2017年02月12日の日記

2017-02-12

一億人活躍社会ってのは、

まり、『一億人全員お国の為に働けよ!国畜ども!お前らが税金払わないと政府人間の遊び金が底尽きるだろが‼︎まぁそうなれば税金上げるだけだけどな。』って事か。

会社の給湯室で女子社員喫煙室のことを「ヤニっ子くらぶ」と呼んでいた。

吉岡里帆

吉岡里帆の裸だけを見て死んでいきたい

時代に合わないセリフは改変していこう

・煮るなり焼くなり好きにしやがれ!

・おとといきやがれ!

ママおっぱいでもしゃっぶてな!

何か漫画とかでこういうセリフ目にすると冷める。作家は今の時代に合ったセリフを考えるべき。

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虎渓山永保寺に行ってきましたわ。

なんとなく古虎渓駅の近くにあると思いこんでいたので、

場所が意外でしたわ。

650年の歴史ある永保寺の広いお庭も素敵ですけど、

付属する保壽禅院のコンパクト宇宙を感じさせるお庭も気に入りました。

こちらは講話のあとだったようで、線香が香り

お地蔵さんに大量のお供え物がしてありましたわ。

開園時間の午前5時から午後5時は流石お寺ですわ。

つづいてまたもや美濃焼ミュージアムに行ってきましたわ。

若くして町長をつとめた陶芸家加藤十右衛門展が開かれていました。

町長であり、陶芸家なのはもちろんのこと、

弓道尺八の腕前は師範をつとめることが可能

書にも興味があって、陶芸関係茶道も修めたそうです。

これくらいマルチにこなさないと現代の人が歴史に名を遺すのは

難しいのかもしれません。

けれども、加藤十右衛門のエピソードいちばん印象に残ったのは

自慢の尺八を携えて虚無僧として托鉢をしたときに、

喜捨をえられず、ひもじさのあまり尺八ウサギを叩き殺して食べた

というエピソードでしたわ。

ウサギの血が付いた衣のまま帰宅したらしいですわ。

先の永保寺さんはこの方に「無音」の号を賜っているそうですけど、

本当によろしくて?

http://anond.hatelabo.jp/20170212205604

えっ

おまえが発表者とそのRT者を軒並みミュートするんじゃ駄目なの?

一体何を否定していないというのだろう

命だけは取らずに済ませておいてやるから俺の言うとおりにしろ的な?

後戻りできないようなところでぶっちゃけてたってスッキリより後悔の念でマイナスだな

学校物語

お昼の時間、12:00~12:45給食指導時間なので、勤務時間です。その後休憩時間ですが、児童がいるので、学校の外に出ることはできなくはないけれど普通タブーです。

OP歌詞から読み解く『けものフレンズ』の隠されし歴史世界観!!!

あらかじめ、簡単にまとめておくと、

けものフレンズ』のOPソング「ようこそジャパリパークへ!」は

その一見人畜無害に見える歌詞に、人類がジャパリパークへ至るまでに辿ってきた道のりや設計思想を隠している。

ファンにとってはもはや常識の部類であろうが、啓かれていない野蛮なインターネット民衆たちにはまだまだ広まっていないであろう。

人類のよりよき未来のため、「ようこそジャパリパークへ!」の歌詞解説をここに記す。


Welcome to ようこそジャパリパーク!

今日もドッタンバッタン大騒ぎ

歌い出し。「ドッタンバッタン大騒ぎ」とは戦争前夜の政治的な混乱を暗示している。


うー!がぉー!

「うー」が「おー」になる言葉とは何か。そう、War である戦争がはじまったのだ。関係ないが SEKAI NO OWARI というバンド名には NO WAR という文字列が潜んでいる。


喧嘩して すっちゃかめっちゃかしても仲良し

喧嘩してすっちゃかめっちゃか」になった時代を経て、けもの進化したことで今ではすっかり仲良しになれたことを感謝している。


ものは居ても のけものは居ない

本当の愛はここにある

「けものは居ても のけものは居ない」は一般的に「みんなちがってみんないい」の謂だとされがちであるが、誤読である

どんな社会には一定のはみ出し者は必ず生まれる。それが発生しないということは、そもそも排除されているからだ。

ジャパリパークは初めから「のけもの」を拒絶するようにデザインされた場所なのだ

我々はここでナチス蛮行を想起し、戦慄をおぼえざるをえない。排他的国家称揚される「愛」とはどういった類のものか――?

