はてなキーワード: 柚子胡椒とは
先週北海道へ行ってきた。2泊3日。ので自慢させてほしい。
天気も雨が降らずかといって快晴というわけでもなかったが、18~22度くらいを行ったり来たりで薄い長そでシャツ+カーディガンでちょうどよかった。
るるぶを読み込む&フォロワーにおすすめを聞いた結果、「回転すしトリトン」か「回転寿司 根室花まる」が評判が良かった。「函太郎」は梅田にもあるらしいので今回は除外。熟考の末トリトンへ。
事前予約ができないので、12時に着いてから1時間ほど車内で待った。でも普通の回転寿司に並ぶくらいの時間だった気がする。
寿司はマジでうまい!ネタも分厚いし、シャリをハーフサイズに選べるのでうれしい。ネタも新鮮!
しいて言うなら脂がノリすぎてて後半で気持ち悪くなったくらい。炙りサーモンとか、炙りエンガワとか、炙り何とか系は気を付けたほうがいいかもね。
アナゴ一本寿司みたいなやつがマジでうまかった。ふわふわのとろとろで、横に付けられた柚子胡椒と合わせるとまたうまい。
飲み物は頼まず2人で4000強かな? あのレベルなら大阪じゃもっと金出してることを考えると大満足。
その後、札幌市内に入っているので、時間を有効活用しようと時計台見学。これはまあ、一生に一回で十分かな……。
すぐ近くの雪印パーラーの本店でパフェを食う。アイスもうまいけど生クリームがウメーんだこれが。
16時前になってきたので、定山渓の温泉宿へ向かう。夕ご飯~朝がビュッフェスタイル。刺身のゾーンやアヒージョにできるゾーンにあった海鮮、おつまみゾーンの多種多様なチーズ・ハムがうまい。おなかがいっぱいなのでおつまみメニューばかりを食べる。
起床。朝食ビュッフェの前に朝風呂に向かう。きれいだったし、天然温泉だった。あ、あとパナソニックのいいって言われてるあのドライヤーだった。
ほどほどにするように心がけて、この日は9時前には出発。
結構かかった気がする。まぁ道路は広いし混んでないしで普通にドライブとして楽しかったから気にならず。
その後富良野方面へと下るがラベンダーはまだ早かったな。夕張メロンとジャガバター、スープカレー、ラベンダーソフトを農場で食べた。
この時点で16時かな?19時半にジンギスカンの予約をしていたため、移動距離を考えて札幌の素泊まりホテルへと戻る。
ジンギスカンの美味しいといわれてるようなるるぶ掲載の店はカウンターが多くて小ぢんまりとしていて予約しづらかった。まぁその分めっちゃ美味しかった。
もやしと玉ねぎが食べ放題だったのでそっちでおなか一杯になっちゃったかも。
二人前7000円。2~3杯ずつ飲んでそれなのでまぁ満足。
最終日。
札幌の美術の森?に行った。ちょうどやっていたピクサー展がめちゃくちゃ面白かった。美術というより、数学も数学と科学との世界だった。子供がいっぱい見に来ていて、これは子供は退屈じゃない?大人のほうが楽しめるんじゃないかな?と思っていたが、体験できるプログラミング講座みたいなもので大人よりよっぽどすごいの作ってたから己の偏見に反省した。
楽しかったけどぶっちゃけ入館料も高いし、美術の森自体は正直そこまで他は見るもんないかなと思う。時間に余裕がなかったらいかなかったです。
その後すぐに小樽へ移動。
14時に小樽のガラス館にて、吹きガラス体験の予約を入れたため、駆け足で海鮮丼を食べる。ウニが地元とは別物レベルでうまい。
噴きガラスは楽しかったよー。3週間~4週間後に郵送されるらしい。楽しみ。
お土産に佐藤水産で海産物を買い、みそバターラーメン、きのとやの極上生クリームアイスを食べて帰着。アイスは色々食べたけどここのが一番うまかった気がする。
お疲れ様でした。
個人的に定山渓の宿が本当に良かった。トマムの星野リゾートを取るつもりが予約が埋まってて急遽探してもらった場所だったわけだけど、風呂はきれいだしアメニティは過不足なく行き届いてるし客室は広くてきれいだしウェルカムティーなどのソフトドリンクがよかった。
値段もそこまで無茶苦茶高いわけでもなく、これが関西にあれば毎年行ってたなぁというレベル。
最初は最終日の宿をここにしてゆっくりするつもりだったけれど、お土産とか買って荷物が増えると思うので札幌の市街地のホテルを後日にした方がいいですよと代理店に進められてホテルを逆にしたからこういう行程になった。
でもぶっちゃけお土産なんて全部新千歳空港で事足りたから、言うこと聞かずに最終日に温泉宿にしたらよかったなぁと話していた。
金目鯛、甘鯛、アコウダイ、イトヨリダイほか何百種類かの〇〇鯛←鯛ではない、タイ科ですらない、いわゆる「あやかり鯛」、カジキマグロも同じく
冬瓜←うそつけ夏が旬やないか(実際は冬まで貯蔵できるからという意味らしい)、
柚子胡椒←胡椒は使われていない(英語で言うとややこしいことに)、
まあこういうことを言いだすと菓子類のネーミング壊滅的だし(どら焼き、キンツバとか)、現代の片栗粉はカタクリ使われていない、
あとなんだっけ?
