はてなキーワード: 堤防とは
出生
天文14年(1545年)、猿楽師の大蔵信安の次男として生まれる。長安の祖父は春日大社で奉仕する猿楽(現能)金春流の猿楽師で、父の信安の時代に大和国から播磨国大蔵に流れて大蔵流を創始した。この頃に生まれたのが長安であったという。
父の信安は猿楽師として甲斐国に流れ、武田信玄お抱えの猿楽師として仕えるようになったという。長安は信玄に見出されて、猿楽師ではなく家臣として取り立てられ、譜代家老・土屋昌続の与力に任じられたという。この時、姓も大蔵から土屋に改めている。長安は蔵前衆として取り立てられ、武田領国における黒川金山などの鉱山開発や税務などに従事したという。
武田信玄没後はその子・勝頼に仕えた。天正3年(1575年)の長篠の戦いでは、兄・新之丞や寄親の土屋昌続は出陣して討死しているが、長安は出陣していない。天正10年(1582年)、織田信長・徳川家康連合軍の侵攻(甲州征伐)によって武田氏は滅亡する。
ただし一説では、武田勝頼から疎まれたため、武田氏を自ら離れて猿楽師に戻り、三河国に移り住んでいたとも言われている。
遠江国佐野郡懸川宿の年寄に対する掟書(『德川家奉行衆連署傳馬掟書』慶長6年1月、個人蔵)[2]。伊奈忠次、彦坂元正と連署しており、「大久保十兵衛」[3]と記され黒印が押されている
甲斐武田家が滅んだ後、長安は徳川家康の家臣として仕えるようになる。家康が甲州征伐の際に逗留用の仮館を長安が建設したが、この時に家康がその館を見て長安の作事の才能を見抜き、仕官を許したといわれている。また、一説では家康の近臣で、旧武田家臣の成瀬正一を通じて自分が信玄にも認められた優秀な官僚であり、金山に関する才能に恵まれていることを売り込んで、家康に仕えるようになったともいわれている。
長安は大久保忠隣の与力に任じられ、その庇護を受けることとなる。この際に名字を賜り、姓を大久保に改めた。天正10年6月、本能寺の変で信長が死去して甲斐が家康の所領となる。しかし当時の甲斐は、武田家滅亡後の混乱から乱れていた。そこで家康は本多正信と伊奈忠次を所務方に任じて、甲斐の内政再建を命じた。ただし、実際に所務方として再建を行なったのは長安であるとされている。長安は釜無川や笛吹川の堤防復旧や新田開発、金山採掘などに尽力し、わずか数年で甲斐の内政を再建したと言われている。
天正18年(1590年)の小田原征伐後、家康は関東に移ることになる。この時、長安は青山忠成(江戸町奉行)、伊奈忠次、長谷川長綱、彦坂元正らと共に奉行(代官頭)に任じられ、家康が関東に入った後の土地台帳の作成を行なった。これは家康が後に関東で家臣団に所領を分配する時に、大いに役立ったと言われている。
また、関東250万石のうち、100万石は家康の直轄領となったが、この時に長安は長谷川長綱、彦坂元正、伊奈忠次と共に関東代官頭として家康直轄領の事務差配の一切を任されている。
天正19年(1591年)には家康から武蔵国八王子(後に横山)に8,000石の所領を与えられた。ただし、八王子を以前に支配していた北条氏照の旧領をそのまま与えられた形となったらしく、実際は9万石を与えられていたという。長安は八王子宿(現・東京都八王子市)に陣屋を置き、八王子十八人代官を置き、宿場の建設を進め、浅川の氾濫を防ぐため土手を築いた。石見土手と呼ばれている。
長安はまた、家康に対して武蔵の治安維持と国境警備の重要さを指摘し、八王子五百人同心の創設を具申して認められ、ここに旧武田家臣団を中心とした八王子五百人同心が誕生した。慶長4年(1599年)には同心を倍に増やすことを家康から許され、八王子千人同心となった。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こると、長安は忠次と共に徳川秀忠率いる徳川軍の輜重役を務めている。戦後、豊臣氏の支配下にあった佐渡金山や生野銀山などが全て徳川氏の直轄領になる。すると長安は同年9月に大和代官、10月に石見銀山検分役、11月に佐渡金山接収役となる。
慶長6年(1601年)春に徳川四奉行補佐にて甲斐奉行、8月に石見奉行、9月には美濃代官に任じられた。これらは全て兼任の形で家康から任命されている。異例の昇進と言ってもよく、家康が長安の経理の才能を高く評価していたことがうかがえるものである。
慶長8年(1603年)2月12日、家康が将軍に任命されると、長安も特別に従五位下石見守に叙任され、家康の六男・松平忠輝の附家老に任じられた。7月には佐渡奉行に、12月には所務奉行(後の勘定奉行)に任じられ、同時に年寄(後の老中)に列せられた。
慶長10年(1605年)、大久保長安を普請奉行として武蔵御嶽神社の本社を普請。
慶長11年(1606年)2月には伊豆奉行にも任じられた。つまり長安は家康から全国の金銀山の統轄や、関東における交通網の整備、一里塚の建設などの一切を任されていたのである。現在知られる里程標、すなわち1里=36町、1町=60間、1間=6尺という間尺を整えたのも長安である。
これら一切の奉行職を兼務していた長安の権勢は強大であったと言われる。また、7人の息子を石川康長や池田輝政の娘と結婚させ、忠輝と伊達政宗の長女・五郎八姫の結婚交渉を取り持ち、忠輝の岳父が政宗となったことから政宗とも親密な関係を築いていたと言われている。そのため、その権勢や諸大名との人脈から「天下の総代官」と称された。この頃、長安の所領は八王子8,000石(実際は9万石)に加えて、家康直轄領の150万石の実質的な支配を任されていたと言われている。
慶長17年(1612年)7月27日、中風にかかり、家康から烏犀円を与えられている(『駿府記』)[4]。
