はてなキーワード: エヴァとは
今のところ話す人が大体あそこ良かったね!ちゃんと終わったね、卒業!みたいな人しかいなくて
私がちょっとネガティブなこと言うとまぁでもあのシーンは良かったよねみたく流される。
鬼滅やエヴァの話で麻痺してるので、20億がどのくらいすごいのかよくわからない。
ガンダムシリーズ最大のヒットなのか。
実写デビルマンが5億ってのは知ってる。
この土日に見ようと思ったけどたぶん無理だわ。
というかスクリーン数少ねえなあと思ったが
そのわりには少ないよな。
おまけに特別価格ってこれガンダムUCとかでやってた企画上映じゃん。
それで3部作かよ。
「映画として」ヒットさせる気はないってことかな。
しかも90分ってことはほんとにガンダム出てきて終わりってパターンなんかな。
まあ客が減った頃見に行くか。
さっさと上映終了しないといいんだけどな。
シンエヴァは結局それほど盛り上がらなかった感が。公式がマリ=安野モヨコ説をほぼ否定しているけれど、そのことが盛り上がらなかったことを考えると。
マリ=安野モヨコ説が嫌いだった私としてはそれみたことかと思うのだけど、なにせ公式が否定する振る舞いを見せているのに、その否定すらまるで話題に上がらない。
それはマリは安野モヨコであって欲しいと願われたことを示し、納得し、それ以上踏み込みたくなかったことを示しているのだろう。
「ジャジャジャジャーン!ジャジャジャーン!みてーのあるじゃん?」ぐらい分かりやすいとまあなんとかなるんだわ。
使われ方が有名な奴も楽で、たとえば「掃除の時間に流れるやつ」「なんか戦闘用のヘリが飛んでくるときの」「デジモンの一個目の映画のマンションのアレ」とか。
そういうのじゃなくて「フンフンフンフフンフフンみたいな?」っていう自分でも何いってんだコイツなのが無理。
「エヴァで聞いたことあんだけど……」とかだと何択あるのか分かんねーし。
んでこれがYMOなのかクラフトワークなのか分からんテクノとかだったりしたらもう人間の声帯でなにをどう再現すりゃいいかわからんし完全に終わりじゃん?
でも本当に終わりなのか?
俺はそれが知りたい。
あれリピート客作るための釣り餌っぽいと思ってたけど間違ってなかったか
クオリティが高ければ見るけどなんというか絶望でいっぱいになって二度と見れない
旧とは違うトラウマ負わされたわ
もっと早く言ってよ
昨日もやっぱ3回目はいいかな…と思いながらリバーシブルの厚紙貰って見てんだよこっちは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1726213
何でこの人叩いてるの?
(ネタバレあり)
〇大変満足。だけれども、やはり詰めこみすぎだったのでは。
〇戦闘シーンは文句なし。最後の三つどもえの戦いは、きっちり描ききったと思う。それで十分かもしれない。
〇3回泣いた。angelaは反則。
〇一方、日常シーンは、尺の都合かCGの限界か、原作ほど感情移入できなかった。冒頭や終わり、無理をいえばもう少しゆっくり見たかった。別のスタジオがつくる弐瓶作品(つまり、人形の国)も、正直なところ、見てみたい。
〇谷風のビジュアル変更は、熟慮の結果だそうですが、ちょっと違うんじゃないですかね。10年経って経験を経たら、ツルリとした方向には行かないんじゃないか。(他のキャラクターの外見に変更がないのは、そういう設定だろうか。)新エヴァのアスカは、説得力のある年の取り方をしていたが…。
〇演技の強弱に、受け手の問題かもしれないが、少し違和感があった。岐神海苔夫と艦長は、もちろんよかったですよ。山野稲汰朗も、素晴らしかった。
〇グランドシネマサンシャインのドルビーアトモスもよかった。6/10までらしいが、もったいない。立川シネマシティの極爆上映も、同じ感じなのだろうか。
〇Tシャツとピン、売り切れ早すぎ。どうしても欲しくて、新宿までいったが、ない。以前、BLAME!のパンフレットも売り切れで買えなかったんだ。これだけは許せない。再販希望!
