はてなキーワード: 高身長とは
ワイは男やがすらっとした高身長の女求めてるやで
2010年代は冴えない男子高校生とか大学生の彼女連れ見たけど、2020年代か令和入ったあたりからパッタリ見なくなった。女の子は千差万別だけど男の子は大抵イケメン高身長。ここ最近で若い子に影響しそうな何かあったっけ?
妻「友達ちゃんのとこ赤ちゃん産まれてさ、すごい可愛いの!うちらもそろそろ子供欲しいな〜」
夫「そうだね!うちもそろそろ考えようか!」
妻「うん!」
その思い付き、迷惑です。衝動子作りしていませんか?安易に出産していませんか?
お二人の経済力はもちろんのこと学歴、学生時代の立ち位置、身長、目の大きさや顎の骨格などの容姿、運動・身体能力などを今一度しっかりご確認ください(遺伝的な要素は出来ればお二人それぞれのご両親まで確認して欲しいところ)。この国では学歴主義や経済格差、ルッキズムや高身長主義など客観的ステータスの重要性は日増しに高まっています。特に性的資本が基本的にない男性の場合、ビジネスでも恋愛でも最早客観的ステータスのみによって評価されるようになっています。愛情や性格など生きるうえで何も役に立たなくなっているのです。そんな現代日本において、貴方たちには子供を産む資格がありますか?今一度よくお考えください。
今日電車で妊婦さんに席を譲ったんだが、妊婦さんとその旦那さんの服装や持ち物(経済力)、話し方の雰囲気、容姿から子供の未来を自分に重ねてしまって悲しくなってしまった。自分達は運良く余り物同士でくっ付くことができたかもしれないが、子供がそうなるとは限らない。特に男なら悲惨さは言うまでもない。未来の日本人に残されてる経済的パイはほとんどない。なんとか寿命や病気で死ぬまでに経済面で持ち堪えられれば御の字。恋愛に関しても女子高生や女子大生、パパ活女子のSNSを見れば一目瞭然だが、これから先に求められるのは180以上の高身長でセンターパートが似合って肌が綺麗で横顔が外国人並みに綺麗なモデルみたいなインスタ映えする男のみ。インスタに載せて映えない男は比較対象どころか存在すらしなくなる。ただ、そうは言っても流産しない限りあのお腹の子供がこの世界に産み落とされることはもう確定してしまっているのでせめて中島みゆきの「ファイト!」を贈りたい。
ファイト!に関して俺を「闘うものを笑う闘わないやつ」認定してる文盲さんが何人かいるけど、俺は生きづらいこの世の中でしっかり闘ってるつもりだったんだけどな。それにこれから生き辛い世の中を生きることになる子供たちには本当に頑張って欲しいと思ってるし。
あと勝手に俺を反出生主義者認定してシンパシー感じてる人もいるけど、反出生主義者じゃないよ。ジャレッド・クシュナーとイヴァンカみたいな夫婦が子供産むことに何も文句言わないし、大谷翔平×池江璃花子とかでも素直におめでとうって言える。
俺は高身長男性だけど、性被害に遭ったことはある。トイレを覗かれたり、挨拶がてらに無理矢理キスされたり。それでも、性的な存在として表現すること・宣伝することに反対したいとは思わないな。まあ、現在の世界は高身長男性が性被害に遭いやすい社会とまでは言えないから、この言明はフェアではないけれど。
VTuber のストリームを観ていて、女性を性的な存在であるとか、劣った存在であると表現されたときは即座にダウンボートしている。俺は表現の自由戦士としては、そういうのに厳しいタイプだ。でも戦士の基礎、批判はすれど表現そのものは消し去るべきでない、は間違いなく貫いている。表現の悪影響をなくすためには、元凶の表現を止めるよりも、修正パッチを当てるみたいに、さらなる表現を持って理性をより道徳的に教育すべきだ。
以前ゲーマーが、170cm の男性に人権はない、って言った時、ネット民は総バッシングして彼女を退場させた。主義としてはキャンセルカルチャーは許しがたいが、世間の声における非難の公平さについては、ダブルスタンダードではないと評価している。
そもそも人の身長についてどうこう言うのは品がないからそれはそれでやめられるべきと思うけど、巨乳と違ってそれはセクハラではないやん
背が高いねーとか言いながらそれが理由で下半身まさぐられたりはせんやろ
(質的な一般論の話をしてるので、ほんとにそういう被害があった方には申し訳ない…)
別に高身長いじりより巨乳いじりのほうが重要な問題って言いたいん違うよ?
