はてなキーワード: ハチ公とは
まず結論から言いましょう
ごめん、やっぱやめとく、なんかあんまり紹介とかそういうのってちょっと、と言いました
友人からの返事は短いものでした やっぱりなw 大丈夫、冗談だから!w
思い出します あれは小学生の頃です プールの時間の前 塾に行く前
決まってお腹がとても痛くなるのです
なんだかとても情けなくなりました
どうして、おれ、この年で、恋愛も出来なくて、友達にも小馬鹿にされて、こんな、みじめで、
いつまでも子供のまま置いていかれて、寄ってきた女は気持ち悪いやつで……
まともな恋愛も出来ないなんて。
といっても、つい最近までのことですが
黒髪ちゃんへのメールの返信は投げやりになっていました そして文章は攻撃的になっていました
「うん」
「うんってw 遊びませんか?」
「忙しいんで」
「そうですか(´ ・ω・`) …なんか、わたし、怒らせるようなことしました?(´ ・ω・`)」
こんな具合のやり取りが増えていきました
「ごめんなさい」「怒らせたんなら謝ります」なんだか黒髪ちゃんのメールはストーカーみたいです
めんどくさい処女って こういうことか
そもそもどうしてそんなことを信じていたのでしょうか
すこし考えたら分かることだと思いました
童貞がこんなに駄目で気持ち悪くてクズみたいなんだから、そりゃ処女にも駄目で気持ち悪いクズもいるよな
あははははは
もうよく分かりません、頭が混乱しています
どうしておれはいつまでもこんななんだ 処女厨は子供時代を思い出しました
子供の頃、お母さんとお父さんはなんでも 駄目 といいました
漫画、ゲーム、アニメ、サッカー部への入部、流行の音楽、バラエティ番組、女の子と遊ぶこと……
処女厨が楽しそうなものに興味を示すと そんなもの駄目! 不良になるよ! と叱られました
彼の楽しみは読書です
ライトノベルだとバレないようブックカバーをつけて 自分の部屋で読むのです
本を読むことについては、両親はなにも言いませんでしたから
それから、塾帰りにバレないようにゲームセンターに行くこと と インターネット これが彼に許されたものでした
処女厨は、頭のどこかで、恋愛をよくない、不良のやることだと思っていたのかもしれません
そして同時に、漫画や、TVや、恋愛を、自由に楽しんでいるかっこいい男の子や可愛い女の子を心底憎んでいました
リア充たちは大勢の友人に囲まれていて、キラキラして見えました
いつも楽しそうです
自分のような人間に、キモいと言ったり、非常識なわがままを無理に通したり、ずるい手段で成功を手に入れたり……
それに連中はミーハーです 流行ものにすぐ飛びつきます 気をつけていればだまされないようなデマにすぐ引っかかります マスコミの仕掛けた罠にすぐにハマります 下らないものをすぐに買いあさります
バカです、じぶんより
そういう連中を、処女厨は大嫌いでした
そんな、「スイーツ」の女が告白してきても、そしてそんな女が絶世の美人でも好きにならない自信がありました
ライトノベルにもいろいろありますが、処女厨の好きな物語は、いつも主人公はヒロインと結ばれてハッピーエンドをむかえるのです
ヒロインは、主人公だけを好きになり、喧嘩をしながらもなかよくすごします
処女厨が好きになるのはいつも 生身の人間ではありませんでした
彼は今まで、おれは結婚もしないし、趣味もあるし、これが自分の人生だと割り切って生きていました
一人の世界を作り上げ、すばらしい作品を生み出してきたアーティストもいます
そして処女厨はお兄さんを思い出しました 昔、彼の隣にいたのは兄です
でも兄は、整形手術をしてイケメンになり、日のあたる人生を堂々と生きています
死んでしまいたい。いなくなりたい。消えてしまいたい。消えてしまいたい。
黒髪ちゃんも本当は気持ち悪いメンヘルビッチ予備軍だったんじゃん。
なんであんな、喜んで、おれ……
そこでふと、処女厨は気付きました
そういえば、おれ、黒髪ちゃんにドキドキしたんだよな……
それまで苦しい気持ちで混乱していた処女厨は、何故だかこんなことを思いつきました
もう一度あの子に会ってみよう
処女厨は、メンヘルビッチだった黒髪ちゃんに告白する気はもはやありませんでした
でも、もう一度黒髪ちゃんと会って、ちょっとでもドキドキできたら……
そう思った時の彼は、高揚した、なんだか嬉しい気持ちを取り戻しました
それでも処女厨はそのあと、二、三回メールをしました 今暇ですか、遊びましょう、飲み行きませんか?
返事は、ありませんでした
危ないからと事務所から出されました 電車は止まってしまいました 処女厨は行き場を失ってしまいました
たくさんの人がいます
本当にたくさんいます、急いで歩いているのやら、人並みに飲まれそうなのやら、手をつないでいるのやら
歩いている人は茶髪が多いです そして、立ち止まっている人は携帯をさわっている人が多いです
顔を上げてみると、夕やみの空がビルに迫っていました
たくさんの人々は、だれもそれを見上げていませんでした
エネループ問題について、1日まではデザイン云々が、ブランド価値が云々、と
正直「どうでもいい」討論が続いていたが、2日になって、
「そもそも、独禁法上、パナソニックはエネループブランドと距離置かなきゃならない」
この増田が「中の人」である可能性が高いと思うが、増田の身元はわからない。
(何か刑事事件でも起こって、警察がid身元照会でもしない限り、増田の身元ははてな事務局にもわからないだろう)
一部のはてブに
「なぜこの投稿者は、自分のブログとかじゃなく、増田なんかで投稿したのか、勿体無い」とか
「こういう投稿が、増田経由で行われるのは残念だ、実名で行われる日本になって欲しい」のようなコメントが散見される。
いくつかの理由で、自分は投稿者が投稿先として増田を選んだことを支持する。
個人ブログというのは、「ちきりんブログ」とか「finalventのブログ」とかのアルファブロガーでもない限り、
そんなにギャラリーが見込めない。
仮に増田が「中の人」、つまり電機メーカーの社員だったとして、個人ブログの「常連ギャラリー」は、
まあ10人とか20人程度だろう。
その常連の人相手にエントリ執筆しても、読者は10人~20人でしかない。
この読者のうち「3人以上」がはてなブックマークを付けてくれれば、「新着ブックマーク」されて
他のはてなーにも告知されることになるが、ブックマークの習慣がない読者ばかりだったら、その可能性は少なくなる。
一方、増田は、なんだかんだいっても、相当数のギャラリーを抱えている。(恐らく、百人以上)
しかも、割と増田のギャラリーは、気になった増田記事を、はてなブックマークする慣習がある。
つまり、エントリの内容が興味惹かれる内容であれば、増田ギャラリーの興味を惹き、
さらに新着はてブ扱いされることで、はてブギャラリーの目にも入る、という可能性が広がる。
「個人ブログは、都内のどこにでもある住宅地。他方、増田は渋谷ハチ公前」なのである。
ストリートライブ開催するのに、下連雀だか深大寺だか砧だかしらないが、平凡な都内の人通りのない住宅地で開催する
渋谷なり新宿なり池袋なりのターミナルで開催してギャラリーに聞いてもらう、それがネット界では「増田」なのである。
2.増田は「中の人が、肩書きに囚われずに発言する」のに向いている。
それをパナソニック社員が顕名で発言することは、なかなか出来ない。
「勤務先も明記しているフェイスブックで、従業員が社内事情を投稿する」のようなイメージを抱いているのだろうか?
日本のフェイスブックは「食事の話題、写真の話題、子供の話題ばかりでツマラナイ」という意見もあるが、
結局、なかなか社会人が顕名で社内事情を暴露するのは、日本では難しいのである。
匿名で発言するフォーマットとしては「2ちゃんねる」というフォーマットもあるが、
増田のエネループ話だと、恐らく10回程度に分けて投稿しなければならず、なかなか見づらい。
そして、新規にスレッド立てても、増田みたいに注目集めるかどうか、微妙である。
増田のギャラリーって、案外知的リテラシー高い層が集まっているから、
こういう高度なネタを喜ぶ傾向にある。
読むごたえある内部情報は、2ちゃんねるよりも増田に書いた方が、ヒットしやすいのでは?
