日本で話されていることなので視点が無いのは分かるけど、無視はイカンだろうなっていつも思う。
特攻隊員の悲運みたいな話は同時に思い至らないとなぁ。
例えば女は、小学生みたいな顔してるのに胸は風船かってくらい膨らんでたり、厚手の服だろうに「裸に布はりつけたような服」になってる衣装の女キャラ見るとなんだこれウゲッてなったりするわけだけど、男も男キャラにそう感じる時あるの?
こんな男居るわけねーだろきめーよ。みたいな。
ああ、うん、そうです。発展途上国との比較っていうよりも「発展途上国も先進国も含んだ世界平均との比較」ね。
「先進国の中では日本はさほど賃金高くない」っていうのも、先進国だけでグループを作って比較して、日本を正当化する意味は無いと感じるんですよ。
他の先進国はほかの先進国なりの、先行者メリットを生かしてその地位にあるんだろうし、日本だけが神に選ばれて先進国であり続ける絶対権利を与えられてる……なんてことはないわけで。ぶっちゃけ、世界全部を10年単位で統計すれば、労働者の賃金は平均していくトレンドにあるんじゃないかなあ。詳しくはわかんないけど。
毎日会ってくれたら、
少しだけいいもの、あげるよ。
おでこ、ぺんぺん。
君が前飲みたがっていた珈琲とか、
君とよく舐めていた飴玉とか、
だから、7日に一回くらいは、
。。。
キス、してほしいな。
あれ、石じゃないとダメ?磨かれた輝く石あげないと、
ダメ??
レアな男が引ければそれで良し。
で、また再インストール。
あっちの箱でも、こっちの箱でも、
出会うまで何度も通うよ。
一晩で10連なんてお手の物。
しばらくは育ててみようかな、って感じかな。
他の女の子に引かれちゃったら、今日はもうそのカード残ってないから、
またあした、リセットしてくるわ。
お休みね。
おれら(日本の国民)がいまなんだかもやもやと息苦しさを感じるのは、ある種の自意識ギャップなんじゃねーかと思ったんだよ。
思うに俺らは俺らが思うほど、経済的な価値が、無い。例えば、いま、年収700万円もらってる奴は、ホントのところの人材価値は年収500くらいで、400のやつは250とか、そんなものがせいぜいなんじゃないかな。
じゃあ、なんでいま+αで700とかもらえてるその差額は何なのかと言えば、それは、景気とか、為替をはじめとした国際的な需給の関係とかの、ブースト効果だ。要するに補助魔法であって実力じゃない。しかし、その+αが例えば国債発行を原資として政府の借金をもとに発注された公的事業にまでさかのぼるのであれば、まさにブースであって「国民の給与を上げるために上昇」でしかないんじゃないかな。
もちろん、経済のセオリーとして、人材も市場で取引される商材のひとつなので「正しい価格」なんてものがないのはわかってる。買い手と売り手の交渉によって売買価格が、売買の瞬間幻想のように発生するだけだ。しかし、その原理原則通りにやると、グローバリゼーションの中で、日本の労働市場が国際的な労働市場に連結してしまう。いやもう一部はしてるよな。電話オペとか、海外と仕事の取り合いなわけで駆逐されかけなんだし。
まあ、とにかく、「日本人の実力本位で評価した時の経済的な人材価値」と「今日本人が実際にもらってる給与」の間に、ギャップがあると思うんだよ。そのギャップの原資は、日本が世界有数の経済的大国だってあるマネーのスケールメリットであるとか、信用という形で貯金された日本のブランドイメージだとか、一族経営を続けてきた企業の内部留保であるとか、政府の海外資産や国債発行だ。
そしてさらに言及すると「今日本人が実際にもらってる給与」と「日本人がもらいたい額」にもギャップがある。
さらにさらに「日本人が、自分たちが享受出来て当然だと思う生活レベル」と「今手持ちの現金で遅れる生活レベル」にもギャップがある。
