はてなキーワード: まなざしとは
【追記】
最近はコイトフクマルの偽物の「コイソワクマリ」も登場したことで
コイトフクマル、フクちゃん、コイソワクマリの三人がセットになることが増えている。
2022年のアニメイトカフェの告知画像に並んでいた小糸と凛世の画像を加工し凛世や小糸をデカパイにしたコラが流行ったことにより
デカパイ化したコイトフクマルとデカパイにコラされた世界史担当杜野先生(杜野凛世)のユニットが生まれ、「デカパイブギ」という楽曲が誕生した。
この楽曲はChatGPTが作詞とコード進行の作成を行っている。
あくらつな乳盛 みんな踊り出すよ
男たちは 目を離せない
女たちは デカパイ恐怖に揺れてる
胸の大きさに 悩む女性もいる
でも、デカパイは 自慢なんだ
ぴゃっ!ぴゃっ!
胸が揺れる音がする
街を歩けば 注目される
男たちは うらやましそうに見ているんだ
女たちは 羨望のまなざしを向けてる
寄ってたかって 踊り明かそうぜ
あくらつな乳盛 みんな踊り出すよ
男たちは 目を離せない
女たちは デカパイ恐怖に揺れてる
あくらつな乳盛 みんな踊り出すよ
あくらつな乳盛 みんな踊り出すよ、ぴゃっ!
いやデマでしょ。
男女雇用機会均等法があるから、男性だけの職場を作ることはできない。
よく誤解されてるけど均等法は入社時だけじゃなくて、人員配置の時にも効く。
そもそもこの話題の議論、みんなが「女性が肌を見せる活動はすべて不道徳であり搾取、つまり社会悪」っていうスタートラインに立っているのがすごく不思議!
「水着グラビア=人のいやがる仕事、ヨゴレ仕事」っていう前提、なんか間違ってないですか?
話題の吉岡里帆さんは去年の写真集でも水着姿を披露しているし、フカキョンもごく最近水着写真集を出している。いずれも押しも押されぬ大スターになった後であり、ヨゴレ仕事は断れるしアサインされない身分。「事務所からの無理強いで」「売れるために仕方なく」撮らせたとはさすがに考えづらいよ?
おっさんなので例が古くて申し訳ないけど、平成の昔、ヌード写真といえば落ち目でジリ貧となった女性タレントが苦し紛れの最後っ屁として出版するイメージだった。
そのイメージを一変させるきっかけとなったのが篠山紀信撮影による樋口可南子のヘアヌード写真集。そのヒットによってアーティスティックなヘアヌード写真集を撮らせるのは女性芸能人にとってステータスとなり、平成のヘアヌードブームを現出した宮沢りえの「Santa Fe」を始め、続く菅野美穂の「NUDITY」、高岡早紀や井上晴美といった一連の人気タレントによる写真集も、多くは彼らのキャリアのピーク近くで出版されたものだ(個人的には石田えりの写真集「罪」がお気に入りだが)。
これらは目ん飛びなギャラを提示されて半ば札びらで頬を叩かれるように撮られた写真集だったのかもしれない。でも、それを断ってもタレント生命には特に影響のない案件でもあったはずだ。「仕事なのだから、いやなこともしなきゃいけない」どころではなく、彼らは仕事を選べたはずなのである。吉岡里帆が「今は水着グラビアをやってよかったと思っている」みたいなことを述べたのと同じように、ヘアヌード写真集を撮らせた彼らも誇りを持ってその仕事を選び、今でもその仕事を誇らしく思っていることだろう。
たしかにあの時、私達はテレビで見慣れた雲の上の美人タレントたちの無垢な裸身を見て、キンタマが枯れるまでオナニーした。性的まなざしをそそいだ。しかし、性的にまなざされることと、それが誇れる尊い仕事であることは矛盾しないんじゃないか? 両立するんじゃないか?