ともあれ、「ジャパリパーク」建設理想燃える人物が現れた。その人物は長引く戦争によって疲弊した人類世界を次のレベルに導き平和をもたらすために、ある行動に走ることとなる。


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夕暮れ空に 指をそっと重ねたら

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きのこ雲を暗示。

そう、ジャパリパークの設立者は単なる戦争破滅約束された核戦争へとひきあげたのだ。


振り向けば あちらこちらでトラブル

なんてこった てんでんバラバちんぷんかんぷんまとまんない

核兵器投下後の街で、街が大混乱に陥っている様子を活写


ものですもの 大目に見ててね

みんな自由に生きている

そう 君も飾らなくて大丈夫

我々の生きる現代と遠未来のジャパリパークをつなぐミッシングリンク――核戦争後の『マッドマックス』的終末世界で人々がたくましく生きる様子を描いている。

何を「大目に見る」のかといえば、無辜民衆から暴力資源や食料を略奪することだ。万民が「獣」になってしまった世の中だからしょうがないだろババア、ということである

みんな「獣」になってしまったので「自由に生きている」わけである

安価で高品質大量生産衣料品も失われ、この時代の人々はみな古代人のような粗末で簡素服装をしている。アクセサリーなどは一部の特権的支配階級しか許されていない。だから「君も飾らなくて大丈夫」。


(はいどーぞ♡)

Nice to meet you ジャパリパーク!

今日からはどうぞよろしくね

荒廃した世界蔓延する暴力、無法なる秩序――もはや人類安息の地はないのか?

絶望にくれた未来人の前に「はいどーぞ♥ はじめまして!」と登場したのが我らが理想郷ジャパリパークである


いつもいつでも優しい笑顔 君を待っていたの

開かれた扉(ゲート) 夢をいっぱい語ったら

どこまででも

続いてくグレイトジャーニー

Oh 東へ吠えろ 西へ吠えろ

世界中に響け サファリメロディ

ジャパリパークによる旧世界浄化を歌っている。

ヨハネの黙示録」第四章:「見よ、開いた門が天にあった。そして、さきにラッパのような声でわたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起こるべきことを、見せてあげよう」と言った。」

まさにその門(ゲート)から世界を滅ぼす災厄の獣や四騎士たちが「東へ西へ」放たれたのである

世界中に響くサファリメロディ」は獣たちの咆哮であるとともに、天変地異を報せる天使のラッパも暗喩しているものと考えられる。


―Welcome to ようこそジャパリパーク!

サビの一節だけを印象的に挿入することで、新世界誕生を強調。


うー!がぉー!

ララララ ララララ Oh, Welcome to the ジャパリパーク!

ララララ ララララララまれ友達

ララララ ララララ Oh, Welcome to the ジャパリパーク!

ララララ ララララララ 素敵な旅立ち

ようこそジャパリパーク!

ラララ」というコーラスで、言語思考多様性を切り捨て幸福統一されたユートピア・ジャパリパークの状況を示唆

そこでは「welcome」されたフレンズが「集まって」わいわいし、いつか「素敵に旅立つ」=死ぬ。それだけでサイクルが成り立つ。

それは完成された世界だ。

それは完成された福音だ。

ようこそジャパリパーク!

