ビジネスシーンで「てめー!」とか「ボケ!」とか言われたの初めてw
相手は上場企業だけど、そこの部署は老人ばかりの吹き溜まり。
介護とかしている人すごいわ。というか老人相手の仕事している人
尊敬する。
今は標準体重の+15kgくらい。
モチベーションを保つために、痩せたらやりたいことを書いてみるよ。
早くても1年後以降だろうね。
いつもはLかLL
「着れるサイズがなくて、欲しいけど買えないのよね」ってつぶやきたい
・「持ってあげるよ」って言われてみたい
その人をレイプした人の属性は日本人だったり男性だったり同性愛者だったりあるいはどこかの地区に住んでる人だったり何かの職についてる人だったり怒りっぽい人だったりポルノが好きな人だったり複数のいろいろな属性がありうるわけだけど、その中でことさら「同性愛者である」という属性のみを恐怖の対象として選んでいる時点で、そこには「同性愛者という属性がレイプすることと一番関係があると考えている」つまり「同性愛者=レイプ予備軍」と見なしているという偏見がある。
その偏見が、マジョリティ→マイノリティに対する偏見であれば社会構造的にその偏見のせいでマイノリティが不便を蒙る可能性が高いためそれは差別として問題にするべきであり、逆にマイノリティ→マジョリティに対する偏見であれば、その偏見のせいでマジョリティが不便を蒙る可能性は低いので差別として問題にする必要はない。
そういう話では?
あれで一番疑問を持ったのはTVの大桃バッシング麻木擁護の激しさだな。
何で普段他人の浮気を暴露してボコ殴りにしていた人達が、一緒に不倫ボコ殴りにしてた仲間の麻木の不倫だけは擁護したのか。
さらに不倫された側をバッシングし、夫婦関係が破綻してたら浮気じゃないって麻木の言い分を支持したのか。
どう考えても主婦層にうけるわけがないのに、視聴者に嫌われてまで何で麻木を庇うのか。
先日、5年ほど付き合った彼女と別れることになった。
原因は些細なすれ違いから始まったことだったが、
振り返ってみれば、ぼくの心の中に彼女がいた痕跡なんてほとんどないような、
今まで付き合った女性は彼女を含めて3人だが、全て同じような終わり方になった。
結果としての愛情不足、結論としての不一致。
「あなたが見ていたのは、結局私じゃなかった……」
最初の彼女に振られた時は、まさかこんなドラマみたいなセリフを言う奴がいて、
実際に聞かされることになるとは……。
と少し耳を疑うくらいだったが、次第に彼女たちが言っていた意味を理解するようになってきた。
始まりは中学の頃だった。
もともとかなり奥手だったのもあってか、結局かろうじて告白らしい告白をしたのは、
これも今にして思えばだが、四六時中と言っていいほど一緒にいて、
ぼくたちはもうそんな、なんとなくな中で、お互いを想いあっていたのかもしれない。とすら思う。
結局その後は大学受験で離ればなれになった。
入学式からしばらくは記憶にない。それくらいショックがあった。
それでも一応真面目に単位を取り続け、半年くらいして合コンに誘われた。
結果的に彼氏がいる女性を寝取ってしまった訳だが、いざ付き合うと凄く冷めた気持ちになった。
それでも会おうだのデートに行こうだのとうざかったので、次第に避けるようになった。
背徳感が自分の性癖だと知って少し吐き気もした時期もあったけど、
将来的なリスクと結婚まで考えて見切りをつけ、付き合うことになったのがつい先の彼女だった。
多分相手もそうだったのだと思う。
とても尽くしてくれる女性だった。
仕事の愚痴を言ったりしても嫌な顔をせず、いつもぼくが帰宅するまで一緒にご飯を待っていてくれたり、
ぼく自身も凄く惹かれていったのが、よくわかった。
もともと教育熱心だった親の期待に応えられず、次第に希薄な関係になっていったぼくにとっては、
俗にいう母のような女性と言えたのかもしれない。
だけど、それでもぼくの心は満たされなかった。
どれだけ言葉を交わし、幾度身体を重ね、愛を紡いだつもりでいたけど、
愛情が重かったわけではない。価値観はぼくが生きてきた中で出会ったどんな女性よりも近かった。
そう、ただ違ったのだ。
「たくさんメールをして、お喋りとかもしてきたけど、あなたのことが何もわからない」
多少は感情的になっていた部分もあるとは思う。何も……という訳ではなさそうだけど。
そんな場違いな分析を頭の中ではしながら聞いていたのだけはよく覚えている。
今しがた見終わったところだ。
多分、二度と見ないだろう。
