はてなキーワード: 体重とは
○朝
ぬき
○昼
○夜
○体重
72.4kg 22.5% 目標55kg
○食欲
stable
○筋トレ
○精神状態
stable
○日記
小学校や中学校、高校の時嫌な事あってもぶれなかった理由が分かる。
水が旨い。ただの冷えた水なのに旨くて仕方が無い。
水の旨さと言うのは単純に幸福をはかる指数としてかなり良好だと思う。
○メモ書き
自主性
独立性
小さい頃から痩せギスでからかわれることもあったせいか、デブに対しては「お前場所取りすぎ」だの「脚組めるようになるまであんま食うな」だの、挙げ句「デブってなんであんな食うの?てか、あれで危機感感じないとか普通にバカじゃね?」とヘイトスピーチの限りを尽くしてきた。
親が自分の服を見て「細いからってそんなピッタリのボトムじゃ、年取ったら買い直すことになるじゃん」と言った時も内心「うるせーデブ!」と思っていた。
アラフォーになるとほぼ同時に職場が変わり「ここメシがうめえ!最高!!」などと毎日の食事を楽しみに暮らしていたら、僅か半年足らずで一気に10kg増量、しかも増えた分はほぼ全て内臓脂肪という展開に。
当然ボトムは買い直し。
「飽くほど食うなかれ、酔うほど飲むなかれ」って言ったのはベンジャミン・フランクリンだっけ?
「に、人間ドックではずっと低体重って言われていたのが標準体重になって健康になったんだよ(震え声)」と思いつつ実際はただの隠れデブなわけで、しかもダイエットなんてしたことないので、もう何をやっていいかも分からず・・・結局ジムに通って加齢で減った筋肉を取り戻すことを目標にしたけど。
ともかく、デブをバカにするのはハゲをバカにするのと同じくらい、後々赤っ恥を掻く行為であることは確実。
というか世の中年が皆それなりに貫禄ある体型になっているのに、なんで自分はそれに当てはまることはないと根拠無く思っていたのか。
妊娠後、しばらく経って、母子手帳をもらった。検索すると、ネット上にも、妊娠中の心得みたいな記事が山ほど見つかる。
いわく、無理をせず、十分な睡眠・休息を取り、つわりが治まったら(ない人は当初から)、栄養バランスを整え、必要な栄養素を過不足なく摂取すること。
・主食・主菜・副菜を組み合わせてバランスの良い食事を(農林水産省)
http://www.maff.go.jp/j/syokuiku/zissen_navi/balance/
フルタイム勤務の一般的な社会人で、このガイドに沿ったバランスの整った食生活を送っている人は、どれだけいるだろう。
朝6時、7時台に起床し、1時間強かけて通勤し、外食またはコンビニなどで昼食を食べ、夜22時~24時に帰宅する毎日。
自炊はほとんどできず、食事はどうしても主食+お菓子のみとなる。割高なので野菜・果物は食べず、割安なヨーグルトやチーズは食べている。
昼や夜に、外食や弁当でガッツリ食べれば、カロリーは得られるだろう。
しかし、満腹状態だと仕事の効率が悪い/寝付きが悪いので、ほとんど食べない。その結果、いつも空腹で、どんどん痩せていった。
食べないことが一番の節約法、「肥満」より「痩せ」のほうがマシ。
医者から、母子のリスクを低減するため、現状より出産までに10~12キロ程度体重を増やすこと、
仕事をいわゆる「定時」で終わらせ、早い時間帯に帰宅すること、
通勤や仕事の負担を減らすため、産休に入るまで、週5日勤務のうちの1日を休みor在宅勤務にすることを勧められた。
今の日本に、1日わずか8時間の勤務時間で、一人暮らしできるだけの給与が得られる会社が存在しているのだろうか。
毎日8時間以上働いて、ようやく貯金できるレベルの水準の収入が得られる。
今の年収は、30代の平均よりやや下で、東京勤務としては少ないほうだろう。大卒にも関わらず、男女あわせた年収偏差値は48程度だ。
