はてなキーワード: 被保護者とは
Colaboの件で、「家出少女が路頭に迷ったらどうするんだ!」というような批判を見かけるが、普通におかしいと思う。
たとえば弁護士は懲戒処分を受けると弁護士としての営業ができなくなるので、どれだけ悲惨なDV被害者の裁判を受け持っていたとしてもその裁判から抜けないといけなくなる。これは仕方ないことだ。あるいは、国内屈指の凄腕の外科医が人を殺したら逮捕されても仕方ないし、そのせいで手術を受ける予定だった患者さんが手術を受けられずに死んじゃっても、犯罪の追及が悪いということにはならないと思う。
同様に、仮にColaboが何らかの不正をしていたとしたら、Colaboへの処罰(よくわからんけど解散させられたりすんの?)は、Colaboが匿っている家出少女たちの保護よりも優先されても仕方ないでしょう。それでもし家出少女が路頭に迷ったとしても、それは不正をしていたColaboの責任であって、不正の追及者や追及者への賛同者が責任を負うような話ではない。刑事は凄腕の外科医を逮捕するときに患者に配慮する責任があるのか?
もしColaboが潔白で、なんの不正もしていないというなら、処罰を受けるようなことにはならないはずだから堂々としていればよい。暇空茜氏がしているのはあくまで「Colaboへの支出に関する都への監査請求」であって、Colabo本体への法的措置ではない(少なくとも現段階では)。
仮に何もやましいところがなくてもあれこれ探られるのは不愉快だ、という気持ちはわからないでもないが、公金を使うというのは情報公開の責任を負うということなので、ある程度公文書を漁られるのは甘受するべきだ。森友学園問題で黒塗りの公文書を出して平然としていた安倍晋三氏のような恥知らずな人間――生きて監獄にぶち込まれるべきだったのに、凶弾に斃れてしまったのは実に残念だ――になりたくないのなら、公文書を可能な限り開示することに協力しなければならない(もちろん、たとえば被保護者の個人情報とかシェルターの位置に関する情報とかは黒塗りでもやむを得ないし、おそらく暇空氏も納得するだろうが、定款すら黒塗りにするのは異常と言ってよい)。市民には主権者として行政を監視する権利と責任がある(っていう正論を言うのが共産党の役目だと思ってたんだけど、なんで今回は追及に反対してるんですかね……)。
もちろん、「いや、いかなる場合であってもコラテラル・ダメージには配慮すべきだ」という道徳的立場はありうるだろう。
しかし仁藤夢乃氏やその他の「表現に意見を言う」フェミニストの人たちは、コラテラル・ダメージに配慮してきたのか?
温泉街の町おこしの一環なのだから、あんまり強い批判をすると地域経済にダメージが……のような意見はいくつもあったと思うが、仁藤氏はそのような意見に耳を傾けてきたのか? 献血量が減ったらどうするんだ、という点に配慮して献血ポスターに「意見を言った」フェミニストはどれくらいいたんだ?
当たり前だが、『温泉むすめ』へのバッシングによって温泉街の売上が落ちようが、『宇崎ちゃんは遊びたい!』とのコラボへの批判によって献血量が減ろうが、それは直接的に仁藤氏やその他のフェミニストの方々に責任がある話ではない。それは正しい。彼女たちにコラテラル・ダメージへの責任を求めるのは間違いだ。彼女たちにはそれらの表現を批判し、少なくとも主観的には正当な追及をする当然の権利があり、権利行使にあたってコラテラル・ダメージに配慮する必要はない。
だったら、別に彼女たちを批判し追及する側もコラテラル・ダメージを気にする必要はないんじゃないか? 少なくとも主観的には正当な不正追及をしているに過ぎないのだから、その権利行使にあたってコラテラル・ダメージへの配慮は不要だ。彼女たちだってそうしてきたじゃないか。彼女たちの対立者が同じことをして何が悪い?
