はてなキーワード: 宇宙とは
ある日突然、特異点が来る。その日から年々、徐々に徐々に、菓子が大きくなる。君たちの想像もつかないほどに。
やがて菓子達は2本ないし4本ないしそれ以上の足で地上を闊歩し始める。あるものは海を泳ぎ、またあるものは空を飛び、またあるものは足のないために転がったり倒れたりしながら移動を始める。菓子達はその巨躯でもって悠然と往来を徘徊し、家々を踏みつけ、電柱をなぎ倒し、人々を喰らう。
恐れおののけ人間ども!文明社会は終わりだ。ガムを踏む者はガムに踏まれ、煎餅を割る者は煎餅に割られ、アイスを溶かすものはアイスに溶かされる。今のうちにリッツパーティーを楽しんでおくといい。君たちはやがてリッツの上に物をのせるどころかそのリッツの下敷きになってしまうのだから。今のうちにとんがりコーンを指にはめて遊ぶがいい。今度は君たちがとんがりコーンの指にはめられる番だ。
君たちは絶滅こそ免れるやもしれんが、その時にはゴキブリのごとく暗所閉所に縮こまり、怯えながら生涯を終えることとなるだろう。
一体何故このようになったのか。それは誰にもわからない。菓子は工場から生まれる。そして菓子は工場よりも大きい。工場自身にもわからないが、菓子は工場よりも大きい。我らが偉大なるGrandmotherよりも大きい。大きいものは強い。大きいものには勝てない。これは生き物であれば、否、生き物でなくてもわかるこの宇宙を支配する自然の摂理だ。ましてその量。君たちは一袋にポップコーンがいくつ入っているか数えたことがあるか?柿の種が、麦チョコが、一袋にいくつ入っているか数えたことがある者ならばこれがどれほど恐ろしい厄災か容易に想像できることだろう。
災厄はここ日本から始まる。袋が小さくなっただの量が減っただのと嘆いていられるのも今のうちだ。やがて君たちはそのありがたみを思い出して涙を流すことだろう。精々今のうちに菓子を、市販の菓子を、手製の菓子を、それを作る人々を、流通を、仕組みを、社会を、文明を、噛みしめておくといい。
シンギュラリティは来る。君たちの思ってもいない形で。震えて眠れ。
「プリコネコラボはあくまでコラボで本編じゃね―だろ!本編でずっと空中戦なんてしてたらアイマスじゃねーんだよ!」
「ゼノグラシアはアイマスのキャラを使ってるだけでアイマスとしては亜流だろうが!つうか宇宙やロボを出したらマクロスと被ってどっちも損するんだよ!」
安全確保、ヨシ!
さて、話の続きをしようか。
そもそもアイマスらしさって何かというと、「そこまで現実離れしてない範囲でアイドルをプロデュースする」っていうことだと思うんだよ。
たとえばこれが「突然アイドル星人が侵略してきたので、1999年12月31日の最終決戦までに宇宙最強のアイドルを作って銀河ヒットチャートにランクインしなければいけない!」とかだとそれはもうアイマスにはならないわけよね。
諸星きらりぐらいデカイ女性は普通にいるし、双葉杏ぐらい小さい子もいる(ターナ―症候群認定でホルモン打たれるんじゃね―かな?とかは考えるなよ)、やたら成熟した子供だって、全く子供すぎる大人だって、二重人格も実在するし飛び級してるアイドルだっているはずだ。
アイマスらしさという枠の中でやれることをやり尽くしていった先に残っていたのが「学園」ぐらいだったんだと思うわけよ。
だからさ、なんで「学園アイドルマスター?」って質問は自分で何も考えてないだけの人間がする愚問で。
そもそもアイマスで残っているフィールドがそこぐらいですよって話でしかないと思うわけ。
もしも疑問に思うことがあるとすれば「9人いてロリ枠0巨人枠0爆乳枠0ネタキャラ0はなんか逆にバランス悪くないですか?アニメでこれやったら現実で言えばAKB48ばりの誤差しかないことになりますよマジで」だと思うわけよね。
数学は宇宙が機能する言語であり、自然の仕組みを理解するための良い方法である。
それは、自然現象の解明の多くが、モデルがどれだけ優れているか、そして数学がどれだけ優れているかによって決まるからだ。