しかし晩年に入ると、全国の鉱山からの金銀採掘量の低下から家康の寵愛を失い、美濃代官を初めとする代官職を次々と罷免されていくようになる。さらに正室が早世するなどの不幸も相次ぐ中で、慶長18年(1613年)4月25日、中風のために死去した[5]。享年69。
長安の死後に生前の不正蓄財が問われ、また長安の子は蓄財の調査を拒否したため、慶長18年(1613年)7月9日、長安の嫡男・藤十郎(37歳)、次男・外記(36歳)、三男・青山成国(30歳)、四男・達十郎(29歳)、五男・内膳(27歳)、六男・右京長清(23歳)、七男・安寿(15歳)、以上7人は切腹となった。また縁戚関係の諸大名も改易などの憂き目にあった(大久保長安事件)。
ほとんど外様に近い立場から[6]老中(加判)に就いた唯一の人物であり、その謎めいた生涯は多くのフィクションの対象となっている。
無類の女好きで、側女を70人から80人も抱えていたと言われている。
金山奉行などをしていた経緯から派手好きであり、死後、自分の遺体を黄金の棺に入れて華麗な葬儀を行なうように遺言したという[7]。
東電は、平成20(2008)年2月ごろに有識者の意見を求めたところ、「福島県沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できないので、波源として考慮すべきであると考える」との意見が出されたことを受けて、遅くとも平成20(2008)年5月下旬から6月上旬ごろまでに、地震本部の長期評価に基づき、福島第一原発2号機付近でO.P.+9.3m、福島第一原発5号機付近でO.P.+10.2m、敷地南部でO.P.+15.7mといった想定波高の数値を得た。しかし、武藤副本部長ほかは、津波到来の緊急性は低いと考えた[74]。
この文章より東京電力は2008年頃には第一原発に15.7mクラスの津波が到来する事がわかっていた事がわかった。
さて、今回の考察では、この報告を受け入れたとして東電が堤防のかさ上げ工事をした場合3.11に間に合ったのかどうかを検討したい。
東京電力ホールディングスは、廃炉作業中の福島第1原子力発電所に最大で海抜16mの高さの防潮堤を新設する。日本海溝で巨大地震が発生した場合、建設中や設置済みの防潮堤を越える津波が来襲する恐れがあるためだ。2021年度に着工し、23年度の完成を予定している。
出典元 日経コンストラクション 福島第1原発に最大16mの防潮堤、完成目前の堤防越える津波予測で 2020.09.24
この記事より少なくとも2年程度の工期と1年程度の準備期間が必要な事が読み取れる。
さて、本題だ。
そこから設計+予算取得+施工計画を1年かかるとして2009年4月から工事を開始したと想定する。
最低でも2009年4月頃に工事開始していれば少なくとも1Fの津波被害は防げていた可能性が高い。
しかし、公開資料では実際に堤防にどのぐらいの工期がかかるかが、わからなかった為24ヶ月の設定したがもっと短いかもしれない。
「石の卵」という本を見た子供が、内部に宝石の入った石を探したいと騒ぐので、家族で川原に行くことになった。
ところが、川辺のキャンプ場の駐車場に車を停めて川原を目指して歩いたところ、川原へ通じる小道の全てが封鎖され、「立ち入り禁止」の立札が立てられていた。
車へ戻り、堤防沿いや川にかかる橋を通過してみたりして気づいたが、連休中でしかもいい天気なのに、川原には川遊びをする人々どころか釣り人さえ一人としていない。いつの間にか、川原全体が立ち入り禁止区域になっていたようだ。
そんな訳で石拾いは諦め、翌日、市営のちょっと大きな公園に行った。お目当ては、公園の中心にある池だ。そこではザリガニ釣りと鯉に餌やりをすることが出来るのだ。
公園に着くと、まずは散歩がてらぐるりと一回り。ここに来たのは数年ぶりだが、昔とほとんど変わっていない。芝生や樹木は手入れがなされてさっぱりとした様子。遊具では沢山の子供達が遊んでいる。噴水は十分おきに水を吹き上げる。そこに水着姿の幼児達が水浴びに興じている。
変わった点はというと、芝生の半分くらいは沢山のポップアップテントに占拠されていて、子供達が走り回る場所ではなくなっていたことくらいか。
だが、ふと気がついたが、うちの子供達は既にこういう公園で遊ぶような年齢ではなくなりつつあるのかもしれない。テントの合間をぬうように走り回る子供達より、我が子らはだいぶ大きい。うちの上の子は小学五年生だ。下の子は二年生で小柄な方だが、それでもこの場所では少し浮いているかもしれない。
池に行ってみると、昔のように畔には燕子花が葉を伸ばし、浅瀬は蓮の葉に覆われている。そして、池の中央にかかる橋から池に餌を投げ込んでいる人々がいた。どうやら今も池の鯉用の餌が売られているようだ。
そこで、子供達を連れて公園の入り口まで戻り、管理事務所に入った。昔は事務所の窓口で鯉の餌が売られていたはずだ。ところが、今は販売システムが変わっていた。事務所の裏口で「鯉・カモの餌」と「ザリガニ釣りキット」がそれぞれカプセルに入れられた状態で販売されているのだ。1個100円なり。
昔、子供達がまだ幼児だった頃は、どんなにせがまれても鯉の餌やりやザリガニ釣りはさせなかった。池の深さはそれなりにあるのに、周囲に柵などが全く設置されていないからだ。子供達が池に落ちるのを畏れた。だが、今では子供達も大きくなったことだし、これからはこちらがここへ遊びに来ようと誘っても子供達の方が億劫がるかもしれない。もしかしたら、これが最初で最後の機会になるかもしれないと思った。
子供達は大喜びだ。上の子は鯉とカモの餌がいいと言い、下の子はザリガニ釣りキットを選んだ。鯉とカモの餌は思ったより多く入っていた。ザリガニ釣りキットは、タコ糸の先に小さな鉛の玉とスルメの切れっぱしをくくりつけたものだった。それを園内で適当な木の枝を拾って結び着けて使うのだ。