この業界では、会社滞在時間は1日12時間前後が当たり前。定時という概念はなく、裁量労働制のため残業代は出ない。
それでも成果と自己満足のため、睡眠と食事の時間を削って長時間働く。
少人数の職場で、一人欠けると厳しい状況はわかるが、今は無理せず、身体を再優先にするべきと医師は話した。
理想をいえば、妊娠中に限らず、誰でも毎日自炊できる程度の勤務時間にするべきだろう。
現状ではマタハラは起きて当たり前。勤務時間の少ない人と多い人が同じ給与なら、不満を抱かざるを得ない。
成果がすべてとはいえ、時間をかけたほうが得られる成果は大きく、その成果が今の給与水準を維持できる最低ラインになっている。
今の日本で、一人で生きていこうと思うならば、やはり子どもは重荷だった。無理ゲー。二人目なんて、とうてい無理だ。
医者のアドバイスを受け、どうすればいいのか、少し悩んでいる。リスクなんて気にせず、仕事優先でいいか。
フルタイム共稼ぎを一生続けなければ、生まれてくる子どもに大学に入学できるレベルの教育を受けさせることはできない。
8時間労働では、一人分の収入は得られない。共稼ぎならば生活できるが、貯金が出来ないため、将来的に詰む。
健康で文化的な生活を送り、真っ当に子どもを育てるため、もっと稼げる人/時給の高い人になりたい。
どういう人生を歩めばよかったのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20140607133805d
今から数年前の話。当時友達を家に呼び、みんなでお酒を飲んで、全員を見送った帰り道のこと、上さんから、授かったことを聞いた。
当時20代後半結婚3年目、子供を作ろうと始めてから8ヶ月目のことだった。
不安と喜びが入り混じった彼女を見て愛おしく、この人と生まれてくる子供を守っていこう。そのためなら自分のいやなこと全てを受け入ても厭わない気持ちになった。本当に嬉しく何度も彼女に確認し抱きしめた。
当時は夫婦ともに共働きで、また、上さんの仕事もハードだったことがあり、親を含めて安定するまで周囲には内緒にしようと言ったが、親には言いたいと彼女が言ったので了承した。
妊娠前から子供の名前を夫婦で話し合ったり、何をさせたいか言い合ったり、それが現実となるのが嬉しかった。
しかし、程なく彼女の出血が止まらなくなり、自分の不安は的中していった。
支えなきゃ。彼女をなんとか支えなきゃと思ったが空回り。
当時は仕事も忙しく自分自身も帰りが12時を回ることが毎日で先に眠る彼女をベッドで抱きしめることしかできなかった。
先生にどちらが悪いことはないと言われて、その話を聞くのが辛かった。
彼女の父親が来て支えてやってくれと言われた。
手術を終えた彼女に涙をこらえて話しかけるのがやっとで、病室を出て、親友に電話しながら泣いた。
彼女が誰よりも辛いこと、誰が悪いわけじゃない。そんなことは分かっているのに、あの報告を受けた瞬間の幸せが消せなかった。
妊娠ができるということが分かったことが二人にとって大きいことだった。次に授かった子は幸せにしたいと彼女に言い、彼女もそうだねと言ってくれた。
彼女を幸せに、次の子を幸せに、と益々仕事に精を出し帰りが午前1時、2時となった。
友達が私達夫婦を気遣いサプライズで、高級ディナーに招待してくれた。
ディナーを食べながら、辛かったけど私はこれで二人の絆が深まったと勘違いしてしまった。
流産の手術をして3ヶ月、彼女の行動がおかしくなり、調べていったら浮気をしていた。
認めたくなかったが認めざるを得なかった。彼女は開き直り、どうして浮気をしてはいけないのかと私に言った。
全てが音を立てて崩れているのを聞いたきがした。あんなに愛おしい彼女を何度も問い詰めた。
