はてなキーワード: ユングとは
おそらく昭和の終わりから平成の一桁あたりでオタクカルチャーに「巨乳化現象」とでも言うのが起きてるよね?
もちろん一斉にではなく作家毎、作品毎、ジャンル毎にグラデーションはあるんだろうけど。
巨乳漫画家で知られる河本ひろしが表紙をやっていたコミックジャンボも創刊から間もないころはあんまりおっぱい大きくないんだよね。浅井裕あたりも90年代になってから露骨に胸が大きくなってきた気がする。
遊人とか、村田蓮爾や秋葉凪人あたりはあんまり巨乳というイメージはないが、
アニメだと1988年の「トップをねらえ!」は製作者が「今までアニメでおっぱい出てきてもみんな同じように描かれて来たので、ちゃんとキャラ毎にかき分けた」と言ってたかな?ユングあたりはかなりリアル寄りの巨乳描写だったね。
1995年のエヴァくらいまではそんなに露骨に巨乳キャラいなかった気がするけど同年に公開してたスレイヤーズの映画ではナーガが出てたし、翌年の機動戦艦ナデシコではミスマル・ユリカは露骨に胸が大きいのが強調されてたよね?その当たりがターニングポイントかな?
ゲームだとelfのドラゴンナイトはかなり巨乳率が高かった気がするけど、同級生ではそうでもなかったかな?
あと、キャラクターが制服などの立ち絵で普通に胸のサイズがわかるのもそれくらいからかな?
ときメモで一番大きいのは鏡魅羅だけど、通常の制服だとそれほどめだたないよね?
あと、涼宮ハルヒみたく明確に胸のサイズで大中小と明確にキャラの個性として描かれてるよね?(最近はソウナンですか?みたくみんな大きいのもけっこうあるけど)
あと二次創作で原作と比べて胸を大きくする、巨乳化もあるよね。
まとめると
て感じかな?
フェミニズムの人の言っていることが違和感ありすぎたので、そもそも私は何か誤解しているのでは?と思って色々調べてみたものをまとめる。
あくまで主観であり、私のお気持ちの発露と思っていただいて構わない。
調べてみると結構誤解があった。
ちなみに私がしていた誤解は、「フェミニズムは、女性差別の実態の解明や、それの解決のための実証的な研究をする」である。
・実証研究や既存の研究のあり方が男性的なので、これまでとは異なるやり方を模索するためだから。
・そのやり方は模索中であるが、柱となっているルールが「とにかく誰の主観も否定せずに受け止めること」である。
・「これ頭のおかしい人の意見だろ」みたいなのを、フェミニズムの本流の人たちが否定できないのもこれが理由。
・ブコメだと、フェミニストの仲間意識でどんなフェミニストも否定したり非難したりしないと思われているみたいだけれども、それは誤解。
・ただし、量的な実証研究をやっている人も少なからずいる。本流ではないけど。
・しかも、最近の実証中心の社会学や心理学ではなく、「数学をやりたいのならば数学科に行け」と言われていた時代の名残。90年代ぐらいまで。
・ただし、これらの理論研究が全く意味がないと思ってはいけない。
・研究は大きく分けると理論、実証、工学(活用)に分けることができる。
・理論研究は最近軽視されがちであるが決して役に立たないなんてことはない。そもそも実証のための大事な基礎であり、ここを丁寧にやらないとそもそも実証すべき問題がぶれる。
・でも、フェミニズムはここしかやってない。しかもアプローチが哲学からの派生。他はせいぜいユングとかそういうのの名残。
・社会学や経済学、心理学はコンピュータの発展ですごく進歩したのに、女性学だけずっと変わってない。
・あと、ブログやtwitterでフェミニズムの話している人が内容のわりに、言ってることわかりにくいのも哲学や文学が源流のせいかも。
・これはフェミニズムの人の言っていることでなくて、私の主観。
・「保育園落ちた。日本死ね。」みたいに共感で動くことだろう。
・実は、これも必ずしも悪いことでない。
・例えば、保育園の倍率が100倍の場合と落ちた家庭が1組だった場合、前者の方が統計的には大きい問題だろう。
・しかし、これは統計の間違った使い方で「数が大きくなければ問題でない」となってしまう危険性が有る。
・統計を扱う者ならば必ず訓練されるが、ほぼ必ず数の問題で矮小化され苦しむ人が出てくる。
・この見捨てられそうな1組を大事にすることはやりやすいだろう。
・これはどちらもある。
・「女性の権利拡大」ってイデオロギーを実現するための、工学的な学問という人もいる。
・これに拒絶反応を持つ人もいるだろうけど、私はいいことだと思っている。
・「学問が目的を持つことはいいことなのか?」って問いには、例えば「教育をよくしよう」って目的で教育学が存在するような者だと思っている。
・「学問とイデオロギーと組み合わせていいのか?」に関しては、そもそもイデオロギーは学問ぐらいしっかり体系付けて、理屈をしっかりさせてほしい。
・女性の権利拡大だけど、そのゴールが「女性の権利の拡大」か「男女の権利の平等化」かは個人による。
・例えば、男性のみの徴兵制がある国では男女平等ではないと、自ら志願し軍隊に入る女性もいる。
・反対に、女性の徴兵にフェミニズムの団体が猛反対する場合もある。
・むしろ、トランス女性への差別に一番キレたいの主流のフェミニズムやっている人たちじゃない?