だいたい、彼女たちが保護しているのは家出少女だろう? 赤ん坊でも重度の火傷患者でもない、つまりしばらく放り出されたことで直ちに生命の危険が生じるようなことはない。Colaboには多くの支援者がいるんだろう? もしも仮にColaboの不正が証明され、もう家出少女たちがColaboに頼れないような状況が生まれたとしたら、支援者の皆さんからカンパを募ってビジホにでも泊まったらどうだ? 支援者の企業で清掃のバイトでもさせてもらえばいいんじゃないか? 沖縄や韓国で座り込みやデモに参加できる程度には健康体なんだろう? そんなのは不正の追及にあたって配慮されるべきコラテラル・ダメージではない(仮に重い症状で枕から頭も上げられないというなら行政や医療に助けを求めるべきだ)。
以上の2点から、「家出少女が路頭に迷ったらどうするんだ!」式の批判にはまったく賛同できない。
そーいえば、イージス・アショアで防衛省が地元住民に舐めた態度を取って計画が頓挫した件で、ネトウヨ諸氏が「これで国防が危機に瀕したらどうするんだ!」って大合唱してましたね。いや、そんなに国防上大事な施設なら、地元を舐め腐って反感買うような真似はよしなさいよ、仮に国防プランが大幅な再検討を強いられたとしてもそれは住民の責任じゃないでしょ、って増田は思ってたし、多くのリベラル派の人たちもそう思ってたはずだと思いたいんだけど、なんで対象がColaboになるとリベラル派の人たちがネトウヨの皆さんみたいな理屈を振りかざすようになるんですかね……っていうか、森友学園の件でマジギレしてて、選挙権を得てこのかた自民党には入れたことがないアンチ自民マンのワイからすると、あんな海苔弁公文書が出てくる時点でありえないんですけど。あんな市民の知る権利を侵害する気マンマンな公文書出してきてどこが都民ファーストだよ。さすがは関東大震災時の朝鮮人虐殺を否認する歴史修正主義者がトップにいるだけあるわ。あーやだやだ。もっと公文書をきちんと開示する「普通の国」になってほしいよ。
かみ田の単行本、悪魔みたいにキミは立ってたが非常によかったので勢いで筆をとった。何を書くか。適当に好きなエロ漫画挙げるか。同人含めるとキリがないから商業で。数はぁキリがいいから10でいいか。思いついたら書くから順位もベストもないよ。
あと性癖は雑食で使う比率も巨乳の方が多いけど釣るためにロリコンとしておこう。
増田でエロ漫画レビューってOKなの?って思ったが[エロ漫画感想]というカテゴリがあるからセーフっぽい。
女性上位ぎみに女児が男を誘惑する蠱惑系ロリです。可愛い系の顔に陰影がしっかりした体が好みなの。エッチも女の子主導だけどしっかり感じて楽しんでるのがいいですね。
ロリが好きな理由に(人妻やNTR系が好きなのと同じく)背徳的な要素が必ず含まれているという点がある。女児に手を出すのは真っ黒犯罪なワケでリアルなら女児は完全な被害者。男は加害者弁解は罪悪と知りたまえ。だけどエロ漫画ではそれが逆転できるんですよね。女児に手を出したというのは男が犯罪者になるという「弱み」であってそれを握った女児が普通は加害者である男の生殺与奪の権を握れるわけです。(この展開は未成年全体でJKでもあるからロリ要素ではないけど)
そういった中で女児からの「お誘い」の色気、受身ではない積極的な主体性。最高にファンタジーで最高にエロいですね。そこにちょっと陰の雰囲気をまとわせればなおよし。
方向性は砂漠に似てるっぽいけどこちらの方がだいぶ読みやすかった。
エロ漫画読者が一番喜ぶことはなにか。それは漫画を書いてくれることです。特に原稿不足に喘ぐ姿が見れるLOでは同人やパトロン系と共存しつつも取られているな感がありますね。
次に書くさらだの単行本も出ちゃったし、読んじゃったしで最近LOに好きな作家が減った・たくさん出ている号が減ったと感じていたときに出てきてくれた作家です。それから体感、コンスタントに作品を提供し続けていてくれて、個人的にここ数年LOをひっぱってきた人です。ありがたし。
作風は概ねエッチ好きな女の子が楽しむ女児メイン視点で明るめで開放的です。女の子はやわらかぷにぷに目で、ぽっこりおなかや大きめな胸の子も柔らかそうでヨシ!