おれら(日本の国民)がいまなんだかもやもやと息苦しさを感じるのは、つまり、これらのギャップが原因じゃねえかなあ。
つまりさ、たとえばの話でしたは一例なんだけど
Aさんの場合
国際的に見た時Aさんのやっている労働の価値を円で表した場合:年収250万円相当
Aさんが「俺はこれくらいもらえるべきだ」と内心思ってる金額:500万円欲しい
Aさんが「年収400万円の生活ってこれくらいあって当然だろ」と思ってるライフスタイル:実際には600万円必要
――つまり、こういう状況があってさ、そういう色んな脳内と現実のギャップが「俺は苦しい」っていう感覚に結実してるんじゃねえかなあ。
それは例えば政府ががんばって、Aさんの年収を500万にしたとことで、解決しないし、そも現実としては、Aさんの給与は250万円に向かって落下していくだろう。この落下は、どちらかといえば正常化に近いとすら、言える。
日本人の言う「貧乏だから結婚できない」も、上のような生活感覚を基盤にしてると思うんだよ。「結婚するためにはこういう経済状況じゃないとダメだ」みたいなさ。現実には、そんなことはあり得ない。貧乏人だって結婚してる人はいるし、貧困国だって子供は膿まれてる。それに対して「子供の教育には金がかかるだろ」って反論がまさに上のギャップに根差してて、「日本の格や全体状況を考えれば、子ども全部を大学に行かせるなんてのが、自意識過剰で身の程を越えてる」んじゃないかなと思うんだよ。
この問題は、経済そのものというよりも、文化とか風潮とか、もっと露骨に言っちゃうと、マスコミの維持しようとしている「普通の日本人の生活」みたいな消費社会像にかかわる問題なんじゃないのかなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20160206014145
評
第一節の、やわらかな抒情を感じる、手と手のふれあう描写は好印象。
うらやましい。
増田たちはいい運営なんだろうな。俺はなかなかユーザーの期待に応えられないから楽しんでいる人を見ると少し申し訳なくなってしまう。
演技も下手なら、それ相応のいい加減な脚本だったね。
65歳のオバサンだって今どき、カラオケぐらい行ったことあるだろうし、
あんな古くさい言葉づかいもしなければ、時代遅れの格好してないよ。
そのまま垂れ流しにしてるんだろうね。
とてもじゃないけど、見ていられたもんじゃなかった。
オバサン臭いところの利点を生かしながら、主人公が活躍する話なんだろうけど、
それだと、生娘な部分とはまったく相容れない感じで、強引すぎる。
その点、昔あった「おばあちゃんはアイドル」っていう似たような設定の漫画は、
今回のはどうも期待できそうにない。
みんな食べすぎ。特に炭水化物なんて少しでいいん。炭水化物に限らず全般につていもいえるけどね
どのぐらい体調が良くなったかというと、朝起きられないし視界に霧がかかってもやもやして眠くて情緒不安定でどうしようもない飛びたいような感覚に襲われていたのが、朝パっと目が覚めて日中も眠くなくて思考もクリア、頭脳明晰情緒安定、すこぶる終日体調がよいの
人間 食事という不毛な煩悩にとらわれることで酸化しつづけ死へと加速を続けるわけである
グルメの観点からも食事は必要だが原則、生命を維持するために十二分な栄養が確保されればそれでよい
当時は自分のことを、ハイスペで頭が良いのに傍若無人で破天荒な振る舞いをして、それでも何故か自然にみんなから好かれている人気者だと本気で評価していた。ハイスペな私はハイスペだったので受験戦争を勝ち抜き、高校から現役で数年に1人しか入れないような都内の大学のハイスペな学部のハイスペな学科に進学した。
