STAP細胞の不正論文の件とHSPプログラムコンテスト2013の窓の杜賞が盗作だった件は似ている
何故、不正な論文を提出してしまったのだろうか?何故、盗作をしてしまったのだろうか?このように倫理観というものが欠如している場合、特に科学者にはなって欲しくないし賞賛もされて欲しくない。
科学の分野では倫理観の欠如の様を広く広報してほしくない。不正な科学的知見を広めることはその知識を取り入れる人すべてに嘘をつくことなる。嘘も方便?いいや、そこでそのことわざが出る所が倫理観の欠如の元なのだ。文脈の破綻を自らで見つけられないのは何かしらの訓練が足りないのだ。
学校で習う主要5課目は高校、大学受験の金科玉条である。しかし、学校生活をする上で身につけていくある種の倫理観を養う体験、もしくは倫理観について自ら考えることを疎かにされていた場合このような事が起こるのではないだろうか?日本で必要なおおよその倫理観はすでに結論が出ている。結論を出すまでの過程は自ら見つけていかないと自らの倫理観というのは実感できない。しかも今この日本社会では個性や考え方の違いというような言い訳で「社会人」「人間として正しい姿」の像がブレているようでならない。むしろ、「正直者はバカを見る」というように倫理的な言動に準じている人を目に見える形で社会的に高く評価したりサポートしてこなかったツケをこれからも払わせられるのではないかと感じている。
とある地域の学校では成績さえ良ければ何をしてもよいというような風潮がある。「何をしてもよい」は生徒によって非倫理的行動(公共施設での迷惑行為、影での不良行為、他害行為、犯罪行為など)すらも受容されると解釈され実際に非倫理的行動を行い多くの人に迷惑をかけ、傷つけ、場合によっては取り返しの付かないこともしている。マスメディアに取り上げられる段階になってようやく教育者がアタフタして取り繕うのだ。滑稽でならない、そして教育者もなっていない。それによって被害を受けた際、往々にして当事者達は何かと理由をつけて問題をうやむやにし責任を取らないし実際に取れない。非倫理的行為は他者の貴重な時間を奪い、場合によっては被害者が苦痛を負うということを当事者は理解できてないというのを感じる。むしろ、理解していても「自らの利益の為には他害も厭わない」と見受けられることが多々ある。これこそが倫理観の欠如なのだ。
本来、こういった不正をわざわざ起こすのはやはり「賞賛」及び「賞賛に付随する多くの付加価値」が人を不正に駆り立てるのだ。私はこのような振る舞いを『倫理観の欠如した利己行為』として認知している。かならず学校、会社、友人、親類の中でこういった行動を日常的に繰り返す人達がいるのではないだろうか?私はいろんなことろで見てきている。第一印象が良くても、成績が良くても、会社での評価が高くても、社会での評判が良くても、こういった行為を行う人物は目に見える形でシグナルを発している。これらのシグナルは裁判で使われる証拠となるような確かなものとは言いがたい。人によっては妄想だとか不確かなものだとか思われるだろう。だが確実にその人が発している中にあるのだ。そういう人に注意しこれらの人に関わらないようにしていきたいし、願わくばそういう人は倫理観を身につけて欲しいと思っている。
『三つ子の魂百まで』という”ことわざ”があるが、私は今まで自らの意志と訓練でどうにか修正できると思っていた。しかし、私の人生経験の中そのような人は皆無だった。だから倫理観の無い人に倫理観を語っても身につけることは困難を極めるのではないだろうか?私はそう思う。
蛇足だが、この件で旧石器捏造事件((http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%8D%8F%E9%80%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6))とサイコパス((http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E8%B3%AA))が浮かんだ。
そして、これらの「倫理観の欠如した利己行為」を行う者の助けになるような事を行うのはどうにもこうにも納得がいかないのである。虫唾が走るのである。だからその者からは離れたいのである。インターネット上の非倫理的で無慈悲な制裁もいけ好かないが、かといって該当する行為を許容する事も出来ない。なんともむず痒い思いがする。