初音ミクのコンサート動画でもっとも沢山見られているWorld is Mine。今や再生数は350万を超えている。
http://www.youtube.com/watch?v=DTXO7KGHtjI
そしてとうとう、あのIevan Polkka(ネギふり動画)の再生数を超えてしまった。
http://www.youtube.com/watch?v=kbbA9BhCTko
このIevan Polkka動画はおそらく海外中心に見られているVocaloid動画としてこれまで最多再生数を誇ってきた。その動画が3年4ヶ月かけて積み上げてきた再生数をたった4ヶ月でぶっこ抜くんだから恐ろしい。
まあ国内中心に見られているものまで含めば390万を超えている「裏表ラバーズ」もあるので、初音ミク動画で最多、とは言えないんだが。
http://www.youtube.com/watch?v=loSbbj9s4Ug
いずれにせよ、最近になってYouTubeでの再生数が加速している印象はある。初音ミク関連ではこの他にも最近になってLast Night, Good Night、World is MineのPV版、Black Rock Shooterなどが100万再生を超えた。
http://www.youtube.com/watch?v=6hlADpxjj0s
http://www.youtube.com/watch?v=RdXgoIjS7UM
http://www.youtube.com/watch?v=OLzOrik5YJ8
とすると、「女性に対する男性全体」のように「男性に対して同性愛者全体」は仕方がない気がしますね。
そこには差別が入り込まない気もする。
海外の金髪美人が男とルームシェアしてるのを見て疑問を持った。
「彼ですか?」「いいえ、恋人は他の人です」で一層疑問を持った。
恋人は反対しないの?
この2つが大きすぎてありえない、相手を信用するしない以前に、そんな事をするのが既に裏切り。日本の恋人なら全力で反対するだろう。
とりあえず、旭日旗についてはこう。
・韓国人は日本国旗を振っている日本人には不快感を持っていない。
・一方、日本では旭日旗を海上自衛隊が隊旗として使用しているなど、戦後も旭日旗の使用を特に問題とも思ってこなかった
・ドイツは別にナチのものでもなんでもなかったハーケンクロイツをナチの象徴として戦後禁止した
つまり、旭日旗観に齟齬が生じているわけで、とりあえず、日本人はこう思っている韓国人はこう思っているという対話が必要だろう。
決着がつくまでは、対外試合では、旭日旗は掲げなくていいんじゃないか。別に、旭日旗がなくたって日本代表の応援はできるんだし。
ただし、日本側が旭日旗をどう思っているかについてきちんと整理して、発信する必要はある。
だって、1月1日には天皇に振ってるんだし。かっこいいとは思うけどね。
後、猿とかは正直、馬鹿にされたとも思わないので何か書く気にもなれない。
人間は猿から進化してきたのだし、猿真似とか言いがかり言われても俺らは守破離の精神でやってるだけだし。
何かに心を振るわせられたら、胸を打たれたら、きっとその作品や出来事を誰かと語り合って共有したりしたくなるものなのだ。そういうのって自然なことだって思い出した。そうして時には良さとは何かで対立したとしても、その語り合いたい気持ちは無くなりはしないのだろう。
一人ぼっちで、傷ついたり疲れたりして語り合うことも嫌になって、独りに慣れすぎていた。
はてなIDの政治的立ち位置を、思想の左右を横軸に、思想の緩急を縦軸にとって、入ってきたユーザーに「この人はここらへんなんだー」ってのと「俺ってここらへんかもなー」ってのを示す。
仮にアメリカ人にレイプされかけたとして、その人が「アメリカ人全体」を怖がるかといえば、そんなこと無いように思うのですがね。
これが「黒人」とか「中国人」だと、その現象が起こりやすく、そうしたことが所謂「差別」なわけですが。
「同性愛者にレイプされかけて同性愛者に恐怖感を持った」としたら、なぜ加害者個人ではなく「同性愛者全体」を恐怖するのか考えてみるといいです。
暴露されるようなことするかね
虐めたもん勝ちかよ
暴露というより公表では?
公表が悪いとしても、人を傷つけ人生を滅茶苦茶にした方が悪質で卑怯だ
後者が白日のもとにさらされるのであれば、前者を選択する者は多いだろうね
お前、心身喪失するような傷を受けたことねーんじゃねーのか?
