はてなキーワード: 研修とは
大阪の下の方に住んでるけど、人手不足って巷で言われてるけどマジなのか?
ちなみに今朝の新聞の折込チラシに入ってた求人広告がこれ👇なんだけど
おしぼりのルート配達…月給20万円(研修期間は17万円)〜、完全週休二日制水、日休。7-20時で8時間勤務(休憩あり)
水処理施設管理員…月給18万円〜、変形労働時間制8:30-17:15、8:30-8:45、週休二日制(年間休日110日)、25年以上働いている社員もいます
ダイハツ販売総務事務(採用含む)…月給18万円〜、新卒4大卒、9:10-17:30、日祝隔週土曜日休
終わりだよこの街
警察や防衛省に入った一般職国家公務員が「え?新人研修のために警察学校(軍学校)で3ヶ月警官(自衛官)と一緒に共同生活を!?ムリムリムリ!!事務所で座学のオンライン研修とかじゃ駄目なんですか!???」とか言ってたらどう思うよ?
流石にそれは自分の適性を考えずに職場選んだお前が悪いだけじゃねーかってならないか??
俺だったらなるね。
いやマジでさ、製造業に関わるのに機械油・食品油にまみれる覚悟がないような人ってちょっと異常だと思うんだよね。
たとえばこれがIT系の事務職募集だったらやったとしてもデータセンター研修のために北海道で一週間ぐらいが良いところだと思うわけよ。
氷河期の爪痕とでも言うのかな、「とにかくどこでもいいから給料が悪くない会社に入っちまえば良いんだよ!」みたいなノリで就活してる学生さんが多すぎるんじゃないか?
今はもう転職しまくる時代と言ってもさ、最初からジョブホップ前提で動いても人生がグチャグチャになるだけだって。
転職上手く行ってる人はどの職場も条件さえあえば30年ぐらい働くつもりで入って、その上で自分と会社の折り合いを考えた結果他の会社に移ってるからさ。
同じく新社会人だけど、先週末の本社新人研修ずっとぼっちだったから上司も先輩も優しくて暖かく迎えてくれる支店に出勤できる明日が嬉しくてたまらない。
研修担当の人事の人らが「今日のメインは研修というより同期との交流だから」ってやたらと休憩時間を多くしたり早めに切り上げたりするからマジで苦痛だった。
最後の方には他の同期同士タメ口になっててそのまま飲みに行く予定だったらしいけど、俺はずっとお互いさん付け敬語で飲みも誘われていない。
まっすぐ夕方に帰宅したら母親が「今日は飲み会とかなかったの?まあ、とにかく一週間お疲れ様」って言って寿司買ってきてくれたのが辛かった。
去年3月、自分は内定無しのまま大学を卒業し一年間就職浪人してようやく今年初めに内定をゲットし、4月から働き始めて一週間が経過した。
なんだか、ここ数年間で自分のあらゆる能力が凄まじいスピードで退化していくのを日々実感している。これは一体どういうことだ。
自分でこんなことを言うのもアレだが、小中学生時代は100点以外ほとんど取ったことがない上、さらに夏休みの自由研究では小1〜中3まで毎年、学内選抜で市や県の科学展覧会に出展・表彰されるなど非常に成績優秀だった。高校は県内有数の進学校に入学できた上、卒業するまでの三年間、中間・期末試験では常に学年ベスト5に必ず入っていた。1位になったことも何度かある。
その後は有名私立大学に指定校推薦で入学したのだが、この頃から徐々に様子がおかしくなっていった。大学の講義は自分にとって興味深いものばかりで、毎日楽しく熱心に受講し、学内図書館に毎日何時間も入り浸って関連書籍を読み漁ったりと勉学に励んでいたにも関わらず、次第に学んだ内容が全く頭に入らなくなり(というか記憶できなくなり)、さらには講義を聞いても何を言っているのかサッパリ理解できなくなった。
文章力も極端に低下していき、レポート課題、小論文、定期試験の記述問題などを書くたびに物凄く時間がかかる上に内容も支離滅裂で意味不明なものばかりになってしまった。自分で後から読み返してみても、どれもこれも何が言いたいのか分からないようなグチャグチャでまとまりのない文章ばかり。そんなだから当然評価も低くつけられた。もともと自分は文章を書いたりレポートを上手くまとめるのが得意な方だったのに。大学4年間、レポートの評価も試験結果も本当に悲惨だった。よくこれで留年せずに済んだな、というギリギリのレベル。