最近たまたま見たアニメでそれらをテーマにしたものがあった。ハマトラの10話~12話にかけてである。敵役が言葉で色々と説明してくれているので作品としては興ざめだが、逆に問題点を凝縮して映像として見せてくれているのでとてもわかりやすい。今の時代に訴えるべき内容がある良い脚本だった。
「ギズモード」が「イケダモード」に突入します : ギズモード・ジャパン http://www.gizmodo.jp/2014/04/ikedamode.html
GIZMODOも、こんなくそつまんねーエイプリールネタをかますようになったのか。
もう読まねーよ。うんこ。
(うそ)
WWEをご存知ありませんか?全米最大のプロレス団体。エンターテイメント会社です。
一週間に一度、生放送で全世界中に配信されています。もちろん日本でも生放送が配信されています。(これを見るにはj-sportsと契約しないといけないのでハードルは高く、まして生放送の時間が平日午前中というかなりニッチな時間帯です。)
今回、TVの生放送の時間をリアルタイムで見られたのでついでにWWEアプリと連携して視聴してみました。(やっと主題が出てきました。)
アプリでは番組連動の投票、Twitter(トレンドに番組関係のワードが多数出る)、番組情報、動画、ショッピングとよくできています。(会員になればさらに過去の動画等が見られます。)
TVCM中には会場で起こっている事がアプリから動画が見られTVと携帯端末との連携が上手く行われています。
ショッピングも選手が着ているTシャツなどデータと共に続々と更新。
それもあるんだが、なおかついろんな企業にリア充がたくさんいるという現実を突きつけ、二重に追い詰められている。
彼らの居場所はもうない。
1年前に絵に書いた様な糞爺が死んだ。
18歳まで同居しているのに別居している様な存在だった。
なんとなく書きとめたくてメモ。乱暴な殴り書き。
正直他人のように生活していたので、生年月日は分からない。たしか大正4年くらい。
男尊女卑の家庭なので長男のように重宝大切にされず、じいちゃんかわいそす。
爆撃が始まり防空壕が人でいっぱいだったため入れず切り株に隠れていたら防空壕が爆撃されて助かる。
移動中の飛行機が撃ち落とされ、海に落下たまたま通った漁師に助けられる。
たかだが3歳年下なだけで妻からここまで侮辱されるのは夫が可哀相だな。
それでも覚悟して結婚してみれば妻はその覚悟に後ろ足で砂をかけているっていう。
やりきれねぇな…。
物分りの良い彼思いの妻のふりに酔ってるだけだよね
彼は本気で増田を選んだのだし、増田も本気にならなきゃすぐ破綻するよ
物分りの良いふりなんて、結局彼に対して本気で向き合わない言い訳を自分にしているだけだよね
激務なのはわかるけど、じゃあ増田は職場で仕事増やされたらもう少しも対応できないわけ?
なんとかやりくりして対応するわけだよね
それなら家庭にも本気で対応しなきゃ
それと、仕事を続けて欲しいと言っているのは彼なりの思いやりで、キャリア積んでる増田へのリスペクトだよ
それに対する増田のお返しが、私に飽きたら自由に出て行ってね、だとしたら、男としたら切なすぎるわ
なるほど、オタクが住処を奪われてふてくされてるだけだ、と。
その気を出したら出したで後で「ごめんねさん」とか呼ばれていると思ったら、もうそういうのは要らないかなと思った。
段階的に出していけよ。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140331
社会人2年目のみなさん、チャンスですよ。
去年さんざん説教された憂さを晴らせる季節が今年もやってきましたよ。
ブロガーのみなさん、搔き入れ時ですよ。
エイプリルフールネタなんかおいといて4月の最強コンテンツである「新人に向けてのドヤ」に注力しましょう。
社会の厳しさ、学生時代との違い、処世術、どこを目指すべきか、結婚について、うっかりブラック企業にはいった時の対処法・・・などなどネタは沢山あるはず。
もちろんオススメの書籍を列挙しつつ、地雷もまぜてプチ炎上を演出してPVを稼ぎ、アフィリンクを踏ませる事も忘れずに。
