はてなキーワード: 半年とは
もう30手前になるんだけど、就職関係の話を見るたびに俺の選択はどうだったんだろうと思うから書き下す。
ガキの頃から建築が好きで、通学路に新築の一軒家が建とうとしている現場があれば眺めていたり
当時は劇的ビフォーアフターが流行っていたのもあって小学生の頃から「一級建築士になる」
ことを将来の夢にしていた。ちょうど、中学の頃に叔母が新築を建てる際に建築家の先生に依頼することになり
仕事の様子をよく見せてもらっていた。また施工中の現場もよく見に行っていた。
この段階では将来はこの仕事をして飯を食うことになんの疑問も抱いていなかった。
まず、一級建築士を取るためにはその前の二級建築士を取らないといけないため、高専の建築科を卒業するのが最短ルートだった。
幸い、地元に高専もあったのでそのまま卒業し、地元ではないが県内の有名なゼネコンに入社することにした。
今思うと最初からどこか個人か組織系の設計事務所に行けばよかったが、そこのゼネコンは医者等の高所得者向けの注文住宅のシェアが非常に高かったのでいろんなことが出来そうというのが理由だった。
まあ入社して最初から希望配属ではなく、定型的に公共建築やショッピングセンター等の不特定多数が使用する施設or大規模建築の部署の現場監督のほうに回されて
現場を見てきてね!ってことになった(ここに関しては文句はない、現場を知らずに設計すると大体あとからツッコミが入るのはどこの業界でも共通だと思っている)。
現場は楽しかった。何もない所を重機で整備して、図面をもとに指示出しをして・・・などなど、大変なりに現場の職人達とコミュニケーションを取りつつ仕事をすることと
だけども、監督業というのは当然ながら現場を監督する役割のため、朝は誰よりも早く現場に来て鍵を開ける。パトロールをする。書類関係(役所に申請するものも非常に多い)。
工事写真を撮る、職人からの質問や要望に応じる等、朝から晩まで動き回るし、図面をみてアレコレ指示出しもするし身体も頭も結構使う仕事。
特に明日の準備なんて今日の現場が終わって職人が帰ってからじゃないと出来ない。
あと、工期の短縮=コスト削減のため土曜日は基本的に出勤(最近になって完全週休二日制の現場が増えてきたよね。職人からは不評だそうだけど)です。
施工に関しては施工要領書があり、当然それを満たすように作る必要がある。
そしてそれを確認するために工事写真を撮って、ちゃんとやってますよという証拠にする。
ただ、全箇所撮るのは人が足りなくて無理だったりするので写真を撮ったところ以外はテキトーだったり…。
コンクリートの養生後の圧縮強度が規定未満だったり、エトセトラ。
昨年話題になった大成の札幌の精度不良の件、あんなの表沙汰になっただけで偉いよマジで。
当然、監督業とはいえ1年目のペーペー、当然、現場代理人というこの世の神みたいな扱いの最高司令官が上司にいます。
基本その人から仕事をもらうというか、指示があって動くので上司次第で現場は変わります。
上司より早く出勤し掃除して上司より遅く帰るのが絶対。いつの時代?
割と学生時代からチクり魔で(嫌な奴)、これ以外にも沢山問題点はあったので都度会社にこれっておかしくない?