テレビでけんかしているのを見ると全部台本に書いてあるのかと思うと芸人さんや役者さんは演技が上手いなと思う。

収録が終わったらいっしょのバスに乗って弁当食べてんのかなと思うとさらにぐんにょりする。

昔のめちゃモテみたいなバラエティ番組ドキュメンタリー演出を考えた脚本家さんもすごーいと思う。

窮屈に2017

背中を撃ち抜かれて差配サレレバいいんだろうドウセハイハイシャカシャカイソーオッシャイマスオオセノトオリ

幼女パンツゼリーにしたやつは人に見せるな

気持ち悪すぎる

紅茶パンツ経由して飲むとか

食べ物と性欲をリンクさせるのは(人が見えるところでやるのは)やめてほしい

個人性的嗜好としては否定するものではないので、鍵アカとかでやっていただけないか

実在女性がいるとかいないとかという話ではなくて

もう単純に気持ち悪い、食欲なくなる

パパに同じこと言えます

あっごめん平気で言った上に暴力まで振るいそうだわ

の子にちんぽが入らなかった

『夫のちんぽが入らない』を読んで、ちょっとしてから思い出したこと。

大学4年生、1月

自分はほんの6ヶ月付き合った彼女と別れて、あの子は3年以上付き合った彼氏と別れて。

自分とあの子インカレサークル的な所で出会って、2年くらいの友だち付き合い。

お互いフリーだし、って吹っ切れてたのか盛り上がったのか。

ジブリ美術館デート行くことになって、その後吉祥寺ちょっと飲んで。

ちょっと飲んでじゃ物足りなくて、彼女の部屋に行くことになった。

まあ、自分はその気だったから、セックスの段階になった。

いや、その前にその話をしたかは良く覚えてないけど。

彼氏のが入ったことなくて」

の子はそんなことを言った。

「一度も?」

「結局無理だった」

元カレと俺とどっちが大きい」

元カレ

「…お、おう」

でもまあ、がんばってがんばって、

「今までここまで入ったの初めて」

って所まで入った(あの子申告)。

「いたいいたい…」

とか言う中で挿入を続けるのはなかなか緊張を保つのが困難だったように思う。

結局、あの子とはもう一回のセックスでも入らなくて、普通の友だちに戻った。

の子は数年後あれこれあって結婚して、子どもができた。

旦那さんと付き合う付き合わないの相談から知ってたかおめでたいのだけど。

旦那さんのちんぽは自分のより小さいのか、どうしても聞いてみたいのだ。

絶対聞けないけどさ。

アメリカ人は、被害者意識で怒ってるみたいだな

なんでか知らないけど、すごく被害者意識を持っているみたい。

https://www.youtube.com/watch?v=YV4oYkIeGJc&list=RDBk7RVw3I8eg&index=6

学校物語

勤務時間は朝の8:00から。でも、児童の登校時間は7:30分。毎朝30分のサービスが強いられるところが学校です。

起業したい

起業したいという思いだけが昔っから漠然とある

なんだけど、起業した後にやりたい事が何もない

マジで何もない

しいて言うなら人に言われた物を作る仕事がしたい

どうしたもの

移民に関して言及した老害炎上した事について思ったこと

言い方がおかしかったんで炎上してるけど、日本移民を受け入れる準備が全くできていないってのはその通りだと思う。

大体、移民が立ち上げた国ですら大統領移民排除を声高に叫ぶようになってるわけで、

建国以来一度もまともに大規模な移民受け入れしたことのない国でまともに移民なんか受け入れられるわけない。

そんなの強行したって、来てもらう移民に不幸しか待ってないよ。

人口減少問題放置して今の惨状を招いた老人たちが逃げ切るのはなんか別に仕返しするとして、

人口減少によるデメリット自業自得として受け入れて滅ぶしかないでしょ。

今まで人口減少のデメリットから目を逸らし続けてきた国が

今更急ピッチ移民受け入れをまともに準備なんかできるわけない。

もう手遅れなんだから、衰退という現実と向き合おうぜ。

無職日記

 まず、スマホをやめることにした。仕事電話メールはもう来ないし、妻や恋人はおろか、親しい友人さえいないのだから、誰に気兼ねする必要があろう。思えば、朝は天気予報を調べ、通勤中はニュースを読み、昼はゲームに興じ、帰宅後は着信を知らせるランプを頻りに確認するのが、働いていた頃の日課となっていた。それに比べて、現在たいへん快適だ。さすがに貯金も心細くなりつつあるので、そろそろ職探しに本腰を入れるつもりだが、また働き出しても、できる限りスマホから離れた生活を送りたい。このご時世では中々難しいだろうが。

 次に、鏡を見ないことにした。現代社会には鏡に毒された人間が多い気がしてならない。なるほどメイクやらスキンケアやらで多忙女性が身だしなみに敏感になるのはある程度はやむを得ない。大体、鼻毛が飛び出ている女とのデートなんかお断りだ(無職とのデートなんかお断りよと聞こえてきそうだが)。しかし、自らの容姿を念入りに観察するような男には、どうも違和感を覚える。そんなに見惚れるほどでもないのに。そんな暇があったら中身を磨けばいいのに。と言っても、仕事中は何より外見を重んじていた私に、彼らを批判する資格があるかどうかも疑わしい。出勤前には寝癖のチェックが欠かせなかった。昼食におにぎりを食べたらお手洗いに行かねば気が済まなかった。或いはこれはビジネスマンとして当然の振る舞いなのかも知れない。ただ、私は少し疲れてしまった。誰とも会わない今なら、髪がボサボサだろうが歯にノリが付こうが一向に構わない。実に清々しい。

 そして、髭を伸ばすことにした。人生初の試みである。頭の隅に浮かんだのは、エイブラハム・リンカーンまさか彼みたいな美髯を目指すほど私も阿呆ではあるまい。単なる憧れだ。少年のころに図鑑の中で触れた、第16代アメリカ大統領の威容は、今なお私の脳裏に鮮やかに焼き付いている……と、ここまで書いて、我ながらちょっと呆気にとられてしまう。私は無職になって、悲しむどころか、むしろこの状況を楽しんでいるかのようだ。楽観主義も度が過ぎれば身を滅ぼす。けれども、信じられないかも知れぬが、私は実際、ほとんど常に悲観的であった。考えれば考えるほど思考は悪い方へ傾き、夢も希望も見出せず、自暴自棄に陥る。他人との比較が癖になり、酷い劣等感に悩む。「怠けた頭は悪魔仕事場」という外国の諺には、一つの真理が含まれるのではなかろうか。私は毎日悪魔暮らしているようなものだった。

