はてなキーワード: カギ括弧とは
いちおう、一つだけ確認。
世の中、何事にも例外はある。
事実と意見を分けて書くトレーニングはそれなりにやってきたつもりで、これまで書いた文章で全称記号をつけてまで断定した記述はしてないはず。
日本最大最強企業であるトヨタなんかは、組織の大きさにも関わらずイノベーションを継続する能力を維持できているように見える(内情は知らないけどね)。
これは同意見でトヨタは凄いと思うよ。ただ、(内情は知らないけどね。)も同立場で、トヨタ人材は画一的なトヨタ人材なんじゃないかと邪推している。
つまり、認識の歪みは承知だが、「QC活動万歳!」「下請けは明日からコスト50%減で作ってね」といったイメージ。
大野耐一の生産性向上運動、サプライヤー企業との共同開発研究も大きく、そこらへんのホワイトカラーの貢献度で言えば小さいものだと思うけれども。
紹介された「art of innovation」であるが、どうもIDEOというシリコンバレー企業の話らしい。
創発型のプロセスであれば、ワールドカフェ手法であるとか色々知ってはいるが、それが凡人からイノベーションを起こせるというプロセスならば大歓迎。
個人的には凡人からイノベーションは生まれ得ない、むしろブレーキと思っているが。
内なる組織改革か、外なる自己追求か。その閾値はこのカギ括弧にあると思うのだが、「東大の」はまあ明確だ。
それでは、「優秀で」は?「意識の高い」は?
私自身について言えば、
優秀:「話してみると、優秀なのが伝わってくる」「天才型」「期待している」とかいう評判は聞く。平均から見たら優秀な思考能力だと思うよ。
ところが、外に出るとなると、なにか武器が足りない気がする。
意識の高い:インサイドアウトな状態ということだろうか。これまたよくわからない。
ちなみに、採用担当が「こいつは優秀だ」と思うやつ、オレは優秀でないと思うことが多いんだけど、どうなのかなあ。
強いて、絶対的な優秀という意味では、トラックレコードというのだろうか、
テニサー副部長といった肩書き、全国大会という実績、会計士という説明可能な資格こういったわかりやすい指標がホンモノの優秀なのかも。
飲み会などで血液型占い(性格診断)の話題になると歯がゆさを感じる。
血液型占いは全く根拠のない迷信なのだが、日本では結構当たり前のように話題に上る。Wikipediaによれば血液型占いが広まっているのは日本・韓国・台湾くらいらしいし、実際日本人以外でその話をしているのを聞いたことはない。
コミュニケーションのとっかかりとして使われているのは百も承知で、確かに便利なのだが、絶対に自分はこのオカルトに関わりたくない。だからといって、血液型占いなんて根拠のないオカルトです、と主張しても誰も聞いてくれないし場がしらける。下手すると頭の固いつまらない人と思われるのが落ちである。なので、僕は必ず「カギ括弧」をつけて、O型っぽくないって言われるんですよ、とか、人によって僕の血液型が何型っぽいかっていう意見がバラバラなんですよ、などと、人がどう言うかという観点で話すようにしている。これなら、場の空気を壊すこともないし、自分は信じていないという立場を守れる。
(ちなみに、嬉々として血液型占いの話をしている人に会うと、その人の知性の評価が何割かダウンする。特に理系の男が言っていたりするとかなりがっかりする。)
同じ非現実であっても、僕にとっては、サンタクロースや幽霊について話すことは全く問題ないけれど、血液型占いや水が人の優しい言葉に反応する(「水からの伝言」)といった話は受け入れがたい。それはやはり、前者は非現実であることを前提に語られるの対して、後者が科学的文脈で語られるからであろう。このような感覚は僕たち科学者・理系の人以外にも共有してもらえるだろうか?