また、増田は、というか、「はてな」は、Googleページランクと親和性高いから、
一方、2ちゃんねるの場合、下手すればスレッドが過去ログに収納されて
更に、増田⇒はてブ、と進んだ場合、ツイッター同時投稿されるケースも多いから、
ツイッター界でも話題になる。
(実際、今回のエネループの件も、ツイッター界で結構話題になっている)
http://anond.hatelabo.jp/20120812171545
(※たくさんのブックマークありがとうございます。初めてのかたは、上のURLからどうぞ「ホストの弟子、1限目」)
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あれから、1週間が経った。僕はと言えば、基本は厨房、カウンターを回しながら時々緊急でホストのヘルプで呼ばれるようになっていた。女性に話しかける抵抗は少なくなったものの、話し始めるとすぐに会話がとぎれ、先輩ホストに助けてもらう毎日だった。50人ナンパ(といっても、話しかけて無視される作業)でつけた自信はとうにすり切れていた。
頼みの綱の翔さんも、出勤時に挨拶するぐらい。弟子にしてくれた話も忘れてしまったのかなと思い始めていた。
そんな、僕の考えを読むかのように、翔さんは、また僕を誘い出した。その日は渋谷で待ち合わせだった。今度はハチ公前でナンパでもさせられるのかと、僕が不安な気持ちでいっぱいになっていると、30分くらい遅れて翔さんがやってきた。
「よー。お前汗だくじゃないか。確かに今日は暑いわなぁ。外ナンパはやめて涼しい所行くか」と言うと、センター街へ向かって歩き出した。道々歩きながら、ここのラーメン屋は旨いとか、アダルトグッズはこのビルの地下とか、渋谷の情報をいろいろと教えてくれた。
そんな話をしているうちに、僕らはスペイン坂にある1軒のお店に入った。甘ったるい花のような香りが店内に立ちこめていた。そこは香水専門店だった。
(閑話休題)
かつて高校時代、男子高校生だった僕は友達に借りたスカルプチュアを山のように振りかけ、文化祭に挑んだ事がある。当時、男子高校生にとっては文化祭は唯一と言っても過言ではない重要イベント。気合を入れまくった僕は、香水をつけて挑むという暴挙に出た。結果は、明らかなつけ過ぎ。女子だけでなく、男子も当日は僕の回りをあるくと眉をしかめた。僕は歩く異臭騒動としばらく呼ばれた。
そんなことを思い出し惚けていると、「よし、ぼーっとしてないでやるぞ?」という翔さんの声で現実に戻された。
「これから俺は2時間ぶらついてるから、ここの香水を嗅いで、全部覚えるんだ。まず、あそこに飾ってあるベスト20みたいなのは、香りだけでなくショップカードに書いてある内容も覚えるように。あとで聞くからなー。」それだけ言い残すと、本当にお店から出て行ってしまった。
僕は1人、ポツンと香水屋に残された。
回りはほぼ女性。時々いる男性は、彼女と一緒に来ているカップルだった。店員さんの視線も猛烈に痛い。回りの客は、きっと僕をキモイと思ってに違いない。しかし、モテたいという気持ちと、翔さんが戻って来て質問された時、何も答えられないのが怖さで、仕方なく匂いを覚える事にした。30分も経たない内に吐き気をもよおした。それでも、なんとか2時間頑張った。
翔さんは、やっぱり30分きっかり遅刻してきた。「大体おぼえたか?今からテストするから、目を潰れよ。これ、なんて香水だ?」翔さんはそんな調子でクイズを出してきた。結果は5問中4問正解。自分でもまあまあの出来。すごいとか言ってもらえるかなとワクワクしていると、翔さんは「じゃ、次いくぞー」とさっさと店を出て行った。僕はあわてて追いかけた。
2軒目は、本屋だった。
店の中に入ると、急に翔さんは僕の財布を取りあげた。「お、3万か。学生にしちゃ入ってるじゃないか。本を買うから、これ使うぞ」と、財布から3万を抜き取った。僕が唖然としていると、雑誌コーナーに向かった。いきなり、女性誌をかたっぱしからカゴに入れ始めた。10冊くらい入れた所で、次はタウングルメ雑誌。これも棚に陳列されているものを全部カゴに放り込んだ。それから女性向けエッセー。血液型占いの本、料理のレシピ本、カクテルの本などなど、次々と本は増えて行った。
翔さんは、お会計2万7400円を(ぼくの3万から)払い終えると、5キロはあると思われる紙袋2つを渡した。
「お前、明日休みだろ?この本、明後日までに全部読んどいてな。じゃあ俺、帰るわ。」
そう言い残し、翔さんは手をひらひらさせながら去って行った。香水の嗅ぎ過ぎで気持ち悪い身体に、まったく興味のないほんの山。僕は駅のホームで、声もでない程ぐったりとしていた。
翌日、翔さんに押し付けられた本の山を読み始めた。女性誌のファッション部分はタイトルだけでほとんど読み飛ばし、読者の恋愛相談ページだけを読んだ。リキュールの本は普段使っているカクテルベースの由来がわかって楽しかった。タウン情報誌は、最近流行りのお店特集なのを見ていたらお腹がすいて来た。女性向けの恋愛エッセーは意外と読みふけってしまった。
最初は苦行でしかないと思っていた読書だったが、気付けば楽しんでいた。いつの間にか深夜2時をまわっていた。
翌日、夜10時半に僕の最初のお客さんが付いた。相手はいつもは午前3時頃に来てくれているプロのお姉さん。今日は早番だったらしい。僕は、隣に座った瞬間に、彼女が付けている香水がアナスイ製であることが解った。「これ、アナスイですよね。」そういうと「え、良く知ってるね。」と驚いてくれた。それから、しばらくショップカードに書いてあった、アナスイの話をした。それから10分間、ひとしきり香水の話で盛り上がった。
次のお客さんとは最近のファッション。その次のお客さんとは最近流行の立ち飲み洋食屋の話で盛り上がった。その日、僕はお客さんに次々とウンチクを披露した。昨日、本で見たまんまの受け売りだった。が、僕は今まで話せなかったことが嘘のように、楽しくてお客さんにいろいろ話していると、翔さんに呼ばれた。
「おい。お前そこ座れ」翔さんは苛立っているようだった。僕はなにが起こったのか理解できなかった。
「なんか、昨日連れ回した事で勘違いしてるようだけど、お前に本を読ませて香水屋に連れてったのは、別にお客に嬉々としてウンチク語れるようにするためじゃないんだよ。」と翔さんは、言った。僕はびっくりした。思わず、
「え?違うんですか??女の子と話せるように、そういう雑誌や場所に連れてってくれたんじゃないんですか??」と聞くと
「違う。女の子との会話に詰まった時、新しい話題を見つけられるように知識を身につけさせたんだ。女の子は男よりも無言の間を嫌う。
かといって、なにを話しても良いわけじゃない。その子が興味ありそうな、喜びそうな、話してくれそうな話題をふるんだ。香水付けてる子には香水。ブランドものもってる子にはブランド。ご飯食べるの好きな子には、美味しいお店。何にも拾える所なかった子には、恋バナ。とかな。その場、その場に応じた知識を身につけなきゃいけないんだ。決して、ぺらぺらとツマラナイ雑学を披露させるためじゃない。ほら、よく見てみろよ。さっきまで居たあの子、お前が楽しく話してる間、目が泳いでたぞ?今のほうが100倍楽しそうに話してるだろ?」
翔さんに言われて客席に目を向けると、先輩と楽しげに笑っているお客さんが見えた。
「お前、今日は厨房で良いよ」翔さんはそう言い残すと、すっとホールへ戻って行った。
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246から道玄坂、ハチ公前を左折して公園通りをNHK前までのわずか数百mの間に、
マンガ喫茶、アイドル、バイト募集サイト、出会い系、ギャル向けのモバイルサイト、etc。
当然、駅周辺は常に渋滞。本来なら幹線道路のはずの246も渋滞気味。
もちろん今に始まった話じゃないんだが、こういう宣伝トラックを仕込んでる連中というのは、
意図的に渋滞を巻き起こしていることについて、どう思ってるんだろうか?