・クィア理論という、男女の枠組みにない属性の性から改めて性を見つめ直し理論作りましょうってのが最近の主流。
・暴れている人たちは、フェミニズムのあり方である「否定しない」をやり、かつ最近のイデオロギーの主流である「多様性の見つめ直し」を真っ向から否定している。
・でも、フェミニズムを学べば学ぶほどそれを否定することができない。かわいそう。
・新しいあり方の模索って無理だろ。
・しかも、主流になっているのが哲学、文学なせいで実際に起こっている問題に対する対応力が全くない。
・なのに女性の権利拡張の運動のど真ん中にいるせいで、本当に苦しんでいる女性たちの邪魔。
・先ほども書いたように、理論を丁寧に作っていくことに対しては全く反対しない。
・でも、それが何かを解決するとしたら何千年後だ。
・例えば「夫婦別姓」は、私は賛成してる。「改正による手続の煩わしさの軽減」って実利があるからだ。
・でも、フェミニズムがそれを推奨する理由が「旧来の男性主権的な象徴であるから」だ。個人の苦しみなんて全く捉えられていない。
・先日のグッチのように、「これは差別を象徴している」と「解釈」で糾弾することだけを延々繰り返す未来しか見えない。
・男性の作り出した旧来の学問のあり方を否定し、模索するのは自由にどうぞ。でも、それに今生きて苦しんでいる女性を付き合わせるな!
街中などでたまーに見かける、
「この水は飲めません」って蛇口の水!
そういう注意書きがされてるのがたまにあったりするんだけど、
逆に疑問で、
普通のスーパーヒトシ君とは違うんだよ、普通のスーパーヒトシ君とは!!!
飲めません!と書いてあると逆に飲んでみたくなるのが人の筋!
押すな押すなと言われると押したくなっちゃうパターンでお馴染みでしょ。
そう言う心理背景。
忘れちゃった。
まあ、
さすがにゴクゴクとは飲まないけど、
どんな味だろうと確かめてはみるわ。
ん?あんがい行けるんじゃないこの水。
飲めるんじゃね?って思っちゃうけどね。
ここ1週間ぐらいずっとお腹痛かったのは
きっとその水が原因ではないと思うけど、
なんかやっと腹痛が治ったわ。
あなたの街の「この水は飲めません」蛇口情報をお待ちしてるわっ!
うふふ。
そろそろレイコーも冷たいので来年までフォーエバーしたいけど、
なかなかホッツがまだ熱すぎる感じもするわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
いつものように一人で飯を食っていた。
通りに面したテラス席だ。このあたりは飲食店が連なっていて、ずらっとテラス席が並んでいる。どの店もそこそこ席が埋まっている。
よく見ると客が全員ポーランド人だった。なぜかみんな、ケーキを食べている。
そういえば、このへんの店はみんなパティスリーだった。客じゃなくて従業員がまかないを食っているのかもしれない。しかし、まかないまでケーキなのか?