って相談しましたがいやいやそんなもんだよ。スタンダードだよってあしらわれて終わりでした。
まあ残業代も出なければ週休二日制ですって労働条件なのに毎週土曜日出勤して振替休日もなく
好きで選んだ仕事、自分で選んだ会社、こんなもんか~って思っていましたがあまりにも無理すぎて大体半年で体重が15kg落ち病んでその半年後に退職しました。
退職する時もモメにモメて散々暴言も吐かれたしコーヒーカップを投げつけられる(一応平成と令和の境目くらいの話です)なんてこともありましたが無事退職&転職しました。
さて、無事に退職出来たら段々と会社に対してムカついてきたので労基に行き申し立てをしました。
残業代未払いその他の労働基準法違反が疑われることに関して告発を行いました。
結果から言うと残業代は払われましたが、立ち入り検査があったとか、是正勧告があったとかは聞いていないです。
でも泣き寝入りせずに告発したことで、お金と残業代を払っていなかったことを認める書面を手に入れたので
それをもって母校に行き「今後かわいい後輩たちをこんな会社に入れないでくれ。就職斡旋するな」と言いました。
これは受け入れられたようで後輩たちが入ったという話は聞いていないです。被害者が増えなくて良かった。
ダメ元でも不正に関して窓口があるならとりあえず行くべきだと思います。
そしてニート期間を挟まず再就職をしました。子供の頃からの夢はここで終わり、縁もゆかりもない地方の縁もゆかりもない職種に就くことにしました。
別会社の同じような職種やそれこそ設計職に就けばよかったかもしれませんが、業界に対して絶望していたので全然違う職にしました。
転職後はマテハン業界に入りました。全然畑は違うものの、もともと趣味でバイクに乗ってイジっていたこともあり
工具はわかるし、建築を専攻していたので図面もなんとなく読める(公差は未だにわからない)。
PLCも元々興味はあったので軽く勉強して少し修正するくらいならできるようになったり、
最近は文系職種から「手に職つけたい」とこの業界に来て右も左もわからない状態で辞めていく人間も少なくないので
最初からある程度なんとかなると踏めば知らない業界でも飛び込んで努力すればいいと思う。
盆やら正月やら帰省して、たまに同級生と会って飲んで近況報告をすると驚きの事態が起こっていました。
「建築科卒業同期約30名のうち、約1/3は建築・建設業界を辞めている」
最初から建築業界を選んでいない人間も確かにいます(女子とか、テキトーな地元の携帯ショップとかに就職してそのまま結婚したやつ)。
少なくとも27人ほどは何かしらの建築・建設業(ゼネコン、サブコン、役所、設計事務所、大学出てコンサル等の建築にかかわりのある仕事)をしていました。
早い人間でやはり1年ほどで辞める(俺)か3年ほどで辞めるパターンが聞いてみると多い。
話を聞いた当時社会人5年目、同期で建設業に残っていた人間はなんと「8人」だけでした。
・建設業に残っている奴
自身の事を建築の奴隷だと自称して設計事務所に就職後、大学に戻って学び直している奴。
上司から怒られていてもプロテインシェイカーを振るくらい神経が図太い奴。
・辞めた奴
ゼネコン入社後1年でパワハラを苦に飛び降り自殺をした奴(幸い助かっている)。
会社で被災し(労災案件)、もみ消されて大暴れしクビになった奴(ニュースにもなってない。地方のデカい会社は怖いね)。
病んだ奴多数
それ以外にも業界はそのままだけど転職を繰り返している奴、休職中の奴、転職を考えている奴とかはいる。
地方で就職した連中だけでなく首都圏で就職した人間も同じ悩みを抱えている。
会社に対して何か指摘しても会社側は「好き・憧れてこの業界に入ったのに何言ってんの?」ってスタンス。
ただ当然、最近は世間の目があるのでデカい会社から変わりつつあるそうだが…根本的には変わらないだろうのが同級生たちとの共通認識。
建設業の人間はどこの会社も奴隷労働、お金が出るかどうかは会社次第。
ワーカホリックが生き残っている。寝ても覚めても建築一辺倒の人間かONOFFのスイッチがかなり明確な人間。
好きなことをして稼げているならいいじゃんって話ではなく、必要な労働をした結果の対価を求めているだけなんだけどな。