あと10台同じサイズのトラックが渋谷をぐるぐる旋回し始めたら、おそらく駅周辺の交通は完全に麻痺する。
というか、今も既にそうなりかかっている。
ああいうトラックって、交差点に長く留まって人目を集めるために、ほぼ全ての交差点を右折するルートを設定してるんだと。
トラックにとっちゃ、渋滞してるほうが通行人の眼にとまるわけだから広告効果もあるだろう。
でも、そういうトラックが常にレーンをふさいでるおかげで、自家用車だけじゃなく、バスやタクシーも
「アドトラックで効果的な屋外広告を!」なんて売り込んでる代理店や、それにホイホイ乗っかるようなアホな広告主は、
自分たちの宣伝が街に不快の種をばらまいてることについて、どう思ってるんだろうか。
ま、どうでもいいんだろうな。
不快だ。
みたいな事を言ってるとある英文記事が面白かったので訳してみた。
********************
http://www.cracked.com/article_18817_5-reasons-future-will-be-ruled-by-b.s..html
未来がハッタリによって支配される5つの理由
理想の未来を思い浮かべてみよう。いや、地球最期の男になった自分がゾンビの群れを蹴散らす妄想じゃなくて、社会から見た理想の未来を。エネルギーはクリーンで無尽蔵、品物は豊富で汚い仕事は機械が全てやってくれる。みんな幸せでしょ?
でも実は、この未来は既に色んな意味で実現している。そしてこの未来を表す言葉は「屁」だ。
とりあえず説明しようか。
#5.
もし俺がお前に「予算ゼロで可能な限りのポルノをネットから持ってきてくれ」と言ったら、どれだけのエロ画像・エロ動画を持ってくる?
多分答えは「全部」じゃないだろうか。
これがちょっと面白い話につながる。ここ数十年、発展途上国では汚染された乳児用粉ミルクで何千もの赤ん坊が死んでいる。あれ、面白いって言っちゃった?ごめん、使う単語を間違えた。とにかく、何が起きてるかって言うと、衛生環境が悪いため母親は粉ミルクを汚染された水で溶かしている。んじゃ何で自分の身体からタダでミルクが作れるのに、わざわざ毒の粉ミルクを赤ん坊に与えるのか?それは粉ミルクの製造社であるネスレがそうしろと言ってるからだ。
企業はタダで手に入れられるものに対してお金を出すよう説得する……みんなが知りたかった未来の姿がこれだ。
みんな俺がファイル共有やデジタル著作権や、腹黒なレコード会社の話をするんじゃないかと思うだろうけど、あんなのはこれから来る未来のほんの一片にすぎない。世界は変わった。生まれた時から俺達の頭に叩き込まれた社会のルールはひっくり返されようとしている。
未来学者やSF作家はよく「欠乏のない社会」――スタートレックのように、物質複製機やフュージョンリアクターが全ての欠乏を終わらせた社会について口にする。確かに物凄く無茶な妄想に聞こえなくもないけど、俺たちの生活の中では、これが既に実現してる部分が沢山ある。エロなんかそう。今ポルノは空気よりも豊富だ。空気は有限だけど、今人類は宇宙が燃え尽きるまでエネルギーをおっぱいのJPG画像に変換する機械を手にしている。今やおっぱいは無尽蔵なのだ。
さて、ツイスターゲームすら出来ないような狭い部屋でも、そこで過ごす時間のほぼ全てをネットサーフィンとネットゲームに使うんだから構わないっていう人がどれだけいるか。彼らは別にプール付きの二階建ての一軒家が欲しい訳じゃない。300ドルのネットブックと月額20ドルのネット接続があれば、友人、出会い、娯楽、趣味、そして家族や同僚との連絡全てが可能になる。家で仕事をする事すら可能になる。
マズローの欲求段階の多くがデジタルのみで満たされる事が可能なのが今の時代だ。
俺たちネット住民はゲームのデジタル著作権等についてぎゃーぎゃー騒いでるだけで、事のスケールの大きさに全く気が付いていない。まるで生まれた時からずっとフェンスの中に閉じ込められた犬が、嵐でフェンスが吹き飛ばされて、周りを見渡して「すげぇ、庭だ!」ってはしゃいでるようだ。
違うぞハチ公。目の前に広がってるのは庭じゃなく、世界そのものだ。
#4.
ビジネスは、生き延びるために無尽蔵な製品が有限であるフリをしなければならない。
というわけで……理想郷が実現した!人類の勝利だ!もうこんな記事読むのやめてパーティでも始めようぜ!
いや、ちょっと待て。粉ミルクの件を忘れてないか?
ここから話が色々とトチ狂ってくる訳で。例えば、公共の図書館は過去500年もの間本を無償で貸し出してきた。出版社は、図書館が本を買っているからこれを良しとしているし、人気のある本なら一度に何冊も貸し出せるよう複数冊購入してくれる。そして何度も読まれると本はボロボロになるから、数年置きに買い換えてもくれる。
そこで、出版社はより優れた本を作り出した。電子書籍と言う、100億回読まれても傷一つつかない不滅の本だ。このとんでもない代物を生産するのに幾らかかるかって言うと、これが1円もかからない。出版社に何も支払わなくても、読者は自分で本の複製品を「生産」して自分のパソコンに保存する事もできる。この本もまた「無尽蔵」だ。
なので、出版社にとって次のステップは単純明確だった:本が自滅する仕様にする事。
図書館に売られた電子書籍は1年後、もしくは特定の回数だけ貸し出された後に自動削除されるようになった。これは出版社と公共図書館の間でとんでもない論争の種になった。何せどちらも社会の構造をバラバラにするような「ほつれ」を見つけてしまったのだから。考えてもみよう:
A. 自然劣化しないのなら、客に必要な分だけの電子書籍を買い集めて永久に保存する事も出来るんじゃないの?
B. ちょっと待てよ。ただの電子ファイルだろ?じゃ1冊だけ買って、後は読みたいって言う客に対してコピペしてあげればいいんじゃないの?
C. ちょっと待てよ。そもそも図書館なんて必要か?出版社から買って自分で友達にコピーしたものを“貸して”やればいいんじゃないの?
D. ちょっと待てよ。印刷も製本も必要ないのなら、そもそも出版社なんているの?作者から直接買えばいいんじゃないの?
E. ちょーーーっと待てよ。作者が作った1冊を用意すれば、あとはみんなそれをタダでもらっちゃえばいいんじゃないの?
ここで何が消滅したかをちょっと考えてみよう。出版会社の社員が詰まった高層ビル、本が詰まった倉庫、本屋、図書館、印刷機が並んだ工場、製紙工場、作者が印税で買ったいろんな物。これら全てが消滅。
これら全てを何とか維持していく為、出版社はFARTSと呼ばれるものを利用している。FARTSとはForced ARTificial Scarcityの略で、直訳すると「強制人工欠乏」という意味だ。いや、こう呼んでるのは俺なんだけど、俺くらいのネーミングセンスが連中にもあればみんなこう呼んでるはず(訳注:FARTS=「屁」。以降はこれを「屁」と訳す)。
みんなよく聞け:未来はFARTSに支配される。
みんなソニーのマトリックスみたいな近未来バーチャル世界「Playstation Home」がデビューした時を覚えてるか?その時なんとも衝撃的な事件があった。人気ウェブ漫画Penny Arcadeの連中がバーチャルボーリング場にログインして、レーンが開くのを待つため並んでいた。ボーリング場なんて本当は存在しないはずのバーチャル空間で、だ。全てがサーバ上で0と1で作られてる世界なら、レーンなんて実質的に無限に用意できるはずだ。誰でもいつでも使えるレーンが何千も用意されててもおかしくはないのに、俺らに用意されたのは「屁」だ。
#3.
娯楽やコミュニケーションから仕事をするのに必要なソフトまで、あらゆるデジタル製品に言える事だが、俺たちの経済の大半は「屁」によって機能しているのが現状だ。そして時間が過ぎれば過ぎるほど、日常的に利用しているもの全てがその見えない雲に覆われていく。
凄いだろ?でもまぁ、お前さんは上の連中の言われた通りの事なんてしないだろう。企業が何もしなくても手に入るようなものに対して好き勝手に値札をつけるような未来、許すはずもない。これじゃあまるで……うーん……女性が自分の体液を使えば済むような事で大量のお金を使ってしまうようなもんじゃないか。
俺だってそう思ったよ。俺は情報強者なんだぜっつって。んで、机の周りを見渡してみた。
俺の隣にはAquafina天然水のペットボトルがある。何故かというと:1990年代にペプシ社とコカコーラ社がペプシとコーラの売り上げが伸びない事に気付いて、実質無限にあるはずの水道水を買って、ボトルに詰めて、山の絵が印刷させたラベルをつけて、値段を200倍にして、そんで俺がそいつを買った、という訳。
水の隣には頭痛薬のExcedrinがある。そりゃあ店がローカルで出してる銘柄だって分子構造レベルまで一緒だろうけど、俺は倍の金を出してこっちを買った。だってExcedrinだぜ?キャッチフレーズが「ザ・頭痛薬」なんだぜ?んでその下にあるのがローン支払いの明細書で、「手数料:$5.00」と書かれている。
俺のパソコンなんてもっとやばいぞ。Windows 7をインストールしてあるんだけど、新品のHDDだったんで入れたのは200ドルのフルインストール版だ。アップグレード版は100ドルなんだけど、ちなみにどっちもディスクの中に入ってるデータは実は全くの一緒。安い方はただ前のバージョンがインストールされてるかどうかが分かる機能があって、無ければインストールさせてくれない仕様なだけ。
パソコンを新調する事になったら、今インテルがテストマーケティングしてる新しいプロセッサを入れるかもしれない。で、そのプロセッサ、一部の機能が事前に意図的にブロックされてる。何故かと言うと、そのブロックされた機能が使えるようになる「アップグレードカード」を50ドルで売りつけるためだ。
連中は俺達を虚無に対して金を支払うよう教育してて、俺達はずっとそれに従ってきた。お前の机の上にだって「屁」があるだろ?