もう観てから2ヶ月以上経ってるんだけどなんとなく文にしとこうと思いました。
前半は正直退屈だったんだけど後半のゲンドウ独白からネオンジェネシスのあたりはぐっとくるものがあった。
2年くらい社会にうまく馴染めず、このまま生きてても良いことはないんだから(この点について当時謎の確信があったのが今では怖い)死んだほうがいいと思ってた自分が、去年仕事辞めて家で休みながら甥っ子の生がいかに祝福されているかを目の当たりにして氷が解けるみたいに生きててもいいかもなと思えるようになったこととゲンドウがシンジと対話?で自分の誤りに気付いていく過程を重ねて共感してしまったのが感動の原因だと思う。
ここまで書いて君の名はで感動する人は過去の出会いを思い出して感動してるってテレビでみてアホくさって思ってたのを思い出して恥ずかしくなってきた。
全く一緒じゃん…。
受け手によって解釈が違う表現って、視聴者間のレスバトルが引き起こされて嫌な気分になるんだよね。
作品自体は面白かったとしても、その後のネットコミュニティが荒れまくると、うんざり気分に上書きされちゃう。
人類史上もっとも一般人の推し活とレスバが盛んなこの時代、揉め事の種にならないようにはっきり説明してくれる作品や解釈の幅が少ない作品が求められるのは自然だね。
つまりカップリング論争なんて最早うんざりだから、公式正史における本命CPは明示されてる方がありがたいってことよ。
現代では、作品そのものの効用と、その作品に対してネットでお祭りすることの効用が、同じくらい重要になってる。
オタクジャンルでは以前から「公式が新情報を追加し続けて、オタクの二次創作や限界萌え狂い芸やトレンド乗りといったファンコミュニティの活気を絶やさないことが大事。それってまるで作品よりもコミュニティを作ってるみたいではあるけど」なんて言う人がいたけど、映画やドラマでも割とそうなってる。
友達と映画見た後の感想会が楽しいのは昔からだが、今はその感想会の重要性がめちゃデカくなったんだな。
そんでここから本題だけど、友達同士の感想会ですら評価が別れるとやや気まずくなるのに、何万人とやりあうネットの関係で評価が分かれてるとコミュニティが荒れまくってしんどいんだわ。
(ここで友達同士の違う感想を聞きあうのがいいんだろとか言おうとした人もいるだろうが、それは心身が健康かつ信頼関係のある友達とたまにやる時だけ言えること。一時的には議論を面白く感じても、やっぱり疲れるから、好みの合わない相手とは次第に一緒に見なくなるぜ。)
人によって受け取り方が違うのは文学性かもしれんが、はっきりしないものについて語り合うのって耐えられないほど疲れるんだよ。
なんなら作品鑑賞時間より、その後のネットでコミュニティに入ってる時間の方が長いくらいなんだからさ。
大昔なら他人の感想を見るのなんて批評家の本くらいだし、ネット時代もしばらく前であればブログに長文書ける限られた人のものしか目に入らなかったから、我々は自分vs作品で孤独に向き合う時間が多かった。
そこで一応自分の中でまとめた自己解釈は、二つ三つの他人の感想と違ってても辛くなかった。
でも今は世界と繋がってんだから、解釈が固まらないうちに、他人の何千という意見を目にするせいで「私が間違ってるのか?」という不安や「あいつら、読みが浅いくせにそれが正当みたいな顔してやがる」みたいな怒りが沸いてくる。
自分と近い解釈の【仲間】も沢山見つかるが、それは自信を補強するというより、陣営に別れての対立を激化させる効果が大きい。
SNSが日常のスキマ時間に入り込んだ現代、スキマ時間に対立を目にするのはマジでキツいんすわ~。
だから近頃は萌えカプ重視のオタク作品ですら、カップリング論争が激しくなりそうな関係描写は敬遠されて、公式CPはほぼ明示、ハーレムでも正妻ポジションがわかりやすい作品が、安心できる福利厚生としてウケるんだよ。
シン・ゴジラはエンタメ性のバカ高さで内閣総辞職ビームwwwつって盛り上がったが、もしも流行初期にもうちょっと「原発の比喩か否か」「日本官僚への期待か否か」「庵野は政治的主張をしたがらないんじゃないか」みたいな議論厨がファン内の主流になってたら、疲れそうだから人がこなかったと思うわ。
