はてなキーワード: のろいとは
インパール作戦って補給を無視した愚劣な作戦って世間ではよく言われる。
でも、これが当時のビルマ(ミャンマー)方面軍がビルマの防衛をするにあたっては最善手だったって話はしちゃいけない雰囲気あるよね。
当時日本が抑えてたビルマっていうのは日本軍にとって放棄、撤退できない大きな二つの理由があった。
それはビルマの後方に位置する東南アジアの資源地帯の防衛と中国軍へのアメリカイギリスによる支援ルート(援蒋ルート)の遮断。
特に後者は南方への戦力の引き抜きで弱体化しつつあった支那派遣軍を守るのにどうしても必要だった。
ここを突破されたら支援物資の米式装備で固められた中国軍が襲いかかってくることになる。
さて、この状況でビルマ方面軍が持ってる戦力といえばろくに機械化されてない歩兵師団と航空師団1つの合わせて10個師団。
ビルマの広大さから見ればあまりにも少なすぎる戦力だ。対峙するイギリス軍(15個師団以上)と中国軍(10個師団相当以上)に対して戦力は質量ともに劣勢だった。
このビルマは北部はともかく中央部はだだっぴろい平原が広がっていて自動車が動きやすい。そレに対して鉄路がすごく貧弱。(日本軍は部隊の迅速な移動は鉄道に頼りきり)
これがなにを意味するかって言うとまともに戦ったら制空権もなくて動きののろい日本軍は機械化された連合軍に粉砕されるってことだ。(実際にされた)
だから最前線を戦車や飛行機が活動しにくい北部のアラカン山脈まで伸ばす必要があった。そしてその拠点となりうるインパールが必要だった。
つまりあのまま防衛していたら負けることを牟田口や陸軍の上層はちゃんとわかってたんだ。
でも、上述の2つの点から絶対に退くことは出来ない。だから無謀とも思えるようなインパール作戦が行われた。
補給無視と言われるがちゃんと必要量の補給要請はしてたけどそもそも補給部隊がないから結果的にああなってしまった。
それを少しでも埋め合わせようとしたのが食用野草の研究や水牛を連れていくという付け焼き刃の策だった。
牟田口が非難されるべき点で言えば撤退の判断が遅れてしまったことただひとつ。
ただこれにしたってインパール作戦が行き詰まった戦局を打開するという政治的な打算で必要以上に持ち上げられて
実情を知らない上層部から督戦の激励が矢継ぎ早に来てしまったせいもある。
つまり支援はしないけど攻略はしろという無茶ぶりが来てたわけだ。
たしかにこの撤退判断の遅れのせいで大多数の死者がこの時点で発生した。
でもあなたはこの状況下で撤退の判断を果たして下せるか?俺はたぶん同じ状況なら同じことをした。
このようにインパール作戦は撤退が不可能な選択肢がない中での最善手な炎上プロジェクトを指揮した中間管理職と、それが落ち目の企業の期待を集めてしまったことによって悲劇が起こった。
ビルマを放棄する=中国軍が強化、そして後方の資源地帯が脅かされる。
というどちらも出来ないという完全に詰んでいる状況だったのだ。
それをなんとかしようとしたのがインパール作戦で状況的にも最善の策だった。
今むしょうに読みたいと思っているのが、ヨコハマ買い出し紀行のようなマンガか小説。
ような~、と言ってもいろいろだけど、
何かないかな?