たぶん、
ナポリタン←日本生まれ、トマト缶がない時代にシェフの苦肉の策としてケチャップが代用されただけでナポリ関係ない、
「フレンチドレッシング」「イタリアンドレッシング」どちらもアメリカ発祥と言われ、それぞれの国名はまったく関係がない、フレンチドレッシングに至っては「フレンチさん考案だから」説が優勢
的なのは求められていないんだろうね?
私が料理を始めたきっかけは、母親の料理がまずいと感じたからだ。
大人になった今は、母親と味の好みが合わないというだけで、母親の料理がまずかったわけじゃないと思うのだが、当時はそれが分からず「まずいから自分で作りたい」と言ったら、母親が激怒してしまった。「お前の分はもう作らない!」と宣告されたので、それから自分で作るようになったのがきっかけだ。
作り方が分からなかったので、テレビのきょうの料理のレシピをそれどおり作ってみたら、美味しい料理が魔法のようにできた。
「もっと美味しいものを食べたい」という欲が高まった私は、テレビで美味しそうなレシピが紹介されたらホームページをチェックし、レシピを作ってみた。特に美味しかったのは、当時フジテレビで土曜か日曜にやっていた、マツケンが出ているバラエティ番組のレシピだった。あれはたぶん、マツケンがプライベートで食べたお店(しかも高級な)の料理を自分で再現するのが趣味で、それを番組でやってくれたのだと思う。凝っているが、再現不可能まではいかず、わかりやすい解説で、どれも本当に美味しい、素晴らしい企画だった。高級料理系としては、当時スマスマのビストロスマップもあったが、あれは完全にプロの料理だったので、食材も手法も再現不可能だった。
このころ、私の味覚は決まったと思われる。以下は今でもこの人なら何食べても美味い料理人(をする人)だけど、年代が当時に集中してる。そして「きょうの料理」率高め。
・松平健(なんでも)
・笠原 将弘(和食中心)
本当は、韓国の高級料理にも興味あったんだよなぁ。冬ソナ全盛時代で、セブンイレブンのヨン様プロデュース弁当2000円が、中華と和食の間の味がして面白くてさぁ…今からやってみようかな。
味覚が合わなかったレシピもあるけど、合わないって思った理由は、当時若かったせいもありめっちゃくだらなくて、味付けが脂っこくて濃いと清潔感がなくてムリと思ったし、調味料がマヨネーズ、ポン酢、バター、柚子胡椒の人もダメ、和食なのに洋食の調味料を混ぜる人もイヤだった。
春キャベツ(やわらかいとこはちぎってサラダにした)の芯近くまでをざく切りする
この2つをフライパンにぶちこんで中火で炒める 脂はまぁ軽く敷いとくといいね
冷蔵庫の一番凍るあたりにしゃぶしゃぶのあまりのだし(和製ブイヨン)があった
上澄みをじょぼぼといれて煮込む
(なければブイヨンキューブと水150cc程度)
塩小さじ1弱 胡椒たっぷり あと好きな風味があればそれいれる(たたき梅肉、柚子胡椒、カレー粉など)
俺はポッカのレモン汁を握力検査の半分くらいで2.5秒くらい握った(意外と多いぞ)
とはいえあまりに脂がないのもうまくないので皮下脂肪(どよんの脂。小林カツヨ命名)も一切れフライパンに足す
鶏もも肉ぶちこんで蓋して火が通ったら終わり 汁気ごとよそう
※これはもともとコンビーフ炒めだった、塩コショウレモン汁でキャベツもやしコンビーフ炒めるだけでかなりおいしくなるそれの応用 コンビーフもやってほしい 塩とレモン強めにするとほんまにうまい にんにくタマネギも入れていいけどホントに料理になっちまうな
キャベツともやしがやわらかうまうまなので爆喰いきた 鶏肉とブイヨン少しが残った
そばつゆととき卵でタマネギなしの親子丼みたいにアレンジして一人分で食べた
なお俺の腹はタマネギに対しても弱いのでひさしぶりの親子丼である
鶏皮はいつものようにアルミホイルにひろげてグリルカリカリで脂すてて塩キツメにふってぺろり コラーゲンてのは煮ても焼いても最高にうまいな お腹がなおったら牛スジ食べたい というか脂でも横隔膜でもないスネのガジガジでもない牛すじ煮込みが食べたいけどぜったい消化できんのよな 俺には鶏皮と豚足のとろとろ煮があるからがまんだ