 ある夜、都心の休憩所のベンチに腰掛けコンビニで買ったアメリカンドッグシュークリームを食べていた。妙な取り合わせだが、たった二百円でできる贅沢は他に無い。いや、正直に告白しよう。懐が寂しかったのだ。無収入生活がいつまで続くか見通せないため、財布も満足に使えなかった。林立するビルディングの明りの下を、仕事帰りのサラリーマンOLが、揃って足早に過ぎてゆく。車や電車の走る音がかまびすしい。デパートの買い物袋を提げた婦人たちの笑い声が耳を打つ。ふと、「どうしてこうなのか」、と思う。孤独を感じた。大都会の喧噪が却って私を独りにするようだった。周囲のベンチに座っているのは、単独の人が多いようだけれど、誰かとメッセージのやり取りでもするのだろう、彼らはスマホを熱心に操っている。私の存在に気付く人など何処にもいない。だが、ここで泣き出す訳にもいかない。

 その後も無為徒食の日々は変わらなかった。公園の木陰でぼーっとしたり、広場に群がるハトを眺めたり、日が暮れるまで彷徨したり、諸方の社を参詣したり。どこへ行っても充たされず、空腹は甚だしくなる一方で、足はいよいよ痛くなる。かといって、すぐに働く気も起きない。虚しかった。行き着いたショッピングモールトイレで用を足し、自らに課した戒律を破って鏡を見ると、生気に乏しく、いかにも自信のなさそうな、無精髭を生やした男が一人、救いを求めるような表情で立っている。そこにリンカーンの姿は無かった。足を休める場を求めて店内をさまよう。が、既に老人らが座を占め、熟睡しているらしい。安心しきった寝顔にみえる。帰りの難儀を憂えつつ、やむなく出入口へ引き返す。「いらっしゃいませー」「ただいま30%引きでございまーす」という若い店員のいきいきとした調子がなぜか辛い。女子学生愛嬌も、年配夫婦の微笑みも、母に抱かれた赤子の眼差しも、私には全てが辛かった。ようやく家に到着してテレビの電源を入れれば、アスリートの勇姿を目にするたび、怠惰自分を痛感し、アナウンサーの顔が映るたび、鏡の自分を想起する。私の居場所はいずこにありや。やがてテレビも見なくなった。

 さて、私はこの日記を「吾輩は無職である名前は言えない。」で始めようかと思った。己の憐れを笑い飛ばせるくらいの朗らかさが欲しかった。ところがこの通り、筆致はだんだん暗くなっていく。まあ無職から仕方ない。最後に、ついこの前、海へ行った話を綴って、明るい気持で筆を擱こう。それは、とてもよく晴れた、穏やかな日だった。太陽の光が海のおもてをきらきらと照らし、寄せてはかえす波の音がたえまなく響く。突堤で腕組みして獲物を待ち構える釣り人、のんびりとウォーキングを楽しむおばあさん、浅瀬に浮かぶカモの群れ、軽やかな足取りのミニチュア・ダックスフント、波打ち際できゃっきゃ言いながら貝殻を拾う女の子と、それを嬉しそうに見守るお父さんお母さん。おや、あそこの男の人は、どこか悟り澄ましたような目つきで大洋のかなたを遠望している。同志だろうか?(失礼)

 「明るい気持で筆を擱こう」と書いた。でも、このかぎりなく静かで、平和海岸に臨み、やわらかな潮風に身を任せていると、明るさも暗さも、楽観も悲観も、全部きれいに吹き払われて、どこかへ行ってしまう。不安や焦燥はしぜんに消え去り、自分無職であることさえ、いつしか忘れている。そこには何もない。あるのは広い海だけ――青空をのびのびと泳いでいるのは、カモメカップルだろうか。仲睦まじく羽を交わしている。幸せそうでちょっとむかつくけれど、もう人(鳥)と比べるのは止そう。カモメには、カモメカモメによるカモメのための鳥生があり、私には、私の私による私のための人生がある。お前らは、勝手にいちゃいちゃしてればいいのさ。

時はなぜ待ってくれんのだ

俺まだ回復してないのに明日月曜じゃん。

http://anond.hatelabo.jp/20170212200838

もともと知能が低いのに、それがさらに下がるから問題なんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20170212003614

おいカレンダーみてみろよ

大安の日ねらって書かないとバレるだろ

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