質が違うよねって意味
ドラゴンコミックスエイジは少年漫画レーベルのため「宇崎ちゃんは遊びたい!」は間違いなく少年漫画カテゴリで展開・販売されているのだけれど、ストーリーを読み込めば読み込むほど少女漫画的なストーリーであったりする。
言うなれば少年漫画誌の中で連載されている少女漫画なのだ。
宇崎ちゃんとセンパイの出会いからして宇崎ちゃんはセンパイへ悪印象を持っており、その後に部活動の中でセンパイの良さに気付いていくという過去談がある。少女漫画のド定番シナリオだ。
そのセンパイのキャラクター像だが、不器用で鈍感で人付き合いが苦手で、限られた人とだけコミュニケーションを取るような性格だが、宇崎ちゃんには心を開き、更には作中で宇崎ちゃんを裏切ることはないと明言されていたりもする。
しかも目つきは悪いが高身長の細マッチョ、武術を修得しており、勉強もそこそこできる様子、バイトに明け暮れる忙しさの中で、押しかけ女房のように突撃する宇崎ちゃんへ文句を言いつつも相手をするという優しさがある。
これが少年漫画の王道的な無気力系主人公であれば、次々と異性を虜にしてハーレムを築くところだがセンパイが真に受け入れるのは宇崎ちゃんのみなのである。
宇崎ちゃんは男へ尽くす都合のいい女と表面上は見て取れるが、実際のところはハイスペックなセンパイが突撃してくる宇崎ちゃんに尽くすというストーリー構成だったりする。
もちろん少年漫画レーベルの都合上、宇崎ちゃんへ水着を着用させたり胸を強調するような表現が散見されるものの、それと同等レベルでセンパイの細マッチョさも強調されている。
何なら酒に酔わせて自由にしてしまうという18禁では定番のシチュエーションで自由にされる対象はセンパイのほうである(自由にすると言っても全年齢なので本音を言わせるに留めているが)。
印象を誘導したいわけては決してない。
「宇崎ちゃんは遊びたい!」を読めば読むほど「センパイではなく宇崎ちゃんに都合のいいストーリー仕立て」であることに気が付くだろう。
無料公開している部分だけでも良いので読んでみよう。ストーリーが進めば進むほどに少年漫画としてのメッキが剥がれ落ちていくことがわかるはずだ。
ストーリーがまったく同じで絵のタッチが少女漫画だったら誰も気付かないのではないか。
しかし決して少年漫画誌の中に少女漫画があることへ非難を寄せたいわけではないと理解しておいて欲しい。
そんな前例いくらでもあるし、逆パターンだっていくつも読んできたのだから。
「月曜日のたわわ」が話題になってるときなので改めて「宇崎ちゃんは遊びたい!」がどんな内容なのか確認してみると良いかも知れない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718447418290391042/comment/mogmognya
電車内のメガネ出っ歯や太った男性のキモさを笑う漫画があったとして、「月曜日の不安を吹き飛ばそう」という趣旨で広告だしたら、「こういう人実際にいるじゃん」「過激な表現はない」って擁護は湧くかね。
いやもちろんたわわ擁護してるのがキモオタだからそれに対してのカウンターという意図だとか身体性を弄ることへのミラーリングっていうのはわかるよ?
でも「かわいい巨乳女子高生のイラスト」のミラーリングだったら少なくとも俺は「筋骨隆々の胸元パンパンでちょっと汗で透けてる男子高校生」とか「かわいいランドセル背負ってるショタ」とかそんな感じだと思うんだよ。
それが「出っ歯やデブのキモさを笑う」になるのはもう巨乳=キモいじゃないと出てこない発想だよね。
自分は男なんだけど巨乳って高身長と同じくらい「本人はいろいろ苦労してるだろうけど基本的にはプラスな要素」だと思ってたから驚いた。
男性で巨乳をキモい扱いする人ってほとんど見ないから、女性の考え方なのかな。
ブコメに星いっぱいついてたから多分同じような考えの人多いんだろうな。
ちなみにたわわの広告はあれ規制するよりBLの表紙の方がよっぽどやばいので規制しなくていい派閥です。
「俺はお前の牛じゃない」って本とかこれR-18じゃないんだ…ってなるので見てほしい。
古くは人工知能学会誌の表紙、今は日経新聞の月曜日のたわわで盛り上がってる女性表象の話題だが、昔からフェミニストの方々がミラーリングと称して「この広告なら男も不快だろ!」と創作を発表してるので俺もいくつか考えてみた。
①はフェミニストの方々の創作でもよく見るけど、あまり効果(男性に不快感を与えるための)があるようには見えなかった。まあでも、例えば俺が全裸の写真を盗撮かなんかされて広告にされちゃったら嫌だけど、それは「俺」が嫌なだけであって俺以外の「男性」はなんだあれ?って感じだろうし。
②はまあ該当者には効くだろうし、①をミラーリングとして出してるフェミニストの方々が多いのは不思議、まあ高身長高年収には関係ないけど
ここ10年間、つまり監督が伊東勤に代わってからの千葉ロッテマリーンズは、高卒・高身長・フォークが決め球の右投手の育成に特に力を入れてきました。
2012年オフに育成選手だった西野勇士を支配下登録したのを皮切りに、二木康太(2013年ドラフト6位)、岩下大輝(2014年ドラフト3位)、種市篤暉(2016年ドラフト6位)と似たようなタイプの投手を育成し一軍戦力にしてきました。
ロッテファンであれば、彼らの活躍は分かっていたので、同じようなタイプの投手である佐々木朗希も、「まぁ、なんとか上手く育成できるだろう」と思っていたのですが、まさかここまで上手くいってしまうとは。
よく、「一年目に投げさせなかったロッテはすごい」みたいに言う人がいますが、そもそもロッテのこの育成(一部ファンは勝手に二木メソッドと呼んでいる)では、朗希に限らず一年目は試合で使わないので、何の驚きもなかったです。
佐々木朗希の完全試合は、この10年間における千葉ロッテマリーンズが行ってきた投手育成の集大成だったんじゃないでしょうか。
高卒でドラフト指名時は完成度がイマイチと言われていた選手が育って、偉業を達成するというのは言葉に表せない嬉しさがあります。
もちろん、大卒・社会人やFAで即戦力として入団した選手でも嬉しいんでしょうけど、やっぱり高卒はチームが育てたというのが明らかですし、格別ですよ。
今回の完全試合は、朗希と松川のバッテリーや内外野で守っていた野手の頑張りで達成した記録ではあるのですが、あの場にいない指導者や先輩投手達など、彼の進むべき道を整えた人々の功績も大きいと思います。
交流戦が終わる6月前半までは、何かアクシデントがない限りは毎週日曜に先発することになると思うので、気になっている人はまだチケットが買える今のうちにマリンに足を運んで彼の投球を見てもらいたいですね。