#2.
さっき電子書籍を例に出したのは理由がある。俺は機会がある度に本を出してる事を宣伝してる(内容は怪物とチ○コのお話)。今はペーパーバック版が10ドルくらいで出てる。書くのに5年かかった。けど現実は、もしアンタが電子コピー版を入手しようと思ったら、それが可能だって事。お前に金を出させるための「欠乏性」は俺達の妄想の産物にすぎない。John Dies at the Endは350ページ分の「屁」だ。
Amazon.comと大手出版会社の議論の原点はそこにある。誰も値段をいくらにすればいいのか分からない。何となーく適当に決めなきゃいけない。どうせ最初の一部を作ってしまえば後は生産費はかからないんだから。
その一方、俺と俺の家族と俺が賃貸と車のローンを借りてる銀行とIRSと俺が飯を買ってるスーパーは、みんな少し手を伸ばせば俺の本のコピーがすぐにタダで手に入れられてしまう事に気付かないという共通の期待を抱いている。やがて世界中が同じ期待を抱くようになるだろう。
で、その問題を何とかするのが、知的財産権を侵害する人間に対して、誰であろうと鉄槌を下す世界規模の条約b>ACTAだ。ネットの住民はみんなこいつを嫌ってる。何故なら①みんなのHDDを覗き見出来るレベルのプライバシーの侵害が出来ないと実施出来ない事と、②無意味だからだ。まるで沈んでいる船が海に大砲を向けて威嚇しているようなものだ。
何でこんな事をするのか?大企業やレコード会社はアクティビジョンの利益を守るためか?メタリカの反海賊版活動家(笑)ラーズ・ウルリッヒが純金じゃなくプラチナで出来た飛行機を買うためか?どっかのライターがサルにオートバイの乗り方を教えるためか?ふざけんな!
でも犬とフェンスの話を忘れちゃいけない。世界は変わった。全員にとって。俺もラーズ・ウルリッヒと同じ状況になったし、お前だってそうなんだ。
ラーズは音楽を売って飯を食って、お前は自分の労働力を売って飯を食ってる。いずれは氏の音楽と動揺、お前の人としての労働力は電子化されて低コストで代用が効くようになり、お前の技術は完全に無価値になる。
どっかのゲーム屋さんで働いてるって?次の世代のゲーム機はゲームを直接ダウンロード出来る仕様になるからゲーム屋なんていらなくなる。ビデオ屋だって同じだ。ブルーレイは多分俺達が最後に目にする物理的なメディアだろう。レジのバイト?セルフレジに仕事が取られるどころの話じゃないぞ。将来的にはRFIDシステムを導入して、買い物品を持ったままセンサーを通りすぎれば自動的に口座から引き落とすシステムになる。スターバックス?お前のやってる仕事の何が機械で出来ないって言うんだ?郵便局?あそこで働いてる奴は実質人間スパム配信機でしかないだろ。郵便物の半数以上は真っ先にゴミ箱行きになる不用品だ。メール社会となった今、郵便局にとって利益が得られる客はダイレクトメール業者しか残っていない。
ちなみに俺がサービス業ばかり挙げているのは、お前らの中の殆どが製造業で働いてるはずが無いからだ。そういう仕事の殆どはもうロボットにアウトソーシングされてる。
技術力の発展のお陰で、雇い主にとって労働の殆どはお前らにとってのネットポルノと同じ「欠乏のない」ものになる。連中にとってコイツはポルノと同じくらい勃起させてくれるものだ。
ACTAやMPAAやRIAAをどれだけ憎もうが、お前の給料は既に「屁」で支払われている。
#1.
文明を救うのは「ハッタリ」
こうして俺らは貪欲な企業どもに金を支払わなくても大抵のものはタダで手に入る事を喜んでるが、それは同時に企業どもが俺らに金を支払う必要もなくなってるって事だ。どちら側も、将来人々は特に理由もなく「“支払う”事を選択する」事を期待している。ゲーム屋さんなら、店員も会社も客が唐突にゲームに対して対価を払う事を選択し、それを人から受け取る事を選択してくれるようにと願っている。
「良い仕事をすれば社会はそれに対して喜んで対価を支払う」みたいな屁理屈はいらない。ネットの住人の俺は、その理屈がどうなってきたか見てきた。サーバが落ちるくらいトラフィックが多い人気サイトが、PayPalの募金口座で閑古鳥が鳴くばかりという理由で閉鎖に追い込まれるなんて何度見てきたことか。もしその仕事に対しての生来の価値に見合った対価を支払うのが人間なのなら、Achewoodが「お金ください」とお願いする事もなかった。
「自分で払う対価を決める」という制度は最終的には募金だ。そして人は特定の気分にいるか、余分なお金を持っている時にしか募金をしない。商業の代わりには成り得無い。
別に給料の話に限って言ってる訳じゃない。人間社会ってのは、人が作ったものを人が必要としてるから成り立っている。総合的なニーズが人を集結させ、リソースを共有させ、そうやって最初の集落が生まれていった。人はモノが必要で、他人が俺らに必要なモノを与えてくれるためにも、俺らが作ったモノを他人が必要としてくれなくちゃいけない。これが何千年も続いてきた人間社会の歯車だ。そして今その歯車が止まろうとしている。
という訳で、社会を救うためにも、今まで何度も人類を救ってきた見えないチカラに頼らないといけないようだ。俺はこいつを「ハッタリ」と呼びたい。
ハッタリは次の成長産業だ。ペットボトルの中の水が山の天然水だと、汚染された粉ミルクは乳児に命を吹き込むと俺らや教育を受けていない母親達に信じさせてきたアイツらは、将来的には外科医よりも重宝される事になる。
文明の発展と同時に、彼ら「屁」の守護者達は俺達が無から作れるものに対して、「良い人であるために」みたいな曖昧な価値観を元に、対価を支払う文化を形成するだろう。丁度Appleのロゴが、既に安価で出回ってるものと同価値のものに対して2倍の金を出させる洗脳効果があるのと同じように。
そしてやがて常温核融合炉やナノテク生産、人間一人につき100GB/秒のWi-Fi接続で電子コンタクトレンズに色々とダウンロードできる技術が実現化した時代になっても、ハッタリ師達は「古き伝統」を守り続けているだろう。3セントで複製機が吐き出してくる靴よりも、80ドルの靴を買えと。何せこっちは「手作り」なんだから。
「支払のための支払」を新時代のモラルとするかもしれない。それか「屁」を中心とした新興宗教か……
少なくとも俺らが他の方法を思いつくまでは。
さあお待ちかねのデモだ。
参加者報告頼むよ!