どのテラス席でも全員同じ種類のケーキを食べているのに気付いた。生クリームがたっぷりかかったチョコレートケーキだ。うまそう。だけど判で押したように同じなのでちょっと不気味に思った。
あたりは妙にざわついている。
みんな、なにか興奮したような、困惑したような、あるいは心配そうな様子で、声を抑えつつも情報を交換し合っている。
その中でも一人、若い男性のパティシエが通りの良い声で、立って何かを話していた。演説めいた口調で、ちょっとしたギャラリーができている。
曰く、清少納言の行いをもはや許してはおけない、俺たちが目にものを見せてやるときだ、と。
最後に「困ったことになったら俺を頼れ」と締めくくって店の中に戻っていった。その仕草と声があまりにイケメンだったので、俺は思わず「かっけぇ……」と声を漏らし、あたりの女性たちからも黄色い声が上がっていた。
しかしそれにしても、何が起こっているのかよくわからない。俺は場所を変えた。
大学の学食に来た。見慣れた場所だけど、ここでも雰囲気がざわついている。ふだんは置いていないデザート類がそのへんに並べられていて、勝手に取って食べていいらしかった。
俺はその中の大福を一つ、ひょいと手に取って食べてから、その隣のケーキに手を伸ばした。
するとそこに業者の人たちがやってきて、置いてあったケーキをすべて手際よく廃棄してしまった。業者のオッサンの一人が笑顔で話しかけてくる。
兄ちゃん、いいねえ今日は、いいもんが食えて。
いや食おうとしたらあなたが捨てたんだが。
ますますわけがわからない。
そこに運よく、見知った顔を見かけた。小学生の頃からの親友が二人だ。そいつらに話しかけて、何かあったのか、と聞いてみた。二人は訳知り顔でこう答えてくれた。
確かに、事情を知らない人から見ると何があったのか意味不明だろうな。
みんなやたらといいものを食べてるし、一方でこの異様な雰囲気だ。おかしいと思っただろ?
でも理由は一つなんだ。それはね、
そこで目が覚めた。
――――――――――――――――
創作ではないです。
補足とか追記:
意識をすればするほど意識が強くなるから何色にでも染まれるし2転3転もできる
だから永遠にループだし生きようが死のうがどうでもいい すべてナンセンス 意味がない
けど常に何色かに偏った状態にどうしてもなってしまう、カメレオンになりたい
してもいいけどさ ナンセンスじゃない?なら音に乗っていこう
テレレレテーテテーテーテテテレテレテーテーテー(ソニクヘッドホッドザシング砂漠のステーゾ) ユングナイへそーたらと ぱぱぽぴぷぺぽ(かんじゃにむらかみ)
生きる意味とはなんだ
人間とはなんだ
なんのために産まれたのだ
正解はなんだ
でも永遠に生きれるのなら生きたのか
長生きしてるとこの世の真実を知れるかもしれない(宇宙の始まりビックバン)
世の真実を知ろうが知らないがどっちでもいい
1129
仮にこの方法で生きたとして支障ある?
なら死ぬことに納得した人たちは満足したのか
禁煙を失敗する人に、まずは問いたい。
本当に禁煙したいのか?と。
心の底から「本当にやめたい」と思っているのか?と。
「煙草は麻薬みたいなもので、やめようと思っても、体が求めてしまう。やめたくてもやめられない。」
意思とか関係なしに、本当にやめたいのに煙草を吸わないと体が震えて死にそうになるとかガチな人はさっさと医者行け。
この時点で少しでも気に迷いが生じるようならまず禁煙は成功しない。
外的要因によって禁煙をしようとしているなら、絶対に成功しない。
自分が本気で「辞めたい」と思わなければやめられないのである。
外的要因とはつまり、自分の本心以外の部分で辞めたいと思っているパターンだ。
・小遣いが厳しいから
・●●にやめろって言われたから
こういったパターンでは、「辞めたい」という気持ちの裏に「本当はタバコをやめたくない」という本心が隠れている。つまり好きなのである。
