はてなキーワード: 差別意識とは
あんまり言いたくはないですが地方国立大学とか見ればそんな程度のレベルだと思いますよ。
僕の母校にも「あなたたち学部生は高卒と同じ職場でしか働けないんですよ」「大学卒業して短大生や高卒と同じ程度の仕事しかさせてもらえないわけです」とか講義の時間の半分使って言っちゃうような教授がいるわけで。自分の発言が学歴差別ばりばりなの気づいてないんですかね。
そういう思想って強いから一時でも「自分は国立大学に潜り込めた」という無駄なプライドやら所詮は駅弁大学という劣等感やらから心酔しちゃうんですよね。
まあ、植え付けられた差別意識に気づいたら気持ち悪過ぎてその教授のこと嫌いになりましたけどね。二度と顔も声も思い出したくないですよ。
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/life-style-disease-hashimoto-1
多くの疾病の原因として生活習慣がある事は認めながらも
結論としてこの人は『生活習慣病』という言葉そのものに反対しているようだけど、それって日本人の底意地の悪さというか差別意識の強さがあるからじゃないかなあ…と思う
「バーカー仮説を出すまでもなく、糖尿病になる確率や糖尿病による死亡率は、どこの国を見ても、学歴が低い人の方が高いのです。
これは全世界共通です。遺伝や生活習慣の問題ではなく、もっとも強力にこの病気を左右しているのは学歴などの社会的要因なのです。
学歴は個人の能力だけで決まるものではありません。能力を伸ばす環境に恵まれるかどうかは個人では選べないことが多いのです。」
『学歴は当人のせいじゃないから気の毒だ、助けよう!』って思う筈でしょ?多分海外ではそういう人が多いと思う。
ところがこれが日本だと『低学歴になる奴は親も低学歴で遺伝ガチャ外れの劣った奴だから見捨てろ』という思考になる。
匿名ブログはなんだかんだお世話になったし結構チェックしてた。
偏った場所だってわかってたはずだけど、こんな匿名で文章を書ける場所が中々ないし、ちょっとでもバズれば各媒体の反応を見ることができて、いろんな意見を聞ける事が有り難かったから。たまにすっごく真っ当な場所から欲しかった真っ当な意見を得られる事もあり、それを期待して書いていた。
でも当然殆どがバズるわけもなく、意味不明な返信やもはや当たり屋レベルの悪態、差別意識バリバリのお気持ちをいただく事の方が多く、わかっていても嫌な気持ちになった。
そして今日、なぜか決定的に気付いた。なんだかんだ〝嫌な気持ちになった方の意見〟に自分が侵食されてるんだと。
人間てのは不思議なもので、わかってても、見たもの、きいたもの、言われたことを完全にスルーするのが難しい。その時はできたつもりでも、知らぬ間に血となり肉となり、自分を構成している。
自分がそのとおりで、ふと〝世間〟を考える時、排除していたはずのここの有象無象の取り入れてはいけない意見が思い出されていた。完全に自分の血となり肉となっていた。
ここに書いて、時には励まされ、知識となり、鼓舞となり、考えるきっかけになった良い体験もあった。けれど、自分にとっては今後良くないものだと気付いた。
戦後日本の反省により構築された愛国心に懐疑的な精神性というものは存在したと思う。国を信じ国に従うことで他国を破壊し戦争に負け、戦犯として裁かれ、アメリカ統治の元で環境が激変したのだからそれは自然に起こっただろう。
ネットが普及する中で、これに対するオルタナティブな考え方、つまり薄っすらとした愛国心としての自己肯定、それに伴う博愛や外国への反発、差別意識の表出が広まり、ネトウヨと名付けられた。これは当初、戦後教育へのカウンター的な意識だったはず。
このネット上の空気にはじめから触れている層には、それ以前の世代の意識が左に寄っているように感じられるかもしれない。ネット上で発生した空気を観測してきた年代の人には、考え方が右傾化したように見えるだろう。
おれは戦後教育が描いていた、理想的なお花畑の世界観が好きだ。理想としてビジョンを持たなければ、そこに到達することはないから。
