はてなキーワード: 大判焼きとは
この10年で体重が10㎏増えた。不摂生は数字に如実に表れる。
少しでも時間が空くとTLを覗く。自分好みのツイートがずらっと並び、ぼんやりとスクロールしていく。その時間は少し楽しい。
しかしそれはスナック菓子を食べるのに似てるな、とたるんだ顎を撫でながら思う。
隙間を見つけてはポテチを1枚、あるいはサッポロポテトを1ピース口の中に放り込む作業に。
定食でもなく、フルコースでもなく、焼き肉でも寿司でもなく、スナック菓子で常に腹いっぱいにする感覚。
一瞬で読んで、次の瞬間にはぽろぽろと忘れていく。スナック菓子の袋を開けて、次々と口の中に放り込んでいく感じ。
Twitterを眺めている間は脳が働いてない気がする。
いや、最近は「賛成」か「反対」か、あるいは「敵」か「味方」か、そんな判断を下す脳みそのどっかの部分だけが熱心に動いてる気がしてきた。
今日もTwitterでは「あのスイーツ何て呼ぶ?」「大判焼き!」「御座候だろ!」みたいなやりとり。もう何回見たっけ、これ。
「きのこの山vsたけのこの里!」「バルス!」「お寺の掲示板が正論!」
バズりそうなネタが一定のスパンでグルグルグルグルTLに登場してくる。1か月前か、1年前か、10年前かに見たわこのネタ。
みんな本当に楽しんでいるのだろうか?
ダイエットを始めるつもりは全くない。
「ゼルダの伝説」の主人公の名前をゼルダと思っていたとか、大判焼きの地域ごとの名称の話とか、ソフト麺の分布の話とか、メロンのケースに入ったアイスを食ったことがあるかどうかとか、Wikipediaの地方病の記述が凄いとか、何回同じ話題を繰り返すんだと思うくらいネット上の話題がループしててしんどい。
しかも、こういうのって初めて知った人がドヤ顔で話してるから余計にしんどい。いやもうわかってるよ……。
それで上記の例にみたいに頻繁に出てくる話題にじゃなくて、たまに思い出したように出てくる話題だと、ネットニュースが乗っかってきて、白々しく知らなかった!という論調で記事を書いてくるしな。そのニュースサイトに過去に同じ内容の記事があったとしてもだ。
やっぱり話題のパイには限度があるのか。そして話題がないから、不毛な対立煽りで話題を無理矢理作り出してるのか、最近そんな風に思えてきてならない。
大判焼きも思い出して欲しいなー
GoToトラベルだったり、満席で演劇が上演できるようになるだったり、社会が徐々に明るい方向に向かっているというのに。自分は、映画館もスタバも劇場も何もない田舎から出られないでいる。
産まれてから18年間、同じような生活環境の田舎で住んでいたのだから平気だろうと思っていたけれど、一度都会の娯楽に溢れた生活を知ってしまったら、もうこの「何もない」田舎の生活が苦しくて仕方がない。
大学進学を期にいわゆる都会という生活に触れた時も感じたけれど、田舎は圧倒的に選択が少なすぎる。または、選択を広げるためにかかる時間とお金の負担が大きい。当たり前だけれど。
だって、スタバの抹茶フラペチーノにチョコチップいれたやつを飲みたいと思ったら、電車で30分揺られなきゃいけない。タリーズのヨーグルト&アサイーを飲みたいと思ったら1時間近く電車に乗る必要がある。500円の飲み物を飲むために、その三倍以上の交通費を支払う必要がある。
映画を観たくても電車で1時間かかるし、そもそも一番近い映画館は県をまたがなきゃない。朝日が昇るまでバーで飲むなんてこともできず、日付をまたぐ前にどこの飲み屋も大概閉店してしまう。刀剣展示を見た次にミュシャの展覧会に行ったり、プッチーニのオペラを観た帰り道に箱で頭振るなんて芸当もできない。
きっとこの話を北海道に住んだことのある友人に聞かれたら「こっちはセブンまで〇〇時間かかる」とか言われそうだけど、今はそんな話をしているんじゃない。私が、私の経験してきた人生と照らし合わせて、今の生活がつらいっていう話をしたいんだ。私が今どうしても苦しいっていう話を聞いてほしいんだ。
こんなコロナがはやる前は「また田舎に住むことになったけど、大阪にも名古屋にもすぐ行けるし余裕っしょ。むしろ岡山(長船)にも高知にも福岡にも近くなってラッキー!」ぐらいのノリでしかなかった。ほんと馬鹿。
今じゃ大阪・名古屋はおろか、プライベートでは自転車で動ける範囲での生活に縛られているんだぞ。あの頃の能天気な自分を助走つけて殴ってやりたい。もっと足元を見ろ。
その自転車で行ける範囲にある娯楽はカラオケしかないし、大好きだった大判焼きを売っていたお店は、結局コロナ休業が明けることなく閉店してしまった。
そのくせ、駅前の通りにはデカデカと看板を掲げたキャバクラが立ち並んでいる。これで若者の移住やUターン就職を政策で掲げているのが、むしろギャグとしか思えない。(だからと言ってじゃあスタバを作ればいいのか、という話ではないから難しいけれど)
社会情勢を見るに、まだしばらくはこの田舎から出られない生活が続く。そう考えるとぞっとする、というような感情は薄らぎつつある。今は諦め、の方が感情に占める割合が大きいきがする。それと怒り。
諦めは、この人生を選択したのは自分だから、というもの。都会の生活が良ければ、就職の時に都会の会社を選べば良かった。それをしなかったのは自分の判断なのだから、今この状況に置かれているのは自分の責任だろう、ということ。
