ともなりかねない。
当事者(少数者のメリット)を犠牲にしてでも、社会(多数者のメリット)を良くすべき(高めるべき)、と考えるひとも少なからずいると思う(自分がその「当事者」にならない限りは、ね)。その考えにも一理あると思う。
でも、わたしはそういうの、絶対、絶対、嫌だ。
http://anond.hatelabo.jp/20130325172822 の続き
言語はJava7を想定。(Java8が迫っていますが、Lambdaなど関数型は、まだ早いと言うことで)
選定理由は、C++と比較して学べるところが大きく、安全でシンプルな言語だから。
※いきなりJavascriptはやめとけ、PHPは論外。
Ruby・Scalaでないのは、筆者が初心者には適切には教えられないから。
おもちゃ・ToyとしてjQueryで遊ぶのは、悪くは無いと思う。
これ以降は名著の紹介や学習方法の紹介が主体となります。名著のコンポジションという形が時間的限界ですね。
量については「初級になるなら、専門書を計3,000ページは修得することは覚悟してね」なんて言ったりしています。
Javaで初級のわかりやすい指標ですと、[amazon:Effective Java]とGoFまでの修得。
初級になるまでに登竜門への挑戦期間を含めて、3~4年はかかっても仕方が無いとも思います。
※逆に「一山いくらのコーダー」というのは、Effctive JavaやGoFが達成している技術も知らずに「自分がJavaプログラマー」だと誤解してしまっているような人達です。
そういったコーダーは何年経とうとも初級プログラマーにすら敵いません。
初級を目指して、プログラミングを楽しんでください。
ただ、学ぶべきことはべらぼうですが、「各分野毎に、エレガントな方法がある。だから探して修得する」ということが大切です。
※「一を聞いて十を知る」ような優秀な人に、50冊くらいドーンと本を置いてあげて、各本の目次を読ませるだけで、
底の見え無さを悟ってくれたりすると、嬉しくなってしまいます。
※余談ですが、その底の見え無さは数学という学問そのものですね。例えば、関数型言語の底流に「圏論」というここ100年の最新の数学があります。
また中級くらいで、Liskovの置換原則などが載っている本を紹介しますが、
そのLiskovの置換原則の周辺で出てくるcovariant(共変)って、圏論という数学の概念だったりします。
数学畑出身としては、数学が現実に活かされている嬉しい事例です。
「速く正確に大量の出力」という能力は、プログラミングをする上でも、ドキュメントを書く上でも、何より「つまらん仕事」の時間圧縮ができるようになるため、重要です。
スローガンとしては「思考のスピードで出力することを目指そう」です。
紹介するエディターはemacsやvimやExcelです。ついでにIMEとしてATOKを使用しているため、ATOKの操作をEmacsライクにする話も紹介します。
ExcelはWindows環境でMeadowすら入れさせてくれない場合の最後の砦という扱いです。
コマンドラインは、「コマンドラインというものがある」「時として非常に強力である」程度の紹介です。
※筆者はzshは全然使えません。使いこなしている方々と接する度に「勉強しなきゃな~、でも、あっちの方を先にやりたい・・・」とグズグズして、はや何年・・・
正規表現は置換を用いて、テキストの一括編集が重要です。後、遭遇したくない事態ですが、スパゲッティコードの解析をする上での最後の砦です。
※遭遇したくない例
ん?何か変なところで副作用のある処理があるようだなぁ(消沈)、SQLのInsertかUpdateか一応Mergeも使っているところから逆算して原因箇所を探すか・・・(諦念)
この糞コードがっ!!こんなところに書くんじゃねぇ!!(憤怒激高)
(ここで、他にやらかしていそうな似たようなコードを正規表現でgrep検索。改行コード込みにすれば複数文検索も可能)
わはは、予想通り共通化すべきロジックのメソッドがそこら中にある・・・
入門編で一つLinkedListというアルゴリズムを学びました。
少なくとも一つ本を読みながら自力でアルゴリズムを学べる人なら、大成できる可能性があります。