自分がこの数年間で実感した能力低下は、こういった学業面だけではない。
周囲の人と喋る時もまるで思考が停止したかのように言葉が咄嗟に出てこない(他愛のない雑談ですら)、「うん」「そうだね」などの簡単な相槌すらもすぐに打てず、あはぁ、ふふ、などの辿々しい相槌とも言い難いような返事しかできなくなったり、ほんのちょっとした質問にもすぐに返答できなかったり、講義内で行われるグループディスカッションでも思考が停止し全く発言できない、そもそも何を話し合うのかも理解できないなど、コミュニケーション能力が著しく低下。さらには「おはよう」「こんにちは」「ありがとう」「すみません」など簡単な挨拶すら咄嗟に出てこず、「ありがとうございます」と言うべき場面で「いただきました」だの「おはようです」など意味不明なことを言ってしまう。
自分は子供の頃から社交的なタイプではなかったが、それでも対人関係で支障が出るようなことは今まで殆ど無かったのに。
就職活動でも面接時に全く言葉を発することができず、ようやく口を開いたと思えば質問された内容からかけ離れた支離滅裂な言動になったりして、結局どこにも採用されず、内定無しのまま大学卒業となってしまった。それから約1年間の就職浪人の末、ようやく今年の初頭に内定を貰い4月から働き始めたが。
日常生活においても、何かやろうと思ってもすぐに忘れる、しょっちゅう物を落としたり無くしたりする、食事の時にお茶碗やラーメンの丼をひっくり返したり落としたりする、ごく簡単な家事や作業すらまともに出来ず家族に叱られる、会話相手の言葉が理解できない、何に対しても気力が湧かない、1日のほぼ大半を寝て過ごす、イライラすると衝動的に自分の顔や頭を殴りつける(そのせいで奥歯が欠けたこともある)、自宅の住所や電話番号を忘れる、外出時に突然笑いが止まらなくなる、30分おきに歯磨きをする、意味もなく家族に電話をする、自分が今何をしているのか突然分からなくなる、など、ありとあらゆる面で異常な行動が出てしまう。
数年前の自分と比べても、明らかに知力や生活能力、社会性、人格などあらゆる面で退化していると感じる。
一体何故こんなことになってしまったのか全く分からない。日に日に様々な能力が低下し、異常行動が増えているのを身に沁みて実感する。そろそろヤバい領域に達していると思う。
4月からは新入社員として働き始めて一週間が経過したが、やはり失敗の連続。まず自己紹介の際は話す内容が全然まとまらず長々と話してしまい、ものすごく微妙な空気になってしまった。
その後は新人研修がありグループディスカッションや共同作業をする時間があったのだが、ディスカッションの時は自分の意見を全く言えなかったし(恥ずかしいから、緊張するから、とかではなく、そもそもディスカッションのテーマが理解できなかった)、共同作業の時は提出用プリントにうっかり折り目をつけてしまったり、少し破ってしまったり、記入欄に間違えて違う内容を書いてしまったり、とにかく失敗の連続でグループのメンバー達からも(この人さっきから何なの…)みたいな呆れている感じがジワジワ伝わってきて辛かった。
また研修が終わって部屋を片付けている時も、長机を運ぼうとして倒したり、ホワイトボードを運んでいる人に気づかずぶつかって転倒したり、会社側から貸し出されていたボールペンをうっかり持って帰ってしまったりと、もう本当にどうしようもない。別にボーッとしたり気を抜いていたつもりは一切なく、むしろ自分が無能だと分かっているので、入社後は全神経を集中させて仕事に研修に全力で取り組もうと思って臨んでいた。でもダメだった。
正直、入社5日目にして既に社内に自分の居場所が無いような気がする。あまりにもやらかし過ぎてしまった。
もう本当に嫌だ。
何でこんなことになってしまったんだ。
男女でも男男でも女女でも良いんだけど