全部好きすぎて単行本はどれでもいいけれどこれか初単行本の妹モノが好きです。
たまにインピオ書いてくれて助かる。
ロリ挙げるなら避けないかな。圧倒的リアル感の圧倒的ファンタジー作家。
とにかく気持ちいいことが大好きな女児というドエロいファンタジー存在を描きつつ、そこに男のエロに食いつく焦りであったり女児の無知さだったりで糖衣することですごい(ファンタジーだけど)リアル風さが出て興奮を煽られる。
逆に「売り」みたいなので事務的に処す子もそれはまたリアルで、またキスやフェラで感じるまでは行かないあくまで「穴ありき」さもエロい。
こんなに都合の良い存在が手に入るチャンスがあればいいのになあとつい思ってしまうのである。
純愛ものって苦手なんだけど、イチャラブに反してプレイが激しいのでギャップでエロい。女の子の発情してる感がつよつよのエロエロです。
作品は特に近作の「妹とノリでエッチした件」連作がずば抜けてクリティカルヒットしてるんですが、収録単行本は7/28発売で未読なのでこちらで。気になるなら「妹TRIP」の方をぜひ。
ロリもの、特に近親相姦ものの特色として、性に対して誤った倫理観を植えつけることができるというものがあります。所謂無知シチュにも通底する部分もありますね。それ自体が洗脳じみて背徳的なのですが、さらに一歩進んでそれがいけないことだと女児が成長とともに理解したうえで誤った行為を受け入れるというのはさらにさらに背徳的で、そういった近親相姦はもはや3乗4乗といったE=mc^2を軽々と超える破壊力を有します。それ以外にもいろんな方向性がありますが、インモラルな父娘ものでまとまった一冊です。
ロリの描き方にもいろいろあってあばら骨が浮くようなスレンダーなのからまだ肉が胸と尻に行かないもちもちとしたイカ腹幼児体形なのまでさまざま。それぞれによさがあります。
この作家はとくにかくプニプニな女児がいい!って時に。年齢はさらに下めで園児、園ジぇる寄り。+太眉属性です。プレイは激しくボテ腹までいくので尖り具合がすごい。刺さってしまったら返しがついているので覚悟しましょう。こんなの供給すくないぞ。
エロ漫画って男で抜いてるときと女で抜いてるときってありませんか?この作者は圧倒的に「感じてる女の子で抜いてるなぁ」と思う作風です。小さな体で限界いっぱい感じてる姿がエロすぎてヤバい。一貫してほぼ胸が膨らまない平坦な体でこれだけエッチにかけるのはもう脱帽です。
(王子様系と違って)男の子に間違われたり混じったりするボーイッシュが描けるのはロリの特権!そういった中性的な魅力もロリにはあるのです。そしてそんなロリがメスになる。いいですね。
SNSでもすこし前に流行った男水着チャレンジ。あれはいいものだ…。
笑顔が光る可愛い女の子たちと、ちょっと多めなおしっこ要素もついてきてボーイッシュが好きならアリアリです。
ただサンバ衣装はかなり厳選されるなー。僕はちょっとないです。
近親相姦する兄妹の「日常」の一部を切り取ったような作品が非常に素晴らしい作家。
行きずりの女の子もいいけどやはり今までの関係性が伺える長い付き合いの女の子や妹といったものはバックグラウンドを感じさせてディティールが深まりますよね。
昔は作品ごとに女の子の顔?の好みの当たり外れが大きかったが、ここ2冊でぐっとまとまり個人的に安定したので印象深く思い出し。
でも一番印象深いのは過去作の「ドライアウト」で作風も珍しいながら子が親に言う「あんたの穴ってさ なんのためにあいてんの?」というセリフ。女児が犯られる作品で放つこのセリフが親子の関係性合わせすごく記憶に焼きつきました。
メイトレジェンドやリョナキングを読まない自分の限界はこれぐらいかなという作品。たぶんほとんどの人はムリなはず。さすがに女児の堕胎まで商業誌でやるのはめったにないでしょう。
子供の家庭内の陵辱というのは、ただの監禁と異なって子供単独で逃げ出すことが難しいという点があるでしょう。自立できない被保護者である子供はひどいことをされていると自覚していても家を飛び出すということが容易には出来ません。そういった中での睡眠姦もまた独特で、薬で眠ったままや一度きりではなく、逃れられない家の中での逃れられない日常の眠りを脅かされるわけで、眠ると何かされるとわかっているが眠らないわけにもいかず寝ても覚めても地獄という様相です…。
好きというとただでさえアレな人間性がさらに疑われますが、ロリレイプものとしてレベルたっけーな…(げんなり)という感想です。