上の子に私がつき、下の子には夫がついた。私と上の子は池に餌を投げ込み易い、開けた場所に移動し、夫と下の子はザリガニがいそうな、浅瀬で草の陰になっている場所へと移動した。
池の中を泳ぐ魚影は、昔に比べてだいぶ少ないように見えた。だが、一匹一匹がとても大きい。昔見たのよりも全長が倍くらいありそうな錦鯉が、泥水の中を悠々と泳いで行く。上の子はただの黒い鯉よりも錦鯉に餌を食べて欲しいらしく、餌を一粒ずつ、腕を振りかぶって遠投するが、まったくのなしのつぶて。どうやら、鯉達は全く腹を空かせていないらしい。風上の方から、ふやけた餌粒がいくつも漂ってくる。
黙々と餌を投げ続ける上の子の横で、私はしゃがみ込み、時々水底に光る小魚の影や水面を漂う餌粒の合間をすいすいと泳ぐアメンボを眺めた。
「あーあ、全然食べてくれない」
と、上の子が嘆いた時だった。燕子花の葉陰から、カルガモが二羽、クワックワッと鳴きながら泳ぎ出て来、水面に浮かぶ餌粒を食べ始めた。ただ水の流れ任せにたゆたっていく餌粒を、カモはまるで生きている虫を捕まえるかのように、律儀に大げさに嘴を左右に振って、食んだ。そして、クワックワックワッと、まるで我々のことを「餌くれる人」と理解しているかのように見上げて鳴くのだ。時々田んぼの近くを散歩中に見かける彼らとは、ずいぶん態度が違う。用水路に浮かんでいる時の彼らは、人の気配がするやいなや、バタバタと飛び立ち、逃げてゆくというのに。人を見分けているというより、場所を見分けているのだろうという気がする。
間近で見るカルガモは、思ったよりも目が顔の中心よりも上にあって、しかも目付きが鋭い。剣呑な目の真ん中の瞳孔は、鳩のそれと同様に虚ろだ。確か、渡辺崋山だったか……、江戸時代の終わりごろに、師匠の絵を手習いにするのではなく、自然の花鳥風月を直接手本にして描く絵師がいたけれども、彼らの観察眼はかなり自然に忠実だったのだなあと、しみじみ思う。今目の前にいるカルガモは、私の子供時代にワイドショーで持て囃されていた、雛を沢山連れて道路を横断するカルガモの親よりも、江戸時代の写実画によく似ている。
上の子は、鯉を狙って餌を投げつけている間に投球のコントロールがよくなり、高確率でカモの真正面に餌を投げ込んだ。ところが、そういう時に限って、カモ達の食い付きは悪い。上の子の贔屓は、二羽のうちの後方にいる方で、これは前方に出て盛んにクワックワッ鳴いて餌を強請る奴よりも小柄で控えめに見えた。上の子は手前のカモに一粒投げたら、後ろのカモに二粒連続で投げた。だが、後ろのカモがきょとんとしている隙に手前のカモが自分に投げられた餌そっちのけで後ろのカモの分を横取りしてしまう。
上の子が文句言い言い餌を投げる。ぼんやりと浮かぶだけの後ろのカモと、その周りを忙しなく動き回って餌を独占する、手前のカモ。後ろのカモがこちらに真っ直ぐ顔を向けたままほぼ動かないので、真正面から見たカモの顔つきの不気味さがよく見える。ウサギなんかと同じで、目が顔の左右に着いているので、真向かいに向き合っても視線が合うことはない。カモのような鳥が真正面から絵に描かれることが少ないのは、我々人間の顔とは違う顔をしているからであり……はっきりいって、正面から見ると別に可愛くないからでもあるんだろうな。
と、考えていてふと気づいた。単に視野の問題なのだ。私は上の子に餌を一粒貰い、後ろのカモの左脇を狙って投げた。すると、すかさず手前のカモも反応したが、後ろカモは横取りされる前に餌を食べた。やっぱり、目の前に落ちた餌は、見えないので気付き難いようだ。後ろのカモに与えようとして投げた餌はちょうど、手前のカモの視界をよぎって飛んでゆく。
そのことを上の子に伝えたところ、上の子は二匹のカモに代わる代わるに餌を食べさせることに成功した。
カモ達の食欲は底なしに見えたが、少しすると食べ飽きた様子で、餌を拾うのを止めてただ水を嘴で掬って飲んだ。水を飲むときは首を真上に長々と伸ばして、軽く嘴を左右に振りながら嚥下する。
ふと、後方のカモがブルッと尻を振った。茶色い水中にあってもオレンジ色の鮮やかな、しんなりとした脚の周りを白いもやが漂っていく。
「すごい、うんちしたー!」
なるほど、カモは水面に浮かんだままで排泄をするのか。野鳥の排泄なんて、カラスが電線から飛び立ちざまに排泄をしてゆくところくらいしか見る機会がないので、いいものを見た気がする。Eテレの動物番組でも、なかなか映さないのではないか。せいぜい、ツバメの雛が親の顔に尻を向けて、ゼリー状に固まった糞を排泄して、親に糞を巣の外に捨てて貰う場面くらい。
そういえば、冬に下の子を連れて散歩をしていたら、田んぼの真ん中でアオサギが糞をしているのを見かけた。まるで水道の蛇口のように、長々と糞を噴き出し続けていた。食ったらすぐ全部排泄する。それが空を飛ぶ鳥の習性だ。
餌を全て投げ終わったので、夫と下の子の所へ行ってみると、下の子はザリガニが全然釣れないと愚図っていた。下の子はすぐに癇癪を起こすが、案外粘り強い性格なので、取れないが食い付きはするからと、釣り上げるまで諦めないと言った。だが、夫の方が気短なので、早く帰ろうと言い出した。
夫は、釣り場選びから釣糸の垂れ方まで下の子に口出しをしただけでもう疲れたらしい。池の周りには、夫と同じように子供以上にマジになってしまった父親達と、うんざりして別のことをやり始めた幼児があちこちにいる。
どうしてもザリガニが釣れないので、鯉とカモの餌をもう一つ買って下の子に与えた。カモは目が左右に着いているため、真横はよく見えるが真正面はよく見えないようだ、と教えると、下の子はカモの体側にぶつけるように餌を投げた。カモは即座に反応してくるくる回りながら餌を取った。下の子がそうして黙々と餌を投げてると、やはりザリガニ取りに飽きたらしい幼児が我々の横にとことこ歩いて来て、ハルジオンの花をカモに向かってぽいぽい投げた。数メートル先の池畔では、その子の父親が虫捕り網を手に持って、
