はてなキーワード: コメ欄とは
「民主化」ではなく単なる自由化だし、エクストリーム・スポーツでGoProで友達と1人1万円で動画作るクールキッズが素人編集で満足するか疑問だし、鳥なき里を渡り歩く蝙蝠は鳥に等しいけど鳥なき里の方向を知っているのは鳥だけだし、オン・ザ・エッヂやlivedoorの実績を発言の根拠として見出せる堀江さんとは違って、コメ欄の連中は高いところから物を投げつけるだけのトロールに過ぎない。
「YouTube」というんだったら、素人教材をどうにかして探すしかない日本人と、一度ググれば情弱でもブランディングまでちゃんとした非営利団体のコンテンツが見つかってGrammarlyの広告を頻繁に目にすることができる欧米人は、社会保障と公衆衛生と人権と治安以外でも土俵が違う。
「校正ソフト」と言うんだったら、Grammarlyがないような日本社会だから、その代わりをする人がぼろ儲けできる。前者は後者の前提条件で、両立しないし、相互依存(前者は徴税し、後者はぼろ儲け)している。
しかも日本人は自分の成果を大事にして高めたいと考える傾向がある。堀江さんみたくオン・ザ・エッヂで儲けてlivedoorで儲けて買収に次ぐ買収で成長させて逮捕されたら今度はロケット…というように、魂の新陳代謝が高い人間ばかりが世の中ではない。
しかも日本の高度経済成長期は官が民を助けての成果で、民の努力だけというわけでもない。現に経産省が大艦巨砲主義に耽溺している現代では、QRコード決済は濫立するばかりだし、ボタンを押さないと使えない電子マネーだらけのコンタクトレス決済も不便なままだし、ECサイトでさえカード以外の決済方法が一向に普及しない。
Netflixだって大事なところは見えないし、それを言うんだったらRakuten TVやPlayStation Nowだろう。
「『女性差別の社会構造に対する戦い』という認識を持っているが、そもそもその論法がおかしい」とか「その認識がオタクにはないから会話になっていない」というのが主張だと思うんだけど。なら、議論すべきは「社会構造が間違っているのか」、「社会構造の変更方法として、ポスター批判は適当なのか」、「ポスター批判の論拠は適当なのか」などであって、なぜ「社会構築主義が妥当な論なのか」の問題が出たのかわからないんだけど。
いや件の棘は明らかに「社会構築主義はおかしい.それに依拠したポスター叩きもおかしい」という論調じゃない……? ブコメもコメ欄も社会構築主義の是非で話が埋まってない……?
冒頭からいきなり「ラディフェミ(≒社会構築主義)」ってくくってる時点で「社会構築主義を取り入れている社会学や歴史学や人類学はラディカルフェミニズムだったのか……?」ってなるやん?
そう思ってるなら、「社会構築主義にまで話を広げる奴が居るが、社会構築主義の是非はお前らが思う以上に複雑だし、ポスターの話とは関係ないから近づくな」という話と「ポスター批判の論拠が弱すぎる」という話は分けて語らないと、「社会構築主義の前提が間違っているので、ポスター批判は不当」みたいな、関係の無い論をつなげる議論が出てくることは想像できるよね。
関係のない論というか,前提がそういう論だったわけで……
読んでいて、DJ社長様に悪気がなかったこと、性被害者が責められるセカンドレイプについて聞いて愕然とする程、善良な方であることがわかりました。
そして、DJ社長様の反応を見て、何というか、「眩しい」と思いました。
そうなんです。本来は、性被害者が叩かれるのは信じられない程おかしな事なのです。悲しいことに、私達はそういう世の中だと慣れてしまいましたが。
痴漢に遭った女子高生が「短いスカートはいてるから」と責められるのも本当です。
でも、それだけじゃありません。
「誰がお前みたいなブスをw」「冤罪だろ」「自意識過剰」「自慢乙」「お前みたいなブスが女扱いされたんだ、痴漢に感謝しろ」
等等…手軽に被害を発信できるようになった分、手軽に叩きも発信できるんです。
女性専用車両ができて安心だという年配女性とどこでもいいという美人女性を並べて、「痴漢だと騒ぐのはブスババア」と言って嘲笑う為の、ネット上であまりに有名な画像です。
実際は年配女性は娘がいるから安心と言っていて、美人女性は「痴漢に屈したくないから」どこでもいいですと答えていたのに。
DJ社長様の活躍するyoutubeでも、女性専用車両に「男性差別やめろ!」と乗り込む「活動家」のチャンネルが支持されており、そこで「こんなブスども痴漢に遭わねえよw」とコメ欄が賑わいます。
その活動家達は「痴漢は軽微な犯罪、大したことない」という動画を投稿し、高評価を支持者から得ました。反論するコメントは非難嘲笑が殺到です。
痴漢で検索したら上位に「痴漢を警察に突き出した時に笑っているから」という理由で冤罪だと決めつけられ動画主にもコメ欄にもバッシングされまくってる女性の動画が出てきます。
レイプも同様。女性の訴えは「嘘松」と言われるようにもなりました。
ネットの世界で生きていて、本当に「どこでもいいです」画像のひとつもご存知なかったのか、それとも、それが「告発を封じる動き」だということも知らずに受け入れて、もしくは受け流していたのか。
現時点で、