現在、就職活動をしている人たちは社内の事情や業界についてはよくわからないはずので
実際にその会社に就職している先輩に聞く、ネットで情報を集める(バイアスがキツいと思うけど)は当然必須。
ただ本当に覚悟してほしいのは、まだまだ昭和体質が抜けていない時代錯誤な業界だということ。そしてそれは地方に行けば行くほど
目も当てられないくらいヒドいということ。
ちなみに転職後、都内で某オレンジ色の●林組と1年ほど仕事をしたときに思ったのは
タブレットを使っているとか電子化・スマート化が進んでいるだけで書類関係やらは却って数は多いし品質面はうるさいし
現場事務所が24時間灯りがついている(と警備が言ってた)らしいからあんまり変わらないかもね。
最終的に就職に関しては他の皆は応援するだけで責任は自分で取るしかないから。
なるべく良いところを探して就職できるように頑張ってください。
そしてもしそこでダメだと思ってもなるべく悲観せずに転職してください。
飛び降りるような真似はやめてね。
自分語りのほうが長くなったけど以上です。
業界の先輩が書かれていましたが「楽しい」のは確かにそうです。現場も楽しかったこと、良い思い出は沢山ありました。
ネガティブ面ばかり書いてしまいましたけどね。これもモノづくりの一端なので好きな人はハマるとおもいます。
設計志望でもいざやってみたら現場もいいな!って思ったくらいなので。
でも、好きでもこれは許せないって出来事が積み重なり、ラインを超えたら…。
あとキャリア形成間違えたんじゃないって話。確かに。大学院までいけばもっとやりたいことも出来たよなあ。
自分のキャリアが高専卒というマイナーな存在なので参考になるのか?と言われれば微妙なところですが
就活生には少しでも自分に合った会社を見つけてほしいと願うばかりです。
ブラックバス美味しいよ
当時滋賀県に住んでて琵琶湖でブラックバスを釣って食べることにハマってた時期があったんだけど、
皮の周辺の臭みさえ取れば白身魚なのでムニエルにしてもホイル焼きにしても美味しい
エンジニア組織に所属してまして上流工程を担当するmgrです。
本日企画承認会議でビジネス部門から商品企画が起案されたので、レビューと承認依頼がありました。
通常なら事前に根回しやすり合わせをして承認会議に臨むので、ハレーションは発生しにくいのですが、本日の企画は
事前レビューなし、完全初見、要求事項不明瞭、リターンも不明、何を開発すればよいかも不明、と散々。
そこで以下を聞いた。
・これのリターンは? → やってみないとわかりません
・リーガルリスク(主に景表法まわり)対策は? → あっ。。。
・売上計上方法は? → なんですかそれ。。。
初見の企画を見せられて、何も回答しないので詰める形になった。
同席してたビジネス部門の責任者から「お前がそんな詰め方をするから萎縮した」となぜか説教された。
「お前ひとりが騒いでる」とも。
なるほど、そういう理解なのか。
KPIも不明、開発工数はおそらく15人月はかかりそう、リソース逼迫してると説明しててもこれか。
15人月なら工期は半年以上は必要だが、3ヶ月ちょっとしか猶予がない。
ユーザーに真っ当なサービスを提供したい、するんだ。そのために有限のリソースを最適配布するんだ、と
意気込んできたけど、全部私の一人相撲だなこれは。
うちの人月単価@200なのでコスト3000万前後。部下は残業してまでも開発をしてる。
これに対して、クソ案件を安易に承認してしまうビジネス組織に絶望した。
もしくは、何も言わないで工数と工期を示すのみ、か?
悪いけど30手前で恋人に貯金ギリ100万って言われたらちょっと引くわ。
海外旅行大好き!って感じの女だったらまぁそんなタイプだわなぁってなるけど、修士卒のお堅そうなエンジニア女性に貯金ギリ100万とか言われたら一周回って面白いかも。
で、まあ結婚するかしないかは別として恋愛したいなら出会いを増やすことが重要ですよ。
だいたい週末に人と会う予定をいれるとして、30歳までに新しい人、恋人の候補になりそうな人に何回であえそうですか?ていうか週末なにしてますか?