と怒鳴っていた。
帰宅後、釣果が何もなかったので、日記が書けないと下の子が愚図った。でもカモに餌をやったじゃないかと宥めすかせ、日記を仕上げさせた。絵は下の子が自分で描いたが、文章はほとんど私が書いたようなものだ。カモは横から餌を投げられるとよく食べる、と。カモの様子ばかりで「楽しかったです」や「面白かったです」などの自分自身の気持ちが一言も書かれていない絵日記。そういうタイプの絵日記を、学校の宿題として提出するなんて、子供時代には思いもしなかったなあ。
そうだね。だから、ジュネーヴ条約第1追加議定書によって禁止されている。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/k_jindo/naiyo.html
○ 軍事目標主義(軍事行動は軍事目標のみを対象とする)の基本原則を確認(第48条)。
○ 文民に対する攻撃の禁止(第51条2)、無差別攻撃の禁止(第51条4-5)、民用物の攻撃の禁止(第52条1)、攻撃の際の予防措置(第57条)等に関し詳細に規定。
(その他の主な規定)
・危険な力を内蔵する工作物等(ダム、堤防、原子力発電所)の保護(第56条)
・非武装地帯(第60条)
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/gian/159/meisai/m15911159011.htm
十七、危険な力を内蔵する工作物等、すなわち、ダム、堤防及び原子力発電所は、これらの物が軍事目標である場合であっても、攻撃によって文民たる住民の間に重大な損失をもたらすときは、攻撃の対象としてはならない。
去年も一昨年もなんやかんや言って帰れんかったし俺その前の年も仕事あったから集まりさぼるわ言うて帰らんかったんな。せやから都合三年ぶりくらいになんのかな?三年前の盆以来かな。いやちゃうわ、じいちゃんが死んだで九月に一回帰ったんやった。いやでもじいちゃんの葬式もほとんど斎場にいったみたいなもんやったし、何言うて俺じいちゃんの霊柩車乗ったくらいしか覚えてへんわ。ばあちゃんのときは家で死んだから寝ずの番とかしたけど、じいちゃん骨折してからずっと入院しとったし。
地元さえげつない田舎やねんけどさ、いやもうほんま今お前が想定したのの三倍くらい田舎なんやんか。ぼく人に地元のはなし言う時絶対言うねんけどトトロ。トトロおもいだして?あれ。あれの村の感じよ。マジで。信号機とかもなんもないの。舗装はされとるけど、農道やでされてないと困るってだけよあれは。トラクタとかがぬかるんで足取られたら動けやんから。
そんで帰ってさ。うちの実家割と適当やから別にようあるほら、実家帰ると無限に食べもんでてくるとかそういうのもなくてさ、母ちゃんも父ちゃんもあー帰ったんみたいな感じで、ゆきちゃんの散歩してきて言うてきて。三年ぶりに帰った息子に犬の散歩てと思ったけどまぁ犬は可愛いから散歩いくやんか。ゆきちゃん。しばいぬ。かわいいで。年とって目ぇ悪いねんけど、家のまわりは散歩するから、まぁ久々やし戯れましょかねいうて。
そんでねぇ、トトロいうたけどウチん家はさつきとメイの家みたいぽつんと一軒家ではないからさ、集落の中にあんねやんか。で犬連れて歩いとると火の見櫓のとこの市川さんちの息子が帰ってきたわ言うてその辺のじーちゃんやのばーちゃんやのがえろう気楽に声をかけてくるんやんか。俺も慣れてるからまぁなんやはいはい言うて、あんたえらい髪の色なったなとかさんまいの坂の上のサキちゃんも帰ってきてんでとかまぁどうでもええこと教えてもろてさ。そう在宅ばっかになったからええやろおもて年末に髪ピンクにしててんさ俺。もう色ほぼ抜けてもてキンパやけどな。あとで染めたての写真見せたろ。
ああでそうさっきも言うたけどうち去年じいちゃん死んでんさ。ばあちゃんが死んだのも最近の話やったからまぁえらいことやったねみたいなことを言うてもらったんね。ほんまにねぇこの大変な時期に色々お世話になりましたぁいうて。ええなんもなんもみたいなさ。いやあれ田舎スイッチな。俺も田舎帰った瞬間そういう会話できるようになんねん。ふしぎやにあれマジ。田舎に育ったもののみ培われんねんてそういうやつ絶対。
そんな感じでまぁじじばばとしばらく立ち話してんけどむっちゃ寒いし、いや風がまじでやばくて、今年うちのほう正月雪ちらついてていやもうあかんあかんこんなとこで立ち話しとったら死んでまうわ!なって、もう犬もほとんど帰りましょか?みたいな顔してたからさ、んじゃよいお年をー言うて帰ろとしたらさ、ばばの一人にあんた散歩行くなら堤防のほうはいかんときなにって言い含められて、そんなん怖い話の導入みたいやん?なんでですか?言うて聞いたんけど、どうも狐が出るからっつってもうえげつないしかめっつらしてんさ。堤防。さんまい向こうのかいとからちょっといったとこにダムっていうかでかい溜池があんのよ。トトロでメイちゃんがおらんなった言うて竹でさらっとったみたいな。なんでもトトロかっちゅうかんじやけど、まぁほんまにああいうね。柵とか何もないの。子供落ちたら全部死にそうなんやけど、いまだになんもされんのよねあそこ。俺のときは登校班五人くらいやったからまぁわかるけど、今結構子供おるらしいしあぶなないんかな。しらんけど。舗装もされてないし、私有地やったりするんかな。わからへん。
で、そのへんの近くのはたが荒らされる言うて、罠かけたら狐がかかったんてさ。狐やで群れではないやろけど、それでも一匹だけかはわからんで近寄るなって。そういや姉ちゃんがLINEで狐見物に行ったとか言うてたしああそれかぁっつって。いや娯楽がないのでね、なんや知らん動物がかかったぞ言うて人が集まるのよ田舎は。