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10じゃ全然きかんな!ただ好きな作品を挙げるというよりロリってこういうのがあるよねって方向性でいろいろ思い出してみた。それでも純愛や大ベテランや淡い感じなのは好みじゃないので偏りある。
それから竿役にキモデブおじさんがあんまりいない…好きだけどそういうのは同人が主戦場かな。
なんとなく作家+単行本の形にしたけど結局、エロ漫画って最新話が一番エロいことがほとんどなんだよね。EB110SSみたいないろいろ変えてる作家は別だけど、EB110SS含め全員常に研鑽してるからすごいよね。何人か過去作挙げたけどもし興味が出て気に入りそうなら挙げたやつじゃなくて最新巻から読もうね。そっちがおすすめ。
https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc0124&dataType=1&pageNo=1
>生活保護制度では、生活用品・家具・家電などの生活必需品等の購入は、経常的な生活費のやり繰りで賄うことを原則としているところである。
https://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/gyoumukanri_sonota/covid-19/faq.html
>収入による条件はありません。
>年金受給世帯であること、失業保険受給世帯であること、生活保護の被保護者であることに関わらず、支給対象となります。
>なお、生活保護制度の被保護者の収入認定に当たっては、収入として認定いたしません。
一応。
国としては家電買い換えの資金はやりくりした貯金でまかなうことが原則。給付金は収入として認定しないと言うことで、本来生活保護費が減額されるものではないと言うのが国の見解だけど、それを財産と扱うことで迂回的に収入認定された。
どっちも国の指針と違うことをやってるんだけど、それが市の解釈らしい。ちなみに抗議したら保護停止をちらつかされるし、共産公明の市議は市とベタベタなのか、市の見解をなぞるだけで役に立たない。法テラスもナマポと市のトラブルなんて取り合ってくれない。詰んでる。
ナマポの現場なんてこんなものですよ。これが日本でも有数の特権階級とか言って叩かれるんだから、どれだけ日本人の生活って悲惨なんだろうね。
生活保護者のほうが一般人よりも喫煙率が高いという記事を読んだ。
また、生活保護の支給日にはパチンコ店が混雑するという記事も読んだ。
生活保護叩きをするための恣意的な記事だと捉えて切り捨てることもできるが、
税金や社会保険料を毎月削られている身としてはどうしても納得がいかない。
(全く関係ないが自分は労働して生活保護費以下の生活水準で生活しながら余剰資金を積立投資にまわしているため、
>被保護者は、常に、能力により勤労に励み、自ら、健康の保持および増進に努め、収入、
>支出その他生計の状況を適切に把握するとともに支出の節約を図り、
>その他生活の維持および向上に努めなければなりません。
この義務を果たしている生活保護者が一体どれだけいるというのか。
義務に中指を立ててのうのうと暮らしているキリギリスのような存在が(多くとは言わないが)一定数存在するのではないか。
(SNS上で煙草を吸いながら悠々自適な生活を自慢している生活保護者も多数見受けられる)
少なくとも、喫煙や賭博は「健康で文化的な最低限度の生活」とは程遠い”嗜好品”もしくは”娯楽”であるため、
そういった娯楽・嗜好品を楽しみたかったら労働することで権利を勝ち取るべきではないか。
#個人的には、酒も生活保護費では利用できないようにしてもらいたいくらいだ。
これだけ電子決済の基盤が揃った現代社会、何にでも利用できる現金を支給するのではなく、
不正受給や不平感からなる生活保護バッシングを解消することに繋がり、
結果として多くの人間を救えるのではないだろうか。
ホッブスの言う「自然状態」を考えよう。これは自分も他人も倫理的な制約に縛られない状態で、誰を殺そうが誰に殺されようが文句は言えないという社会である。こんな状態では暮らしていくことが出来ないので、人々は「契約」を結んでお互いを拘束し合う。人々は「契約」によって自分が自由に行動する権利を一部放棄してお互いの権利を尊重しあい、権利を守り合うための制度や規則を共同で守ることにする。もちろん、このような「自然状態」と「契約」が本当にあったのか?という疑問はもっともなものなのだが、それはまた大きな話になるので、ここではとりあえず人々は何らかの「契約」をしたという立場から動物の権利を考えていくことにする。