とにかく愛し合っててラブラブ最高潮な二人で研修が一日もなく、入社式終わったら配属された部署で普通に業務が始まった。
あー
なんか寝てたら銀行に入金されてねーかなー
100万くらい
毎月
おならぷー
やべっ
ちょっと出た
なんと研修が一日もなく、入社式終わったら配属された部署で普通に業務が始まった。
民間企業に行った友達は、いまだに毎日本社近くのホテルや寮に同期集められて毎日研修したり一緒にご飯食べて仲良くしたりわいわいやってるっぽい。
面接と理系科目無理すぎて公務員以外受からない自分が悪いけど、同じ新卒なのに扱い違いすぎてつらい。
自分がいい企業受からない無能だったから仕方ないかもしれないけどさ、それでもせっかくの新卒なのにあんまりの扱いでつらい。どうせこれから長い間労働という名の苦役に耐えないといけないなら、せめてはじめぐらいちょっとくらいはしゃがせてほしかった。
婚活で最初の顔合わせが大戸屋だったっていうツイートが物議かもしてて、個人的には大戸屋はないと思う派の女なんだけども
それに対して大戸屋でいいっていう女性だと判断された、その程度の価値って言ってる男性いるけどそんなわけない
本当に本当にこういう男女で行くお店というものが判断できない人はいる
中学生の頃に、突然手土産買ってきてって言われたら変なの持っていっちゃう可能性あるし、どこに売ってるのかどのくらいの価格帯なのかもわからなかったと思うしそういうことなんだよ
ただそこで、なんとなくちゃんとした方がいい気がする、有識者に聞いてみようができないとこういうことが起こる
そういう男性を育てる気は無いのかっていう意見も見たけど、婚活市場で年齢の期限もあるなか新卒採用からの研修はじまりは厳しすぎる
家事全般できません!って女の人に教えればいいじゃん(ただし今後一定レベルまで成長するかはわかりません)とは割り切れないと思うんだよね
なお、解雇は免れた模様
桐生第一高校(群馬県桐生市小曽根町、味戸克之校長)のサッカー部コーチの男性教諭2人が、部員の男子生徒に対し差別発言をしたり、「お前は人を殺す立場になる」などと暴言をはいたりしていたことが22日、関係者への取材で明らかになった。同校は2023年12月、コーチらを指導自粛の処分とした。
同校などによると、コーチはペルーにルーツを持つ生徒が部活に遅刻した際に謝罪させ、「ペルー人って謝れるんだな」などと差別発言をした。また、別のコーチは23年秋、同じ生徒の生活態度について指導した際に「お前はいずれ人を殺すような立場になる」などと言い、部員の胸を刃物で刺すようなジェスチャーをしたという。このコーチは19年、部員に「殺すぞ」などと暴言をはき平手打ちしたなどとして懲戒処分を受け、部の指導から外れたが、その後、復帰していた。
保護者の指摘で発覚し、同校は23年12月にサッカー部の全部員約100人にアンケート調査を実施。指導者らに聞き取りをしたところ不適切な指導を認めたため、保護者と生徒にそれぞれ説明会を開いて謝罪した。部長と監督は無期限の指導自粛、コーチ2人も指導自粛処分とした。
生徒は今春同校を卒業したが、「自分が受けたような指導が続いたら後輩や新しく入学する子たちがサッカーを嫌いになってしまう。学校には変わってほしい」と話している。
同校は再発防止のためサッカー部の指導者約10人に研修を受けさせたほか、管理職による練習の視察などを続けている。味戸校長は「生徒を最優先に考え、サッカー部の今後の指導体制を検討する」と話した。【日向梓】
強く生きようと心に誓ったあの日。そのおかげでスキルを蓄積して上手いこと立ち回って今に至るので、この時の経験には感謝している
断っておきたいが、俺は女たたきをしたいわけではない。
会社の研修で「貴方はストレートな男性で管理職であるから、社会的には強者である。社会的な弱者である女性のことを考えましょう」みたいなことを言われて、不意打ちにあったような気持ちになった。