半年って短いよ。その後の1年も2年もね。
29歳になった頃から今後の人生をどうしたいのか考えるようになった。
学校の授業をきっかけに物作りの仕事をしたいと思い、大学で工学部に滑り込み、修士に行きメーカーに就職した。
夢に見た仕事では、人が使う物を作れる楽しさ、人間社会故のやりとりの難しさ、下っ端同士で擦り合わせたことも上司のお気持ちでぶち壊される理不尽さなど、いろんな体験をする事ができた。入社から数年は寮に住んでいたので、寮の仲間と日々あった事の愚痴を言って発散しあい、休みの日に一緒に遊んだりしていた。人より遅めだったと思うが、この5年間は私の青春だったと思う。
仲良くなった仲間が、結婚や、転職、海外転勤したりする中で、私自身も居住地や今後のキャリアなどを見直して転職を行い、落ち着いた頃がちょうど29歳になった頃だった。
今までの人生は、完璧じゃ無いし思うところもあったが、これで良かったと思うし、楽しかった。
そして今、人生で初めてちゃんと今後の人生はどうしたいのかを考えるようになった。
全く考えたことがないわけじゃ無い。結婚のピーク年齢を過ぎた時や、親が祖父母の介護をしているのを見ている時などに、今後どうしようかとその時なりには考えていたが、仕事で何かあるとそっちに意識がいってしまい、継続して考えるということはしてこなかったと思う。
今の私のスペックは
年齢:29歳(6ヶ月)
性別:女
年収:570万
ありきたりだと思うが、結婚、妊娠、仕事をどうしたいのかが決めきれない。
結婚に向かうなら今すぐに動くべきなのは頭で分かっているが、両親それぞれからの愛情は感じても両親の喧嘩が絶えない家庭で育ったのでまともな家庭が想像できない。動くにせよ肥満体型が気になる、というか経験値がほぼないから自信がない。
会社での出世を目指したいかというと、必死にやっても自分が思う形で返ってくるわけでない事を知り、とはいえ自分も周りもそれぞれ苦しみ楽しみ無で働いていることが分かった今、そこまで頑張りたいのかがわからない。また、技術者として頑張った先にあるのが専門家よりもマネジャーが多いという部分にも思うところがある。でも、母親が父親にあれほど強気でいられた理由の一つ安定した職を持っていた事だと思うので、辞めるいう選択肢は私は持てない。
子供が欲しい気持ちもなくはないが、それこそ自分の幼少期を振り返ると笑顔が絶えない家庭とやらは分からないし、子供が原因でキャリアが明確に断絶した時に生き甲斐が無くなることや収入源が無くなるリスクが怖いし、その時子どもに当たらずにいられると思うかというと、、、、
今いまは、どっちに向かうにしろ、肥満体型をどうにかしたいので月2kg減ベースでダイエットを行い、仕事を止める気はないので、仕事を覚えるための仕事をする日々を過ごしている。
今後の人生をどういう方向にしたいにしろ、向き合いながら動かなきゃいけないとは思うが、いまいちどうしたいのかが決めきれない。
29歳になった頃から今後の人生をどうしたいのか考えるようになった。
学校の授業をきっかけに物作りの仕事をしたいと思い、大学で工学部に滑り込み、修士に行きメーカーに就職した。
夢に見た仕事では、人が使う物を作れる楽しさ、人間社会故のやりとりの難しさ、下っ端同士で擦り合わせたことも上司のお気持ちでぶち壊される理不尽さなど、いろんな体験をする事ができた。入社から数年は寮に住んでいたので、寮の仲間と日々あった事の愚痴を言って発散しあい、休みの日に一緒に遊んだりしていた。人より遅めだったと思うが、この5年間は私の青春だったと思う。
仲良くなった仲間が、結婚や、転職、海外転勤したりする中で、私自身も居住地や今後のキャリアなどを見直して転職を行い、落ち着いた頃がちょうど29歳になった頃だった。
今までの人生は、完璧じゃ無いし思うところもあったが、これで良かったと思うし、楽しかった。
そして今、人生で初めてちゃんと今後の人生はどうしたいのかを考えるようになった。