自分の持ちうる経験と文章力を駆使して、思う存分ドヤるのです。
村人も最大限の注意を払って彼らのドヤエントリを発掘し、ブクマし、賞賛のコメントをつけ、ホットエントリを埋め尽くしてあげましょう。
新人は先輩からの有り難いお言葉を頂戴し殊勝な言葉で今後の抱負を語り、2年目は去年の憂さを晴らして自分の成長をアピールし、ベテランはさらに下の奴らに説教するという、セルフオナニー超爆連鎖大会の開幕です。
このビッグウェーブに乗り遅れず、思う存分ドヤるのです。
ああ、この時期マジウゼェな。
取引先の担当者が、女子トイレにカメラを隠しているのが見つかってしまい解雇になってしまったそうだ。
「子宮ご確認下さい。」
になってたわけだ。
増税後もしっかり確認して間違いがないように注意していきましょう。
なんだか泣けてくる
地元から大学進学と共に都会に出た人間だけど、地元志向の人に対して違和感を感じていた点は、所得でも知的レベルでもなく、たった一つ。
ソーシャルグラフとインタレストグラフを一致させようとすることだけだ。
言いかえると、たまたま近所に住んでいるから仲良くなった子や、たまたま同じクラスになったから仲良くなった子、
たまたま同僚だから話すようになった人に、積極的過ぎる「趣味の布教」を行う点。あるいは布教に応じなかった人を拒絶する点。
私は、近所に住んでいる人とは地域の話をすればいいし、クラスの子とは学校の課題やイベントの話をすればいいし、
同僚とは仕事の話をすればいいし、趣味の話をしたければ趣味のコミュニティに所属すればいいと思うのだけど、
地元志向の人は、"イツメン(いつものメンバー)"と全ての話題を共有したがる傾向にある。
だから地域・学校・職場などの枠組みにたまたま結び付けられただけの人に、趣味の一致まで求めてしまうんだよね。
趣味の押し付けはヤンキーに限らず、オタクもやっていた。地元オタクの友達関係も"イツメン"的だよね。
趣味の種類が、車やバイクの改造なのか、同人誌を描くことなのかっていう違いだけで、押しつけがましさは一緒。
これが嫌なんだよ。自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間を求めている感じが気持ち悪いって感じる。
子どもは、他人と自分の違いに対して傷つき感を覚えるらしいけど、成長に従って違いを受け止められるようになるという。
地元的、"イツメン"的な人たちは、いつまでも違いを受け止められない「子供」の部分が、
外見が太ろうがシワシワになろうがハゲようが、一生むき出しになっているようで、
それが美化されて称賛されている様子がなんだか露悪的なものに感じて、引いてしまうんだよ。
そして都市部でも実は地元民同士行われてる。このひとが地元に戻れば当然そうなるだろうし、でなければ地元でも浮いているんだろう。おいらが同じ人種だからよくわかる。
東京で生まれ育って、固定化された人間関係に満足してきた東京都民とは分かりあえないだろうし、
地方Aから地方Bに移住した人となら、もしかしたら分かりあえるかもしれない。そういう感覚です。
「自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間を求めている感じ」がとにかく嫌なんですよ。
お互いにその甘えを押し付け合って、依存し合って、監視しあって、縛りあっているんです。
グループ内で数多くの不文律が出来ていて、破ると「非常識だ」。
グループ内では同じものを好きになって同じものを嫌いにならなければならず、期待にこたえないと「裏切った」。
そして「非常識だ」「裏切った」と言われないで済むように振る舞えることが「コミュ力」だと勘違いしている。
これが嫌なんです。表面的に期待にこたえて何とかしのぐことはできますが、永久にこれを続けるのは耐え難いです。
彼らはそれが幼稚な依存関係であることに気付いてすら居ない。依存関係のことを「絆」と言い換えて美化している。
そして依存関係を自分と同じように美化しない人を批判して、仲間内の依存関係を強める道具として活用するんです。
よく出来たシステムだと思います。しかし私は短期的には耐えられますが、長期的にこれに耐えるのは負荷が高すぎて無理です。
いつも同じこと出来る仲間がいることが悪いことなのか? 都会でそういうものから開放されたのに、わざわざこんなの書くのは何でかな。少しでも羨ましいという気持ちがなかったといえるのかな。