俺は在日三世である。まず、在日差別はある。おじいさんや父親が苦労してきた話(教師が親父の書いた絵に「朝鮮人で最も絵がうまいで賞」と書いた花をつけて廊下に張り出す、など)を聞くとやるせない気持ちになるし、今でも同世代との飲み会になるとザイニチが!みたいな罵倒語を吐くやつは目にする。
なので、正真正銘ゴマカシなしの社会的弱者であるウチは、在日であることを完全に秘匿しながら、日本において唯一無二の後天的に取得しうる強者性=学歴を息子や娘に身に付けさせることが長期的な戦略となった。豊かではない父母は持てるリソースのすべてを我々に注ぎ込んでくれ、果たして俺は東大に合格した。
ただ、どんなに努力を重ねても、やはり特に大阪に帰ると無意識の差別のオブラートは社会を包みこんでいるように思えてならない。帰化申請を自分で行ったときに、半ズボンで来るようなマトモじゃない人は審査で落とすけど、君は大丈夫。普通だよ。でも普通じゃない人ばっかなんだ、とヘラヘラ宣った法務局のHとかいう奴の顔は一生忘れないし、梅田の地下歩いてただこの親父が免許書を見せた瞬間に顔色変えて根掘り葉掘り聞いてきた警察官のことを俺は許さない。妹の元彼の親が朝鮮人とは結婚されられないと挨拶の場で断って、それにそれもそうだなあと言っていたらしいアイツらは妹の流した涙のぶんの毒薬を地獄で飲ませたい。
なので、俺がしてきた努力は、親子三代に渡り投入し続けたリソースは、この日本社会で生きていくために絶対に必要なコト/モノだったし、その結果としての社会的強者然としたこの姿は、弱者性の超克の志向の当然の帰結である。
それを、社会的強者である日本人女性から、生得的に男性であるからという言葉だけで強者と形容されるのはとても気に食わない。俺は、俺等弱者は、本当に死ぬ思いをしてここまで来てるんだ。生得的なんて言わないでほしい。
この増田 https://anond.hatelabo.jp/20240328145307 を読んでいて、新人歓迎会のトラウマを思い出したので書く。
新卒で就職したのは、大手電機からリストラ分社され投資ファンドに売却された地方製造業…に、グループ内人材派遣を行う人材派遣会社だった。
当時はリストラ分社化された直後で、まだ元グループ本社からの出向社員も残っていたし、元グループ会社の看板も、営業網も使えていた。
それにに加えて、リストラ分社化された後で「これで迅速な意思決定ができて伸びるぞー」と言うお題目が信じられている頃でもあったと思う。
だからか、当時入社するプロパーの入社式はそれはそれは華々しく行われていた。
いや、華々しく行われていたのを、私たち派遣会社経由組は、敷地の隅にある人材派遣会社事務所のちっぽけか打合せ室の窓から見ていた。
プロパー新人が記念写真撮影をしているのをみて、私たちはあっちいじゃないの?と少しは思うが、当時ピッチピチの新卒で疑問に思うこともなく。
派遣会社の事務所長から何かしら訓示を受けた覚えがあるが良く覚えていない。
簡単で事務的な話だけだったので、そのまま配属先となる職場から主任が迎えに来て、職場へと向かった。大部屋式の事務室である。
課長の所で軽く挨拶した後、課員に特に紹介されたりもせず、大部屋の端にガラス張りのパーティションで囲まれた「OA室」と呼ばれる部屋に連れて行かれ、ここがお前の席だと座らされた。
周りには同じく派遣できている人たちが数人いるが、みな黙々と仕事をしている。一応会釈はしてくれるが特に会話もない。部屋の中にはサーバと古めかしいブラウン管モニタがついたCAD端末がうなり声を上げている。
15インチスクエア液晶とDELLの型落ちデスクトップを渡され、いきなり赤が入った原稿に従ってWord文書を直していくと言う仕事を振られた。
当時ピッチピチの新卒で今のようにくたびれていなかった私は、緊張して違和感を感じる暇も無かったというか、違和感を感じるような知識も無かった。
それから数日して、プロパー新入社員が挨拶にやってきた。「全員集まれ」と声がかかって大部屋の中心にみんなで集まり、彼らが新人だと紹介される。実際に配属されるのは8月のお盆明けからだが、と聞かされた。