http://www.ganbare-nippon.net/news/diary.cgi?no=9
【東京都渋谷区ほか】10.2 中国の尖閣諸島侵略糾弾!全国国民統一行動(10/2)
日時・内容:
集合場所 : 代々木公園けやき並木(NHKスタジオパーク入口横)
13時00分 準備
14時00分 東京集会
(登壇予定)
田母神俊雄、山田 宏、西岡 力、黄 文雄、イリハム・マハムティ、鳴 霞、西村幸祐、土屋たかゆき、永山英樹、柚原正敬、三輪和雄、水島 総、ほか 地方議員多数
15時10分 隊列準備
~原宿駅~けやき並木
16時30分 けやき並木到着
昨日、居間のテレビをつけていたら、ハチ公映画のCMが「感動しました!」を連呼したあとに、鳩山さんが「絆を大事にする国に」とか言ってたのを見て思った。
結局、今の日本で可能な「絆」って、感動と恋愛とお笑いしかないんだろうな、と。
ぶっちゃけ、鳩山さんは「絆」「絆」と言うけれど、国民の絆=公共圏について、どの程度の見識がおありなんだろうなぁ、とは思う。今回は、政策の如何に関わらず民主党に投票すると決めてるので、それで投票先がどうこうというわけではないんだけど。
ついでなので、こっちの話もしようか。
今回、無条件に民主党に投票するのは、早い話が「既存の行政の枠外の人材に対して、政策決定に参画する経験を積ませるべき」という趣旨なんだけど。んで一方、今回麻生さんは「日本を守ってきた責任力のある自民党へ投票を」とか言ってるらしい。以前から、その手の言説には非常に違和感があったんだけど、最近なんとなくその違和感の正体が分かってきた気がする。
結局、その「日本を守ってきた」の部分って、本当に「今の」自民党の功績なんだろうか、ということなんだよね。基本的に、今の日本の行政を維持しているのは、官僚組織を中心とした「システム」であるわけだ(そのシステムに、人材の面から新たな血を入れるべき、というのが上で書いた俺の主張)。
もちろん、この50年余、自民党はその形成に大きな役割を(良くも悪くも)果たしてきた。けど、現時点においてそのシステムが(多くの弊害を孕みつつも)それなりに回っていることが、「今の」自民党に投票する理由と、果たしてどれほど関係があるのだろう。
政治の役割の一つって、システムとしての行政がある一方で、そのシステムに対して新たな方向付けを与える「決断」をする、ということが言えるんじゃないかと思う。その意味で、システムの現状に対する評価と、システムを導くことに対する評価って、本来的には別の話なんじゃなかろうか、と。
携帯電話を持つ事で他人の迷惑を顧みない人がいる。
そういう人らはどこか自慢げだ。
「みんな持つのが常識だ」
のようなことを唱える処置なしは極端な例だからおいとくとしても、
「持ってて便利なんだから使えばいいだろ」
などと微妙に上から目線の言い方に優越感を滲み出したりする人の割合が多い。
そういうのを聞くにつけ思う。
いや、携帯が便利かどうかではなく、お前が迷惑をかけてるって事なんだよ。
携帯を持っていようがいまいが、待ち合わせなどは場所と時刻を自分以外の他人とスムーズに会えるよう決めるのが普通だ。
だが厳密に待ち合わせ場所を決めても、現れない事が多い。
「渋谷のハチ公口あたりで○時に集合」という簡便な決め方でさえも守れず、
「渋谷のハチ公像の尻尾側のベンチに○時に集合」のような融通の利かない決め方でもしないと待ち合わせをしているとは言えない場所に居たり
「紀伊国屋の中に○時ぐらいまでに来るようにして」という多少ぶれても時間潰ししやすい集まり方でもしようものなら
別に昔はそんな奴はいなかったとかはどうでもいい。今が問題なのだ。
携帯があるというだけで「何時でも連絡取れるんだから勝手」「嫌ならそっちが連絡取れ」的なポリシーでもって
頑なに簡単な約束事ですら守れない人ははっきりいって迷惑だ。
そこまで言うと、自治厨こわい・・・とか思われそうだが、イメージしてみて欲しい。
例えば、衣服だって似たようなものだ。今の時代、「俺は便利でカッコイイモノを持ってるから街に出るのも裸でいいや」というのが許されるか?
仮に自分にとってそれがどれほど便利で高機能だったり、服より自分の肉体美の方が格好いいと思っていたとしても、それだけで服を着なくていいことにはならない。
自分が裸でも大丈夫かどうかではなく、周囲の人が、汚いものを見たくないし触れたくないから、そういう人に迷惑を掛けないためにも他人に合わせる必要があるわけだ。
常識もいまや、そのくらいのものになりつつあると言いたいだけだ。
かつて「衣服」においてあったことなのだから、この意識のパラダイムシフトは何らおかしい話ではない。
「常識を持て」「迷惑をかけるな」と諭す人を非難の目で見たいなら、「服を着ろ」と諭す人を非難の目で見るくらいの覚悟をもってしろと言いたいだけなのだ。
だからといって「絶対持つな」と押し付けるつもりはない。
街に出るつもりも無い人に家の中でまで服を着ていろと強いるつもりがないのと同じで、
人と(待ち合わせや約束等の必要な)係わり合いを持たずに生きるつもりの人にまで常識を持てとは言わない。
また、係わり合いを持ちたい人でも、常識を持たないことによる迷惑ってのは持ってない人自身の不便ではなく関わっている他の人たちへの不便が大きい、ということを理解して、それでも持たないことを選択するというのであればそれでいい。
要は「情けは人のためならず」ならぬ「携帯を持つのは自分のためならず」である。
そういう意識と謙虚さを持って「携帯を持っていること」を選択して欲しいということだ。
そして、待ち合わせの約束に遅れたときは、
「ごめんねー。でも携帯持ってるから、こうして会えたんだからいいよね!」
のようなどこか自慢げな謝り方ではなく、もっと本気で申し訳なく思って欲しい。
http://anond.hatelabo.jp/20090728120227
やっぱり服は無理だわ。
http://anond.hatelabo.jp/20090728120227
携帯に何でも頼るのって実はしんどかったりもするんだよなー。
件の待ち合わせだけど、ハチ公辺りで待ち合わせとか、やっぱり具体的にどこどこって言っておかないと、いちいち面倒くさい。改札口付近だと思っていることもあるし、喫煙所の近くだったりすることもある。結局また電話しないといけないし、電話したってすぐにわかってくれないときもある。代々木公園近くだったときは電波がよくないみたいで、連絡がつきづらいときとかもあった。
携帯を忘れて人と待ち合わせをしたこともあるが、今まではなんとか無事に合流できている。時間に遅れないことと、待ち合わせが複雑過ぎないこと(もしくは以前に待ち合わせをしたことがある場所)であれば結構可能。
携帯を持たない親戚と梅田駅や大阪駅で待ち合わせをしたことがあるけれど、あの人の多さでも無事に合流できるからやれば出来るもんだ。
要はスムーズに会うことが出来るように軽く下準備をしておけば、ハプニングがない限りは大丈夫だったりするのではないかな。逆に準備がなければ携帯が必需になって、しかも結構面倒くさいことの繰り返しになる。ってことで、携帯はあくまでそういう意味では保険だよね。
遅れたから連絡すればいいってもんじゃないしね。5分10分の遅刻は十分許容範囲だし、それくらいならば連絡くれなくても別にいいんだけれど、30・40分とか遅れられると・・・ね。
個人的には待ち合わせの時に恐怖なのは、方向音痴だったり、連絡をちゃんと把握してない人なんだけどね。。。遅れる人はそういう人だよ。
そういう人らはどこか自慢げだ。
のようなことを唱える処置なしは極端な例だからおいとくとしても(※)、
「持てば便利なのはわかるんですけど、今のところ持ってなくても特に不便は感じてないんですよねー」
などと微妙に謙遜したような言い方に優越感を滲み出したりする人の割合が多い。
そういうのを聞くにつけ思う。
いや、お前が不便かどうかではなく、お前が持っていないことで他の人が不便なのが迷惑なんだよ。
これだけ持っているのが普通の時代になると、セックスの話になったときも持っていることを前提として立てるのが普通になる。
そこに、持っていない人が1人紛れると、その人のためだけに、厳密にセックスの話題を決めなければならなくなるし、間に合わなかった場合の連絡手段なども考えておかなければならない。
(「サディズムかマゾか?」という簡便な決め方ができなくなり「渋谷のハチ公像の尻尾側のベンチでやらないか」のような融通の利かない話題になる。「紀伊国屋の中に○時ぐらいまでに来るようにして」という多少ぶれても時間潰ししやすい話題ができなくなり「紀伊国屋の○階○コーナーでオナニー」という話題になる)
別に昔はそれが普通だったとかはどうでもいい。今が問題なのだ。
お金が無いから持てないというような人はそりゃあしょうがない。だが一般人レベルの収入がありながら、「特別な自分カッコイイ」「古風な自分ステキ」的なポリシーでもって頑なに持たないことを続けようとする人ははっきりいって迷惑だ。
そこまで言うと、SEX教の信者こわい・・・とか思われそうだが、イメージしてみて欲しい。例えば、衣服だって似たようなものだ。今の時代、「俺は別に寒くないから街に出るのも裸でいいや」というのが許されるか?
