具体的に何が素晴らしいの?
初期費用が貯金で賄えて部屋に贅沢言わなければ別に手取り17でも一人暮らしできるよ。家賃は5万円代でおさえよう。
セキュリティのいい築浅物件より治安のいい地域の古い物件がオススメ。私も手取り17のとき目黒区で独り暮らし始めた(家賃は6万弱)。
収入に不満がなくていずれ旦那に養ってほしいとかなら現状維持がいいだろうけど、いつまでもその収入でいたくないなら早く一手打つべき。
親の束縛がきつくてものを考えるのがめんどくさくなってる状態だから、貯金切り崩してでもとりあえず一人暮らししたほうがいい。手取り17の節約生活に慣れとけばマトモな収入になったらすぐその貯金くらい取り戻せる。
https://anond.hatelabo.jp/20170729142613
何かと「キモくて金のないオッサン」って言ってる人がいるけど、
普通に金のないオッサンとか弱者男性と言えば済む話なんじゃないの?
同じ金のないオッサンでもキモいかどうかで救うべき優先度が変わるわけでもないだろう。
ニュースなんかでよく若い女性の貧困が話題になって世間の耳目を集めたりするけど、
あまり世間からは注目されない(されづらい)弱者男性だって同様に救済されるべきだ、
という話になったらその男性がキモいかどうかは関係ないだろう。
という意見があったって別にいいと思うけど、それって金がある・ないと関係あるの?
個人的には、金がない人なら「俺は貧乏だから・・・」と慰めることもできるし
貧乏だと色々なことを考える精神的な余裕自体がないだろうと思う。
そういう意味で、金がないわけじゃないけどキモいオッサンの方が
要するに「金がない」と「キモイ」は別個の問題として考えるべきだと思うんだけど。
この話題で
「要するに金のないオッサンに女をあてがえということなんですか?」
「いやそんなことは言ってない!なぜそんな風に取るんだ!」
みたいな流れを何度か見たけど、
そういう風に勘ぐられてもしょうがないだろと思う。
安田理央さんの「大きな胸はどう呼ばれてきたか」という文章が素晴らしい。是非読んでいただきたい。
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous01
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous02
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous03
安田さんの文章でも前提とされているし、知っている人も多い話だと思うけど、江戸時代の銭湯は混浴だった。昔の人はハダカを恥ずかしく感じなかったのか? 異性のハダカに欲情しなかったのか? という疑問が浮かぶが、どうもそうらしい。昔の銭湯のお湯は熱く、湯冷ましのため男女とも服を着ずにハダカで家に帰ったというから相当なものだ。また夏は道にタライをだして行水の習慣もあった。
明治時代になって、西洋人から男女がハダカで混浴したり、公共の場所にハダカでいることが破廉恥だと非難されたため、政府により街場の銭湯の混浴は禁止される。しかし田舎の温泉宿などは、いきなり浴場をもう一つ増やす財力が無いので、ロビー活動をして混浴という状況を許してもらう。その後世情により徐々に男湯女湯の区別が作られては行く。しかしガチの混浴の習慣はいつまで残っていたのか?
1961(昭和三十六)年、押田氏が栃木県の鬼怒川温泉に投宿したときのことである。同氏は同僚と飲んだ後に二度目 の入浴のため大浴場に向かう。時間も遅かったので先客は誰もいず、一人湯船につかっていると、やがて脱衣場の方から声がする。そして二十代から五十代 の女性七、八名が、浴場に入ってきたというのである。いずれも仕事がはねた 仲居さんたちである。人数的にも圧倒され、湯船から出るに出られなかったと押田氏は当時を述懐する。
1960年代まで田舎では、特に裸は恥ずかしくなかった可能性がある。観光旅館ではなく、地域の共同浴場なども混浴が残っているケースは多く、70年代のドキュメンタリー番組で「若い人は気まずい」という解説とともに紹介されていた記憶が自分にもある。
ハダカはともかく、ムネはいつから恥ずかしいのだろうか? 昔の海女さんや炭鉱で働く女性は、男性のように上半身ハダカだったらしい。これもどうやら1960年代、女性の間にブラジャーが普及するのと平行して、恥ずかしいという意識も広まっていったようだ。
しかし女性が一旦胸部にブラジャーをつけると単に美しく見せるだけではなく、それとは別の副次効果が現れる。先の井上章一氏の言葉を応用すると「ブラジャーをつけだしたその後に、女性は胸部により強い羞恥心をいだくようになった」と言える。こうして、従来は羞恥心の対象外だった女性の胸部が質的に変化する。昭和三十年代には普通に見られた、街頭で母乳をやる女性たちも、授乳室の中に隠れるようになる。
いずれにしても上記のことから、女性のハダカを見て男性が興奮するのは、決して本能などではないことは容易に推理できる。欲情する気持ちは、文化により形作られた、女性が羞恥心を感じている様子に引き出されるもの、あるいは国家権力に規定された禁忌を破ることによる興奮なのだ。そもそも男性が女性に欲情することが自然なのかどうかもわからない。橋本治さんの受け売りだけど、森鴎外の時代、男子大学生は硬派と軟派に分かれていたが、硬派とは下級生男子に欲情するもの、軟派は女性に欲情するもので、鴎外は性暴力の被害を恐れナイフを携帯して通学していたという。
