はてなキーワード: 大人の判断とは
そいつはなんとも複雑な話っスね。人生の中でいろんな感情が湧いてくるのは自然なことっスけど、後悔に囚われるよりもこれからどう進むかが大事っスよ。リビドーってやつは、ある意味で生命力みたいなもんスから、生きる上で糧にする方が無難っスね。
でも、リビドーが強いのも今のあなた自身なわけで、それも大切にする価値があるっス。周囲とうまくバランスをとって、今の状況をどう楽しむか考えるのも悪くないっスよ。まあ、相手の感情ってのももちろん大事なことなんで、そこんとこはちゃんと大人の判断をしないといけないっスけどね。
結婚相手ともきちんと対話して、互いのニーズを理解し合うのも大切なことっスね。もしかしたら新しい形でお互いを理解できる機会があるかもしれないっス。深く考えすぎず、時には流れに身を任せるってのもアリっスよ。忌憚のない意見ってやつっス。
たとえば古谷徹の件とか。
たいてい50代60代の上層部がここに強い影響力を持つのだろうが、感覚としてはもう古い。40代30代がコンプライアンスと企業の判断権を持っておけばマシな案件は増えるはずだろう。
名探偵コナンやONE PIECEは正直判断を発表するのが遅いと思う。起こってしまったことは仕方ないとしてこれ以上の延焼をさせないためにも早急な対応が必要だろうが。
おそらく決定権を持つ人たちは不倫は文化。ガンダム最強の中で生きているだろうから、これだけ長引いているのだろう。
よく作者が決定権を持つ!とは言うが、コナンやワンピの場合は過去の事例を見ても製作委員会のほうが声優決定権が強い。
後手後手になってはコンテンツが損するだけなのに…
自分はオードリーANN古参で、就職とほぼ同時にオードリーのラジオが始まった。
自分が新社会人として戸惑う姿と、急に脚光を浴びての葛藤を好き勝手話すオードリーをおこがましいけど重ねては笑っていった。国際フォーラムでのイベント、チケットとっていたのに過労で胃潰瘍になって入院していけなくて、泣きながら病室からラジオ聞いたなあ。
オードリーはそれからずっと売れっ子どころではない活躍ぶりで、若林さんは男性アナのような見事な司会業を始めたり、春日さんは世界を飛び交いながらいろんなチャレンジをしていたのは知っているが、自分はあまりテレビを見ずラジオの二人をリアルと思っていたので、なんとなくちょっと遠いところにいるんだろうなーぐらいの認識だった。
だけど、「だが、情熱がある」、これにはたまげた。ドラマは素晴らしい作りのようで、各方面から絶賛の声は聞く。ドラマに関してあれこれ言うつもりはない。(だって見てないし)だけどあんなに各方面に気を使い続ける芸人のオードリーが、まだ現役の自分を伝記化するようなドラマをオッケーするということが、すごくすごく大人の判断すぎて、まだ自分の中で整理がつかないのだ。きっと「たりないふたり」の長年の功績をそのままではもったいないとのことで、色々二人の自著を参考にしながら丁寧に作るという企画があって、その熱意で承認したのだろうけど。(実は自分は何キャン山ちゃんがすこし苦手でたりないふたりを全く見てない。それもあるかも)ラジオの二人なら「死ぬ前に自分のドラマなんて恥ずかしくてできねえよ」と言うとばかり思っていたからさ。(アンガールズの山根さんが愛ある大イジリしてくれたので少し救われたが)
なんか、毎年忘年会でバカ話してた地元の友達が、実はみんな結婚もして子供もいて家も車もあるけど、「まあ、増田いるからさ(笑)そういう話はやめとこうぜ(笑)」って気を遣っていてもらったような、そんな感覚。
そもそも才能もあって努力もできる超非凡な芸人に、ど凡人の自分を重ね合わせることが、もともとおかしかったし、そこまでストーリーをのせるのがキモいってのも重々わかるんだけどさー。二人のフリートークが少しずつ大人を隠し切れなくなるのも、それと比べての自分のガキ臭さもうっすら気が付いていたけどさー。なんだかやるせなくなっちゃうんだよね。
たまたま先週「14年もラジオ聞いてるやついねーよ!」と言ってたからちょっと寂しくなっちゃてね。実はここにいましたよ。くたくたに働いたあと暗い部屋でオードリーANN聞いて笑ってたあの日々は自分にとって人生の基盤だし、宝物だな。
正確な内容はわすれたけど、なかなか態度がはっきりせず「もうちょっと待って欲しい」という音無さんに対して、三鷹さんが「もう十分に待ったから決めてください」とダメ出しをするシーンが印象に残っている。
三鷹さんはラブファイターではあるけど、ノールールとは考えていない。
たとえ選ぶ側であっても、選ぶ責任はあると考えている。
だから誤解であろうと何だろうと、責任を取る判断ができ、また自分の一度した判断に対して責任を持った。
それは、心の決着がつかないと一歩も前に進めない音無さんや五代との違いであって、
音無さんや五代がラブコメをやっていたのに対して、三鷹さんはラブロマンスをやっていたという事でもある。