とても好きな恋人がいる。とても好きなのに別れなければならないとしたら、どれほど辛いことだろう。それこそ簡単な理由では別れることはできないのではないだろうか。
たとえ別れることができたとしても、それだけの好意を持ったままだとすれば、簡単に忘れることはできないだろう。
話を煙草に戻そう。
もうすでにおわかりかと思うが、最大の禁煙方法は「煙草を嫌いになること」である。
「健康に悪い」とか「金がかかる」とか表面的なところで嫌いになるのでは駄目である。
「時間の無駄。何もプラスにならない。ドブに金を捨ててるのと同じ」
「単純に臭い」
「喫煙所探してる姿って滑稽だよね」
などなど、とにかく思いつく限りこき下ろす。
とにかく煙草のネガティブイメージを膨らませて、それを本心にしていく。
とっても簡単に言うと、「煙草を吸うやつ=バカ、カス、うんこ、カス、キングカス」
人間とは不思議なもので、毎日そう考えて、ときには言葉にしたりしていると、本当にその通りの気持ちになるものである。
これは有名な心理学者のフロイトだかユングだかニーチェだかも言っていた気がするので、おそらく本当である。
タバコのポジティブイメージ(かっこいい、大人の嗜み、コミュニケーションツール、有名人も吸ってる、など)に引っ張られそうになったときは、自分とは別世界のことだと割り切ればいい。
有名人みたいに金ないし、吸っててかっこよくねーし、タバコを吸わなくたってコミュニケーションは取れるし、大人の嗜みとか似合う人間じゃねーし。
一般人がタバコ吸ってても、頭が悪いうんこにしか見えないってことを理解する。
第三者から見た自分は、頭が悪いからタバコなんか吸ってる人未満のうんこなのだ。ああなんて恥ずかしいことだ。タバコなんてやめよう。
長くなったが、言いたいことはつまり
マズローはフロイトやユングと同じでコアな信者がいるからね~(笑) 精神分析とか心理学って近代が生み出した宗教の代替物みたいなものだよ。そういうことはその分野を専門的に勉強していれば普通に学ぶこと。勿論現代では定量的・統計的な手法で研究するのが当然だけど、その理論モデルなんかは元増田の言うとおり思いつき、よくいえばアイデアに過ぎないよ。そして自然科学のように必ずしも実験によって検証できるものでもないから、各学説の信奉者がセクトを作って争い合ってるのも実に宗教っぽい(笑) 最近流行のアドラー心理学だって字面だけ追えば新興宗教そっくりだよね。
自称心理学に詳しいという人に食事に誘われて、ちょっとこじゃれたビストロに行った。大きくもなく、小さすぎもせず、壁にルノワールのポスターとかは掛かっていなくて、生の切り花が活けてあるような店。
テーブルについて心理学の話を振ると、フロイトはさー、とか、ユングはさーとかいってきて、むかしの人たちの学説のレクチャーをしてきた。
それはまあいいとしよう。
注文をすると、まず、小さなバスケットにフランスパンが盛られて、運ばれてくる。これに岩塩とエクストラバージンオリーブオイルをつけて食べてくださいと店員さんが言う。ためしにやってみると、本当においしい。大地の味がするというか、素材そのままの味がするというか、とにかく、うそのないおいしさ。
テーブルを挟んで座っている人は、俺、手相も見れるんだよねーとかいって、手を取ってまじまじと見つめてくる。これ、どこで読んだのかなーとおもいながら、まあ悪い気はしないので、されるがままにする。
問題は、その後だ。
すいませーん、バケットおかわりくださーい、と彼は手をあげて店員さんを呼ぶ。
は?
バケット?
ああ、この、パンを入れてあるカゴのことを、バケツだと思ったのだよね?
店員さんはパンの入ったカゴをもってきてくれる。
彼と私はもう一切れづつとって、食べる。
このバケット、ほんとおいしいよねー
え
彼、ひょっとすると、バゲットのことを、バケットと思い込んでる?
心理学に詳しくて、学問ぽい雑学のあるところをアピールしてくるわりに?