上辺だけで良し悪しを判断するなよ
同性愛者に嫌悪感・恐怖感を持ち、それを表明する者はみな差別主義者なのでしょうか?
同性愛者にレイプされかけて同性愛者に恐怖感を持ったとしても、同性愛者が「弱者」である以上、その恐怖感を表明してはならないのでしょうか?
俺は、地位と金を積んだ人間が「ゆとり」だの「草食系」だの「甘え」だの言ってる限り、この閉塞感は打破できないと断言する。
「いいんじゃね?」、ならそれに押しつぶされた人間を拾い上げる手間はお前が担え。
俺にはカンケーねぇから!とか言って無関心を決め込む様がよくわかる。
親が障害を持つ子供の権利を(過剰なまでに)求めるといった類のニュースが語られた時、近年になって定番のように貼られるコピペに、以下のようなものがある。
普通学級に通学するのが、物理的に困難な障害児の入学をゴリ押しする親や人のニュースを見るたびに、 以前に見たドキュメンタリーを思い出す。
生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。
「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。
さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。
が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。
「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地や旅行に行きたかったのに」
「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか。
どれだけ、危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。
で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。
一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」
「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」
「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。
養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」
「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」
結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺。最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」
「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。
【サリドマイド児】と冠してしまったことで、(主にサリドマイド禍にあわれた方々が、大卒の年齢に達するのが今から30年程度前であることから※)全体に無理が生じてしまったこと、にもかかわらずドキュメンタリーなどと真実味を付加してしまったことで、決して少なくない数の「嘘を嘘であると見抜けない」方々が、あたかも現実の出来事であるかのように喧伝してしまうことがもったいないほどである。
既に
http://ameblo.jp/rosexxxkasumi/entry-10613422332.html
といった記事で述べられているように、このコピペが真実であると誤解した方々が、出典として挙げる書籍に『青い鳥はいなかった―薬害をめぐる一人の親のモノローグ(飯田 進)』というものがある。
上記のサイトを見ていただければ、このコピペが=『青い鳥はいなかった』著者の息子、伸一氏ではなかったことや、コピペの状況自体に矛盾が生じることは容易に理解出来ると思う。
にもかかわらず、相変わらずコピペ=伸一氏であるとされる方々は一向に減らないし、さらには「俺はこの本を読んだけどこのコピペの内容が書いてあったよ」などとする者もいる。
ここではその誤解をはっきりと解くために、『青い鳥はいなかった』本文からの引用を交えてネット上に残しておきたい。
なお、本来『青い鳥はいなかった』という書籍は伸一氏との関係についてを主たる題材として扱っているわけではないため、これから取り上げる部分がこの本の限定的な一部分からの抜粋になることを付記しておく。
この本を紹介したアマゾンのページである。目次に注目していただきたい。
目次
わが内なる罪
父母の会創設
国際的な連帯を求めて
噴出する矛盾と内部対立
集団訴訟をめぐって
親の止まり木を目指して
裁判有利の展開のかげに
疑惑の根源
裁判の終結
和解の落とし穴
父母の会の解散
息子伸一の死
実際は「わが内なる罪」を序章とした一二章構成になっており、ここに前書きと終章が加わる。
『青い鳥はいなかった』を誤解している方の殆どは、この目次と、飯田進氏がサリドマイド児の親たちを中心にした「子どもたちの未来をひらく父母の会」発起人であり会長であったことのみをもって判断しているのではないかと想像するが、どうだろうか。
「わが内なる罪」で始まり「息子伸一の死」などと締めてあっては、いかにもコピペの親が飯田進氏であるかのように錯覚できるのは否定しない。