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日本では、血液型占いや水からの伝言が代表的なオカルトだが、日本と同様科学大国であるアメリカでそのような非科学的な話がまかり通る例と言えば、創造論(=進化論の否定)である。
最近Scientific Americanの記事で見た(http://goo.gl/vb3CD)のだけど、アメリカの高校教師の28%しか進化論を十分に教えず、13%は創造論を教え、残りの6割は臭いものには蓋で適当にごまかすか、あるいは両方教えて生徒の判断に任せるという状況だそうだ。創造論は宗教的な考えに基づくので、否定すると信奉者からのクレームが面倒だということもあるのだろうが、科学教育の観点からすると非常に危ない。
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血液型占いよりは創造論の方が生物学の根本に関わるだけに、信じることによる害が大きい気がする。一方で、血液型占いにおいては、創造論に対するような大々的な科学的批判(アメリカでは裁判も起きている)がなく、人が当たり前のように信じているという気持ち悪さがある。このように質は違えどオカルトがまかり通るということはどこの先進国でもあるのだろうか。たとえばヨーロッパなどはどうなのだろう。
Perl基礎文法最速マスター - Perl入門〜サンプルコードによるPerl入門〜
http://d.hatena.ne.jp/perlcodesample/20091226/1264257759]
Route 477 - Ruby基礎文法最速マスター - , 1. 基礎 , 2. 数値 , 3. 文字列 , 4. 配列 , 5. ハッシュ , 6. 制御文 , 7. サブルーチン , 8. ファイル入出力 , 知っておいた方がよい文法 , 余談 , (おまけ)Ruby書籍紹介
http://route477.net/d/?date=20100125]
http://www.1x1.jp/blog/2010/01/php-basic-syntax.html]
http://d.hatena.ne.jp/dplusplus/20100126/p1]
昔勤めてた会社の人が「年にひとつぐらいは(仕事以外で)新しい言語、フレームワークに触れるといいよ」みたいなことを言っていたのでこれを機に(正直好きではなかった)Perlもはじめてみようかなと。
Java基礎文法最速マスター - 何かしらの言語による記述を解析する日記
http://d.hatena.ne.jp/nattou_curry_2/20100130/1264821094]
LLじゃないのも出てきたので改題。このへんいっぱつで Mece になるようにできないのがしょぼいなー。
ところで増田ではカギ括弧でくくってもリンクが正しく認識されないしhttp記法のタイトルもリンクにならないしイケてないのなんとかできないのかな。
いい釣堀があると聞いて。お、なんだなんだ、俺も乗っかっちゃおうかな。そんな軽い気持ちだったのがまずかった。
なぜ書いちまったんだ、くそッ。
出来ないっッ。
そんなことは無理。絶対的に不可能。
存在するものを否定することは出来ない。
しかし、諦めるな!その前提が間違ってる。つまり、、、
人によって奏でられるもの。
しかし、この俺の会心の一手はいとも簡単に崩される。
そもそも初音ミクとは、クリプトンから発売されてる、人の声をシミュレートした音楽ソフト。人ではない。音楽ソフト。
人ではないからといって存在を否定?なんという人の傲慢。
初音ミク使いは「マスター」とか言われるらしいな。
つまり、マスターではない。家具だ。おまえら、初音ミクの家具なんだよぉおおおおおっっっうつうつつつつ!!!!げらげら。
こんなの音楽じゃなくて、ファンタジー。あなたが悔し涙を以下略じゃねーよ馬鹿野郎ーー。
駄目だぜ。ああ、全然駄目だぜ。初音ミクを認めない。俺が初音ミクを否定しきってやるっっ!!!!111
まずは状況の整理だ。そう、冷静に。クールになれ増田。(この話、二次創作としてどうなの?とか疑問に思うなっ。思ったら負けだぜ。)
これが事実。これが前提。そして、
「「初音ミクの否定」」これが俺の勝利条件。だから、初音ミクは黒。
初音ミクは黒でなければならない。ということなのだ。