墓穴掘ってるぞ
あれを意外性狙ってるとか本気で誉めてるやつばっかでマジでアニメどうしようもなくなってるな
そういうのに嫌気がさして君の名はみたいのがうけるんだろうな
以前もSEで働いていたが、うつになってから退社して、数年休んだ後に不眠症以外は落ち着いて働けるようになってから2年弱今の会社にいる。
東京で実家暮らししていたが、母とのいざこざがきっかけで一人暮らしをしたいと思うようになった。
まず、仕事に対する理解がない。お客様に常駐する下請け下っ端SEは、そこの風習にあわせなければならない。ある企業は定時上がり、残業があっても1時間という時もあれば、別の企業はいつも2時間残業している上に納期直前だと3時間とか4時間という時もあった。これにより帰宅時間が定まらないので、毎日19時前後に「まだ終わらないの?」とメールが来るので「残業で帰れない」と返信すると、「帰る時に連絡すること」と釘を刺される。女だからとはいえアラサーに対してそれはどうかと思う。
次に、実家暮らしなゆえ自由が制限されている。19時のメールは「夕食できた」を知らせるものであり、残業で9時とかになっても直帰してご飯を食べなければならない。これはある意味優遇されていると思うが実際は「夕食を食べなければならない」ためパン一個食べたくても食べられないのだ。かつ、疲れて食べたくないと言うと「なんで食べないの」といい出して機嫌を損なうから厄介だ。さらに、仕事終わってから買い物したい時は「どこで買い物するから何時ぐらいにする」と報告しなければならず、通販で商品を頼んだ時は「どこから荷物が来る」と報告しないと「なんで荷物が届くの教えないの」とはじまるからうかつに通販も使えない。こないだは、仕事終わりに気晴らしせ10分だけ本屋で立ち読みと本を買ったのを言わなかっただけで「なんで遅いの」と注意された。
それゆえに友人や彼氏から夜会いたいと誘われても、「なんで仕事終わりに会わなきゃいけないの」と突っ返されるので強制的に家と会社の往復しか許されなくなっている。どうしても誘われた場合は前日までにその旨を親に許可を取らなきゃいけないが、金曜の夜じゃない限りはまず認めてもらえない上に、運悪くトラブルに巻き込まれて遅くなってしまいどたキャンせざるを得ない状況になったら意味がない。
そういう親から離れたくて一人暮らしをしたいのだが、別の問題が浮上した。
実家は幸い、家にお金入れるなら貯金しろというので最低限使う金以外はほぼ貯金はしている(ただし退社前にためたお金は治療費と維持費でほぼ消えた)。しかし一人暮らしになったら貯金する猶予がない。かし通勤時間を少しでも短くしたいとなるとそこそこ高くなる。23区に住んでいたこともあり、都下はまだしも他県だと交通の便や環境的に住めるか不安になる。今もカウンセリングで月に2回診察を受ける関係で遠すぎると逆に不便になってしまう。
なお、今は仕事のストレスと親のストレスで好きだった小説を読む時間がほぼ取れず、外出しようとすると「疲れているから家で休め」と言われ出させてもらえない(そして両親が家にいる関係で音が出るものを使うと嫌な顔される)平日買い物できないから休日に行こうとすると、「どこへ、何時まで、何しに行く」と許可を取らなきゃいけない。流行どころかニュースさえ追うのも面倒になってきた。あとニンテンドースイッチを発売日に買ったものの最近は遊ぶ気力が削がれている中、「スイッチが買えない」というツイートを見ると買っちゃって申し訳ない気持ちになっている…だめだ、うつうつ寸前。
周りから「親がおかしい」と言われても両親は聞く耳もたず。給料が上がればいいなと思うけど望めない。転職しようとすると会社から逃げだと言われることこの上ないしのままだと給料が上がるとは限らない(現場からは不眠症を除けばいいスキルを持っていると高評価をもらっていると余計…)
特定されない範囲でいうと、大学でソフトウェア関係を専攻していたので、今はソフトウェア関係の仕事をしているし、仮に自由時間があればpaizaでプログラム書いたり(Javaメイン)、仮想マシンでLinux入れてコマンドの勉強からLPICも目指そうとしている。ただ知識はあるが実務が浅いのでバリバリプログラムが書けるという自信もない。うつ病も完治はしていないので、それでも転職(特に大手とか自社開発系)できるのか謎。
ラジオって、番組の合間に交通情報が入るんだけど、ちょっと気になったんだよ。
っていうアナウンスが入って、一瞬何のことか分からなかったんだけど、「あー、PLの花火大会ね」って気付いた訳なんだ。だけどそこで考えちゃったんだよね。
PLの花火大会は、大阪の者にしてみれば夏の恒例イベントで、良い意味では花火を見れる、悪い意味では交通渋滞や電車の混雑が起こるっていう程度のことは考えるけど、別に宗教行事とは思ってないんだよ。もちろん、PL教団からしてみれば、大事な宗教行事なんだろうけど。
でもニュースではわざわざ、PLっていう言葉を使わず、地名だけで伝えるってどういうことなんだろう?