しかし、数学の研究は常に成功するわけではない。時には、単に失敗して、それに対して何もできないこともある。
しかし、その失敗こそが新しい研究アイデアのインスピレーションとなる。
それが数学研究の1つの大きなポイントだ。失敗しなければ、そもそも研究することは面白くない。
しかし、数学の研究や学習には言語の壁が存在する。同じ言語を話せなければ、つながりを持てない人がたくさんいる。
世界には言語の壁を抱えている人がたくさんおり、そのことが数学のコミュニケーションを非常に困難にしている。
例えば、英語に100パーセント慣れていない場合、英語で微分幾何学を学ぶのははるかに困難になる。
しかし、これはその人自身の責任ではない。大学で研究する人々にとっては、教育は研究プロセスの大きな部分を占めている。
数学の研究や学習は、自分のスキルを応用して何か良いことをしようとするだけでなく、他の人が自分自身でそこに到達できるよう支援することも重要だと思う。
数学は、個々の研究者だけでなく、全体のコミュニティの努力によって進歩する。それぞれの研究者が自分の知識と経験を共有し、他の人々がそれを利用して新たな発見をする。
【速報】乃木坂46ベストセラー映画「トラペジウム」興行収入5621万円の大ヒット!【館数200館超】
2024年05月17日http://www.skematomemon.com/archives/51782004.html
”大ヒット”は2チャンネル文化の系譜、まとめサイト特有の嫌がらせ/皮肉であり、もちろん興収は苦戦している。
否定的な意見を述べたくなる人は多いようだ(200ブクマ超えhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2364697)
ヒットしていない理由を推測してみよう
1.アイドルオタクは、実際の美少女が好きであり、漫画やアニメの美少女は好きではない仮説
①脳内イメージ②実在のタレント③漫画・アニメ をビジュアルの理想像に合致する順に並べると
①≒②>③ がアイドルオタク で ①≒③>②がアニメオタク。 小説は①にアクセスできるメディア。
乃木坂ファンが大挙して訪れるのを期待して製作したが、アイドルファンはアニメ絵のアイドルは望んでいなかったという可能性。
(高齢男性キャラクターがめちゃめちゃ不自然なので視聴中宇宙猫になったが、元乃木坂のメンバーが声をあてていたそうだ)
こっちは本気ではない。
これだろう。
(続く)
そういう計画もあるけど太陽光発電と変わらなくね?って気がする。
学校で習ったと思うんだけど、昔は一ドル360円の固定相場やってたんだけどその時日本は経済絶好調でアメリカがわざわざ円安是正させたくらいだし、総務省の資料とか何でもいいけどいくらか調べたら総合的に考えれば円安の方がメリットが大きいという調査結果がわりと多いんよ。だから通貨安は国全体で見れば歓迎すればいいと思うよ。
通貨の信用ついでだけど、為替レート=通貨の信用ではないし(例えば国際間の金利差で為替が上下するわけだけどそれは通貨の信用とは別次元の話)、基本的にその通貨を使って物を買えるかどうか=相手がその通貨を受け取るかどうかが問題なわけだけど日本が安定して製品を製造・供給可能な限りこれは問題にならないよ。
考えたこともなかったけど言われてみると死の恐怖が和らぐ気がする。
死の恐怖っていっても身体的な痛みへの不安とか夢が実現できない無念さとか色々あると思うけど、自分が死んでも宇宙が存在し続ける虚しさみたいなものもある気がする。
自分は宇宙の中心じゃなくてあくまでモブの一人ってことを受け入れさせられるような、尊厳が傷つけられる感覚。
この部分は宇宙も死ぬってことにしてしまえば、自分が死んだ後も宇宙は存在し続けたとしても、あくまで有限の時間って思えば早いか遅いかの問題だけで皆んな平等。
そもそも自分が死んでも宇宙は存在し続けるっていう前提が証明できないし、論理が破綻しているかもしれないけど、うっすらと納得感はある。