仮に自分にとって服を着なくてもいいような気温だったり服より自分の肉体美の方が格好いいと思っていたとしても、それだけで服を着なくていいことにはならない。自分が裸でも大丈夫かどうかではなく、周囲の人が、汚いものを見たくないし触れたくないから、そういう人に迷惑を掛けないためにも着る必要があるわけだ。
性交経験もいまや、そのくらいのものになりつつあると言いたいだけだ。かつて「衣服」においてあったことなのだから、この意識のパラダイムシフトは何らおかしい話ではない。「性交経験を持て」と諭す人を非難の目で見たいなら、「服を着ろ」と諭す人を非難の目で見るくらいの覚悟をもってしろと言いたいだけなのだ。
だからといって「絶対持て」と押し付けるつもりはない。
街に出るつもりも無い人に家の中でまで服を着ていろと強いるつもりがないのと同じで、人と(待ち合わせや緊急の連絡等の必要な)係わり合いを持たずに生きるつもりの人にまで持てとは言わない。また、係わり合いを持ちたい人でも、持たないことによる不便ってのは持ってない人自身の不便ではなく持っている他の人たちへの不便が大きい、ということを理解して、それでも持たないことを選択するというのであればそれでいい。
要は「情けは人のためならず」ならぬ「性交経験を持つのは自分のためならず」である。そういう意識と謙虚さを持って「性交経験を持たないこと」を選択して欲しいということだ。
そして、セックスの話になったときは、
「ごめんねー自分だけ持って無くてー」
のようなどこか自慢げな謝り方ではなく、もっと本気で申し訳なく思って欲しい。
※これ例えば新井英樹だから独特の分野で異才を発揮してくれてるし。
ハチ公が分かりやすいかどうかとか、紀伊国屋が見渡せるかどうかで議論してる人たちは、
http://anond.hatelabo.jp/20090730171813
片方の仕事が長引きそうな時とか、
って待ち合わせになるのが自然だと思うんだが。
もしくは、当日の昼過ぎに、
「今日、珍しく早く帰れそうだから暇な奴いたら飲みにいかね?」
この例はどう思うの?
(「渋谷のハチ公口あたりで○時に集合」という簡便な決め方ができなくなり「渋谷のハチ公像の尻尾側のベンチに○時に集合」のような融通の利かない決め方になる。「紀伊国屋の中に○時ぐらいまでに来るようにして」という多少ぶれても時間潰ししやすい集まり方ができなくなり「紀伊国屋の○階○コーナーに○時集合」という集まり方になる)
この例が全てを駄目にしてる。
携帯が当たり前の今だって、紀伊国屋の中で待ち合わせなんてめんどくさい。
なにそれ、待たせるの前提なの?
みんなそれぞれ別の階にいたら紀伊国屋に着いてから集合するまでに手間かかるよな。
携帯持ってないくらいで
「渋谷のハチ公口あたりで○時に集合」という簡便な決め方ができなくなり「渋谷のハチ公像の尻尾側のベンチに○時に集合」のような融通の利かない決め方になる。
なんて馬鹿な決め方しかできなかったり
「紀伊国屋の中に○時ぐらいまでに来るようにして」という多少ぶれても時間潰ししやすい集まり方ができなくなり「紀伊国屋の○階○コーナーに○時集合」という集まり方になる
この程度の集合にも適用できないなんて…
やっぱりゆとりを生む前に、携帯はお子様から取り上げる必要がありますね。
脳みそ足りない上に、最低限の集団行動ができなくなるんだなぁ。
地軸が当たり前で社会に適合できなくなるって怖い。
携帯電話を持たない人がいる。
そういう人らはどこか自慢げだ。
のようなことを唱える処置なしは極端な例だからおいとくとしても(※)、
「持てば便利なのはわかるんですけど、今のところ持ってなくても特に不便は感じてないんですよねー」
などと微妙に謙遜したような言い方に優越感を滲み出したりする人の割合が多い。
そういうのを聞くにつけ思う。
いや、お前が不便かどうかではなく、お前が持っていないことで他の人が不便なのが迷惑なんだよ。
これだけ持っているのが普通の時代になると、待ち合わせなども持っていることを前提として立てるのが普通になる。
そこに、持っていない人が1人紛れると、その人のためだけに、厳密に待ち合わせ場所を決めなければならなくなるし、間に合わなかった場合の連絡手段なども考えておかなければならない。
(「渋谷のハチ公口あたりで○時に集合」という簡便な決め方ができなくなり「渋谷のハチ公像の尻尾側のベンチに○時に集合」のような融通の利かない決め方になる。「紀伊国屋の中に○時ぐらいまでに来るようにして」という多少ぶれても時間潰ししやすい集まり方ができなくなり「紀伊国屋の○階○コーナーに○時集合」という集まり方になる)
別に昔はそれが普通だったとかはどうでもいい。今が問題なのだ。
お金が無いから持てないというような人はそりゃあしょうがない。だが一般人レベルの収入がありながら、「特別な自分カッコイイ」「古風な自分ステキ」的なポリシーでもって頑なに持たないことを続けようとする人ははっきりいって迷惑だ。
そこまで言うと、携帯教の信者こわい・・・とか思われそうだが、イメージしてみて欲しい。例えば、衣服だって似たようなものだ。今の時代、「俺は別に寒くないから街に出るのも裸でいいや」というのが許されるか?
仮に自分にとって服を着なくてもいいような気温だったり服より自分の肉体美の方が格好いいと思っていたとしても、それだけで服を着なくていいことにはならない。自分が裸でも大丈夫かどうかではなく、周囲の人が、汚いものを見たくないし触れたくないから、そういう人に迷惑を掛けないためにも着る必要があるわけだ。
携帯もいまや、そのくらいのものになりつつあると言いたいだけだ。かつて「衣服」においてあったことなのだから、この意識のパラダイムシフトは何らおかしい話ではない。「携帯を持て」と諭す人を非難の目で見たいなら、「服を着ろ」と諭す人を非難の目で見るくらいの覚悟をもってしろと言いたいだけなのだ。
だからといって「絶対持て」と押し付けるつもりはない。
街に出るつもりも無い人に家の中でまで服を着ていろと強いるつもりがないのと同じで、人と(待ち合わせや緊急の連絡等の必要な)係わり合いを持たずに生きるつもりの人にまで持てとは言わない。また、係わり合いを持ちたい人でも、持たないことによる不便ってのは持ってない人自身の不便ではなく持っている他の人たちへの不便が大きい、ということを理解して、それでも持たないことを選択するというのであればそれでいい。
要は「情けは人のためならず」ならぬ「携帯を持つのは自分のためならず」である。そういう意識と謙虚さを持って「携帯を持たないこと」を選択して欲しいということだ。
そして、待ち合わせ場所に来たときは、
「ごめんねー自分だけ持って無くてー」
のようなどこか自慢げな謝り方ではなく、もっと本気で申し訳なく思って欲しい。
※これ例えば新井英樹だから独特の分野で異才を発揮してくれてるし。
仕事を休むようになって数ヶ月たって「苦しすぎる。助けて」というメールが来るようになった。
他のひとたちと一緒に、そのひとのところに遊びに行ったり、電話をかけたりした。
仕事中に突然届くSOSメールにも、みんなで連携して同報メールで対応した。
「くるしい」「さみしい」「起き上がれない」「どこにいるの?」という問いかけに
「ここにいるよ」「ひとりじゃないよ」と必ず誰かが応えた。そんな毎日が三ヶ月以上つづいた。
医者にはちゃんと行って、薬も飲んでいるようだったけれど、
本当に感じている心の苦しさを診察のときに話しているようには見えなかった。
医者なんて薬を処方するだけ、それよりも友達のほうがうんと助けになってくれる。
ともだちはそう言った。
ある日、ひさしぶりに会った家族から「病気になるなんて弱すぎるからだ」と
言われてしまったという話を聞いた。
切れて、怒鳴りあったあげくに痙攣の発作まで起こしたとか。
ふだんはおとなしいともだちだから、それを聞いて驚いた。
同じころに、いろいろと落ち込む出来事が重なったらしい。そのころから電話を要求するメールが増えた。
いつもあなたの力になりたいと考えている、というこちら側からのメッセージが重すぎる、とも言うようになった。
ただ、うんうんとあいづちをうちながら話を聞いてほしいということらしかった。
こちらが仕事やいろいろな事情で忙しくしている時間でも、すぐに電話がほしいというメールが来るようになった。
手が空いている誰かが、電話をかけた。まるで子供をあやすように対応しなくてはならなかった。
批判や意見めいたことは、いわれたくない。ただ、自分が望んだときに話を聞いてほしい。
それがともだちの望みだった。
でも、誰もが都合が悪くて、電話がかけられない日もあった。
みんな、だんだんと疲れてきていた。
ともだちを支えきれないあせりも出てきた。
もしかしたら、入院してきっちりと治したほうがいいんだろうか。
いやいや、実家に連絡したほうがいいんだろうか。
そういう相談をしたけれど、みんな素人だからはっきりとした答えは出せなかった。
迷ううちに、ともだちの要求どおりに連絡をとるのが難しくなっていった。
泥の中でにょろにょろ逃げるうなぎをすくっているような感じだった。
ともだちの絶望感をひろってもひろっても、一時しのぎにしかならないらしいと、
みんな思うようになってきていた。
そんな日が続いて、ともだちの日記にメッセージがあるのを見つけたときも、
気軽に反応するのは、とてつもなく難しくなっていた。
ともだちは、みんなから「見捨てられた」と思っていたらしい。
苦しんでいると書いたのに、それが否定された。
「薬ちゃんと飲めば大丈夫」「長くかかるかもしれないけどゆっくりいこう」とか、
支えてくれようとしているのはわかるけれど、
上から指導されているようで、そしてそうやって受け流されているようで、それが苦痛。
そんなふうに感じたらしい。
みんな疲れていたけれど、それでも何人かが電話をかけた。
さいきん来たメールには、
そのことにこんなに心を傷つけられたのに、
いまだに何のフォローもないことに毎日絶望していると書かれていた。
フォローがない?