その後、彼女を実家に帰し自分は二人の家で酒を飲んだくれた。生活がままならなくなり友人の忠告で実家に帰ることにした。
2週間で体重が10kg減っていた。
半分無理やり親に連れられ、病院にいったら適応障害と診断された。
毎日彼女のことを考えては泣いた。泣き過ぎて気づいたら涙が枯れていた。
あぁ、あの子はこうなることが分かっていて私達の元へ生まれてこなかったんだなと思った。(そう思うしかなかったのかもしれないが。)
みんなが私を慰め支えてくれた。特に親友は毎日飲んでは吐くを繰り返す私に毎日一緒にいてくれた。
今ではその記憶もだんだん薄れ、毎日を平凡に過ごすようになっている。
でも、今でもたまに思うことがある。私が彼女を支えられなかったばっかりに彼女が別の男に支えを求めてしまったんじゃないかと。
若かった二人はそれが出来なかった。仕事なんてどうでも良かったのに。
先日LINEで彼女の苗字が旧姓なのに気づく。もう5年以上が経ったのにメールを送ったら独身のままだった。
付き合っていたころ、26歳には子供を生みたいと言っていた彼女。何もしてあげられなくて申し訳なかった。
それでも前を向いて生きていこうと思う。
○朝
○昼
ぬき
○夜
○体重
72.9kg 目標55kg
○食欲
increasing
○筋トレ
後2日ぐらい無理です
○精神状態
Stable
○日記
全身擦り傷で2日抜いたのでもうさすがに入らないとやばい。
腹の肉は減って来た気がするんだが体重は増えているな。
○メモ書き
○朝
○昼
○夜
○体重
謎 目標55kg
○食欲
increasing
○筋トレ
無理です
○精神状態
Stable
○日記
今日はすることが特になく、暇だった。沈没とはこんな物なのかもしれない。
が、今回は沈没しに来たわけでもない。
国王の名前がついてるのでプノンペンにあるビルの名前だと思ってたら
地名だとわかった。写真を見たら海がきれいで行って見たい衝動に駆られた。
今回は日程的にいけないがもしかしてバイクでいけるかもしれないから途中まで行ってみようと思い、国道4号を西南に下った。
シアヌークまでの道筋は訳200kmを切るぐらい。
国道は整備されていて広いのだが逆送するやつもいるようなカンボジアの交通状態を考えると30km・h以上での走行は難しい。
自転車とあまり変わらない早さだ。実際にシアヌーク方向から自転車で来る欧米人もいた。
プノンペンの市外を抜けて国道沿いの何もないところを順調に走っていたが、70kmぐらいいったところで
でかい石に気づかず派手にとんだ。バイクは跳ね上がり体が放り出されてバイクに巻き込まれた。
昨日転んだところが再度傷つき足が巻き込まれたため数十秒動けなくなった。
そうすると、周りにいた人たちが迷うことなく助けてくれた。
まったく意味がわからなかった。昨日プノンペンの市外で転んだときは今日より人は多かったんだけど
誰一人として助けてはくれなかったので、今日も誰かが助けてくれるとは思ってなかったんだが今日は周りにいたほとんどの人が止まって助けてくれた。
何だこの違いは。同じカンボジア人なのにこんなにも
強盗や賄賂を要求する警官がいる一方で親切なカンボジア人もいる。
この違いは何なのかずっと考えていたけどよく分からない。
田舎は人の相互距離が近いから距離の近さが善行が働くように作用するんだろうか。
○メモ書き
○朝
ぬき
○昼
○夜
○体重
謎 目標55kg
○食欲
Stable
○筋トレ
あとで
○精神状態
Stable
○日記
川沿いに移動した。
こっちはやすいし、
バイクを借りて運転してたら転んだ。
手のひらを擦りむいた。
こんなところ擦りむくなんて
なおるのめんどくさそうだ。
○メモ書き