さて、このような「契約」を結ぶためには、例えば自分の権利を認識したり、その権利を放棄/移譲したり、約束を責任持って守ったりなど、それなりの程度の能力(以下では契約能力と呼ぶ)が必要になる。大型類人猿などの研究が進み、それらがかなりの認知能力を有していることは確認されつつあるが、それでも上記のような契約能力を持っているとは言えないだろうし、ましてや牛や豚や鳥に契約能力を認める人はいないだろう。したがって、人間と動物との関係はいまだ「自然状態」であり、お互いを好きに殺して食べて良い関係だということになる。もちろん、「自然状態」だからといって牛や豚や鳥が人間を襲ってくるわけではないが、それは動物たちが「契約」を尊重しているからではない。
一方で、人間に契約能力があるといっても、その大きさは各人で異なるのは確かである。私のような凡人と、高潔で思慮深い偉人との間には契約能力に差があるはずであり、それでは我々が動物を好きにできるように、偉人は凡人である我々を好きにできるとも考えられる。この問題を解決するために、範囲性質(range property)という概念を導入する。これは、ある最小限の契約能力を有していれば、その差は考えずに同じだけの権利が認められるという考え方である。ここでいう最小限の契約能力がどのようなものかは議論があるだろうが、リバタリアンである私としては、「"個々人が別々に存在し、自分の人生は自分の責任で辿る"ということを認め、お互いの権利や判断を尊重し合う」能力としたい。この能力から、お互いの権利を尊重すること、そのために自分の自由の一部を放棄することなどが直接的に導かれる。また、個々人が別々に存在してお互いの権利や判断を尊重することから、そのような最低限の能力を有していればその差を考えずに同じだけの権利が認められるという範囲性質も満たすことができる。
しかし先にも書いたように、最低限の契約能力(それがどのようなものであれ)を持った人間だけがお互いの権利を尊重し合うという主張からは、上記のような最低限の契約能力を持たない限界事例の人たち(例えば乳児、重度痴呆症、ある種の知的障害者など)の権利を制限しても良いという主張が直接的に導かれてしまう。この問に、私は「そのとおりである」と答えたい。
ここでは、限界事例の人たちから将来に契約能力を有すると見込むことができる相手(例えば子供)とできない相手(例えば重度の痴呆症、ある種の知的障害者、動物)とを区別する。
将来に契約能力を有すると見込まれる相手に対しては、相手が契約能力を有した将来のある時点から現在を見たときに、その権利の制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲でのみ権利を制限することができる。これは別に現在日本でもおかしな話ではなく、例えば20歳になるまで飲酒喫煙は禁止されているし、18歳になるまで選挙権は無い。端的に言えば、嫌がる子供を押さえつけて歯を磨くことは許されても、レイプすることは許されないということである。このため、子供についてはたとえその子供が契約能力を有する人間(大人)が保護していないとしても子供本人に権利があり、契約能力を有する人間と同様の制限なしに殺したり人体実験に供したりすることは倫理的に許されない。
一方、将来に契約能力を有すると見込めない相手については、その相手を保護する契約能力を有する人間の"被保護者"としての従属的な権利しか有しないとするのが妥当だろう。つまり、本人の同意ではなく保護者の同意によって本人の"扱い"を決めてよいということである。この"扱い"には子供とは違い、「その権利の制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲でのみ」という制限は無い。なぜなら、その判断をする将来が存在しないからである。したがってもちろん、殺して食べるという扱いでも構わないことになる。しかしながら、どんな動物も誰もが自由に殺すことができるわけではない。"被保護者"としての権利は有している以上、自由に扱ってよいのは"保護者"が居ない相手だけである。牛や豚や鳥を食べて良いと言っても、他人が保護している(ペットとして飼っている)動物を保護者の意見を無視して食べることは出来ない。また"被保護者"に対して殺すなどの本人に害のある何らかの重大な判断を下そうとする保護者は、自分の代わりに保護したいという契約能力を有する人間が居ないことを確認する倫理的な義務がある。もし、限界事例の人たちや動物たちが殺されそうになったなら、契約能力を有する人間(福祉団体なども含む)は誰でも、以後は自分が責任を持って保護すると約束して必要なら金銭的な保証なども含めて以前の保護者と合意することで、殺すことを止めることができる。(食べるために)殺してよいのはそのような保護者が名乗りでなかった相手だけである。