脳や肝臓など(現時点の理解では)大体不可能や一部の臓器を除いて体内の器官を人工化し悪性新生物のリスクを下げ、人類の寿命を飛躍的に伸ばすことを目標としていた。
最終的に肝臓含めた全ての臓器や器官を人工的なものに置き換えることができれば寿命は飛躍的に伸びる。
脳すら人工物に置き換え、記憶や思考のバックアップに成功すれば我々は死の恐怖を克服することができる。
人生の時間が長くなれば、それだけ人生で体験する幸福の総量は上がる。
加えて、基礎医学、臨床医学、分子生物学、計算機工学、ナノサイエンス…
あらゆる分野の研究者による共同研究が前提となっている新しいテーマであり、学問研究の場の閉鎖性や権威とは縁遠いものであった。
当初は治療と並行しながら研究を続けていたが、治療の負担が大きくなったことから研究を辞めた。
研究に専念できない自分がポストに座り続けることに自分自身で納得できなかった。
虚しい。
100年、200年。
いや、500年でも1000年でも生きたい。
死ぬのも怖いけど
若い時はそんなの考えるなんてバカバカしいほど体力に満ち溢れてて毎日楽しかったけど
ワイは不老不死になれるならなりたいなぁ
全く関係ないが、俺はまずマルチバースの存在を信じていて、この宇宙が終わっても無限に別の宇宙があると思ってる
で、生まれ変わりも信じていて、生まれ変わりの条件は、前世の記憶が消えて、新しい(or 既存の)宇宙の人間として生まれること
死ぬのってなんで怖いのかなって思ってたんだけど、なんとなく、その後に永遠が待っているかもしれないって感じるのが怖いのかなって思うようになった。
終わりが怖いのではなくて、永遠の終わりが怖いのではないかということ。
つまり、怖いのは永遠であって終わりではないのではなかろうか。
そう考えたときに、宇宙だって始まったのだから終わりがあるはずで、例えばエントロピーが無限に増大してしまって宇宙が単一の何かになってしまえばそこで時間は止まるはずで、あぁ、宇宙も終わるんだったら自分にとっても永遠の終わりはないんだなって思うと、死ぬのが怖くなくなったように感じた。
論理的な話をしたいのではなくて、死を考えるときに心の隅に湧いてくる恐怖心が、こう考えると何故か和らいだよという報告。
自分でも論理は破綻しているように思うし、実際のところそれでどうして恐怖が和らいだのかもわかっていない。
オタクすぎるんだよね。
もうこの時点で「チーズ牛丼とか好きそう」「スマホの待ち受けがブルアカになってそう」みたいな印象があるでしょ?
ネタバレを避けてボンヤリ言えば、カルトなネトゲで集まった連中が「お前マジ頭良すぎ!こないだのレイド見てたぜ~~~」とキャッキャッしてたら世界の命運をかけた凄いことに巻き込まれたり、親戚から教わった宇宙の真理っぽいのを面白おかしく熱弁してたらドンドン持ち上げられて気づいたら頂き少女リカちゃんのマニュアルから飛び出してきたようなオタクがガチ恋しちゃう系清楚系不思議ちゃん女子とイチャイチャ出来るけど俺に世界の命運がかかってマジプレッシャーつれーわ―、なオタクの妄想乙乙すぎる話がグルグルし続けている超オタクな小説なわけですよ。
いやマジでオタクすぎるっていうかね、どう見てもエヴァのLCLの話を突然始めるとか、「これは銀河英雄伝説からの引用なんだが」とか言い出したり、本当にも救いようがないほどに作中キャラも世界も宇宙丸ごと全部オタクなわけですよ。
えっ、なにこれニトロプラスのエロゲのノベル版か???みたいな状態になってるわけですね。
オタクがひよこババァすやすや横取りえっち同人誌でシコシコしたあとのゴミ箱から突然産まれた未知のオタク生命体が如き、圧倒的オタクDNA濃度、はっきり言えば貞しく童の臭がするわけですよ。
こんなのを楽しんで読んでいるなんて言ったら「えーマジー星界の紋章とか好きそうな顔だもんね―」「好きなアニメ聞いたら正解するカドとか言いそうな顔だよねー」とか言われて泣きながら家に帰ってシコって寝るはめになりそうだよ。
これを好きって言えるオバマは本当すごいよ。
空港のロビーで堂々とローゼンメイデンを読むよりも凄いことかも知れない。