(7/24追記)
わかりにくい例や条件で申し訳ありませんでした。たくさんのトラバ、ブクマ嬉しいです。ありがとうございました。
最近、鬱とのつきあいが、上手にできるようになってきた。でも、また将来、くじけそうになるかもわからんから、ここに書いておく。僕自身の忘備録が誰かの役に立つかもわからないし、役に立たないかもしれない。これは自分の忘備録として書くのであって、誰かにお節介して教えるとか訓示を垂れるということではない。そう断っておいて、以下、「僕の鬱が治ったきっかけ」を列挙しておく
僕が鬱で精神科に入院したのは、去年の11月。ちょうど一年前の話だ。仕事 恋愛 家庭 すべての破局が一気にきて、自殺未遂してしまって、入院させられた。鬱での入院といっても、拘束されるわけでもなんでもない。「安静病棟」という名前の病棟で、同じような悩みを抱える人たちと一週間寝起きをともにした。寝起きをともにした っていっても、みんな個室。ただ、気が向けば食堂やホールで一緒にご飯を食べたりする。で、ストレス軽減のために、病院だけど建物の中に喫煙室がある。だから、喫煙室で病棟仲間にあう。
この喫煙室の経験が本当によかった。 僕は初めての入院だったけど、もう何度も同じ病院で入退院を繰り返している人がたくさんいた。その人々の話を聞いていると、「なんで鬱になったか」とか一切しないのね。とにかく延々、「医者の悪口」と「薬の悪口」と「療法の悪口」が続く。僕も、医者にも薬にも療法にも不満があったから、最初はみんなの話につきあってた。でもあるとき、患者さんたちを観察していて、「入院歴がたくさんある人ほど、医者の悪口と薬の悪口を頻繁に繰り返す」ということに気づいた。そして、僕が入院している間に、目に見えて快方に向かっている人は反対に「医者の悪口と薬の悪口の頻度が減る」ということに気づいた。そんなある日、僕は、医者に、「僕の個室は朝、朝日の直射日光が差し込むので、部屋を変えてくれ」という相談をした。医者は即座に「いいですよ!病室変更しましょう」と応じてくれた。ただ、こうも付け加えた「ほんとはね、朝日を浴びて欲しいんですよ。朝日を浴びるとね、セロトニン増えて、治療的にも好ましいんですがね。まあ、鬱って病気は『治る方法こそを拒否する』という症状がでますからね。まぁあまり無理しないでおきましょう。。。。」と。
この医者の一言と、「医者と薬の悪口ばかりをいう患者たち」の言動が一気に結びついた。「結局のところ、患者が薬と医者の悪口ばかりいうのは、『治りたがらない』という症状そのものだ」ということに気づけた。
その後、僕は、医者のいうことや進めることに一切拒否しないこととにした。そして、他人からもらうアドバイスを選択するときも、「もっとも嫌な話」こそを参考にすることとした。
入院するということは、強制的に規則正しい生活を送らされることでもある。規則正しい生活を送った結果、一気に12kg痩せた。まあそれまで太り過ぎていたこともあるけどもね。みるみる痩せていくのが面白くて、入院中から腕立て伏せとか腹筋とかやるようになった。これもいままで運動したことなかったからか、目に見えて筋肉が増えて行くのが面白く、どんどんのめり込んでいくようになった。
退院した直後にやったことは、近所のジムへの入会。それから週3回、ベンチプレス スクワット デッドリフトという基本種目だけをぎっちりやるようになった。これが、本当に、効く。
もう歳も歳だから若い人みたいに、プロテインがんがん飲んでウェイトがんがんあげたら筋肉がんがん付くみたいなことはない。おっさんだから、あゆみは亀よりのろい。もう一年やってるのに、いまだにベンチプレスは自分の体重以上はあげられない。胸の筋肉もたいしたことない。でも、目に見えて変化が現れたのは、精神面。週3回のトレーニングは夕方に行うんだけど、もうね、次の日の調子がまったく違うのよ。鬱の人ならわかると思うが、あの頭の中のもやもやや、なんかわからん罪悪感や後ろめたさが、一切発生しない。もうね、笑うほどなんもない。かといってキャハ〜っと躁になるわけでもない。本当に「フラット」な状態になる。
これは医者に後日聞いたことだが、「筋肉トレーニングは、どんな薬よりも成長ホルモンを分泌する。成長ホルモンが出ると脳内のセロトニンの分泌が正常化する」とのことだった。
この医者の解説は自分の体感とも合致した。とにかく、筋トレ後の「フラットさ」は異常だった。鬱でもない躁でもない、本当にノーマルな状態がやってくる。そして筋トレ歴が伸びるにつれ、最初半日ももたなかった「フラットな感じ」がいまでは、一両日は維持できるようになってきた。
これが「この文章は僕の忘備録であって他人に進めるものではない」という根拠。
これはあくまでも僕の個人的な体感の話なので、そのつもりで読んでほしい。
筋トレでだいぶ改善したとはいえ、それでも数ヶ月に一度、強烈なもやもやが襲ってくる。そういうとき、ちょとだけ断食してみる。断食といっても薬はのまなきゃいけないから、食後の薬を飲める量分の食事はちょこととる。具体的には牛乳いっぱいとかお粥だけとかね。そういう食生活を三日だけつづけてみる。すると、内臓が休むからか、体がすーっと軽くなる。これは体重が減った軽さじゃない。感覚でいうと「風邪が治った軽さ」みたいな感じ。ほんとにすーっと体が軽くなる。すると、頭の中のもやもやも消える。ちょっと荒療治だが、「それでも襲ってくるもやもや」に対する対抗策は、いまのところこれしか見つけられていない。
以上、僕の対処法。
今この方法で、だいぶ自分の鬱をマネジメントできている。でもきっと将来、マネジメントに失敗することがあるとおもう。その時にこの忘備録にもどって、自分の対処法を見直してみるつもりだ。
今の流れに近い話題だから投下。
半年ほど前、ADHDでミスが続いて人間関係が悪くなって心が弱って、軽度の欝病で仕事を辞めて療養してた。
しかし再就職後、また心の調子が悪くなって薬を再開。薬自体は、抗うつ薬ではなくて抗不安薬。薬はそこそこ利いてるけど、調子は悪い。仕事中に思考が飛ぶことがあるし、眠気があるし、気力でないし、ADHDの不注意も重なってミス連発。
人間関係的には一人の直属の上司が俺を嫌っているけど、それ以外はそこまで悪くない。「ま、仕事にまだ慣れてないからミス多いだけどよね」とか「厳しい上司に当たって精神的につらそうだね。本当につらくなったら言ってよ?」っていう感じで接してくれている。ただみんな俺を「のろい人」とは思っている人は多いみたい。
はっきりいって心の調子は悪くなる一方。体もどんどん動かなくなってきている。仕事中にうとうとすることもしばしば。
さあどうする?