全く考えたことがないわけじゃ無い。結婚のピーク年齢を過ぎた時や、親が祖父母の介護をしているのを見ている時などに、今後どうしようかとその時なりには考えていたが、仕事で何かあるとそっちに意識がいってしまい、継続して考えるということはしてこなかったと思う。
今の私のスペックは
年齢:29歳(6ヶ月)
性別:女
年収:570万
ありきたりだと思うが、結婚、妊娠、仕事をどうしたいのかが決めきれない。
結婚に向かうなら今すぐに動くべきなのは頭で分かっているが、両親それぞれからの愛情は感じても両親の喧嘩が絶えない家庭で育ったのでまともな家庭が想像できない。動くにせよ肥満体型が気になる、というか経験値がほぼないから自信がない。
会社での出世を目指したいかというと、必死にやっても自分が思う形で返ってくるわけでない事を知り、とはいえ自分も周りもそれぞれ苦しみ楽しみ無で働いていることが分かった今、そこまで頑張りたいのかがわからない。また、技術者として頑張った先にあるのが専門家よりもマネジャーが多いという部分にも思うところがある。でも、母親が父親にあれほど強気でいられた理由の一つ安定した職を持っていた事だと思うので、辞めるいう選択肢は私は持てない。
子供が欲しい気持ちもなくはないが、それこそ自分の幼少期を振り返ると笑顔が絶えない家庭とやらは分からないし、子供が原因でキャリアが明確に断絶した時に生き甲斐が無くなることや収入源が無くなるリスクが怖いし、その時子どもに当たらずにいられると思うかというと、、、、
今いまは、どっちに向かうにしろ、肥満体型をどうにかしたいので月2kg減ベースでダイエットを行い、仕事を止める気はないので、仕事を覚えるための仕事をする日々を過ごしている。
今後の人生をどういう方向にしたいにしろ、向き合いながら動かなきゃいけないとは思うが、いまいちどうしたいのかが決めきれない。
臭いする人はなんか病気が隠れてることあるが、何もないなら体臭外来行って、食事の問題なら奥さん連れてって医師から説明してもらえ、食事は自分で別メニュー用意するんや
30代も半ばになると、仕事でもプライベートでも年下の子と話をする機会が増えてきた。
「求めていないときのアドバイスほど嫌なものはない」というのは、その通りなので、なるべく意見を言わないように気をつけている。
でもそれって、かなり一方的で都合のいい考えじゃないかって、思うようになった。
直近であった具体例をひとつ挙げよう。
趣味の会で知り合った知人が、4月に新卒で就職したものの仕事が合わなくて悩んでいるのだという。
集まりのときに「仕事が本当につらい」「この前も身体が動かなくなって休んでしまった」「もう限界だ」という話をされた。別にアドバイスは求められていないと思い「へえ」「そうなんだ」とだけ返していたら、それでは足りないらしく「どうしたらいいと思いますか?」と尋ねてきた。
「辞めるとしても、失業保険がもらえるようになってからの方がお得かも」
「失業保険ですか?」
「1年以上勤めたら、自己都合退職でも月に十万ずつくらいもらえるはずだよ」
「1年は辞めない方がいいってことですか?」
「限界ならすぐ辞めてもいいけど、結局また別の仕事をしなきゃ生きていけないし、無職期間を長くしたいなら失業保険はもらえた方がいいよ」
「どういうことですか?」
「まあ、いろいろあるから調べてよ」
と、このくらいの会話をした時点で、相手はもう話を聞く気がなくなっている。「どういうことですか?」とは口にしているが、本当に説明してほしいわけではないのは、なんとなくわかる。
「仕事大変だよね」 「辞めちゃえば」と言ってほしいだけで、具体的なアドバイスなんて求めていないのだ。
それはそうなんだろうけれど、だとしたら、その話、私にする必要なくない?と思ってしまう。
自分自身、仕事が嫌いで、新卒で入社した会社は半年で辞めたし、その後も次の仕事を決めずに辞めたことが何度もあるし、失業保険とか、職業訓練とか、年金の免除とか、実体験を元にして話せることはたくさんある。