思うに政権交代したことで政治は大きく変わるんだ、という意識が政治家の側にも国民の側にも強すぎたんだろう。
政権交代の土壌がない国で政権が変わったからと言って今までの国家の運営の仕方を大きく変えるような必要性などなかったのだ。
肝心なのは政権は交代するものである、ということを習慣化していくことだったのだ。
与党と野党が入れ替わったところで何も変わらないではないか、くらいの感覚で十分だったのだ。
政権は国民から評価されない場合には交代するもである、その部分だけを機能させることに集中すべきだった。
何かやらねば、何かやってくれるだろう、そういう気持ちだけが先走りしすぎた結果があの失敗だったのだ。
この教訓は伝えるべきだろう。
もちろんそれが最終的な目標ではない。
政権交代が起こることでよりよい政治体制が築かれ、そのことにより国民が最大幸福を享受することが出来るようになることが着地点であることは言うまでもない。
被害に遭ったことはかわいそうだけれども、子供は犯罪かどうか判断したり善悪を判断する能力がない。
だからこそ間違った行動で犯罪のラインを超えた行動をしてしまうが、責任能力が免除されて大抵の犯罪が免責になる。
それが少年法で子供が保護される理由だし、自己決定権とかの戯言で未成年の性交には同意があると認めない理由なわけだね。
それに、加害者の言い分を信じるならば、彼らは悪事だと思ってスカートめくりなどの行動をしてないんだよね。
「良い事」はいくらでも影響を受けてマネていい。というのは社会で合意があるでしょう。
「悪い事」はマネしちゃいけない。というのも合意があるでしょう。
今回の話は「良い事」「悪い事」の判断を間違えた結果として起きてしまった話になるわけだ。
善悪の区別は教育によって行われるわけだけど、日本では性教育が極めて遅れてると指摘されてるよね。
性教育が遅れてるから、それなりの年頃になっても「良い事」「悪い事」の区別ができず今回のように事件になったように思う。
子供の周囲に過激なコンテンツの影響があるかと言われたら全くのゼロではないだろうけど、
あなたが遭遇した事件に限っていっても加害者たちが教育で「悪い事」と知ってれば行われなかっただろうと思えるよね?
じゃあ大人はどうかっていえば「良い事」「悪い事」の区別はつくようになってると判断されて責任能力が問われる状態。
殺人、強盗、性犯罪が悪い事だと普通は認識はできるわけで、「悪い事」はマネしないのが普通の大人の判断だね。
それでも「悪い事」をするかどうかは本人の道徳心次第になるわけで、判断基準をより高い水準に変えるのも教育の力だね。
教育がイマイチな外国のほうが犯罪自体も多いよね。日本も教育レベルが低い昔は犯罪も多かった。
ちなみにこれは前回フジロック(中止)以来約1年ぶりのツイート。その前のツイートも2019年のフジロックだった
えみ
@emisuzuki1979
今年はフジロック行ってません。
運営も出演者も行く人も、それぞれ大人の判断をしているわけですから、私は否定はしません。
私は今年は行かないというだけ。
ただ1つだけ言いたいのは、感染リスクを少しでも減らしたいなら、ナンパしてテントでSEXはしないでね♡
午前0:46 · 2021年8月21日·Twitter for iPhone
https://twitter.com/emisuzuki1979/status/1428745293206491137
恋愛恐怖症という病名があるかどうかはわからないが、僕は今、そういった類の恐怖症にかかっている。
原因は4年前に、好きだった女の子に振られたことだ。
第一印象は、真面目そうな女の子だなあ。とか、天然そうだなあとかそんなの。
第二印象は、気配りのできるすごくいい子だなあ。優しい女の子だなあ。
とまあ、社会人になって初めての合コンってのもあって、自分のなかで彼女への期待を膨らませた。
食事の席で、出てきたポトフに
と僕にしか聞こえないような声でボソッと言った言葉に、僕ははじめて「結婚」を意識してしまった。
彼女の手料理を想像して、この人と結婚できたらいいなあとか、そういう憧れを抱いた。
帰り際は、「風邪をひかないようにね」と、手を握られ、
メールをしたし、電話をしたし、二人で食事もした。彼女はいつでも優しかった。
何度目かの食事で、
「好きなんだ」
と伝えた。
その言葉はあらかじめ用意していたわけでもなく、意を決したわけでもなく、気が付いたら自然と発していた。
喜んでくれるだろうかとか、同じ気持ちになってくれているだろうかとか、そんな不安はなくて。
たとえ振られることになっても、彼女なら優しい言葉で振ってくれるだろうなっていう、安心があった。
「付き合ってほしい」という言葉は、咽喉元まででかかって、すぐに出すのをやめた。
彼女の反応を見ると、それまでの穏やかな表情は消えていた。