都会に出てもなかなか解放されないんですよ。都会に居る人が皆そうではないという訳ではないので。
都会に暮らし、社会的地位や経済力を持っていても、「自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間」を求めている人は居ます。
羨ましいとは思えません。"イツメン"の内部では、イジメとは行かないレベルの醜悪な「イジリ」が蔓延していることも知っています。
(彼らはイジる側に居る時は「冗談」「ネタ」と言い張って、イジリを止めようとする人を「ノリが悪い」と批判します。
そして自分がイジられる側になると「酷いイジメを受けた」と言い張るか、自分より弱い対象を探してストレス解消のサンドバッグにします)
そしてLINEグループから外される恐怖、陰口を言われているかもしれないストレスと常に隣り合わせであることも知っていますから。
特に親しい友達が居ることが悪いことだとは思わないんですよ。私にも居ますし。
ただ、違いを受け入れられない幼稚さが気持ち悪いんですよ。
オレはこれまで一人で生きてきたし、これからも一人で生きていける強い(成熟した?)人間だ、と言いたいらしい。この強さの幻想は都市空間と若さがもたらす限定的なものなので、あまり過信しないようにね。
そんなこと一言も言ってないです。
ぼくはレイシストです。まで読んだ
書いてません…。
まるで監視社会かのような濃密なコミュニケーションネットワークだと、趣味部分への干渉も同じようになされるケースは結構多そうだよなぁ。無意識だったり善意だったりする場合もありそうだし。
だからこそ、その善意に対して不快感をあらわすと叩かれるわけですけど。
ただ「善意でコーティングされた押しつけがましさに対してストレスを感じる」こと自体は、
「おまえどこ中だよ」「イツメン最高」系の人でも経験あるはずなんですよね。
「自分の趣味を押し付けたいから、押し付けられることも受け入れなきゃいけない」という取引に縛られてるだけな気がする。
で、この「押し付けたい」が幼稚であり甘えだと言いたいわけです。
オキシトシンは中枢神経で働く神経伝達物質でもあり、母子の絆や、信頼や愛情といった感情、グループ認識などの社会的行動にも複雑に関わっている。
オキシトシンは、自分の嫌いな人が何かに成功した場合には嫉妬をかきたて、嫌いな人に自分が勝った場合には得意な気持ちにさせる、というものがある。
私が嫌悪しているものって「オキシトシン過剰」の一言で説明できるものかもしれませんね。
より厳密に言うと「オキシトシンの負の側面に目をつぶってオキシトシンを礼賛するスタンス」。
とりあえず私が作ったわけではないことだけは主張しておきたいです…。
http://j-lyric.net/artist/a00839f/l027f2d.html
地元じゃない人が多い大学でも企業でも同僚に趣味や共感を求めまくる人は一定数いたから地元かどうかだけじゃなさそう。ただ、人生で会う人間の数が少ないまま大人になることで一つしか人間関係が想像できないのかも
地元志向と「知人と自分の同一化を求める人間」はイコールではないのに、私の中で強固にイメージが結び付けられているのは、
地元志向で生まれつき与えられた人間関係に籠る人ほど「人生で会う人間の数が少ないまま大人になる」傾向にあるからかなと思いました。
でも確かに偏見でしたね。調べれば確実に強力な相関があると思いますが、イコールのように言ってしまったのは偏見でした。
内容自体は趣味押し付けてくる奴うぜーの域を出ないのだが、それを地元志向とか関連性よくわからん呼び名でタイトルにしちゃったのが残念な増田。まぁさすがにレイシストは言い過ぎだろとは思うので同情しとく。
「レイシストは言い過ぎ」というか、地元志向には排他性(よそもの嫌い)が伴うので、地元志向の人こそレイシストに近いと思います。
「地元愛」と「隣の県の人間が嫌い」が表裏一体だったりします。
うざい奴が決まって持ち合わせている幼稚さは故郷を離れてヨソモノとしての振る舞いが必要な環境にいれば改善されたのではないかと思わせられるって話でしょ?めっちゃわかる。
はい…。そういう話です…。
「お前もてないだろ」も追加お願いします。