https://gigazine.net/news/20220719-racist-videos-about-africans/
なんかこの記事のコメントで「日本も同じだ…」って言ってる人いるけど、多分普通に中国のほうが差別意識は数段エグい
スラングで「アフリカ人」がそのまま悪口として使われるレベルでエグい
"中国の二次元サブカルチャー用語(ACG用語)で,「運の悪い人」を「非洲人(アフリカ人)」ということがある。同じ意味で「脸黑(顔の黒い人)」という言い方もある。
これに対し,運の良い人を「欧洲人(ヨーロッパ人)」と言う。同じ意味で「脸白(顔の白い人)」という言い方もある。"
非洲人・欧洲人(中国のACG用語)(http://lianying1.blog.jp/archives/78445744.html)
>不老不死。これなら自分勝手で、他人を顧みない悪にも合う。」
どっちにしろ差別意識や偏見があることには変わりないな。不老不死を目指すことが自分勝手で、他人を顧みない悪に合うと思ってる時点でなあ。
大抵不老不死を達成するために他の人間を平気で殺すような邪悪な存在として描かれる。
ドラゴンボールのフリーザ、鬼滅の刃の無惨、ジョジョのディオ、ゲド戦記のクモなどがその例だ。
一方で現実で不老不死を目指している人間は不老不死を達成するために他の人間を殺したりはしない。
現実で不老不死を目指している人物としては、レイ・カーツワイル、オーブリー・デグレイ、渡辺正峰、久保田信などがいるが彼らは不老不死になるために他の人間を殺したり犯罪行為をしたりはしていない。
ではなぜ漫画やアニメの不老不死を目指す人間が他の人間を平気で殺すような悪人に描かれるのかというと
制作者側に「不老不死を目指す奴は平気で人を殺す悪人に違いない」という偏見や差別意識があるからだと思う。
このような偏見や差別意識を無くすためにも、不老不死を目指す人間を平気で人を殺すような悪人に描く行為は規制するべきだと思う。
「子どもを産む(産ませる)べきではない人がいる」という考えは容易に否定できても
「子どもを育てるべきではない人がいる」というのは日頃の虐待とかのニュースからうっすらとでも感じてる人はいるんじゃないだろうか?
イメージ:免許を取得できないカップルは親権を持てず、その状態で産まれた子どもは強制的に乳児院(虐待とかで孤児になった子どもを育てる施設)に入れられるか、不妊、同性等の理由で子どもが産めないものの免許を持ってるカップルのもとに預けられる
子どもに害が及ぶレベルのヤバい親は最低限排除できるんじゃないかと思う
単なるマーク式なら参考書とか(自動車学校ならぬ)育児学校みたいなもので容易に対策されてしまうけど、精神的負荷をかけるような実技試験、自分の言葉で「こんな時どうするか」を書かせるケース問題とかは免許に受かる人自体がゴッソリ減ってしまいそう
◯ どうせ「子どもを育てられないなら」と産み控えが増え、少子化が加速するのではないか?
そんな理性があるならそもそも育児免許取れるんじゃないかと思う(個人的には少子化は所与のものとして受け入れ、社会の方をそれに適応させていくべきではないかと思ってるけど、話が逸れるので割愛)
◯ 「免許持ちの産みの親」に育てられた子とそれ以外の子で結局何らかの差別意識が生まれるのではないか?
これは教育と家庭のしつけと文化的な後押しで根気強く人々の価値観を変えていくしかないのかな…?
浅薄な知識では全然思い付かないけど、きっと他にもいろんな問題点があるはず
「家」「親子」を聖域視している人からは死ぬほど叩かれそうな考えだけど、不幸な目に遭う子どもを一人でも減らすために一考の余地はあるんじゃないかと勝手に思ってる
※ これに関する論文も一件だけ見つけられた
https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/5/55334/20180323114731142159/olj_67_1_(178)_(144).pdf