そんでまぁ、きつねがおるから近寄るなて、日本昔ばなしか!言うて。完全に世界観がむかーしむかしー言うてるのよ。でもエキノコックスとかあるやん?なんの病気持っとるかもしらんし、その辺に糞だのなんだのあってゆきちゃんが変なんもろたら困るのはほんまに困るから、そのままばばの言うとおり堤防のほうは行かずに、さんまいの辻のとこで回って隣の集落とのさかいまで行って帰ろうとしてんさ。
うちの村と向こうの村の境ってすごい坂になってんのよ。昔は崖やったらしいに。こう、うちの集落がちょっと小高い丘みたいなってるのね。で、こう、もう無理やりコンクリで坂にしました!みたいな無茶な坂があんねんけど、そこの麓に一個畑があって。ちょうど…またこれもトトロやねんけど、あれの感じのぽつんと一軒屋みたいな家に住んどるじいさんだかがちっちゃいみかんの木とか、なんや野菜とか、じぶんちで食べるぶんだけ作っとるみたいなちっちゃい畑なんな。なんか最近お孫さんができたんかしらん、木の下に芝生みたいなん敷いてあってちょっとした遊び場になってるし、別にへんな畑とかではないよ。
ただ、あのーこれ田舎あるあるやねんけど、各畑に農機具とかをしまっとくちっちゃい小屋があったりすんのね。あと雨水ためとく古い風呂桶とか。まぁ風呂桶はええねんけど。で、農機具って言ってもクワとかシャベルとか、ふつうに盗まれたら困るし、あとほら、刈払機とかはチェーンソーとかおいてるとこもあるからあぶないんね。鍵掛けとかんとあかんやん。でその畑は廃車なったハイエースおいてたん。まぁ鍵もかかるし、休憩したいときには座席もあるしみたいなかんじなんかな。しらんけど。
さっき狐の話聞いたばっかやし、それでなくとも野犬とか怖いやん?ゆきちゃんはよぼよぼやし。俺が守らな!なって。あわててリード引っ張ってゆきちゃんだっこして、ただゆきちゃん、ボンレスハムみてぇなぱつんぱつんのしばいぬやから、めちゃ重いねん。しかも抱っこがきらいなんやん。もう、なに?全然だっこに協力的じゃないのね?手足がジャキーンなってでけぇ飛行機だいとんか?みたいな感じで、ひっくり返って転んでもてん。くそだせぇんやけどほんま。ずてーんいうて。重たー!いうて。
で慌てて起きたら、ハイエースの下から出てきたやつのほうもなんや急におるやつがバタバタしてずてーん転んでびびったんかしらんけど、ブシュッみたいな鳴き声して道の向こうの方逃げてくところやって、あーよかったーってなったんやけど、ビョインビョインて跳ねるみたいに逃げてくそれがさ、でも、どうみても狐じゃないんよ。
しっぽはひょろっとしてて、毛ぇもまばらで、目のところが真っ赤になってて。なんかぼつぼつがびっしり体中についとって、さぶいぼみたいなってて。なんか病気みたいな格好やったん。いやもーあれいややったー!ぼく無理やねんてああいうブワッてこまかいのなってるの。今思い出してもおぞけする。
でもそれよりウワッておもたんが、そのさ、訳わからんなんかのちょうどこの、みぞおちのあたり?ふとももの上へんやったかな?そのへんにさ、ふたつ、まるい輪っかがふたっつついとったん。そこだけ生き物の造形じゃないのよ。なんか急に人工物で、ナマモノぽくなくて、あれなんやったんやろって思いながらもうほんま怖かったしびびったしでもう速攻で家帰った。ゆきちゃん?いやもう俺がどたばたしてるあいだずっとなんですか?みたいな顔しとったわ。あほ犬やから。そこがええねんゆきちゃんは。チャームポイントやねん。あほとへちゃむくれとデブがチャームポイントやねんゆきちゃんの。あと自分のしたうんこをたべるところ。
そんで帰ってさ。まぁ当然話するやん家族に。さかいとこの坂の下の畑にへんなんおってさめっちゃ怖かったわー!いうて。父ちゃんが皮膚病かかった狐かたぬきかちゃうか言うて、寄り合いだのに連絡しとくわってなって。ゆきちゃんが退治してくれたんか?そんなわけないやんゆきちゃんはぼけっとしとったわ、わしが慌ててゆきちゃん抱えたらくっそ重いでひっくりかえってんぞ言うて。
その時はそんで終わって。まぁあれはえらい話やったねって感じやったんやけど。
年明けてから、俺がそろそろ帰ろかなくらいの時期におかんに裁縫用のハサミのカバー作ってくれって言われて。あのー俺レザークラフトやるやん。フェイスブックみたらしくて、ずっと使ってたんがほころんでしもたからあんたこんなんつくれんかって言われて。道具も何も向こうやでじゃあそのハサミの採寸だけやっとこかって母ちゃんにハサミもってきてもらって色々触っとるうちにふと気づいたんやけどさ、あのへんなんについとった丸いやつ、こういうでかいハサミのハンドルそっくりやったなって。ブスって横っ腹にこういうハサミをぶっさしたらあんなんになるんちゃうかな、ておもて。
いややなぁ、なんかあれ、ほんまいややったぁ。
20点。
偉そうなのはお前だろ。態度のデカさを非難するなら自分はへりくだらなきゃ意味がない。
これじゃ、脳のスペックが低いただのバカが、即落ち2コマ喜劇を演じてるようにしかみえない。
かといって、本論は真面目に打ってるらしいからで笑いを取るためにワザと自虐しているようにも見えない。
「男の所得を上げるのではなく、結婚した女性の所得を上げるじゃ何でダメなんですか?」
→ 2.結婚した女性は仕事に男性ほど熱心にコミットしない人がザラに居る。専業主婦を希望する女性なんかごまんといる(男性だって養ってくれる配偶者がいるなら希望者結構な割合いるだろうし)。
…なぜ自説を自分自身で論破しているのか🤔 養ってくれる配偶者がいるからこそ、自分は家庭の仕事に専念する。マルチタスク的にいくつも仕事を抱えたくない人は男女関係なくいるだろうし、注意力の制限がある以上、それはそれで合理的でもある。弱さを明らかにするのは誠実ではあるものの、論を表に出す前に反論に耐えられるレベルまで磨く必要がある。草稿を添削するケアワークを無料で赤の他人の女性に求めるな。