私には私の経験と考えがあって、誰かと会話をするのなら、なるべく自分だからこそ話せることを話したい。誰が相手でもいいのなら、私じゃない人に話してほしい。
共感してほしいだけでアドバイスはいらない、というのは、正しいのだろうけれど、「デートとか面倒だからホテル行ってセックスだけさせてよ」くらい下品な気がする。
なんというか、欲望丸出し。
「身体だけ貸してよ」は、言っている方も、下品さを自覚している気がするけれど「アドバイスはいらない」は、言っている本人は、まっとうな権利だと思ってそうで、それも嫌だ。
「アドバイスは求められていない」というのは、あくまでも年下の子に嫌われないためのテクニックであって、本質的にはナンパ術と変わらない。正義などではないはずだ。
今は抗うつ薬を飲んでいる。
少しずつ減らしていくものらしい。
食欲が爆上がりしたのだ。
ものすごく困る。
スーツが入らなくなってきている。
半年で15kg太った。
でもその代わり、食べることがとても楽しいのだ。
「美味しいってこんなに楽しいことだったのか!」と子供みたいに喜んでいる。
太るのが困るんだが、それ以上に食べる喜びがある。
さっきも晩御飯の後にさらにジャムパンを食べて、悦に入っていたところだ。
まあそうは言ってもこれ以上太るのは嫌なので、薬を変えてもらおうと思う。
前に相談したら「我慢してください!」と言われたけど、限界だ。
さよなら、食の喜びよ。
でも、薬変えた後も、食べる喜びが残ってるといいな。
さて、ここからは抗うつ剤を飲んだ後に、美味しいと思ったものを挙げる。
豚の生姜焼き
鳥の唐揚げ
・食後すぐに磨く
・ただの知覚過敏の場合は薬を塗って削らない
この辺がちゃんと守られるようになったおかげで今の子は虫歯が少ない。
羨ましすぎる。
俺の生きた時代は歯磨き新常識全盛期でテレビや雑誌はしょっちゅう大嘘を広めてくれた。
曰く
「歯磨き粉は使うな」
「磨き過ぎはよくないから夜1回でいい」
「少しでも水が染みたら虫歯が広がる前に削れ」
無数の大嘘がはびこり、テレビで「真実」に目覚めた奴らは口の中を銀歯だらけにされて人生を過ごす羽目になった。
最悪の時代だったよ。
誤った医療が広まることがどれほど社会に害をなすのかを感じる事例だった。
少し前もネットの「真実」を鵜呑みにした反ワクチンが暴れまわっていたし、皆本当に誤った医療を信じて他人に差をつけたがるんだなあ。
癌になったときに怪しいキノコやハッパにすがる人が後を絶たないわけだよ。
ほんましんどい。
38から健康目的で週に3回30分ほどスロージョギングをしていたら謎の腰痛になりエアロバイクに変更したが半年後再び腰痛になった。ピキっとなるやつ。歩く時も痛み思わずおじいちゃんみたいにな姿勢になって最悪である。
同居人いわく反り腰が原因ではとのこと。思い当たり過ぎた。反り腰改善のストレッチすると治るので多分反り腰。女性しかならないと思ってた。えーん。
そこで勧められた踏み台昇降運動、これがなかなか良い。高さは20センチ、旧ドラえもん主題歌の速度で登って降りてを繰り返すだけで汗をかく。1日30分~50分くらい。
膝のダメージが怖いので一応クッション引いてサポーターつけてやってるよ。ゼラチンも飲んでる。
そんな踏み台昇降運動はじめて1ヶ月経ったが今のところ腰痛はマシになった。でも有酸素運動としては少し弱いのか体重は少し増えた。おやおや。
体重増加を犠牲に足腰は鍛えられてる気もする。立ち仕事でも疲れにくくなったしポケGO1日中やっても余裕がある。
これいいのかも?そう思ったおじさんはもう少し続けてみることにしたのだった。
ここ半年ほとんど寝たきりで外出できず病院にもいけておらず、ここ1ヶ月はヘルパーにお金を渡して買ってきて貰った菓子パンとスポーツドリンクでなんとか行きてるくらい、ますます悪化しているのでケースワーカーにタクシー通院を申請していたが、ここ半年程の通院履歴がなく現在の状況が確認できていないからタクシー通院は認められず、まずは病院にいってタクシー通院が必要かどうかの判断を医者にして貰ってくれと言われた。タクシー通院の是非を判断して貰う為に通院する体力がない。このまま死ぬか…。