東京での明るく楽しいキャンパスライフに想いを馳せ意気揚々と門をくぐったものの、そこには私の求めていたものはなかった。学業でも趣味でも同級生より劣り、その上クラスにもサークルにもうまく馴染めない。今までは何もしなくても良く出来たため、普段の授業に対して熱心に打ち込む習慣がなかったので自習などせず、成績は落ちぶれる一方であった。そして自分をちやほやしてくれるはずである先輩や同級生はみんな他の人を褒め称えるか、私の知らない世界で自分の道を見出してそれぞれに行動していた。私を凄い、凄いと褒めてくれる人はどこにも居ないのだ。寂しさを紛らわすべくかつての同級生に連絡を取っても、彼らの態度も高校時代とは比べものにならないほどよそよそしいものであった。ここで、彼らは私のことを特に好きではなかったし、私が他人に対して思っていたように私のことをどうでも良いと思っていたという考えに至った。そうか。校舎という閉鎖空間の中で面倒ごとに巻き込まれないようにうまく調子を合わせてくれていただけだったのか。それならば、自己評価にしがみついて生きてきた私より、彼らの方がよっぽど出来た人間だったのだ。
自分がハイスペ人間であるという認識は自意識過剰であり、間違っていることを受け容れてゆくことはとてもつらく、恥ずかしく、長い時間がかかった。当時の自分の振る舞いは所謂黒歴史カテゴリに分類され、極力思い出したくないものだ。
しかし数ヶ月前、歳納京子というキャラクターを知ってしまった。これは…!当時の自分が「なりたかった理想像であり自分がその様であると信じて疑わなかった立ち位置のキャラクター」そのものではないか!つらい。どこにいても心はもんもんサンミシェル
最近ドラマに少しだけはまってる。といってもNHKしか見てないんだけど。
特に好きなのが、「ちかえもん」と「逃げる女」。木曜時代劇と土曜ドラマで放送する傾向が全く違う双方なんだけど、とても面白い。
時代劇の「ちかえもん」は時代劇としては型破りな替え歌パロディやメタ演出に加えて、遊郭を中心に据えた各々の思惑が入り組む人間関係がとってもミステリアスで楽しい。
ドラマを見ながら笑うなんてことなんて「行列48時間」以来なかったのに、ところどころぶっこんでくるネタに思わず吹き出してしまう。
硬派が売りの土曜ドラマ「逃げる女」は、どのような結末に辿り着くのか見通せない運びなのに、映画のような映像表現と音楽でいつの間にか物語にどっぷり浸かってしまう作品。
音声が聞き取りづらいのにが玉に瑕だけど、「外事警察」や「64」も似たようなことがあったかと思えば気にならないかもしれない。
あと個人的に気になってるのが、今度日曜日にまとめて再放送するプレミアムよるドラマ「はぶらし」。
足裏からひしひしと蝕まれていくような恐怖感を味わえるサスペンスらしく、この前ちょっと見た時、人間関係の描写にぞわぞわしてしまった。
一挙放送を見るとなると精神的にとても疲れそうだけど、頑張って見てみようかなって思う。
あと、カズオ・イシグロ原作の「わたしを離さないで」も気になる。ウィキペディアであらすじを読んじゃうなんてもったいなことをしてしまったけど、時間があったら見てみようかしらん。
カップはきみの手の中にあって
きみの手はぼくの手の中にある
それでも淋しかったら
おしゃべりでおぎないあおう
その一音一音をなぞる指は、
いまたがいの輪郭を消していく
くちびるは、いま
たがいに沈黙をもとめる
この10年間とんでもなく怠惰で無気力で面白くない生活を送ってきたのに、今はどうやってデートに誘おうかって考えてるだけで幸せに生きてられる。
海外のガルパンおじさんから劇場版の早期海外公開を求める声が多数挙がるww 「日本が羨ましすぎる」「映画を待つのはもはや拷問に等しい」 | にじぽい『スターウォーズEP4』が最初にアメリカで公開され噂だけが伝わってきたころの日本のSFファンもこんな気持ちだったのだろうか(日本公開は一年後)2016/02/05 20:17