→ 3.自分一人でほぼ世帯を支えられるほど高収入の女性ですら配偶者に自分と同等以上の収入を求める。
…結婚時に男性の収入を補うためのバフをかけるって施策は過去に提案された事がない。その場合でもまだ同等以上の収入を求めるかは不明のはずだ。女性全体の内心を解説できる女性博士のお前は、なにものだ? 「女性は男性に比べ、自分より収入低い配偶者に我慢出来ないみたい。」お前がそう思うんならそうなんだろう。お前の中ではな。現実はむしろ逆の意見の方がよく言われているだろ。「男は相手の女が自分より収入が高いと我慢できない」
「月20万上げてくれるなら年収300万の男が540万の男に早変わりするんですよ?ことは同じじゃ無いですか?」
→ 全然違うよね。…女に自立的な仕事や収入を与えずに男の従属物みたいにして男が収入を独占してる家族形態は人口増加率ヤバい。中国みたいな統制的な国でも女性が高学歴高収入になると凄いスピードで出生率低下する。
…「結婚した」女性の収入を上げるって提案だったろう。Q 川の氾濫を解決するのに川底を下げるのも堤防を上げるのも同じなんじゃないですか? A 全然違うぞ、世界にはダムを改良して解決した国もあるぞ。
——なんのことはない、全然違うのはお前の上げた反例風豆知識だ。女性の主体性を奪えば人口問題解決、女性の収入が上がったら逆に人口問題悪化。だったらどうした。もとの質問は男性の収入増強分を結婚後の女性に移動するならどうって話だ。イスラム教国家の例なら家庭の男性の収入が女性に移動した場合は問題が悪化したみたいな例示がないと関係ない屁理屈で話をそらしてるに過ぎない。
理屈の詰めすら甘い
笑う。
第5波の感染爆発がオリンピックと無関係とする説は、デルタ株の感染力の強さが原因と考えるのが主流のようだ[1]。
デルタ株の感染拡大がたまたまオリンピックと重なっただけなのだ、と。
現在、全国各地に広がっているデルタ株の系統で最も初期のものは、ことし5月18日に首都圏で海外渡航歴がない人から検出されたウイルスだったと分かり、さらに調べると、これとよく似たウイルスが4月16日に空港の検疫で見つかっていた[2]。
一方で、ことし5月ごろ関東や関西、中部、九州などで確認されていた、海外から流入したとみられるデルタ株のクラスターの多くは大きな感染拡大につながらず、7月初旬ごろまでにはほぼ収まったとみられる[2]。
もしデルタ株の感染力の強さだけが感染爆発の原因ならば、オリンピック期間中より人流が多かった5月、6月に感染爆発が起こっていたはずだ。
現実には感染爆発につながった遺伝系統以外のデルタ株は7月初旬で収束していた。
そして感染爆発した系統もオリンピックの開始を待つように急速に感染拡大した。
オリンピック開催によって、感染拡大防止のための堤防のどこかが決壊したと考えるしかない。
国立国際医療研究センターの大曲貴夫氏の指摘どおり、オリンピック開催に伴い局地的・一時的に密な状態が生まれた事実は否定できない。
ここではもうひとつ、国民の側の感染防止策に対する意識がおろそかになった可能性を指摘しておく。
5月から6月にかけて、オリンピック開催、さらに有観客開催を主張する中で、感染拡大防止策を軽視するかのような無責任な言説がまき散らされた[3][4]。
「国民にあれするなこれするなと要求しておきながら、自分たちはやりたい放題か。付き合ってられねえ。」
このように考えた人を責められるだろうか。
個々の国民にとっての帰省は、アスリートにとってのオリンピックと同等以上の価値があるかもしれない。
あるいは1年半近く慣れないライフスタイルを強要されてきた国民の中に、
「なんだ、これまで活動自粛だの、会食回避だのしてきたけど、感染防止策とか関係なかったのか。」
と受けとめる人が現れても不思議ではない。
不慣れな行動を意味も十分に理解できないまま強要されていること自体がストレスなのだ。
人は基本的に見たいもの、耳当たりのいい情報に流される(何より、政治家とその取り巻きはその権化ではないか)。
当局が矛盾したメッセージを国民に発信すれば、国民の感染拡大防止策に対する意識が弛緩するのは当然だ[5]。
とはいえ、新型コロナに感染して損をするのは間違いなく私たち自身である。
無責任な当局関係者や御用言論に惑わされることなく、感染防止策の基本をもう一度肝に銘じたい。
新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見(令和3年7月30日)
https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2021/0730kaiken.html
[2]デルタ株“1つの起点から全国拡大か” 国立感染症研究所が分析
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013183971000.html
[3]観客上限1万人 規模縮小でも有観客に踏み切った首相
2021/6/21 21:07
https://www.sankei.com/article/20210621-23SHMAUX2RIENACWHNH4UWVCIA/?outputType=theme_tokyo2020
[4]緊急事態宣言は「屁みたいなもの」 「さざ波」発言の高橋洋一内閣官房参与がTwitterに
国立国際医療研究センターの大曲貴夫氏がオリンピックに伴う人流増加、密状況の発生を指摘した。
これに小池都知事がエビデンスベースでは人流は減っていたと色をなして反論したことが話題となった[1][2]。