何で8月なんですか?と、少しは話をするようになっていた主任に聞いたところ、彼らにはみっちり新人研修があるのだとのこと。
すごいね。
元グループ会社から分離したけど新入社員教育は合同で行って、元グループ会社本社にて集中的に研修するんだって。
すごいね。
そうして彼らプロパーの新人が新入社員教育を受けて、定時退社している間に、自分はみんなにシェアされる雑用便利人としての立場を明確にしていった。
忙しくなると投入され、ろくにスキルも身につかない雑用をやる。どの課に所属しているのかと言うことも曖昧だった。業務調整をする上司というものが存在しなかった上に、ひとヤマを超えると別の社員の忙しい案件に投入されるため常に長時間労働であった。OJTと言う言葉すら無かったが、仕事の特性上、割り当てられた仕事が終わらなければ終わらない。やらずに放置しても誰か別の人がやってくれるわけではない。溺れながら仕事を覚えていくことになる。
このように同じ職場のメンバーとしての一体感が生まれる事も無かったが、一つだけ一帯運用してもらえていたものがあった。それが「タイムカード押し」である。だいたい19時30分を回ると係がタイムカードを回収しに来る。彼にタイムカードを渡すと、私が自分で押さなくてもかわりにタイムカードを押してくれるというサービスである。
いや、サービスしているのはこちらか。当時ピチピチの新卒であった私は、それが当たり前だと思って、深く考えなかった。いや、考えようとしなかった。
さて、この内容を何故標記の増田から思い出すに至ったのかというと、積み重なった違和感が爆発したのが、新人歓迎会だったからである。
時は流れて8月。プロパー社員の新人が正式に職場に配属された。配属されて行われるのが、新人歓迎会である。
今までも全体の飲み会らしきものは行われているのを知ってはいたが、私がいる「OA室」の人間は誘われることは無かった。しかし、新人歓迎会と忘年会だけは別らしく、出欠席の紙が回ってきた。
私は、これを自分も歓迎してくれる会であると疑わず、出席と記入した。会費は7000円であった。高い。正直、月給額面残業代込み174,000円からその金を出すのはかなり痛かった。痛かったが、仕方が無いと思った。
そうして、久々にリクルートスーツに身を包んで、会場に着いたところ、以下の様な事が分かった。
なお、記念品として贈呈されたそのハンドブックは「仕事で必要だから」と言われたので私は自分で買っていた。彼らの初任給は、私が当時付けられる限度まで残業を付けてもらうのよりも、一切残業せず3万円は高かったはずである。
偉い人のよくわからない話を聞いて、乾杯して。新人代表のよくわからない決意表明を聞いて。なんか意味のわからない余興が行われていたのはぼんやりと覚えているが、途中でなんか気持ち悪くなり、料理も食わずに会場を抜けて家に帰った。
今なら、7000円も払ったのだからせめて夕飯代ぐらいは浮かしてやるぐらいの図太さは身につけたが、当時ピチピチの新卒だった私にはそんなものはなかった。
ちなみに、頭の中をぐるぐる回っているぐちゃぐちゃを吐き出して落ち着けたのはインターネットである。もっと具体的に言うとこの増田、はてなAnonymousDiaryのおかげである。ここで無茶苦茶愚痴を書いて、みんなにそんな会社やめちまえよって同情してもらって、やっぱりおかしいよね?おかしいよね?、と整理ができた。
そうして、スキルを磨いて、勉強して、戦略的に行動する事を心がけるようになった。
みなさんのおかげです。どうもありがとう。当時の増田がどれぐらい残っているかは、まぁ、わかんないくらい昔の話ですが。
さて、その後だが、元グループ本社のブランドが使えなくなり、営業網から外され、元グループ会社が格安で担っていた間接機能を自分でやらなければならなくなり赤字に転落。
元グループ本社から出向で在席していた人々…つまり売却に至っても本社が転籍させなかった優秀な人々…が徐々に去って、さらに買収した投資ファンドからクビ切り役人みたいな連中が送り込まれ、プロパー社員のボーナスが年3ヶ月分吹っ飛ぶ、労働組合が元グループ会社の組織から外されて見捨てられる、福利厚生が自社独自に切り替わる、など労働条件の改悪、激変が続く事になる。