「 初音ミクは完全に黒 」これを証明するためには、なんとかのカラス。なんだっけ?レンペル?ヘンペル?うろ覚えだ。この考え方を用いてみる。
これは、「初音ミクは黒。ゆえにそれ以外は白。」初音ミク以外のものを白だと証明できればいい。
しかし、初音ミク以外の潔白を証明することなど不可能に近い。
音楽ソフト、および音楽機材。これがどれだけ膨大な数あるのかわからない。これでは、なんとかのカラスで本当に初音ミクを追い詰めることが出来るのだろうか。
そう、相手は初音ミク。「ボーカロイド」なのだ。だから、これを逆手に取る。
『『ボーカロイド以外に歌詞を歌わせる音楽ソフト/機材は存在しないっっ!!!』』
ボーカロイド/初音ミクが黒である理由。それは「ボーカロイドは歌を歌う音楽ソフトである」シンプルにいえばそれに尽きる。ボーカロイドだけが明らかに違う。他にはない。そこがクロ。遠目から見ても他はシロ。だから、ボカロ以外みんな潔白。故に、ボーカロイド及び初音ミクは有罪。真っ黒。
なんという屁理屈。さあ、この屁理屈にどう返してくれるんだ??初音ミクよ!!!1
しかし、魔女はがっかりした表情を浮べ不適に笑う。
「がっかりだぜェエえええ、増田ァァァアああッッ!!!!!!!この程度で否定だと???笑わせる。いつのまにかチャートがボカロに席巻されても文句はいえねえなぁぁァアあああ!!!11げらげら」
初音ミクは音声をシミュレートする音楽ソフトだ。音声とはつまり「生音」。生音をシミュレートする機材など掃いて捨てるほど存在する。例えば、ピアノやストリングスをシミュレートするシンセなどだ。
増田の論理なら、このような「生音」をシミュレートする機材は白、潔白なのである。
しかし、初音ミクも「生音」をシミュレートする機材なのである。
ということは、「生音をシミュレートする機材は白」潔白、まったくもってシロなのである。
「その理屈はねーだろ。部分的にそうだというだけだ。犯罪者が、本当は心の優しい人だからって犯罪者には変わりねーぜッ」
このツッコミにも反論できる。
ボーカロイドはこれまでのシンセ技術の集積によって成り立ってる。
ボカロ技術の否定は「ボカロ以外」のほかの技術をも否定しかねない。
歌う技術でさえそれまでの機材で出来なかったわけではないのだ。ていうか、「歌」の定義は?これまで否定したら「音楽」そのものの否定だぜ?くっくっくっく。
誰も、初音ミクを否定することは出来ない。
増田の負けだ。
……負け。そう負けだ。すべてを受け入れろ。跪き、ネギにキスをしろ。翌朝、「ネギ臭い」と学校や会社で言われても「俺……、初音ミクの家具だから……」と言え。知っているか?初音ミクはネギしか食べない。けけけけけッッげらげら。
〈 沈黙 〉
……へっ、言ってくれるぜ。でもなぁ、まだ駄目だ駄目だ。ああ、全然駄目だぜ。まだまだだ。俺は初音ミクを否定する。自分でもわかってんだろ?初音ミク。俺を追い詰めれば追い詰めるほど、自分の首をも絞めていることに。
「初音ミク」がどこにいるか、わかってきたぜ。
909、808はテクノの名機といわれるドラムマシーンである。
このマシン、名機と言われる以前は格安で投売りされていたそうである。それはなぜか。もともとこのマシンは生ドラムをシミュレートしたものだった。しかし、今では楽曲制作の定番音色であるこれらのサウンドも、かつては、「生音」に程遠く、アクの強い食えないものと認識されていた。なのでプロのミュージシャンから「使えない」とレッテルを貼られたのだった。
それがなぜ、名機と呼ばれるまでに至ったのか。
それは、格安で売られていたから。それをデトロイトの黒人たちが買ったから。彼らが「使えない」機材に魂を入れたから。
つまり、そうなのだ。
『『機材の問題じゃない。魂の問題だっっッあ!!!!111』』
まったく根本的なことを見落としていた。機材がどうだとか2次元キャラがどうだなんて関係ないことだった。音楽がどこにあるのか。音楽とはなんなのか。音楽とは魂のこと。人の魂からしか発することのできない表現。それがつまり音楽なんだっっッツツあ!!!!!!11111
単なる薄っぺらい二次元キャラである初音ミクに音楽は作ることが出来ない。「初音ミク使い」が「初音ミク」に使われてるだとっ??まったくの詭弁、屁理屈だぜ。
『『音楽は人にしか作れないっっ!!!!1』』
音楽は人が作る。ボーカロイドはメーカーが作る。「初音ミク」自体にも中の「人」がいる。それに人が魂を込める。道具に魂を込めるんだっ!