小池都知事に対して、すでにネット上でも多くの異論が示されている[3]。
オリンピック期間中人流が減少したというのは全体の平均値に過ぎない[1][2][4]。
大曲貴夫氏は、オリンピックイベントに合わせて局地的・一時的に密な状況が生まれたという事実を指摘したのだ。
そして、ウイルスが伝播するには、その程度の範囲・時間密になるだけで十分だ。
仮にオリンピックによってむしろ人流が減たと小池都知事の主張を無条件に承認するとしよう。
しかし、オリンピック期間中に感染が爆発的に増えた事実は変わらない。
感染拡大防止策という堤防のどこかが決壊したから、ここまで感染が拡大したのだ。
人流を減らすというのはきわめて重要なポイントの一つだが、それが全てではない。
小池都知事の強弁は、堤防が決壊して洪水が起こっている状況を無視して、別のよく決壊する部位は壊れていないと主張するようなものだ。
あたかも奇術師がトリックから目をそらすため、見られても問題がない動作を大げさに行いそちらに人目を集めるがごとく。
今やるべきことは、決壊した部位を探して穴をふさぐことだろう。
8/13(金) 18:15配信
https://www.asahi.com/articles/ASP8J220HP8HUTIL01Y.html
[3]例えば、単発の発言ではなくまとまった論考として
コロナ感染爆発、五輪との因果関係を頑なに否定する小池都知事が示す“エビデンス”の空疎さ
https://biz-journal.jp/2021/08/post_245767.html
[4]東京都内における繁華街の混雑状況および滞在人口(人出)の増減状況
https://www.seisakukikaku.metro.tokyo.lg.jp/information/corona-people-flow-analysis.html
令和2年7月豪雨で床上浸水した。想定外のことが起こりまくったので、いままさに大雨にあっている、あいそうな人に向けて避難を推奨する文を書いておく。
8/15追記:被災にあってしまった後、何が起こるか、どうしたらいいかを書いた→https://anond.hatelabo.jp/20210815211223
7月4日午前3時か4時頃 スマホの非常アラームにたたき起こされる
7月4日午前7時30分 家の周囲が5㎝くらいの水深になる(いつもの大雨と違うことを察知)
7月4日午前9時30分 家の周囲が3mくらいの水深になる、床上1.5mの浸水
~このあたりからネット回線と電話回線がしぬ。停電になる。ガスが止まる。
7月4日午前10時 水深2.5mくらいになる、そのあと徐々に水が引き始める
7月5日午後1時 ほぼ水がひく
~一度回線生き返るがそのあとすぐしぬ(これを最後に1週間くらい使えなくなる)。電気復活。
そのときの市の様子 https://www.youtube.com/watch?v=la-2FIObzW0
洪水になるような地域は正直普段から雨が多い。過去何十年かの間にちょっと近くの地盤低いところが洪水になったこともあると思う。
だから大雨警報程度だとたぶん危機感はない。なんならスマホが非常アラームをならしても、まあうちは大丈夫だろうと思うはずだ。
ただ、大雨特別警報と線状降水帯は別格だと考えておいたほうがいい。気象庁が緊急会見をするやつだ。これはまじでやばい。過去の経験はなにもあてにならない。
この警報がでたら速攻で家や町の状況に応じた対応をとることをおすすめする。
洪水時の避難において、いざとなってからでいいや、とか床下浸水まできたら避難するか、といった悠長な考えは許されない。取り越し苦労になってもいいから、やばいと思ったらすぐ避難が鉄則。
うちの場合2時間で3m近く周囲の水深があがっている。めちゃくちゃ単純に計算すると、1時間で1.5m、30分で75cm、10分で25cmだ。
堤防が決壊してからの水深の上がり方は半端ではない。まじで一分一秒の勝負である。
堤防が決壊した場合、穏やかな浸水などではない。すべての道路が河川になると想像してもらうのが一番近い。めっちゃ流れがある。泳いでなんとかしようなんて生易しい考えは通用しない。
大抵の場合、田舎は避難所まで車で10-30分かかることもザラにあると思う。そういうときは無理せず近所の山に登るほうがよい(ただし土砂崩れリスクの高いところは避ける)。
なお車は数十センチの浸水で動かなくなってしまう。避難途中で車が動かなくなり、水圧でドアもあかなくなり、どうしようもなくなってしまう場合がある(知り合いに何人かいるくらいの発生率なので、結構な数こういうケースが発生した可能性が高い)。
10分で25cm水深があがったことを踏まえると、避難するか10分迷った場合、その迷った分のタイムロスですでに車では避難できない状況になっている(もしくは避難途中で立ち往生する)。
そこからは徒歩でなんとかするか、ただひたすら水が入ってくる車内で助けがくることを信じて祈るしかない。絶望。
落ち着いて数日間引きこもれるだけの食料があるかを確認する。非常用食料の場所を確認して手元に置いておく。もし近所にスーパーやコンビニがあれば買いに行ってもいいが、警報がでる段階だとさすがに閉まっている場合が多いので、買い出しの必要があれば早めに行くほうがよい。
1階にある貴重品や食料はすべて2階以上の高さに運んでおく。2階もやばそうなら3階に運び込む。
3階以上に住んでいても駐車場は大抵の場合1階にあると思う。車は数十センチ水に沈むと機関部がしぬ(可能性が高い)。なので、もし近くにパチ屋の立体駐車場があるならば、そこに停めに行くのがよい。もし近くに高台があればそこでもよい。まったくない場合は、洪水が起こらないことを天に祈る。