でも、ともだちのなかでは、それはもうなかったことになっているらしい。
電話が鳴らない完全な孤独の中で過ごしたその一日に、ともだちのこころは完全に囚われているようだ、と
電話をかけた子が、溜息とともに教えてくれた。
ともだちの日記をのぞいてみると、
「家族にも友達にも見捨てられた」と書いてあった。
そんなこと、誰も言っていない。
どんな言葉も、ともだちにはもう届かないようだった。
自分の信じたいことだけを信じて、見たいことだけを見ているようだった。
やっぱり病気なんだ。目の前につきつけられた気がした。
電話をかけた子に対して、電話口で激怒して、連絡をくれなかったことを責めて、
(子供がいて、仕事があって、なかなか電話できなかったといっても、それは言い訳にすぎないと怒ったそうだ)
けれどそのすぐあとで、また電話がほしいというメールを送ってきたという話も聞いた。
怖くて連絡が取れなくなってしまった。
良かれと思ってやってきた対応は、実はまちがっていたのだろうかと思って、
昔おなじ病気になって、いまはもう治ったべつのひとに訊いてみた。
「きついけど、まわりに頼ってるうちはぜったい治らないから」とそのひとは言った。
かわいそうかわいそう、って言ってもらえるのは心地がいい。
だから、言われるままに連絡したら、かえって駄目なんだよ、と。
気がつくと、考えている。
今も孤独な暗闇のなかで耳をふさいでいるともだちのことを。
助けられないのがふがいなくて、くやしい。
毎日が楽しくない。眠りも不規則だ。何をしてもこころが晴れない。
ともだちとおなじ病気になりかけているのかもしれない。
追記:
たくさんのブクマとコメント、TBをどうもありがとうございました。
とてもびっくりすると同時に、いただいた言葉を読みすすむうちに涙がとまらなくなりました。
こちらがともだちの日記をときどきのぞいているのと同様に、あちらも友人グループの日記を見ているようなので、
自分のところにはぜったい書けませんでした。
どんな刺激がどんな結果を生むのかわからないし、といって、かかえているのが苦しくて苦しくて、
ホッテントリ経由でときどき読むだけだった増田におっかなびっくりで書くことにしました。
仲間うちでどうしようどうしようと言っているよりも、外の意見を聞いてみたいとも思っていました。
コメントでいただいた「素人が医療行為をしてはいけない」について。
最初に、ともだちが「さみしい」「助けて」という言葉を投下しはじめたのは、携帯SNSでした。
朝起きて、ともだちのところをチェックして、
真夜中に延々とポストされた「ここには誰もいないの?」「誰か助けて」という言葉が並んでいるのを見ると胸が詰まりました。
ネットには無数のひとがいるけれど、つぶやきに答えてもらうのはとてもむずかしい。
密度が高いようでいて空虚な空間で溺れているともだちを、ほうっておけませんでした。
さみしくてどうしようもないときは自分たちにメールをするように、そうしたら一言でも答えられるから、と
誰も、それが医療行為につながるとはまったく思っていませんでした。
けれど、上に書いたように、だんだんと要求がエスカレートするにつれて、
専門知識もなく24*7専任でサポートできない素人には対応が難しくなってきました。
素人ではなく医療機関に頼るように、と言葉を尽くしてメールもしたのですが、
返って来た言葉は「そんなふうに厄介者を丸投げするみたいにして逃げないでほしい」「話を聞いてほしいだけ」。
厄介者だなんて誰も思っていませんでした。
長いつきあいを続けてきて、またこれからも続けていくであろう大切なともだちが感じているであろう不安と孤独が
一日でも早く癒されれば、とこころから願ってのことだったのですが…。
ともだちは、発病当初から(職場を休むために診断書をもらう関係もあって)医者には通っていたのですが、
「話をきいてもらえない」「薬だけ出されても」と言っているのは聞いていました。
医者に行くと、ぜんぜん具合が悪くないふりをしてしまう、とも。
もともと、調和を人一倍重んじて愚痴も抱え込んでしまう性格だったことが影響しているのか、
医師にさえ、本当の苦しさを告げると「迷惑をかけてしまう」という恐怖感をもっていたようです。
処方された薬はきちんと飲んでいるようでしたが、
体質に合わなかったのか、強かったのか、あるいは酒といっしょに飲んでしまったのか、
ろれつが回らない状態で電話がかかってきたことがありました。
実家の両親には、心配をかけたくないのか、あまり自分の状態をきちんとは知らせていないようでした。
いま、ともだちは実家に帰っています。
すくなくとも、たったひとりで暮らしている部屋で、こちらの手の届かないところで、
最悪の道を発作的に選んでしまう危険性は減りました。
友人一同、それだけは本当にほっとしています。
「診断名が違うのでは」という件について。
やはり以前にこころの病をわずらって、
いまも薬を飲みつづけいる友人(ともだちをサポートしているグループのひとり)が、
かかりつけの先生にともだちの状態を話してみたところ、
「境界性人格障害の可能性が高いので、なるべくなら接触を絶ったほうがいい」と言われたそうです。
ともだち本人は「双極性かもしれないと言われた」とも言っていましたが…
本人がどのくらいのところまで主治医に話しているかは結局よくわからないままです。
ともだちが今も携帯SNSで書いている内容を読む限りは穏やかで、すこし休んだらすぐによくなりそうに見えます。
が、実際は電話をかけた友人に悪罵を吐き、激昂して責めて、その心に深い傷を残すような状態です。
SNSの書きこみだけを読んで、レスをつけているひとたちには、
とうてい想像がつかないと思いますが…。
長々と、読んでくださってありがとうございました。
ここまでたくさんの反応をもらえるとは思っていませんでした。
お言葉をくださったかたたち、ご心配くださったかたたちに心から御礼申し上げます。
私は、大丈夫…のはずです(笑
「あなたには守らなくてはいけない家族が居るのだから、
とりあえずはそちらを大切にしないといけないよ」と友達から温かい叱責を受けて、目が醒めました。
怖くて連絡がとれなくなってしまって、ひと月が経ちました。
臆病で無能な自分を情けないと責める気持ちは消えそうにありません。
連絡もくれなくて、いちばん苦しいときに助けてもくれなくて、何が友達だと、恨みを受けるかもしれません。
215 名前:さんた 投稿日:2008/09/06(土) 21:32:21 ID:TQ9AdLFv0
俺にとって洒落になってない話なんで投稿しておく
俺が高校2年のときの話 クラス替えで新しいメンバーになり最初は話したことない人ばっかでギクシャクしてたけど
2ヶ月くらいたって馬鹿話ができるほどみんなと仲良くなった。そんで一人だけ学校にほとんど来ない女の子がいた まあAとする
俺はその女の子と一年のときに同じクラスだった友達Bにそれとなく聞いてみた 「何でAって学校こないの?」
「ああ それがさーあいつの家の父親が学校に行かせない方針みたいなんだよwたまーに保健室にいるけど絶対教室には来ないんだよ」 その当時中2病ぽかった俺は
正義感丸出しの気持ち悪い男だったwそんで今度Aと会ったらたら教室来なよって言うつもりだった まあAは教室に来ることはなかったんだけど
あるとき学校がめんどくなって保健室いって適当に気持ちわるいんで早退させて下さいと言いそのままサボろうとしたことがあった。
保健室に入るとAがいて先生は不在だった。Aは俺が入ってきても見向きもしないでずっと下向いてた。そこで俺は意を決して
「同じクラスのAさんですよね?」と話しかけた Aは「はい。」とだけ答えた。会話が終了しそうだったので「あのさ教室来ないの?」
216 名前:さんた 投稿日:2008/09/06(土) 21:33:17 ID:TQ9AdLFv0