単なる「絵」単なる「二次元」の初音ミクは音楽と何も関係ない。だから「初音ミク」は存在しないっっッツ!!!「初音ミク」に魂はない。
「……くっくっくっく、さすがは人気ブロガーだな。増田っぁぁァあアアア。“ミクに魂はない”だと??くっくっくっくっくっく……ミクに使われる家具無勢がっ。
そもそも前提を間違えてるだろ?初音ミクといえばニコニコ動画。動画なんだよ。動画。
いっくら音楽に魂込めたところでそんな細かいことは誰も聴いてないんだよ!!音楽なんてBGMだろっ。バックグラウンド・ミュージックだろッ。動画の中でミクが踊れば、音楽なんて誰も聴いてねぇんだよッッ!!!!!!1111」
……へへっ、必死になってきやがった。形勢逆転ってとこだぜ。
あともう一息。後もう一手で「初音ミク」を否定することが出来るぜ。
でもどうやって・・・・・・
『『音楽に魂が宿っていることを証明できたら勝てる!!!』』
また屁理屈だぜ。ボーカロイドだって使いようによっては魂を込められるかもしれない。それでは「初音ミクの否定」は出来ない。……いや、待てよ。初音ミクは音楽ソフトなんだ。そこに魂はない。そこに魂を入れてやるんだ。人の魂。人の個性。愛。それが二次元のキャラクターを打ち破り、それを証明できるのならば……。
毒を喰らわば皿まで?……しかし、それって、、、
「くっくっく、わかるぞ。お前の言いたいことはァ、増田ァッ。お前、“増田”だよなァぁぁ。そんな勇気がどこにあるんだぁぁぁッツああ???!!!1そんな勇気があったところで自滅だぜッ!!!無謀と書いて勇気???馬ッ鹿じゃねーのーーぎゃはははははははははっはははっはははっはげらげらげら」
“要は勇気”か。魔女さまにはこのくらいしかカードが残ってないらしいぜ。あと一息、ゴールは見えてる。しかし、行く手を阻む地雷原。そんな心境。引き返すことも出来る。また哀れな増田が無茶しやがって、それだけで済むんだ。
手元のカードは残り一枚。これを切るべきか切らざるべきか。
仮に切るとして、勝っても負けても「初音ミク」との戦いの中だけで済めばいい。しかし、このカードを切るということはそれだけじゃ済まない。リスクが大きい。あまりにも大きい。
なぁ増田。初音ミクを否定したいんだろ?初音ミクを否定するにはどうしたらいいと思う?「初音ミク」を否定するには増田じゃ無理だ。このエントリーが100ブクマ集めても不可能。絶対的に不可能。だから、増田であるこの身を捨て、このカードを切らなくては「初音ミクを否定」することができない。
『『初音ミク、及びボーカロイドの意味を変えてやるしかない』』
意味を捻じ曲げる。そのために人柱が必要だ。つまり、目には目を、毒には毒を、ボカロにはボカロを。その為の最後のカード。それがこれだッ!!!