そのままサラダからメインの料理にいって、好きなクランベリーのソルベがあったから、ちょっと頼みたいと思ったけど、今日はよした。
店を出て、彼が手をつなぎたがっているのを感じたけれど、何気ない風を装って、そのまま最寄りの駅まであるいて、じゃ、といって帰ってきた。
吐き出したいので吐く。
イケメン後輩と飯に行くのがつらい。
メリットが無く、財布も心も削られるだけなんだ。
自尊心が満たされているのか、いつか感情を読み取られ、馬鹿にされそうで怖い。
出会い厨歴3年。食品メーカー営業 この会社でのアルバイトを経て、ようやく今年正社員になった
男 26歳。
容姿に致命的な欠陥がある。
出会い厨1年目、自分が、なぜもてないか、なぜ自分は攻撃的になのか、なぜ自分は卑屈なのか、過去を振り返った。思考のクセ、自分の容姿を認め、性格を改善した。1年後ようやくセックスにありつけた。
2年目、ナンパ師のブログやツイッター、恋愛本を読み漁った。「女の子から話しやすいね」と言われるようになった。
3年目NLP、ユングにフロイト、アドラー、エリクソンを読み漁った。女の子から「私のこと、ここまで理解してくれるのは増田くんがはじめて!」と言われるようになった。3年間で6人とセックスができた。デートからの勝率は40%だ。
今年4月、新卒1年目のハーフ イケメンA君のトレーナーになった。イケメン君は謙虚で人を立て、朗らかで愛想もいい、できた人間だ。会社の中でも人気者だ。恐らく、誰からもからも愛されて育ったのであろう。
そんな彼が先月「彼女がマグロでセックスに満足していない。出会い系でパートナーを探しているが、うまくいかない」と話をしてきた。ハーフだからなのか、悪びれもしない。
二人で連れ立って相席居酒屋に行った。28歳の二人組の女の子が相手だった。a君は緊張して話せない。俺は、バカを演じ、ピエロになり笑わせた。後輩を立てた。後輩の好きなマンガ、音楽、映画の話題をした。会話が回り出した。
解散前にLINEを交換した。返事は後輩にだけ来た。増田は既読さえつかなかった。食事代は全部俺持ちだ。a君は「自分の分は出す」と言うが、俺は「後輩ができたらその子にお願い」という。自分も先輩にはそう施しを受けてきたのだ。帰り道、ヘトヘトな自分に気がつく。
a君がナンパの声かけが苦手だという。ナンパバーに行こうと誘われる。ナンパバーではa君は地蔵だった。自分の声かけのやり方を見せる。OL二人組と一緒に飲む事に成功した。だが二人ともa君にしか興味がない。俺はa君のフォローに徹する。a君はたのしそうだ。俺は、顔面偏差値の現実を突きつけられる。だが、そんな事は慣れている。『場の空気が盛り下がるぞ』。顔に気分を出してはいけないのだ。
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3人で会話をする中、彼女が向ける視線の9割はa君だ。俺に電話がかかってきた。会社にトラブルが起きて、帰らないと行けなくなった。ナッツ一皿をオーダーし、席を立つ。a君には「イケるんちゃう?」、と小さく目配せをし、バーを出る。彼は彼女に夢中で俺の視線に気がつかなかった。
そのまま俺は家に帰った。
席を立って2時間後、a君から「即イケそうです」とLINEが届く。俺は、既読にできないままでいる。
明日も昼飯に誘われるのだろう。話題は昨日の子の事なんだろうか。
/*20151101 追記*/
過去への復讐だな。ただ、女でしか満たされない自尊心があってだな。ナンパなんて恥ずかしい事かもしれないが、後1年は自分には
必要なんだな。
準即して、その後地雷化した。聞いてて( ˙-˙ ) こんな顔になった。
イケメンも大変だな、と。自分の個性豊かなユニークな顔でよかったなと思った。
コメントありがと。
ツバメの巣立ち、しっくりきた。かわいい後輩とはなんだかんだで仲良くやってます。
過去の復讐ってのも、あれだな。うん。自分には必要ってのも認めてもいいかもね。
自分の中の心理学ってのが、欲望を倫理観とかで閉じこめるのがストレスになると思うんだよね。
若い時、女の子ともっと遊びたかった。って、40.50になって後悔したくないし。
リスクとか、いままでの自分の女性観が書き換わることもあるけども。
男女関係にならないと知らなかった人間の情とか見れて、ユニークではある。
なんか以前より嫌いな人が減ってる。伝わりにくいと思うけど。
自分が好きになった人に愛されるための儀式と勝手に盛り上がってるのかもしれない。。
とりま、来週34のおねーさんと、セックスありきの予定です。自分のこと、強欲絶倫ババアってたから、ワクワクしとります。
_φ(・_・
「君がッ 泣くまでッ 殴るのをやめないッ」とは某ジョジョのセリフだが、
そういえばマザーでも「歌をやめろ」ってギーグのセリフがあったっけ?