④認知能力や契約能力等、動物と人間を区別する道徳的に重要な違いとされている違いは人間同士の間にも存在する(すなわち、限界事例の人たちが存在する)
ことを認めた上で、⑤を削除して肉食を擁護した。
限界事例の人たちや動物から、将来契約能力を有すると見込まれる子供とそれ以外を区別した。前者はその子ども自身が契約能力を有するようになった将来において権利の制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲(判断するだろうと見込める範囲)でのみ権利制限が許されるとし、後者は契約能力を有する人間の"被保護者"としての従属的な権利しか有しないとした。ただし、"被保護者"としての権利しか有さないとしても保護者が自由に扱えるわけではない。"被保護者"に対して殺すなどの本人に害のある何らかの重大な判断を下そうとする保護者は、自分の代わりに保護したいという契約能力を有する人間が居ないことを確認する倫理的な義務があり、(食べるために)殺してよいのはそのような保護者が名乗りでなかった相手だけである。
最後に、この結論を受け入れた社会がどうなるかを現在との比較から想像してみたい。子供については、現在と変わらないことは説明した。それ以外の限界事例の人たちについては、現在広く受け入れられている「人権」よりも若干制限されることになる。しかし、実質的には扱いは変わらないだろう。現在でも彼らの扱いは最終的には保護者の意思で決められる。上記のような社会で誰も保護しようとしない限界事例の人たちが殺されたとしても、現在でも誰も保護しようとしない限界事例の人たちは死んでいるので同じである。上記のような社会では限界事例の人たちが捨てられることになり問題だと言う人が多いならば、その人達は積極的に保護するだろうし、少なくとも福祉団体に寄付をするだろう。介護疲れから無理心中が起こっているような現在に比べて、福祉団体に大きな人的・金銭的支援がなされる社会は、現在よりも限界事例の人たちにとって生きやすい社会と言える。
以上、倫理的な観点から肉食を擁護した。この結論について、私を差別主義者であり倫理的に許されないと批判したい方々はもちろん居るだろう。ただし、もしあなたが肉を食べているなら、私を差別主義者と批判しながら肉を食べることについて、その判断をどう倫理的に許容しているのか一度考えてみてほしい。
昨日、今日あたりで話題になっていた生活保護の男性が訴える「ストーブ禁止」は違憲 札幌市は争う姿勢 (HBCニュース) - Yahoo!ニュースですが、記事についたブコメを見ていると、生活保護の仕組みや基準に対する誤解が見られたので、制度について簡単に解説してみようと思います。
札幌市側の主張もおそらく以下のような内容かと思われるため、今回の例を用いて説明する箇所がありますが、詳細な状況やお互いの主張がわかっているわけではないので、今回のケースに限らず、生活保護に対する一般論としてお読みください。
生活保護は生活扶助、住宅扶助、医療扶助といった8種類の項目にわかれていますが、メインになるのが生活扶助です。
生活扶助はその名の通り日常生活に必要な最低生活費を扶助するお金となり、モデル世帯を設定したうえで最低生活費を算出して金額を決定しています。
あまり知られていませんが、この生活扶助は第1類費と第2類費にわかれています。
水道光熱費や家具什器費など、世帯全体で使用する費用を扶助します。
さて、「家具什器費」というものが出てきました。これについて詳しく見ていきましょう。
生活扶助費に関しては全国消費実態調査を元にモデル世帯の最低生活費を算出し、金額の妥当性が検証されていますが、検証時に用いられた第1類、第2類の区分については現行の検証手法の課題について(参考資料)の10ページに記載があります。 ※
さて、10ページの中央右側「家具・家事用品」を見ると第2類に含まれる費用として、電子レンジ、冷蔵庫などの家具・什器類が含まれており、その中に今回問題になっている「ストーブ・温風ヒーター」が含まれています。
前述のとおり、生活扶助費はモデル世帯の最低生活費を元に決定されていますが、ストーブを含む家具についても耐用年数を考慮した形で支給がふくまれており、少なくも仕組み上は故障したストーブの買い替え費用は生活扶助第2類として既に支給されています。そのため、札幌市としては新たな支給はできない、としたものかと思われます。