しかし実際「わが内なる罪」で語られている進氏の心情はこうだ。
まぎれもなく私は、重大な過ちを犯した。大倉医師の指摘したとおり、私は充分な統計的調査をすることなく、不用意にも息子伸一の誕生が、あたかも「被爆者に奇形児が生まれると、それをすぐに原爆の影響だと考える」思い込みを前提とした投書をしたのであった。(37頁38頁)
たしかに息子がうまれたときには、その障害の原因がサリドマイド系薬品にあったことを知っている者は、だれもいなかった。その罪意識は、それから私の心理と行動に支配的な影響をもたらすことになった。(41頁)
「息子伸一の死」ではより具体的にコピペとの差違を指摘できる。
知人が主催する公益法人に、伸一を就職させたことがある(268頁)
彼は結婚前もその後も、しばしばタイ、インド、ネパール、チベットなどへ旅行をしている。いわゆるバックパッカーである。いくら貧乏旅行とはいえ、それだけの経済的余裕があったのである。(269頁)
いわゆる不審死である(274頁)そして死因は急性肝不全(274頁)
さらに終章では
伸一は母子感染でC型肝肝炎になったのにちがいない。当時の輸血用血液は、アメリカなどからの輸入に頼っていた。その血液には、しばしばC型肝炎のウイルスが混入していたのである。(312頁)
もちろん伸一は、妻が入院中、連日のように病院を訪れている。見る影もなくやせ衰え、苦痛に耐えつつ死んでいった妻の姿を見ている。だから彼は、おのれが直面させられている運命を、知っていたのに違いない。(312頁)
事実上医療をこばみ、緩慢な自死にひとしい成り行きをたどった秘密もまた、そこに潜んでいたのか。なんたることか。(313頁)
『青い鳥はいなかった』で語られるのは父母の会の設立運営や、その後の訴訟に関して「こうするべきだった、こうあるべきだった、でも現実にはそうではなかった」という筆者の悔恨である。そして息子の死が「私が行ってきた行動を、全否定しているかのよう」に感じた筆者が死後の伸一氏へ当てた手紙のようでもある。
飯田氏の行ってきたことを少しでも知ったなら、あのようなコピペの元ネタとして扱うことがいかに礼を失する行為であるかは理解してしかるべきであると思う。
障害をもった親の権利を(過剰なまでに)求める親や、その親を反差別だネグレクトだと叩く行為の是非まで問うつもりはないが、それを叩く材料として上記のコピペを「真実」であるかのように貼り付けたり、『青い鳥はいなかった』と結びつけて語ったとき、その行為は誹謗中傷であり、いいかえればそれこそが”差別”である。
最後に、コピペにある「遺書」と似て非なる伸一氏が「遺した書簡」が、筆者にとって「お前は肝心なところはわかっていてくれたんだな」と言わせる、筆者と伸一氏の間に決定的な断絶があったわあけではないことの証左であるし、また筆者がこの本でいいたかったことの半分程度を言いあらわす例ともなりうるので、全文を引用してこの日記を閉じる。
「サリドマイドの裁判は、親である第三者が闘った裁判であるのが特徴であった。かなり特殊な裁判であると言える。当事者である被害者は、幼児であったからだ。障害者である本人は、自分の被害をほとんど知らぬままに保証金をもらって和解したのが、サリドマイド裁判の実態であると言って差し支えないであろう。その裁判においてサリドマイド以外の障害者については、何もしなかったのも事実だ」(中略)[注、本文ママ]
「つまりサリドマイド裁判は薬害と言いながら、サリドマイド障害者の救済しかしなかったし、一緒に闘ったはずのサリドマイドとは認定されなかった他の障害者の救済は何もしなかった。いまだにその認識は、サリドマイド障害者にはほとんどない。」(290頁)
※に関する追記
サリドマイド禍はその時期がそれほど広範ではなく、「サリドマイド禍にあわれた方々」が大学を卒業する時期もある程度類推が可能である。コピペの記述などから考えても、「30年前」という時期をそれほど外してはいないと思う。
30年前といえば、時はバブル前夜。「大卒」という肩書きが十二分に武器となった時代。今とは違い、大卒で「就職できない」という事態はそれなりにレアケースである。「親の活動そのもの」が反社会的とされ、企業に嫌われた可能性もないではないが、コピペの記述からはどうもそんな雰囲気ではない。少なくとも、職業訓練よりは大卒の肩書きのほうがはるかに就職に有利であった時代に「普通学級で大学にいかされたせいで」就職できない、という記述には矛盾が生じている。
コピペに「危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)」という記述があることから、その障害が日常生活や就業に支障をもたらすものであった場合は上記の限りではないが、そうであった場合、時はバリアフリーのバの字もなかった時代である。そういう時代に重度障害者が大学に通い、卒業する、ということがどれだけ大きな事態であったことか。それこそ大学始まって以来というレベルの出来事である。本人の確固たる意志に、親をはじめ、周囲の身を削るような協力があっても難しいような行為。にもかかわらず、本人に大学に行きたい、卒業したいという意志はかけらもなく、親も見栄が先行しているのを子供に見透かされるような程度の熱の入れようなのだそうだ。ここにもやはり矛盾がある
別に不倫を肯定するわけじゃないけど、
大桃さんの行為も褒められたものじゃないと思うのは、自分だけ?