Xでも増田でも、女性に対して八つ当たり的な憎悪を表明して、それに賛同してる男が多くなった印象。
もちろんXにいるミソジニストインフルエンサーの影響もあるんだろうけど、それにしてもここ半年ほどで異常なくらいに増えてる。
ずいぶん前から韓国みたいになるんじゃないかって言われてたけど、本当にそうなりそうだね。
徴兵もされてない、就職で不利にもなってない日本人男がなんでそこまで女性に憎悪を募らせるのかは謎だけど、このまま男女対立が進めば本当にミソジニー弱者男性の、無差別的な犯罪が増えそうな気がする。というか、今ミソジニー煽ってる連中の目的ってほとんどそれなんだろう。
彼らの目的って、女性がより社会不安に怯える生活を作ることであって、それって好きな女子に相手して貰えないからって悪戯ばかりを繰り返す小学生と同じ。
端的に言って、精神が発達してない。
本当にあほらしい。
おまえは、ときわ台メリーガーデンと、Brilliaの間の道路を先に行ったところを左に曲がって突き当りを右にいった最初の駐車場に車を止めているから、そこに撃ち込まれた事実がないだろ
撃ち込まれた事実が存在しないのに被害者面をするな。 ときわ台メリーガーデンからは、 令和5年10,11,12,1月でしたか大量になんかあったのでさすがに出して撃ちました。
Brilliaの対面の焼き鳥屋のがきもなんかしてるけど、撃ち込もうと思っているけど、なんかまだこう、ちょっと可愛いっていうのか、なんかおぺちっぽいからですね、まだやっていないと。
前野地域交番は、1年前かに、110番処理簿を置いたら夢枕に立ったので撃ちました。 それから、なんか、 撃ち込んでいないところには撃ち込んでいないので。
飯沼病院もですね、なんか、半年前に、撃ち込んだ記憶があります。さすがに対応が怪しいからな、あそこは、あの小人とか、松下とか。だから怪しいところには撃ち込んでいるんだよ。
初夜セック○できなかったのはお互い処女童貞だったことが原因ですが、その次からは私が何かと理由をつけて断っています。
初夜で気付きました。私本当にセッ○スに興奮できないんです。
昔から私は被虐趣味を拗らせていて、男の人に跪いてエロいことをさせられる小説やらAVやらを摂取してきました。痴○、露○、調○モノは毎日見ます。
今でもツイッターで溢れてるフェミvsアンフェのやり取りのアンフェの言葉を読み漁っては興奮するくらい頭のおかしいドMです。男尊女卑大好き(リアルでそうなれとは思ってないし、フェミニストを応援しています)。
そんなだからか、彼氏と普通にセックスしようと思ったら何にも興奮できなくて困ってます。彼氏は常識的だし優しいです。気遣いもできる。前戯もやってくれる。
ただ私が興奮できないだけで......。
しかも彼氏にSMのSをやってもらっても興奮できないだろうなぁと思っています。あくまで合意セック○になってしまうから。
過去にSMしていたときも、わざとおじさんを選んでメッセージのやり取りをしていました。
合意SMに本気になれず、“おじさん”にしていただくことで不同意SM感を出したかったからです。本当に言葉が悪いのですが、モブレのモブは清潔感がなく油ぎっていて太っていて毛深いほうが好きなんです。
彼氏はアニメ好きのオタクですが、最低限の清潔感があり理想のモブおじっぽい風貌ではありません。例え理想のモブおじの容姿でも彼氏である時点で興奮できないとは思いますが......。
一応今の所彼氏とはうまくやっているつもりです。セッ○スできない代わりにフェ○は毎回しています。
ただ、興奮できず冷め切ったままのセッ○スをするのはやっぱり無理です。1mmも濡れないし、彼氏に好き好き♡みたいなことを言うのも苦手だし、彼氏に申し訳ありません。
1番の解決策は興奮できない状況でも濡れるようにすることだと考えていますが、現実的ではないように感じます。
どうしたらいいでしょうか。
ここに書くのは間違ってるかもしれませんが、もしよろしければご教授ください。