なんで天神祭りは「天神」とか「大阪天満宮」とかの固有名詞がニュースでもバンバン使われてTV中継までされるのに、PLの花火大会は、中継が無いのはまだしも、交通情報のニュースですらも誰もが知ってる固有名詞を避けて、逆に解りにくくしちゃうの?
PL教団が宗教団体であるのと同じように、大阪天満宮だって宗教団体だってこと、無視してない?
天神祭りは伝統行事だから良くて、PLの花火は伝統行事とは言えないから?
別にPL教団の者でも無いし、教義も何にも知らないけど、PLって百年くらい続いてるんでしょ?
そりゃあ、昨日今日にできたような団体ならいざ知らず、百年続いてる教団の恒例行事で名前を伏せるメリットが全く分からない。地名と日程だけで言われたら、よく知ってる人でも考えこんじゃう。
日本の報道に、「宗教団体」ってものを同列に扱うっていう意識は無いのかな?
PLも宗教団体なら、大阪天満宮も宗教団体だし、全国どこのお寺も神社も全部、一つ一つが宗教法人格を持ってる。
そこに差ってある?
あるとしたら、年数程度しか考えられないんだけど、じゃあ、何年続けば良い訳?
誰もが自由な信仰心を持っていいはずなのに、それを否定する土壌を作ってない?
個人的には、神社やお寺は観光がてらに参拝するのは好きな方だし、良いなぁって素直に思うんだ。
けど、こういう差別してるから、神社本庁とか日本会議とかが調子に乗っちゃうんじゃないかとも、そんなことまで考えてしまった。
SNSではみなキラキラ輝いて見えるこのご時世。なかなか狂っている。
幼いころ6歳の時父と生き別れた。
カルトな母にDVされ続けた。飛び交う家具、怒声、ひっくり返される私と妹の机。破壊される壁たち。
表向きは女手一つで育て上げた立派な母だが、占い師でなんでもかんでも幽霊のせいにして責任を逃れていく。
喧嘩が起きるのも幽霊のせい病気になるのも幽霊のせい。問題解決の議論などさらさらない。助けを求めようにも学校のみんなにも気味悪がられ毎日居場所がなく憂鬱であった。
4回も5回も変わる男にある日セクハラされた。マッサージと称して体中を触ってくる。
夜はベットのわきになぜかずっと立っている。
セクハラのせいで自分の体が嫌いになった。性に対して直視するといまでも違和感が残る。
その男はある日大地震が来ると10人ほど人を集めて予言して外れて恥ずかしさのあまり消えた。
おとなになって母元から逃げ、上京して生活してて私は人に恵まれ事業も軌道に乗ってきたある日のこと、
夜の仕事をしながらOLをして同じく上京していた妹がストーカーにあったり男問題やいろいろと大変そうだったので
仕事が忙しいときいきい言い出し、自営業で動いてる私がニートみたいに見えると怒りだし、
精神的にくるっていて破壊しだし、結果妹は逃げて音信不通なってしまった。家賃やあの子が壊した損害は私持ちになっている。
笑って、全部許して、自分がお金持ちになって全部解決できる人になるのだ。
自分の代で責任を負って家族の心を幸せにしなければどこの代までも不毛な戦いが続く。