前に紹介した[amazon:C++実践プログラミング]には、LikedListやStackなど基本的なアルゴリズムが載っておりますが、
これに加えて、初級になるためにはこれくらいは知っておいて欲しいというものを紹介します。
※後、最初から必ずしも手を出さなくても良い上限も紹介いたします。
プログラムは、データを入力して、加工して出力・保存する処理の繰り返しです。
つまり、各一連の繰り返し毎に、「正しい入力」「正しい出力」を定式化する必要があります。
それを人間の手では無くコンピューターにやらせられるように、つまり自動テストできるようにテストをプログラミングします。
そこで処理の進捗を確認するためにロギングし、処理が想定通りであるかをアサーションでチェックし、
不正な入力・不正な出力=例外が起きたら、対処策をプログラミングします。
(ex 途中で処理を中断して、入力者に適切な入力のメッセージを伝えてあげる。入力の自動補正などもあり得る)
で、ここら辺をまとめてどうあるべきかとして「契約プログラミング」があります。
※余談。定式化・テストに際して、数学畑の人間としては、Javaだとequalsのオーバーライドでも必要になるし、同値関係・同値分割だけでなく、集合論・群論から学んで欲しい・・・(ここいらは数学科の学部1~2年の学習内容)
名著は英語で読みましょう。名著が名著たる由縁は、度々引用されることにあります。
つまり最新の技術書を読むときに、引用された名著のフレーズが、新旧のリンクをなし、理解の助けになります。
壁打ちといって、独り言で思考補助をするよりも遙かに有益です。
※素晴らしい師匠を探すなら、大学行くのが一番ですが、見聞を広げていく中で出会いを待つしかないとも思います。
マルチスレッドが難しいのは「バグを起こしにくいプログラミング」を求められるから。
つまりTry and Errorからの決別が求められ、今後の仕様変更・拡張も踏まえて慎重に慎重にデザインする必要があります。
できる限りステータス変数を持たずに安全に、でもマルチスレッドにするのだから、効率を追求しなければ本末転倒。
でも効率のためにはメモ化に代表されるキャッシングは必須と、アンビバレンツな要素のバランス取りが難しい。
このために、リエントラントな実装・抽象と実装の分離など様々なエッセンスを駆使することが必要です。
というよりも孔子曰く、知っているよりも好きであること。好きであることよりも楽しめることのほうが強く、
気づいたら日々時間が許す限りプログラミングをしてしまうのが理想です。
※仕事として嫌々スキルを磨かなきゃということが、これほど不幸な職業も無いですね。
学習の達成度を測るには、簡単すぎる不適切な問題ですね。
写経は数学の証明問題を、教科書のテンプレ通りに、数値や名称だけ変えて記述することしか出来ない人の発想。
つまり「矛盾無く一貫した論理モデル」の構築が自由に出来ず、テンプレの微修正しか出来ない人の発想。
また、外部の「矛盾無く一貫した論理モデル」の吸収が不自由で、アルゴリズムを「手順」としてしか捉えられないように見受けられる。
「連続」であること確かめるための「ε-Δ論法」(数学科の学部1年の学習内容)
事前知識無く、このモデルを理解できる人は、十分に「矛盾無く一貫した論理モデル」を構築できる人。
1. そうなって欲しいこと・願望・コンセプトを得る。得ようと思っても得られない。ここは偶然起こること。
2. 何をするか・What・思い付きを挙げる。ブレインストーミング。
3. どうやるか・How・方法を考える。「できそう」という段階まで。
4. 必要なもの・使える技術・前例を集める。他人を説得できるようになる。
5. 機能・クラスといった実装上の分割、役割分担など行動に移すための細分化と割り当てを行なう。
7. やること別に「そのためにやらなければならないこと」を実行順通りに書き下す。擬似言語(擬似コード)
8. 擬似言語→設計→擬似言語にフィードバック、設計と擬似言語→実装
擬似コードを書くならアサーションも一緒に書く。不要な用語や用語の重複があるとうまくアサーションを書けない(かみ合わない)。用語の最適化は変数やコードの最適化でもある。