『『増田がボ
…………何コノ茶番?そもそものそもそもがオカシイのだ。読み返さずともわかることだろう。論理矛盾。否、文章がヘタすぎて意味が通らない。ツマラナイ。長文グダグダ。カギ括弧を思わせぶりに使っているが、用法があまりにも不規則。さしづめ、この増田が「酔っ払って書いてたら盛り上がっちゃいました」の類であろう。
初音ミクのものと思わしきセリフがあるが、これに元ネタらしきものがあるということも不自然だ。パクリきれてもいない。そもそも、初音ミクって何か特定の喋り方なんてのはあるのだろうか。恐らく、ない。あったとしても、誰かが勝手に決めることだし、勝手に決めていいのだ。
初音ミクは存在しない。故に、初音ミクを勝手に決めてもいいのだ。
初音ミクの存在を証明できなくても、その存在を否定する事もまたできない。悪魔の証明というやつだ。
どこにいるかもわからないものは、否定もできない。
否定できたとしても、それは誰かの初音ミクを否定したにすぎない。
ならば、一体どうやったら増田たちは初音ミクを否定することが出来るのだろうか。
恐らく、否定は出来まい。(増田に書くというだけでは尚更ダメだろう。)
可能性として、「ボーカロイドよりも面白いもの」を提示してみるというのがある。でもこれって「ボーカロイドよりすごい技術」なのか「ボーカロイド以外の選択肢」なのか、どれにしても初音ミクがなくなるわけでもないし、否定にはならない。
だったらもっと柔軟に考えよう。「否定はできない」というなら、「否定しなくてもいい」というところまでズラしてあげれば……。
これは「新しい/古い」論法。これまでの「初音ミク」は古い、ということにしてやればいい。ボーカロイドの意味を変えてやる。こちら側から初音ミクの意味を規定してやればいい。
……ああ、なんだ、むちゃくちゃ長文になってきたなぁ。だりー。やっと結論だ。こんな結論でいいのか増田?書き始めた当初と違うぞ。これは単なる思考実験だ。相撲取りと水泳選手が戦うことはできない。プロレスラーが話し合いだけで決着つけたらつまらない。なら、せめて同じリング、同じルールで戦い、相手を否定してやればいい。
例えば、ボカロ曲って(ほんとは俺よくわかってないんだけど)、実験的なのは流行らないんだっけ?だったら「実験的じゃなかったらボカロ曲じゃない」とかの既成事実を作るための教育をしていけばいい。その為には実際に作って示すが早い。
ということを考えたのだが、ああ、書けばかくほどにグダグダ。これ書くだけじゃ説得力がない。やはり行動で示すが早いのか。他になんかないかな、と思い手元をみると……たまたま、自作のボカロ楽曲が…あ、った……けど、何?「これをうpっていうのをオチにしろ」と悪魔の囁き。いやいやないない。実験的でもないです。そもそもうpとかしたことないです。「でも増田でグダグダ言ってもショーガナイジャン。実際にやってみればオチになるんだよ。」いやありえないです。音質最悪です。「カウンター・ボカロ曲だと思って作ってたじゃん」恥さらしです。初音ミクでもないです。フリーソフトっす。「ボカロ曲なんて作るの簡単。100ブクマで曲をうpしますと書け」いやいや、売名とか言われるっすよー『『だから増田でやってるんだろーがッ!!』』
……こんなオチでいいのかよ。何なんだよ。なんでこんなの書いちまったんだよ。クソッ。はたして、こんな文章を上げることで初音ミクを否定することができるんだろうか。いや、できまい。これを読んだあなた。どうか真相を暴いてください。それだけが私の望みです(てか長文過ぎて誰も読んでないだろうけどな)。
http://anond.hatelabo.jp/20081026030356
まずタイトルから
正しいコピペは「馬鹿なの?死ぬの?」なので、君はコピペもまともにできない人間なのだと読者に思われてしまう。
ただし、有名なコピペをわざと間違えて使ってみせてからネタの伏線として利用するという手法もなくはないので、まだ読者もこの時点では判断を保留して読み進めてくれるはず。
ライトノベルが特異な発想をしたモノ勝ちなのって、日常の人間関係や恋愛とかに乏しいから
特異な設定を取っ払うと、みんな似たような話しか書けなくて、それを誤魔化すために
煽り文として、かなり好調な書き出し。
ラノベを貶めるときの常套句を冒頭に配置することで、タイトルとの相乗効果で読者をうまく煽ることに成功している。
「日常の人間関係や恋愛とかに乏しい」の主語がわからないけど、これはタイトルから「作家」だと推測してなんとか読み進めることが出来る。
文学だって、この世の中で珍しいくらいの不遇を抱えているマイノリティな社会的弱者や
ありえないくらい、けだるげに思弁的な登場人物ばっかりなのって、そうしないと話が面白くできないからでしょ?
これも素晴らしい。
ラノベに限定した話だと思って読み進めていた、ラノベは読まないけど文学作品は読むというような読者に奇襲をかけることに成功している。
あいつらって、普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けないから、普通の人に見向きされないようなニッチな話しかかけないんでしょ。
順調に読み進めていた読者の大部分がここでつまづく。
「普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けない」って当然だよね?「普通の発想」で書けないから「普通と違う話」なわけだし。
ただ、「普通の人に見向きされないような」というくだりで、なんとなく「普通の人が見向きするような、それでいて面白い話」を君が理想としているのだということは推測できる。
「普通の人に見向きされる」っていう評価軸の導入が唐突過ぎるので、これについてはもう少し前置きが必要。
きっと、作家先生を祭りたてる読者も作家先生と同様に人生経験が薄っぺらなヤツか、分厚い人生経験をもってるやつがああ、人生経験無いわりに頑張ってるなーってニヤニヤ読んでるくらいなんでしょ?