はてブではトップコメとその次に人気のコメが坂口氏の見た目について言及。 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.huffingtonpost.jp/entry/kenji-sakaguchi-the-risingsun-coffee_jp_5da8186ce4b0b24e75dd0425
ヤフーニュースの上位コメには見た目について触れたものは今のところ見当たらず。 https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20191023-00010001-huffpost-soci&topic_id=20191023-00010001-huffpost
(※拙者調べ)
3歳児持ちのシングルマザー
頼れる実家もないし、夫ももういないし正直言ってめちゃくちゃキツイ
目に入れても痛くない、この子のためならなんでもできる、と本気で思える
でもいつも余裕があるわけではない
仕事仕事育児家事育児家事仕事、みたいな生活をしていると満ち足りていても限界がくる
大黒柱とお母さんを両立するのはキャパシティのない自分には重荷すぎる
子供がいない人生なんて今更考えられないけれど、1日でいいから全部投げ出したくなる
そういう時に赤の他人から「お母さん」と呼ばれるのが凄くしんどい
例えば子連れでスーパーにいくとレジの方に「お母さんも大変ねえ」と声をかけられたり、役所で「お母さんは、〜」と呼ばれたり、職場でも「お母さんだもんね」みたいな言われ方をされたり
常にお母さんでいなくちゃいけないようでしんどい
私には私の名前があって、私の人生があるはずなのに、もうずっと子供の世話をする付属品でいるような気持ちになってくる
勿論、「お嬢さん」「お姉さん」なんて歳でもないし、かといって「おばさん」というほどの歳でもない
子供を抱いている私は他人にとって「お母さん」でしかないのだろうし、それは何も悪いことではないけれど
⚠️この増田は嘘末です⚠️
漫画でこういう話を読んだんだけど、コメ欄に「甘え」「子供が子供産むなよw」というコメントに溢れてて、ものすごくびっくりした
そういうのまとめのコメ欄みたいで俺は嫌いだ
https://togetter.com/li/1402126
ひどい偏見と差別にまみれたコメントが赤字になってることに辟易しながら見ていたら、
そうした人々に対する適切な言語化による批判が、それら差別的コメントの倍以上のいいねを集めていて、
私もチョロいオタクなので「人間もまだ捨てたもんじゃねーな!」と感動してしまった。
特に↓はよかった。
話はずれるけどこのコメ欄だけでも「女子がリョナなんて描くわけない」という男女差別的先入観、「リョナなんて描くやつみんなおかしい」.. https://t.co/T7GWsSYMM1
「エロ同人イベントにて氏賀Y太が妊婦に腹パンの真似をして炎上。氏賀Y太の子供を..」https://t.co/LxcPVXoDXV にコメントしました。— 鍋島たま (@nabeshima_tama) September 10, 2019
https://togetter.com/li/1369242
これ読んだ。ほーん、と思いながら読んでて、コメ欄のフルボッコでちょっと驚いた。
コメ欄では、性格に難ありそう・読者を意識してない、という批判的なコメントが多かった。「性格に難ありそう」は、他責思考でどうして俺がこんな目に会わなきゃいけないんだ、あんな奴らの同類になりたくない、というような言い訳が延々と続くところからそう思われるのだろう。「読者を意識してない」は、自分の思う正しい漫画以外を認めず、自分の作品こそが正しい、というようなスタンスからそう思われるのだろう。書き込みの多い白ハゲ漫画というコメントがあったがその通りだ。あと、コメントの花沢健吾の登場人物っぽい、という意見には物凄く頷ける。拗らせているような、卑屈なような、それでいて妙な自信のあるようなところが似てるんだろう。
個人的な感想としては、ラストの唐突さに違和感、風俗のシーンやエロフィギュアがしつこく何回も出てくるシーンが不愉快。自分の敵をブサイクに描くのは頂けない。エロを馬鹿にしてるのは、特に気にならなかった。(でも売れない漫画家が漫画の中で言うことじゃないだろ。エロ上がりの仕事仲間や編集相手に喧嘩売って何がしたいんだろう。)
才能はあるのに運が悪く、みたいな作者の描き方はちょっと引っかかった。
好きなもの描いてる人の漫画は上手い下手に関わらず輝いてるし(同人やエロはそれ)、何か欠けてるものはあっても面白ければ売れるし(諌山とかたつきとか)、需要があれば面白くなくても売れるし、読者的には才能至上主義の時代だと思うんだよな。考え方が時代に追いついていないように思える。
作者本人のTwitterを除いたら「俺のアンチは〜っていうけど」「なんか変なのに絡まれるようになってきた」というツイートが並んでてあっ…(察し)だった。人として好きになれない人のエッセイは売れないと思う。スルースキルないとか一番幻滅される奴。批判も甘んじて受け入れましょうや。Twitterで暴れてるのはいい年してみっともない。
増田で弱者男性漫画は流行らないか話題になってたけど、男だと自分の弱さを認められないから結局あんな感じの言い訳漫画になってしまうのかなあーとか思った。