ADHDはともかくうつ病のことはカミングアウトして配慮してもらうか? ただ結局どう配慮してもらうように頼めばいいのかわからないし、逆に職場での立ち位置が悪化する危険がある。「仕事できないのを心の問題にするな」とか「自分が仕事でミスして怒られて欝になるとか自分勝手すぎ」とか。まあそんな冷たいこと言う人はいないだろうけど、心では思うかもしれない。
それにうつを隠して転職したことにも触れないといけないかもしれない。
今試用期間は終わってるから簡単にはクビは切れないと思うけど・・・・
心が動かない。
今現在は離れた場所で暮らしているが、昔から仲のよかった友人がいた。
地元に帰るといつも笑顔で迎えてくれたが、2年前にその友人は大切な友人を事故で失っていた。
当時は彼はショックで毎日泣いていて、食事も取れないほどやつれていた。
友人とは言ってもそれほど仲が深くなかった自分もできる限り友人を慰め元気付けてあげていた。
その後別の友人から「元気になった」との話を聞いて少しばかり安心していたのだが・・・
つい2ヶ月程前、再度地元に戻った折私は事故にあってしまった。
ひき逃げではなかったが、歩行していた時に車にぶつけられ意識を失い病院搬送。
1週間後に意識は回復したが、家族に聞くと重体でかなり危ない状態だったらしい。
脳に損傷があったので右半身に若干の麻痺が残ったが、幸いにもリハビリで回復可能だとの事。
今現在は別の病院に通院しながらリハビリしているが回復は順調で、今月中にも仕事復帰できそうだ。
リハビリ通院中に地元の別の友人が見舞いと称して自宅に来てくれた。
今現在彼は、競艇で1000万円の大当たりが出て豪遊状態だという。
「幸せだね」と友人に言葉を返すと、「それが・・・」と口ごもりながら話し始めた。
実は彼は私の事を理由はわからないがねたんで恨んでおり、近くの神社に行っては私が死ぬようにと呪詛をかけていたらしい。
それと共にお金が手に入る様にと祈願もしていたらしい。
別の友人は彼がその話を笑いながらしていたので、私には話しづらく辛かったと言った。
疑問に思い私は、「私をのろい出したのはいつから?」と聞いたら。
その話をしはじめたのは5年前からだとの話だった。ただ、大切な友人が死んでからはそんな事は言わなくなったみたいだ。
なるほど・・・
願いの半分以上はかなったが、私は死ななかった。
呪詛は叶ったのかもしれないが、何か引っかかった。何せ彼と彼の大切な友人とは恋人になる寸前だったのだ。
人を呪わば穴二つと言うがよくできたものだと思った。
あれ立ち止まって乗るとクッソ遅いよ。
すんげえええのろいよ。
実はエスカレーターを歩いてたって遅いんだよね。
(グズグズしか歩けないなら左側の列で立ってればいいのになんで右に来るんだろうね)
なので、階段があるならそっちをサッサッと登る方がエスカレーター歩く奴等より全然早い。
混んでる駅では特にな。
エスカレーターなんか今みたいにたくさんいらねーんだよ。
なんであんな不便なものが我が物顔にスペースとってんだ。
それ以外の奴は全員階段を駆け上れよ。
階段を広くしてくれ。
全体的に言って足遅い奴が多すぎるんだよ。
還暦にもなってねえのにすぐエスカレータなんか使いたがる奴等、
クズどもが。
全員駅での移動ぐらい階段使って足を鍛えろ。