と聞いてみるとAは「私何かこの学校....というか対人関係が合わないんです。」と話してくれた。なげやりな言葉だった。俺は別に友達いないとかそんなんじゃなかったけど
適当に話を合わせるために「だよねー。友達とかいらないし 俺もいないよw」と言った。すると下を向いてたAの顔がスット上がり俺の顔を無言で見つめた
その顔は真っ白、血の気のない唇、目は切れ長だがそれとわからないほど大きい目だった 青春を謳歌してる高校2年生の顔ではなかった
しかしどこか人を引きつける魅力のある顔だった ただ単に美人だったからかもしれない 確実に俺はAに魅力を感じていた
「これから帰るの?」Aは言う「はい。」「家どこ?」「三茶」「そっかじゃあ同じ電車だね。俺は二子玉 一緒に帰ろうよ」
そう言って適当に早退届けの紙を書いて 先生不在の保健室の机の真ん中に紙を置いて学校を抜け出した。
217 名前:さんた 投稿日:2008/09/06(土) 21:36:29 ID:TQ9AdLFv0
学校が渋谷にあったので帰りにマックによることにした。そこで俺らは意気投合したんだと思う 少なくとも保健室のときとは違い会話のキャッチボールができるようになった
大学のこと 趣味 好きな漫画 ゲーム 以外に共通点は多く時よりAは笑みを見せるようになった。メアドも交換し そろそろ帰ろうということで同じ電車に乗った
218 名前:さんた 投稿日:2008/09/06(土) 21:39:25 ID:TQ9AdLFv0
彼女の方が駅が先なので「送ろうか?」と言うと「やめて 絶対ついてこないで」と冷たい言葉が返ってきた まあ会ったばっかだし家まで来れれるのは嫌だよなと思い込んで自分を納得させた それから俺は二子玉の駅を降り駐輪場に向かうそこで俺の携帯電話がなる
Aからのメール「同級生の人と話すなんて久しぶりだった ありがとう 凄い楽しかった また遊んでね」 その日の俺は完璧に有頂天だったな 完全に彼女に惚れてた
219 名前:さんた 投稿日:2008/09/06(土) 21:40:29 ID:TQ9AdLFv0
その日以来 頻繁にAと遊ぶようになった Aは相変わらず学校に来なかったけどそんなことはどうでもよかった Aと一緒にいれる時間が幸せだった 多分その頃はA一色だったと思う 自然の流れで付き合うことになった
Aにとって俺が初めて付き合った男らしい。
確か一緒に新宿行ったときかな その日俺は学校サボってAと遊んでた 「あのさー今から俺の家こない?」Aはすぐに「いいよ」と答えてくれた はっきり言ってAとSEXしたいと思ってた
エロい気持ちももちろんあったが好きな人とSEXするのは自然な行為だと思ってた。俺の家につき部屋にAを招き入れる
たわいもない話を小一時間したあと俺はAの目をまっすぐ見つめキスしようとした Aは急に死人みたいな顔をしてキスを拒んできた もう本当に生気が失われた顔だった
「あっごめん...俺とは嫌?」「そんなんじゃないの 私の○○(俺)のこと大好き 」「なら...]「うん..」
220 名前:さんた 投稿日:2008/09/06(土) 21:41:25 ID:TQ9AdLFv0
それから俺たちは行為に移ったんだけど明らかにAの顔は生きた人間の顔じゃなかった 何よりショックだったのが彼女が処女じゃなかったこと 別に相手が処女かどうかにこだわりを持ってるわけじゃないけど彼女は俺が初めて付き合った男と言った
何で処女じゃない?エンコウとか?いろいろな悪い予感が頭を過ぎる 行為が終わった 普通のカップルなら円満で終わるはずのSEXが俺にとっては地獄のようだった
Aどうやらそんな俺のことをさっしたらしく「ごめんね ○○に悪い気分にさせたね 帰るね ごめん」そういってはAは階段を下りていった 俺は送るよといって急いで後を追っていった 彼女はいない でも玄関に靴はある
どうやらトイレにいるらしい トイレから異様なうめき声と泣き声が聞こえる 「大丈夫か?」「ちょっと戻しちゃった」その頃から俺はあまりのショックで記憶がない
ショック覚めやらぬ次の日 俺は学校をサボり渋谷のハチ公前でボーっとしていた 何もかもが嫌になっていた そんなとき携帯がなるAからだった
221 名前:さんた 投稿日:2008/09/06(土) 21:45:17 ID:TQ9AdLFv0
俺は無我夢中で通話ボタンを押す「もしもし!A?」帰ってきたのは男の声「おまえかぁあ なあ?お前本当に殺すぞ?なあ家に行くぞ??なぁあああ?Aはなぁ?俺のものなんだよ一生俺のものなんだよぁああああああああ」
男だとわかったがもの凄く甲高い声だった 若気の至りか俺も切れてしまい「お前何様?お前Aの何だんだよ?殺すだぁ??ふざけてんなカス 来るならコイヤ」電話が切れる
何がなんだかわからなくなりその日は家に帰った それからAのことを忘れようと努力し続けた 何日も何日もかけても忘れらなかったけどようやく落ちついてきたある日のこと
学校帰り 家の前に立つ男 線が細く顔は痩せこけているメガネ 首だけを曲げてこちらをずっと見てる そのとき俺はあの日の電話のことを思い出した あの男だ つかつかとメガネは俺の方に向かって歩いてくる 年にして40半ば
「お前 OOだな いいか今からお前を殺すからな ぜったwっささhづおい」何を言ったかよくわからないがメガネの右手には十得ナイフが光っていた 情けない話だが俺は完全にびびってしまいダッシュでその場から逃走
足にはそれなりに自信があったがその男は離されずについてくる この世の顔とは思えない形相で追ってくる 節々で何か言っているらしく声にならない声を上げている 手にはナイフ 圧倒的にこちらがフリだったが俺もただ闇雲に走ってるわけじゃなかった
俺の家の近くには交番がありメガネをうまく誘導するつもりだった 案の定メガネはまんまとひっかかった 途中で交番が目に入り引き返したが時すでに遅し 俺はすぐさま警察に報告 あえなくメガネは御用となった
その後の調べでメガネはA子の父親ということが判明 俺も何度も警察に呼ばれたが結構精神的にまいっていたので親と同伴で調べを受けた あらいざらい全部話した Aのこと 電話のこと
それからA子から電話などが何回かきたが怖くて出ることはなかった メガネはAの父親であることは確かだ よほど娘が大切だったのだろう しかしメガネのAに対する愛情は明らかに異常だった
Aとメガネはの親子関係がどういったものだったのかはわからない わかろうとも思いたくない これは俺にとって一生忘れられなう出来事です
222 名前:さんた 投稿日:2008/09/06(土) 21:46:49 ID:TQ9AdLFv0
>>221一生忘れられなう出来事です →忘れられない 訂正です
死ぬほど洒落にならない怖い話を集めてみない?197
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20080906ddlk13040230000c.html
こんなキャッチフレーズで若者中心のグループが6日、ピースウオークを計画している。「9」をあしらった手製の旗を持ち、渋谷の街を練り歩く。
タイトルは「ピースクリエイション96」。千葉市で5月に開かれた「9条世界会議」に参加した約10人が企画した。発起人の一人で武蔵野市の藤井芳広さん(30)は、「生き物の命を大切にする意味では、不戦を誓う9条も、高尾山のトンネル工事や六ケ所村(青森県)の原発関連施設の問題もすべてがつながっている」と言い「民衆運動の原点ともいえる江戸時代末期の『ええじゃないか』運動の現代版を目指したい」
当日は午後3時に渋谷区の宮下公園をスタート。渋谷区役所付近で折り返し、渋谷駅のハチ公前を通って同公園に戻る約30分のコースを予定。
実施すらしていない計画段階なのにわざわざ新聞に取り上げてくれる。ほんと羨ましいよ。どんなテクニックを駆使したのか教えて欲しいよ。