わかりやすさを求める人への軽蔑トーンが強すぎるぞ、煽ってアクセス集めるのはやめろ、と思ったが、興味深い部分はある。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83647
『逃げ恥』『シン・エヴァ』…「リテラシーが低い人を差別しない」作品が時代を制する
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83706
低リテラシーへの思いやりでわかりやすい作品が増えており、それは低リテラシーへの差別予防であり、反差別やポリコレと通ずるブームだという指摘は面白かった。
だが、それだけじゃない。
作品から視聴者への差別防止だけでなく、視聴者間の差別も防ぐ効果が、わかりやすい作品にはある。
視聴者も他の視聴者を差別したり、憎んだりしたくないんだよ。ファンコミュニティ内で荒れたり議論になったりしてほしくないし、自分も荒らしたり議論を吹っ掛ける誘惑にかられたくない。
たとえば意味深な表現があると、それを誤読した低リテラシーな人に対してどうしても「あーあ、バカな奴ら」って差別的なこと考えちゃうじゃん、そんな感情を誘発させないでほしいんだわ。
自分が誤読してるのに、ちゃんと読めてる高リテラシー側に対して「バカな奴ら」って差別的なことを考えてるのかもしれないと心配になる。そんでこういうぐちゃぐちゃした思考に自分でうんざりする。
とにかく「解釈の幅が生まれやすい表現」てのは、皆が繋がってコミュニティになってるこの時代には揉め事の原因になるからやめれっつーことよ。
仕草だけで好意を伝えるなんてやったら、それは本当に好意を読みとれるかどうかで揉め、作者が意図してるかしてないかで揉め、仕草から感情を勝手に解釈して判断するのはデートレイプとかに繋がるんだから性交同意書が提案される現代には許されないとかで揉め、言外の意味を察することを求めるのは発達障害に厳しいとかで揉めるんだぞ。だったら好きか嫌いかはっきり言わせよう、となってあたりめーだよな。
だいたいさ、はてなーもツイッタラーも5chもふたばも、主語がデカい、比喩を使うな、皮肉は伝わらないからやめろ、意味が一意に取れるように書け、みたいなツッコミをする人がすげー増えたじゃんね。
だったら、物語もそれに合わせてわかりやすく直接的で解釈の幅を狭くする描き方をして当然だよな。
そーゆー批判は有名人の発言やブログに対してだから物語に対しては別だと思う? 物語は比喩や間接性こそが価値だから明確さなんて求めてないって?
事実半分物語半分みたいなエッセイブログ・エッセイツイートですら「誤解を招く表現はやめろ」「曖昧さを利用して分断と偏見を煽っている」なんて言われてんだからさ。
受け手によって解釈のブレが生まれやすい表現は混乱の元だからやめとけやめとけってのが、ネット発言についても物語表現についても当てはまる時代なんだわ、今は。
【追記】
ブコメで「他人の感想を見るな」などのアドバイズをしている人いるけれど、この記事では困ってるなんて全然書いてないっすよ。
むしろ逆で、わかりやすくてSNS受けしてみんなで同じノリがしやすい作品が増え、応援上映だのイベント生配信だの実況ハッシュタグだのも公式が準備して、モノ消費よりコト消費なんてスローガンも広まって、対人交流が好きな人間にはどんどん都合がいい世の中になってるぜ、と言っている。
それなのに、なんでわざわざ我が世の春を捨てるような、古の単独ムッツリオタクとしての生き方に回帰せよってブコメがつくねん! そもそもオタクだけの話をしてるわけじゃないし!
あとどっちかっつーと、いま助言される立場はオールドスタイルオタクの方じゃない?
「作品と鑑賞者がタイマンで向き合うのが本義で交流共感は二の次三の次というの、今の時代では逆風で大変そうですね。もっとコミュニケーションやってみんなで盛り上がる方が生きやすいですよ」ってな。
私はそんなこと言わんけど。
だってこの記事は周囲を見て考えたことを書いたものであって、私自身は6:4くらいでオールドスタイルオタクに近いから。本文で一人称を使ってないのは、私の価値観吐露じゃないからだよ。