事前条件→事後条件をアサーションで表明、事後条件→他の事前条件へ連鎖。契約によるプログラミング(契約プログラミング)
擬似言語でのアサーションはそのままプログラムコードでもアサーションになるか、テストコードになるか、メソッド|関数|手続きのパラメーター・戻り値コメントになる。アサーションは「実行可能なコメント」(Executable Comments)とも呼ばれている。
RIGHT:[[:t/Prog]]
----
http://anond.hatelabo.jp/20101023073241
今の心境はまぁ吐き出して楽にはなったよ。
でもかわらないのもわかっている。
ただ…疲れたんだよ。
一生眠っていたい。
死ぬ前はSOSを出さないのは間違っていて、こうやって出してしまうんだし
たぶん会社の中間管理職の人たちの自殺ってこんな感じなんだと思う。
上司の期待にこたえれなくて、下の人たちの心配だってしちゃう。
生徒らしくない学生生活と言われたらそれまでだけど
でも、学生らしく全部先生に投げれなかったのは何でだろうって考えちゃうよ。
できれば苦労しないかもしれないね。
訓練校のトイレで吐いちゃうし、免疫が落ちてるからか風邪なおらんし。
でも相談する相手もいなくてこうやって吐くしかないんだ。
心の中で、自分を責めてくる相手を勝手に想像して、その相手に対して心の中で攻撃的に口論すること。
具体的な例:
仕事で些細なミスをしたとする。そのミス自体はどうってことはないのに、過去に手痛いミスで上司に強く叱責されたことがフラッシュバックする。そして、その小さなミスに対して、心の中で上司が強く叱責しだす。
もちろん小さいミスなので、自分は「こんなミスでどのような弊害が発生するんですか?あなたはこの程度のミスも犯さないんですか?」などと、(心の中で)攻撃的に反論して、さらに(心の中の)上司がさらに強い叱責をしだす……
このような「シャドーボクシング」が癖になっていると、精神状態が良い時でさえ不自然に不愉快になったりする。精神状態が悪い時にこの「シャドーボクシング」をやると、さらに精神的においこまれ、ネガティブ・スパイラルに入り、ひどい状態に陥る。
おそらく、幼少時期であろう。親に強く叱責された際、自分は言いたいことがあるのにうまく言えなくて、自分の中に抱え込んでしまった経験が一種のトラウマとなる。そのため、ちょっと叱責された場合でも“面従”はするが、心の中で「シャドーボクシング」をやって親をやり込めて、気を紛らわせようとする。
まさに“腹背”。
おそらく2つの原因がある:
(前略)
例えばこういう場面を考えてみましょう。
「あなたが急いで外出しようと身支度をしているときに、友人から電話がかかってきたとします。その友人はいきなり別な友人のことでグチを言い始めました。あなたは時間に遅れないために早く出かけたいと思っています。」
こんな時、内心は早く終わってほしいなと思ってイライラしながらも「あ、そう、ふーん。でも、それは考え過ぎじゃないかな…。ウン…」などと、自分が出かけることは後回しにして、話を聞いてあげてしまう人がいます。こうした自己表現のことを非主張的(ノン・アサーティブ)な自己表現といいます。
(…)
また逆に、相手の話を聞こうともせずに「ちょっと待てよ。おれは忙しいんだからそんな話を聞いている暇なんかないんだよ。」と一方的に電話を切ってしまう人もいるかもしれません。こうした自己表現のことを攻撃的(アグレッシブ)な自己表現といいます。
(…)
では、アサーティブな表現だとどうなるでしょうか。たとえば、「ごめんね。今ちょうど出かけようと思って支度をしているところだから、聞いてあげたいけど無理なんだ。また、今晩にでも電話してくれないかな。」と言ってみましょう。この例のように、今は聞けないという自分の気持ちをきちんと伝えながら、しかも相手にも配慮しているような表現をアサーティブな自己表現と言います
なお、アサーションというと「ノー」がきちんと言えることがよく強調されますが、「できない」「困った」「つらい」「助けてほしい」などが言えることや、相手のいい点をほめることなども含まれますので、アサーションはかなり広い範囲を含むものだと思ってください。
(後略)
全文読みたい人はわっふるわっふr