ここはいい煽り文だ。
「作家先生」をバカにされて頭に来ていた「作家先生を祭りたてる読者」たちの怒りが一気に吹き上がることうけあい。
ただ、「ああ、人生経験無いわりに」のくだりはカギ括弧で括らないと「分厚い人生経験をもってるやつがああ」って若本規夫のモノマネみたいに見えてしまうので注意しよう。
予想される反論を的確に撃墜している。素晴らしい。
ただ、ここでタイトルのコピペの誤用がネタではなく素でやっていたことなのだと確定してしまっている。
本論に入る直前でのミスはかなり手痛い。
大部分の読者はもう後の文章を読まないし、読む人がいても君をバカにする目的で斜め読みするだけだ。
いちど斜め読みモードに入った読者の関心をもう一度取り戻すのはとても難しい。
そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの? 死ぬなの?
ああ、薄っぺらな作品ばっかり。
悲惨の一語につきる。
作者と読者のどちらをバカにしているのかもよくわからないし、「そんなひとくくり出来ないような概念」として並置された「学園異能」と「具体的な社会的弱者」の共通項も、それを通して君が明らかにしようとしているものもよくわからない。
「ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってる」についても説明不足。
でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれども。
「間接的に直視」という表現がそもそも語義矛盾を起こしているし、「事実を薄っぺらに表現するからこそ」「現実を間接的に直視する事ができる」という理屈もよくわからない。
それで、あたかも全部の世界や社会が語ろうとする。経験不可能なことを可能したつもりになってる批評家の方が人生経験が無いよね。
「批評家」という新しくでてきたキーワードがプロの批評家のことなのか、作品について語りたがる読者一般のことなのか不明。
でも、作家が言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はある。
「何かをひとつのジャンルで語ろうとする事」が何を指しているのか不明。
「金型」というのがキーワードみたいだけど、これも前置きが必要。何が言いたいのかぼんやりとしかわからない。
まあ、経験の薄い作家先生のうすっぺらい人間の言葉にも飽き飽きしたし、それをわざわざ拡大解釈して言語化するフォロワーのうすっぺらい感性にも飽き飽きしたよ。
話の流れを唐突に遮っているので普通に考えれば悪文。
ただ、中間を飛ばしてここから読み出した読者が君の考えを三行で把握する役には立つ。
突然ブックマーカーに語りかけてもしょうがないだろう。
「次のステージ」というのが何を指しているのか不明。
http://anond.hatelabo.jp/20070209131658
かぶっている気もするけど気にしない。
私は、必ずと,言っていいほど,同じような,時間帯に,散歩する。
その文節が掛かる文節(私は→散歩する)が、3文節以上離れている場合には読点を打つ。
文節をカンマで区切りました。離れすぎると、修飾語・被修飾語の関係が曖昧になるからだと思われます。
これはなんかの文法書で読んで、そのまま自然に心がけています。
これが原則。
私は毎朝、歩いている人と/私は、毎朝歩いている人と挨拶します。
複数の述語候補がある場合の例外。
副詞(句)の掛かる文節を明示するために、副詞(句)の前で読点を打つ。
連用形で止める中止法や、並列の関係にある場合は読点を打つ。
文中に主語が出てくるときは、主語明示のため、主語の前で読点。
接続詞や接続助詞の後で読点を打ち、論理関係をはっきりさせる。
カギ括弧前に打つ。
私は、ここで、はきものを/ここでは、きものを脱ぐ。
誤読防止のために読点を打つ。
「わ」と読む「は」の後にひらがなが続くときは、いつも打っていいくらい。
ネットでの言葉遣いだと、漢字使わないでひらがな使うことも多いですし。
ネット上では、これが念頭にない人が多いので、みなさんも注意されたし。
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