「わたしと共にマザーシップに乗りなさい」 「歌うのをやめなさい」 「歌を…やめろ」 「う、うたをやめろ!」 「うたをやめるんだ!」 「地球のむしけらども!黙れ!歌うな」 「うたを…」「やめろ!」
ユング的原体験じゃないけどこういうのってあるよね。わからないって人は慎重に話を聞いてくれ。
DQ8では全員で杖に向かって祈り1人でも死んだら祈りは中断される仕様だったし、
魔法の詠唱が中断されると台無しになるという仕様は多くのファンタジー作品で共通している。
それがどうした?と思うかもしれないが、よく考えてみるとあまりに独特な仕様なんだよね。
2.一瞬でも途切れる(または条件から外れる)とリセットされる(=台無しになる)
3.祈りや歌を継続すると強大な力が得られる
この仕様が無批判に受け入れられて広まっているのは、単に都合のいい設定だからパクられているといったレベルではなく、
物事の真理を言い当てているからなのかもしれない。もう少しリサーチを続けてみよう。
卑近になるがPCにアラートの類いを入れると集中力が途切れるから一切入れないって人がいる。
熟考中に話しかけられると考えてたことが木端微塵に大破するがごとくリセットされるという経験も皆様には数多いことだろう。
また百年の恋が一秒で冷めるとか、信頼を失うのは一瞬取り戻すのは一生という故事成語の通り、
詠唱がわずかでも一瞬でも構成要件というか要件定義から外れると台無しになる。
ピアノの練習だって一日でも休むとすごく鈍るのは多くの人が経験しているだろう。
これでもまだ「抽象的構造だから偏在して当然」と思うだろうか?それとも精神の重要な性質を表していると思うだろうか?
現代社会は多忙で突発タスクの割り込みが多い。歌がすぐ途切れる時代といえよう。
そんな今、歌い続けることに如何ほどの意味があるのか、歌い続けるならどんな歌を歌うべきなのか?
それをみんなで考え始める時期に来ていると言えるだろう。
結婚して子どもが生まれてでも仕事は毎日続いててみたいな生活が何年か続き、どんどん自分っていう個の部分が希薄になってきていて主にそれは家族を守りたいとか家族のために生活することは楽しいしやりがいがあるという気概が原因なので良いことだと思っているのだが、ふと、一人の時間が昔より少なくなったなと思い返していると「なあ、自分だけのこと、やりたない?」ともう一人の自分というか自称ライフアドバイザー的なやつがなぜか関西弁で聞いてくる。こいつは怪しげなマジシャンみたいな格好(イメージ)をしており、人生という名の列車に乗って安穏と毎日をすごしている僕のところにたまにやってきては、いらん事をいう。
前に来たときは「チャリとかええんちゃう」と言われて僕は気づいたら自転車を買っていた。もちろん自転車が悪いってことじゃなくて8段変速のBellissimo 8speedをとても気に入っているのだが、僕は何故かこの変なアドバイザーの言う事を聞いてしまうことが多くて自分で呆れる。(ユングだったらエゴの象徴で変な格好をしているのはトリックスターが云々とか言うのだろうけどそんな大層なもんじゃないことは本人が一番分かっている。)
何かをやりたいのかと聞かれたら確かにやりたいんだけど、「家族を放置せずに自分の為になってかつ楽しい個人的なこと」なんていう条件を満たすものは少なくて特に楽しいことって基本的に家族をある程度放置しなければできないことが多いので躊躇してしまう。というか「その時間があったら家族のため(主に3歳の息子のため)に使うべきだガネ」というONE PIECEのMr.3みたいなやつ(メガネ着用)も自分の中にいるし全く困ったものである。
子供がさらに成長したらこんなことは言っていられないし奥さんこそ自分の時間が必要だし、「そもそも自転車があるじゃないカネ?」とかMr.3は痛い正論を言うしそろそろまとめないといけないのだが、世の人ははどうやって自称ライフアドバイザー(関西弁)と折り合いをつけて(押し切って)いるのだろうか。「僕は(私は)これで黙らせた!」的なエピソードがあったら聞いてみたい。
(まずは自転車だガネ)
今週末は乗りまーす!