あれがまかり通るなら、言ったもの勝ちになってしまう。
世の中悔しくても、耐え忍んで生きていくのが人間じゃないのかなと。
自らがツイッターであのようなかたちで突然暴露したことは、大人の女としてどうかと思う。
世間は麻木が悪いとなってるようだから、してやったり?
山路が1番ろくでもないと思うし、
麻木のことも特別擁護するつもりはないけど、
個人的には大桃さん、どうなの?と思っている。
http://if.journal.mycom.co.jp/news/2011/01/25/007/index.html
100億DLの知らせを「いたずら電話」と切った母親に娘が激怒……顛末は?
先日、アップルのApp Storeで100億ダウンロードのマイルストーンに到達したことが報告された。だが、この記念すべき100億ダウンロードを達成した女性、なんと最初はAppleからかかってきた連絡を「いたずら電話」だと思ってすぐに切ってしまったのだという。Cult of Macが報じている。
これってさ、「Appleは100億番目にダウンロードした人の電話番号を知る事が出来た」って事だよな?
そいつぶっちゃけ今までの経緯を何にも知らない&わかってないんじゃないか。
元増田がベースにしているtogetterの仕組みもtwitterのことも(ついでに桃鉄のことも(笑))。
ただ知ってるのはゲハの事だけ。
そう考えればここまでずれた議論しかできないのも納得が行く。
http://anond.hatelabo.jp/20100917094022
以前にも似たような内容を書いたのだけど、
またちょっぴり有名な人にフォローされてしまった。
前回の日記より、その有名な方は未だに私をフォローしてくれている。。
私はいつか私の底の浅さにでも気がついてくれるか、
もしくは私のtweetの多さに嫌気がさして
結構すぐリムーブしてくれるかと思っていた。
が、しかし。
ありがたいことに、未だにフォローしてくれてる。。。
実はその方にフォローされるようになってから、
前のようなくだらなすぎる内容はあまり書かなくなった。
大半は取るに足らない内容を多くつぶやいていた。
(自然とそうなってしまった。だって学生時代からのファンだったから。)
tw数を減らしたと言っても、一般的に少ないほうでもないと思う。
ま、今でもいつリムーブされてもおかしくないとは思ってるし、
いつかリムーブされる日が来たら、
twitterの良さは、芸能人も企業も素人も政治家も対等な関係であるということかもなと思う。
それは分かっているのだけど、
嬉しいことのはずなんだけど、
やっぱり気が引けるw
私のような素人のつぶやきなんて見てもおもしろくないですよ?って思っちゃう。
私はtwitterに直接の友達がいないのだけど
私を慕ってずっとフォローしてくれている方も数名いらっしゃる。
つぶやいたりできるのであって、
今回また別に少々有名な方にフォローされてしまった。
私がその方のブログのファンで、
挨拶がてら返信させてもらったのだ。
ラッキーなことに、返信を頂けて、それで終わりかと思ったのに・・。
気がついたら、フォローをしてもらっていた。
念のため確認をしたが、その方もフォロウィーを極力厳選してる人だった・・。
考え方も大人でとっても素敵な人なので、
その方が私をフォローしただなんて目が回りそう。
私なんかと違ってポジティブな人なので、
あまりにもネガティブなこととか言えない気がしてきたw
私の恥部を見られるようで、かなり恥ずかしすぎる。
だからって、「私なんてフォローしてもしょうがないですよ、へへへ・・。」
と言うわけにもいかず。
自分が好きな有名人や芸能人だと、ちょっとそういうわけにも行かず。
ありがたいことだし、悪い話じゃないのだけど、
リムーブされたら、結局なんだかんだそれなりに傷つきそうだしw
多分、今後もつぶやく内容は変わらないだろうけど、
私のろくでもないつぶやきが、少しでもその方々に読まれる可能性があると思うと、
恥ずかしいし、恐縮すぎる。。。
違う意味で、twitterのつぶやく内容が制限されちゃうっていう。
気にしなくても良いと思いつつ、ちょっと動悸が・・w
生活を潤せとでも神様がお導きでもしてくれてるのかな。。。