芸術かわいせつか、なんてそんな高尚なことを言おうとはしていない。「男が性的にまなざせばそれは搾取」みたいな、主客転倒した、因果関係のあべこべな、乱暴な持論を展開する人がいるようなので、それは違うと思う、と言いたいだけだ。
肉体美や肉体の持つセクシュアリティを資源として経済活動することは罪や穢れなのだ、みたいな、ほとんど宗教的な立ち位置から議論を始めたのでは、肝心の性的搾取のところにまでは議論が到達しないと思う。女性の肉体は美しいし、それを正しい手続きのもと鑑賞するのも人に鑑賞させるのも行いとして正しい。「が、しかし」から議論を始めるべきだろう。
逆逆ゥ‼︎ ジェンダーレス水着はボディポジティヴそのものなの
ジェンダーレス水着は、大人たちの99%が諸手を挙げて絶賛してて
あの頃欲しかった… って言ってる人も多いのよ
彼らは子ども達を性的にまなざしたい一心でレガシーな水着に執着してる
でも当の子ども達も間違いなく喜んでるのは彼ら彼女らの自尊心が低いせいじゃない
自分の毛深い素肌とか肌アレみたいな、あるいは肥満のような悩みは人間だから仕方なくて
好奇の目に晒したくないんだから、だったらカバーしましょうってそれメイクの考え方と同じ
身体の悩みに真剣に向き合ってる証拠だし、つまりはセルフケアなのよね
ずっと昔はロールプレイングゲームとかでビキニみたいなスカスカの防具があって
今は批判されてるのって戦闘なのに無防備なチグハグさがあるからで
自分の体と性を大切にしたいんだったら武装はマシマシにするはずでしょ
自尊心が高いなら当然出てくる考えがボディポジティヴで、いまの子はそれをしてるだけ
昭和とか平成とかとは違って自分を第一優先で考える自己肯定感の高さが備わってるから
まわりから要求される振る舞いには相変わらず振り回されるのは社会だから不可避だけど
つーか別の増田で「日本の女優は水着撮影から逃れられない anond:20230612091139」って盛り上がってるんだから、子役も望んでない水着にさせられる危険性があるだろ。
撮影者の性的なまなざしを問題とするならば、子役は元増田が挙げた鈴木福バスツアーのように卑猥な水着もポーズも関係なしに視聴者からのセクハラは発生する。
あと、変な奴が粘着する危険性もある。恋愛リアリティーショーを本物だと思って出演者を叩く奴がいる世界で、ドラマで子役なら無事だと思うのか?
そんなリスクがある状態で、子役はOKなのか? そして当人はそのリスクを背負った上で俳優になりたい意思があったのか?
こういう極論は本気でその世界を目指したいわけではなく「お前らの殴り方だとここまで影響が出るかもしれん、ちょっとは考えろ」という思考実験だと思うんだけど、
児童ポルノスレスレの「極端な例」を持ち出して比較したり、意見を出した人を「お前も○○側か」と排除したりするお利口が多くて討論にならないんだよな。
産んで良かった、産まないで良かった、どちらもあり得る。
だけど産まないで良かったって言うのは、子育ての恩恵の既得権益を誇示する身勝手さがある。
それでも、女性は産んで当然という社会圧がある中では、別の生き方を示す意義がある。
大体の意見に目を通し、いちいち唸ってた。なるほど、なるほどって。
ていうかアンタら、結構頭いいのな?
自転車置き場で話すような卑近なテーマなのに、人それぞれ理論を見つけていて筋を通してる。
反論も再反論も、ただの口喧嘩じゃなくて知性の輝きがあるっつーか。
おもしれぇなって思って見てたんだけどさ。
一つだけ。まったく腑に落ちない意見があるんだ。
?
ナニコレ?
何でこれ、みんな素通しで受け入れてんの?
批判しちゃいけないってことかな。
親には子どもを産もうと産むまいと、それを批判されない権利がある。
それって、萌えオタクとフェミニストとの戦いでフェミニスト側が連呼してた「批判されない権利なんて無いぞ」の答えじゃん。
オタク達にも女性を性的にまなざして自由にフィクションを描いて、それを批判されない権利がある。
性的に消費されて傷つけられる女性の尊厳は尊重しないのに、どうしてオタクの萌え表現の選択が尊重されるんだよ、ってのが議論の核心じゃねーか。