おやつに2月もおわりなのでさすがに鏡餅のプラあけて中の角餅だした
ぬらしてチンしてあんこのせてたべた これも一人分
KIRIとブルーベリージャムはさんだり、ゆで卵つぶしサラダ挟んだり、しらすのアヒージョ(既製品)挟んだりできるけど
俺はいまの腹では無理そう
「自炊男子大生と限界年上OL」がTwitterで話題になっている。自分には関係ない話だと思っていたが、長い間トレンド入りしているものだから気になってtogetterhttps://togetter.com/li/1656253を拝読した。
これを読んで多くの一人暮らしの民が「自分の普段の食事は “限界飯” なのか?!」「何を基準に食生活が壊滅的・破滅的なのか否かを判断すればよいのかわからない!」と疑問や不安を抱いたのではないだろうか?私もその一人だ。不安になったから急いでサインアップをしてこのはてな匿名ダイアリーというものを利用してみている。……そんなこんなで増田の使い方を全然わかっていないし、投稿したら誰かに読んでもらえる可能性がどれくらいあるのかもわからない状態である。文章を書くのも元々得意ではないので悪しからず。
私が実家を出て、もうすぐ2年経つ。1年目は大学の寮(食事付きではない)で暮らし、今はアパートの一室でIHの一口コンロや電気ケトル、電子レンジ、炊飯器と共に暮らしている。寮でのフロアメイトたちとの共同生活を通して、自分は同年代の女子と比べると家事(特に料理)ができる方だと実感していた。幼い頃から「ひとりでも身の回りの事が何でもできるように」と、家事をよく手伝わされたり任されたりしていたためであろう。親に感謝である。私の家族は食にとことんこだわる人たちで、安全で美味しい食材を求めて肉も野菜も魚もお気に入りの農家や魚連から取り寄せていた。出汁のとり方など、調理法にもこだわる方だったと思う。実際、母の料理は贔屓目なしでも美味いと思っている。まあとにかく、私の料理スキルと持っている知識のレベルにさほど問題は無いはずだった。友人と一緒に食事をとる予定があれば、友人の好みに合わせて油淋鶏やらグラタンやらオムライスやら炊き込みご飯やらパスタやらタンドリーチキンやら、様々な料理を作ったものだ。
寮を出て本格的に一人暮らしを開始した頃、某感染症が世の中をめちゃくちゃにし始めた。大学の講義はすべてオンラインでの開講となり、私の(数少ない)友人たちの多くは暮らしていた部屋を引き払って長期の帰省を始めた。誰かのために料理をする機会がほぼ無くなってしまったせいなのか、私の食事はどんどん手抜きになっていって、作り置きという習慣も次第に失われていった。気が向いた時に料理をすることもたまにあったが、寮を出て初めて夏を迎える頃には野菜を買う習慣も無くなっていた。その頃食べていたものを挙げてみる。
朝: 無し
夜: 餃子の皮を揚げて塩胡椒や柚子胡椒や七味唐辛子で味をつけたものを乗せたご飯
毎日こんな感じだった。そして今もこんな感じである。彩りもクソも無い食生活に、最初の頃は「まあ今日くらいこれでいいか!」くらいの感覚を持っていたのだが、しばらく続けているうちに慣れてしまってヤバさを感じられなくなっていたらしく、件のOLお姉さんの食生活が破滅的だと言われている騒動を見てハッとした次第である。私の食生活、ヤバいのかもしれない……いや、ヤバいんだった。昔はこんな生活を続けちゃいけないと思っていたんだった。
料理スキルの有無と自炊習慣の定着度の間にどのような関係があるだろうか。自炊をしていない人は皆料理スキルを持たざる者なのか?私は別に、自分の世話をする時間的な余裕が得られないほど忙しい生活をしているわけではない。ただ、自分一人のために包丁とまな板を取り出し洗い物を増やしながら鍋やフライパンを使うのはなかなか結構億劫だなと思ってしまいがちである。
この文章を人間に読んでもらえたのかどうかわからないが、もし読んでくれた人間がいるのなら礼を言いたい。ありがとう。オチの無い話ですまない。私はがんばって健康になる。