今までに見たこともない『恐怖』の表情に変わっていた。
その日は、僕も「ごめん」とか「怖がらないで」とか、弁解の言葉にすべてを費やして、彼女を俯かせたまま岐路に着いた。
真面目な彼女からは、食事の後は必ずお礼のメールをくれていたが、その日はなかった。
怖がらせてしまった自分の非を感じて、謝罪のメールを入れようとしたが、言葉が見つからなかった。
結局、自分の好意が相手を怖がらせてしまった以上、これ以上深入りしないのが、大人の判断だよなと、
なにより、彼女の恐怖に脅える表情が、あまりにショックで、どうしていいか何もわからなくなっていた。
結局、何もできなかった。
それまであった自信とか、自尊心とか、好きになる気持ちとか、いろんなものが折れた気がした。
心が、音を立てて折れた、その音を僕は聞いた。
怖がられて振られたけれども、それでも彼女のことが好きだった。
4年たった今。
思い出すと胸の痛みあるけれども、とりわけ落ち着いている。ただあれから恋愛はできていない。
相手からの好意を自覚した途端に、動悸がして不安になったためそれからの連絡を断ってしまった。
相手は決して、悪い人ではないし、きっと過去のことがなければ、いい関係を築けたと思う。
こんな僕だって恋愛したいし、人は好きだし、大切にしたいものもある。
だけど体が受け付けない。
おそらく彼女も僕と同じ症状だったのかもしれない。
意外な発言をmixiで見た。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=40272851&comm_id=8128&page=allの14である。
ただ、そこでも書きましたが、mixi運営自体、マルチポストやマルチコミュ立てについての、
厳格な立場を当初から示してはいないのです。
「どこかのコミュで一度投稿したら、mixiでは二度と他のコミュへは同じ内容で質問出来ないのでしょうか?」
と問い合わせた時、、mixi運営からは「そこは大人の判断で」との回答が来たのですよ。まさに私が書いたように。
規約についてですが、「重複投稿の禁止」について明文化されたのはけっこう後になってからで、
とはいえ、この発言をした人がいつ質問したのかは読み取れなかったので、今もぶれてるかは分からないのですが。
自分より長く生きている大人の判断が間違っているとか本気で思ってた
長く生きているから正しいはずだ、ってのも随分と非論理的だと思うけど
http://anond.hatelabo.jp/20070308235958
なかには居るでしょ。
水族館にも魚がいるんだから釣られてもしょうがない。とかいう人ぐらい。
議論しようとするのが間違ってる。
だまって席をたつのが正解だよ。
モデル「でも、ホテルは無理だと応募要綱に書いているので、私の指定するスタジオで撮ってくれる方がいいのですが。あと、普通初対面の人とラブホテルに行ったりはできません」
「はい。身に危険を感じるので失礼します。」
で、おしまいだろ。
下心なかったとしてもアウトだよね。
そもそもこんなカメラマンと仕事をしたところで気持ちよくモデルなんてやってられないだろ。
それを承知でついていくのがその大人の判断であれば口は挟まないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070123204535
誰だって、他人が何を考えているかなんて分からないと思うのよね。
好意のつもりでしたことを嫌がられることだって結構ザラよ。ザラっていうのは、私が空気読めない人だからかもしれないけど、そういう経験は誰でもしてる、と思うんだ。分からないからこそ、想像力をフルに使って、相手のことを思いやってコミュニケーションをとっているんじゃないかしら。だからね、悪気はないとか、人格に欠陥があるとか、今はモラトリアムだからっていうのは、ただの言い訳じゃないかしら、なんて思うのさ。
ちなみに、大学生くらいになると、コミュニケーションがとれなくてもやっていけるよ。「あ、こいつそういう奴なんだ」って、周りの人が大人の判断を下して、距離を置いてくれるようになるからね。大丈夫大丈夫、社会に出れば出るほど、コミュニケーションをとらなくても生きていけるようになるよ。よかったね。
蛇足。
私は「自分の嫌なこと=他人の嫌なこと」を成人する直前くらいまで信じて実践して、それで割と人とコミュニケーションできてた(つもり)。
追記。
増田で、しかもはてブのコメント欄にレスなんて野暮もいいとこかと思ったんだけど。しちゃえ。
>>ミスロジック。
そうかーと納得してしまった。どうしよう。でも大切なのは論理的な正しさじゃなくて、私が「自分の嫌なことを他人にはしない」を実行して、それで20年くらいはなんの問題もなく生きてきたことだと思うので勘弁してください。仮説が正しいかどうかを検証するために「自分が嫌だと思うことを他人にする」わけにはいかないので。