記事では「ストーブの買い替え費用が生活保護費で認められないのは、憲法違反だ」との主張がありますが、上記の通り「ストーブの買い替え費用は生活保護費に含まれておりすでに支給済み」のため、正直この記事通りの主張であれば敗訴は免れないと思います。この間違った主張を通すわけにはいかないため、札幌市としても争う姿勢なのではないでしょうか。
※ 平成26年の全国消費実態調査を用いて平成29年に行われた検証ですが、全国消費実態調査は5年ごとなのでこれが最新かと思われます。
予想外のことによって急に多額の出費が発生した場合に補助する仕組みとして一時扶助による家具什器費というものがあります。
しかし、これは生活保護を開始した時点で家具が無かったり、災害によって家具什器が焼失した場合など、通常の買い替えとは異なるケースにおいて例外的に支出されるものであり、ストーブが永遠に壊れないと思っている人はいないでしょう。(実際壊れるまで真剣に考えないというのはありがちではありますが)
暖房器具に関しては北海道など寒冷地向けにFF式や煙突式の場合の一時扶助の増額も認められており、いろいろと考慮はされているのですが、前述のとおり、ストーブを含む家具の買い替え費用については既に支給されており、以前から生活保護を受給している人は生活扶助で賄うべきものとなっています。
(ただし、モデルケースは全国消費実態調査を元にしているため、FF式・煙突式が買い換えられる分の生活扶助が支給されているのか、は議論の余地があるかと思います)
実際、実施要領においても以下のように「生活扶助で計画的に賄うこと」が求められており、(あくまで外から見える範囲でですが)今回のケースを一時扶助で補うのは難しいように思います。
被服や家具什器の更新その他通常予測される生活需要については、経常的最低生活費(基準生活費、加算等)の範囲内で賄われることが原則である。
なお、被服費等の日常の諸経費は、本来経常的最低生活費の範囲内で、被保護者が、計画的に順次更新していくべきものであるから、一時扶助の認定にあたっては、十分留意すること。
「お役所仕事」というと聞こえが悪いですが、行政においては杓子定規に法令・通達に従って仕事をすることが求められます。
個人に対して法令・通達を逸脱した対応を行うことは最初は完全な善意から行われたものであっても、友達への利益供与など、癒着・汚職の元となりうるため、避けるべきかと思われます。
この辺りに関しては生活保護を題材にした漫画「健康で文化的な最低限度の生活」4巻の183ページあたりを読むと、どの制度を使えば法令・通達から逸脱せずにサポートができるか、といった現場の動きが見えるかと思います。
漫画なので割と読みやすく、いろいろなケースを見ることができるので、興味のある方は読んでみると良いかと思います。
実は生活必需品等購入のための貸付金の取扱いについてという通達が出ており、まさに今回のケースはこれに相当するように思います。
ただ、この通達をよく読むとわかるのですがこれは「貸付金制度を用意したよ」ではなく「他に準備された貸付金制度を利用しても収入とみなさないよ」になります。
そのため、札幌市において生活保護者が使用できる貸付金制度が準備されていたのか、案内されていたのか、国として貸付金制度を整備するべきでは、あたりが本来議論すべきところかと思われます。
また、家具什器費を生活扶助から分離する(月額支給額は減るが、家具の故障時の扶助を新設する)など、制度自体を改定する議論も考えられますが「生活保護の使い道を本人の意思で決定できる」というのは「健康で文化的な最低限度の生活」において大きな比重を占めており、個人的には現状の生活扶助に含まれる形の方が良いと考えています。
どちらにしても現行の仕組みを理解したうえでなければ意味のある議論にならないため、これを機会に仕組みを調べてみると良いのではないでしょうか。
花森さんは女性の気持ちを理解するためにおばさん型女装を最後まで貫いてた左派っぽい婦人雑誌の編集長なのね
家電の実験で企業のタイアップをシャットアウトして公平をつらぬいてたりして惜しまれたんだけど
みんなファッションすてて実利を取ろう、靴ならもちろんぺたんこ靴にしたほうがいいよっていう人
で、「運動」はたぶん女子大生のジーンズとかと間違えてると思う
どちらにせよ2016年ごろ宮川大輔がいってQでヒール履いて走る競争のお祭りにでたときにもいってたけど