この田舎でコロナ初感染者が出た時、その家の窓ガラスが割られた。そんな話、ネット上の創作でしょ、と高をくくっていたけれど本当だった。風の噂によれば、その家族は引っ越したとも自殺したとも聞いている。どっちが本当かは分からないし、知りたくもない。
自分が、自分の家族が次の感染者になるかもしれないのに、よくそんなことができるなぁ。
おそらく、これは自分の想像でしかないけれど、「こっちは我慢しているのに都会に遊びに行った挙句コロナにかかって」といった憂さ晴らしでそうした行動に移ってしまったのだろうと思う。
実際、パートのおばさまたちの「〇〇さんこの前大阪に行ったんだって……」という陰口を叩いている場面に出くわしているので、当たらずとも遠からず、といったところだと思う。
自分は、その憂さ晴らしを、自分の中にある嫌だなと思う気持ちを、こうして文章にして出力することができるからまだ救われている。他人の家のガラスを割るよりは、よっぽど健全な毒の吐き方だと思う。
ただ、万人がこの毒の吐き方ができるわけではないことも分かっている。自分だって本当は、美味しい酒を飲みながら、誰かに自分のつらさを聞いてもらって同情してもらいたい。
それが叶わないからこうして、家で冷凍庫から出したウォッカを、瓶のまま飲みながらこの文字を打ち込んでいる。
Twitterが見れなくなった。舞台や美術館の上演・展示情報を見ると、そこに行けない事実を突きつけられるから。「行く!」と言っているフォロワーに後ろ暗い感情を持ちたくないから。
今の私の手には入らない美味しそうなお料理、綺麗な品々、素敵な物語。「どうせ自分はいけない……」と、いちいち悲しむことに疲れてしまった。
先日、上司(この田舎に住んで十年以上)に息抜きの会話の中で「(大学生活を送った土地)に帰りたいんですよね~」と話したら、「万一コロナに罹った時村八分になるからやめた方がいいよ、ガチで」と改めて念を押されてしまった。
その会話の数日後に、仕事終わりの終電に飛び乗ってその地に行こうと画策していたけれど、その計画もぽっきり折れてしまった。
久しぶりにワクワクした。全部終電を乗り継げば、日付は越えるけどその地に辿り着ける。出勤前に駅のコインロッカーに旅行カバンを預けようとか、馴染みのバーのマスターにはあのお土産を買っていこうとか、あっちに帰ったらあのレストランのご飯を食べようとか、旅行用の歯磨きセットが無いから買わなきゃとか、いろいろ、考えてたんだけれど。
結局そのお休みは、昼過ぎまで寝てYouTubeで酷道走行動画を見たりしていたっけ。
どんどん預金残高が増えるけれど、これっぽっちも嬉しくない。いくら円盤を買っても生の演劇・映画・演奏とは別物。いくら高い酒を買ってもバーで飲む味には到底及ばない。
何で自分は働いているんだろ。
生きてるって言えるのかな、これ。
コメ返信
https://anond.hatelabo.jp/20200919145352
そんなささやかな希望すら叶えられない田舎クソだな〜〜〜ってほんと思う。京都の確か四条通りのカフェのカヌレとかも食べたい。あと博多のShinShin。
https://anond.hatelabo.jp/20200919145353
映画自体じゃなくて映画館に行くまでの道のりが電車しかない(車持っていない)なので詰んでるんですよね。別に映画館とか行くの自体は大丈夫でしょって思ってる。
https://anond.hatelabo.jp/20200919145626
明日トラックに轢かれて死ぬかもしれない刹那主義で生きてるから相容れなくてすまんな……あっでも10万給付で貯金額増えた時は嬉しかった。
https://anond.hatelabo.jp/20200919150005
近゛く゛に゛美゛味゛し゛い゛お゛酒゛飲゛め゛る゛バ゛ー゛が゛な゛く゛て゛困゛っ゛て゛ん゛だ゛よ゛!!!!!!!高い酒ストレートで飲む分にはいいけれど……さ……あとバーの雰囲気が好き人間だからよ……
https://anond.hatelabo.jp/20200919150734
分かりみすぎて笑ってしまった。わかる予言するわ多分「都会の生活は時間が早すぎる、こんな溢れた情報の中で振り回されるような人生は送りたくない」とか書いてそう。生きるの根本的に向いてないな???
あつかましい話。
たい焼きとか大判焼きの差し入れは大好物だし嬉しいんだけど普通のあんこが好きで期待して食べてみたらチョコだったとか白あんだったとかそういう案件がたまにある。
冷静に考えたらタダだし何の損もしてないんだけど喜びとがっかりの落差で何かすごく釈然としない気分になる。
なんでこの人は人に上げる食べ物にこの味を、このバージョンを選んでしまったんだろう?自分が好きなのかな?自分が好きな物は人も好きだと思ってるのかな?自分が好きで買ったけど食べきれないからお裾分けしてくれたのかな?メニューの先頭に載ってる一番の売れ筋を買うのを嫌がる理由とは?とか色々と考えてしまう。
最初から嫌いな物だったらここまでモヤモヤしないんだけど、下手に大好物の食べ物だから何か機会損失してしまったかのような錯覚に陥ってしまう。タダだし最初から損してないのだけど。
そんなわけで食べ物の差し入れは変な派生バリエーションに手を出さずに無難にデフォルトのドノーマルにしてくれたほうが広く喜ばれると思う。