当然元グループ本社と共同で半年以上かけてじっくり行われる新入社員教育なんてものは翌年以降は蒸発しなくなった。新人は極簡単なビジネスマナー講座と図面の読み方みたいな軽い教育を受けて入社後数週間で職場配置されてくるようになった。
同時に、派遣社員が増える事になった。それも元グループ本社の系列のグループ内向けの派遣会社(つまり私の所属会社)からではなく、他の派遣会社からの人材が投入される。金は無いが、今までグループ本社の機能に依存していた部分を自社化しなければ行けなかったからだろう。
さらに賃金が高い社員を中心に退職推奨と言う名のリストラが行われ、その代わりに派遣社員が加わるという事が特に現場系で進行する。更にラインまるごと海外のEMSに出されるようになっていった。
しかし、プロパー社員と派遣社員を切り分けて考えると言う企業体質や文化はそう簡単に変わるわけもなかった。妙な壁がずっとある。お給料から命令系統、食堂の食券価格や給茶機の掃除当番まで妙な区別が残り続け、それが原因でか、不合理で業務効率が上がらないことおびただしい形だった。
ただ、そうして、会社は一応は黒字になった。筋肉質になったと宣伝しているがリストラは黒字になるまでやるからリストラなのであって、黒字になるのは当たり前である。
そのタイミングで、元グループ会社本社が最後まで持っていた20%程度の株式を完全に売却する事になった。完全に手切れである。私が入社して6年ほどが立っていた。
そこで、私が所属している派遣会社も完全に撤退する事になった。元グループ本社のグループ内向け派遣会社であるからである。
かつて敷地内にあった派遣会社の事務所はとっくになくなっていた。同期もみんないなくなっていた。
そして、私に提示されたのは、派遣会社から派遣元の会社に正社員として転籍しないか、今と同じ仕事を続けられるよ、という誘いだった。
もちろん、断った。
会社側は、まさか正社員になれるのに断ってくるとは思ってもみなかったようである。それはそうだ。特に人事部門などは、痩せても枯れても元大手企業の工場で地元で最も安定した職場で誰もが就職したがる、と言う御山の大将であったからだ。
だから自分たちの仲間に迎えてあげることが最高の報酬だと思っていた節があった。だからせっかく人事に交渉して入社できるようにしてやったのに恩知らずが、みたいなことを言われたこともあった。
さて、断った結果どうなったかとと言うと、派遣会社としてはもう派遣業を拡大していないこともあり同じ地域では仕事がないといわれた。そのため別の地域に転勤になるがよいか、と。もちろんOKと言った。願ったり叶ったりだ。
そうして新しい派遣先を探るからと言うことで、改めて所有している資格などを申告せよという事になった。コツコツと勉強してとりためた資格などを開示した結果、ちょうど人手不足のタイミングと重なり元グループ本社のR&Dに派遣が決まる。
引継ぎ屋マニュアル作成をこなしながら異動の待機している間に、こんどはなんと所属派遣会社がグループ本社に吸収合併される事が決まった。
本社のR&Dに派遣ではなく異動という形で、あっと間にグループ本社の正社員になることができた。神風が吹いたと言える。
そうして今ではそれなりに暮らしているのだが、そんな今でも「新人歓迎会」と言われると、あの悪夢の新入社員一年目が、悪夢のホテルでの夜が頭をよぎるのである。
だからみなさん、相手の所属がどこだとか考えずに新人には優しくしてあげてほしい。あなたにとっては毎年来る新人かもしれないけれど、新人にとってはたった一度の新人時代なのだから。
また、新人の皆さんも、なんかおかしな事があっても人生何事も塞翁が馬である。よいこともあれば悪い事もあるが、前向きに、やってきたチャンスを掴んで離さない程度の握力を常に鍛えておく事ができれば、道は開いていくのである。
頑張ってほしい。