そもそもファッションに準じる意味ではボディピアスとかとおなじでけっこう過激な履物
人道的な見地を捨てている
もともと自分で歩かなくていいルイ3世時代の貴族の履物がルーツ
ただ営業用、芸能用は非人道的なくらいが丁度いいんだろうし一般化してるだけ
NYのキャリアウーマンも通勤はスニーカー、職場についてヒールに履き替えてる
ヒールを履きたいという運動があるとしたら、女性が「事務職(補助職)」から「一般職」になりたいという流れの一部だろうね
自分自身の名刺を持ちたいとかいう意味合いとおなじ、あるいは男性でいうホワイトカラーにならせてくれという意味で「ネクタイを締める仕事がしたい」というのと似ているかな 男だってネクタイの締め心地が好きでいってるわけじゃないだろう
被保護者として扱うのではなく交渉できる程度の責任をもたせろ、威圧的ファッションを身に着けてよい仕事につけろということ
未だに一般職女性公務員は人にあわないときも常にヒールってのも本末転倒
よってKOOTOOは意味がある
連座 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%BA%A7
連座(れんざ、連坐とも)とは刑罰の一種で、罪を犯した本人だけでなく、その家族などに刑罰を及ぼすことである。
なお、江戸時代までは家族などの親族に対する連座は縁座(えんざ、縁坐)と呼称され、主従関係やその他特殊な関係にある者に適用される一般の連座とは区別して扱われていた。
英語の"Collective Punishment"の訳語として、「集団罰(しゅうだんばつ)」「集団懲罰(しゅうだんちょうばつ)」「集団的懲罰(しゅうだんてきちょうばつ)」などの語も使われる。
国際法における制限
ジュネーヴ諸条約の第4条約(戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約、Geneva Convention relative to the Protection of Civilian Persons in Time of War of August 12, 1949)第三十三条では、紛争当事者が被保護者(当事国・占領国の国民以外。すなわち他国・地域の占領下にある人間)に対して集団罰を科すことを禁じている。
歴史を振り返ると、過去には日本でも連座の時代も確かにありました。
個人的には、心情として連座を望む気持ちも分かるが、実務としては連座を採用するのは反対の立場です。
とても参考になりました。世の中に絶対必要だけれども、大変なお仕事ですね。書いてくださってありがとうございます。
1年以上前の記事なのでご覧になっていないかも知れませんが、もしご覧になっていたら、良ければ教えていただけませんか?
”被保護者が自宅でお亡くなりになられた時に「ケースワーカーさん、部屋のなか入って鍵とってきてくんない?あ、結構腐敗すすんでて特殊清掃必要だからお金よろしくー」っていう大家、本当なんなの。特殊清掃の金は役所から出せねえよ。”
こういった場合、公務員の方が鍵を取りに行くのですか?室内の清掃も公務員の事務職の方が行うのですか?住居を大家へ引き渡すまで全部の清掃を、公務員が行うのですか?死体の処理も、部屋の遺品も、お風呂もお手洗いも?過酷すぎませんか?
物を取りに行くのは大家さんではないのですか?清掃業者さんにお願いできないのですか?
"精神科に入院中の被保護者が病院で暴れたため「すぐに来て暴れてるのを取り押さえて」と呼び出され伺ったところ。「ケースワーカーさん、なんでうちの病院なんか入れたの?!もううちには置いておけないから!てか、転院先はもう見つかってるんだよね?は?見つかってない?!きちんと普段仕事してます?怠けたりしてません?」っていう医療関係者。いやいや、つい10分前に連絡があって役所から走ってきたんだけど転院先なんて見つけてきてるわけないじゃん..."
暴れている精神病患者を取り押さえるのが公務員事務職の仕事なのですか?事務職のはずなのに、介護職と変わらない仕事内容ではありませんか?特に、小柄な方や女性には無理ではないでしょうか。病院で対応できないならどこへ連れて行くというのでしょう…
職員さんは、公務員事務職として、難しい試験を突破して来ている方達のはずなのに… ひどいですね。 私は公務員ではありませんが、福祉の専門職の方を大量採用するなどして、事務職と切り分けた方が良い気がします。現場の状況を知りたいので、良ければ教えてください。よろしくおねがいいたします。