グレー。地域によるが、川や用水路が近い場合は早めの避難を推奨する。
2階にとどまることを決めたならば、1階にある貴重品や食料はすべて2階に運び込む。
うちの隣町は2階まで浸水した。親戚は自宅の2階に避難していたが2階まで水がきたため水に浮かびながら鴨井(であってるかわからんけどふすまの上のサッシ的な部分)につかまってなんとか凌いだそうだ。怖い。
なお車は上記の通り。雨がひどくなる前に高台に避難させておくのがよい。
水がくると途中で室内にはいれなくなるのでなんとか窓をあけて屋根に避難することになる。が、この屋根に避難するというのが結構ネックで、川が決壊した場合は水に流れがあるので屋根に上るのは結構難しい。体力や筋力が衰えているお年寄りだとなおさら。屋根に上れず流されることもある(そしてそれはほぼしを意味する)。
洪水が始まると水が増えるのはめちゃめちゃ早い。そして周囲の水深が30cm程度になるともうドアはあかなくなる。つまり詰む。だから警報がでたら早めに避難所にいくべき。もし避難所が遠くて避難が間に合わないなら、近くのアパートや高台に行くか、ご近所さん(少しでも高い建物に住んでいる人)に頼んで避難をさせてもらう。それしかない。
位置関係にもよるけど結構やばい。というのも漂流物がめっちゃくる。
乗り捨てられた乗用車やきっと駐車場にとまっていたのであろう車が流れてくる。最初にいったけど、堤防が決壊した場合、穏やかな浸水などではなく、すべての道路が河川になることを意味する。ので、大きい道路沿いの場合はめっちゃいろんなものが流れてくる。最悪なのが製材所があることで、でかい丸太とかが流れてくる。家のガラスとかにあたると当然割れる。めっちゃ危ない。
丈夫な家ならいいけど、ちょっと構造に不安があるなら2階3階でも逃げたほうがいいと思う。
うちだと電話回線、ソフトバンク、auはしにました。docomoだけかろうじてぎりぎりずっと使えた。
うちは家族そろってソフトバンクユーザーだったのでぶじしんだ。周囲が1メートルほど沈んだ時点で使えなくなり、そのあと正午ごろ復活、そのあとすぐダウンして、1週間近くずっと使えなくなった。
家族でみんな同じキャリア使うとお得になるキャンペーンとかあるけど、災害時のリスク回避という観点だと、ばらばらのキャリア契約するのはアリ。ほんとに。
何が困るって安否確認がまったくとれない。幸いにも停電は一時的なもので済んだのでテレビで情報を得ることはできたけど。耐えてくれた電柱と電線に感謝。
親戚や遠方の家族はめちゃめちゃ肝が冷えたそうです。ごめんね。。
ただ、停電については、浸水が始まったら速攻でブレーカーを落としておくべき。そして水が引いてもすぐにあげたらだめです。
洪水中と洪水後のこと、特に復帰や給付金の申請についてもまとめたいけど、いったん疲れたのでリリースします。また近いうちに書く。
専門家「このままでは水害が発生するのでは」
治水局長「新しい放水路も完成しており、これまでとは状況が違う。いたずらに不安を煽らないでいただきたい」
与党支持者「まだ河川の水位計は低いまま。そよ風程度で避難するなんて(笑)」
総理大臣「上流域でのダムの建設はおおむね達成したものと考えております」
総理大臣「やはりダムだということで、避難の呼びかけと同時にですね、そうしたことをしっかり全力で取り組んできています」
専門家「避難の呼びかけではなく、ただちに避難命令を出すべきでは」
総理大臣「世界で避難命令を出しても、なかなか守ることができなかったじゃないですか!」
国民「???????????????????????????????」
治水現場「もうダメです、ダムは貯水量の限界に達したので緊急放流します!」
総理大臣「自宅で被害に遭われた方には、救命ボートステーションを設置して対処する体制を速やかに構築するよう関係大臣に・・・」
総理大臣(最近水位計が100%から増えなくなってきたな・・・ダムの効果が現れてきたのでは・・・?)
テレワークとは関係のない職場なのだが、だんだんと人が減っているのに気づくほど空席が目立ちだした。それがなぜなのかは、オフィスでは話題にしないことになっている。
そんなところで昼休憩に弁当を食べていても息苦しいだけなので、最近は外に出て食べることにしている。とは言っても、開いている店自体も少ないので、スーパーでお弁当を買って、堤防に座って、港を見ながら食べることにしている。もちろん直射日光が当たって暑いけれど、それでもオフィスにいるよりはましだ。
最寄りのスーパーのデリカコーナーに行くと、最近はSDGs弁当というものがあって、わりとよく買っている。蓋を開けると無闇に糸を引くところが普通の弁当と違うくらいで、味はわりとよい。最近は、冷たいジャスミン茶とあわせて買って堤防へ行くのがマイブームだ。
港に泊まっている船や釣りをしている人を眺めながらお昼を食べていると、いつもと何も変わらない景色なのにな、と思う。夏休みの予定はまだ決めていない。今月、夏休みを取っても意味があるのだろうかという気もしないでもないが、休むために取るのだからそれでいいと思い直して、何もしないことにしようかと思っている。
中小の結婚相談所は、自社の会員だけでは中々マッチングが成立しないので、同業他社と会員データを共有してお互いに紹介し合っているが、うちの若い女性会員に、他の相談所の仲人さんから、40代、ときには50代の男性からの打診が来ることがある。
うちは会員本人から特にと希望がない限り、紹介するお相手の年齢差は原則プラマイ3年まで。それより年上男性から女性への打診はすべてコーディネーターが堤防となってお断りしている。
そうしなければ、女性会員の精神的ダメージが蓄積してしまうし、若い女性が高齢男性から言い寄られることの疲弊は想像以上のものがあるからだ。
他の結婚相談所も、良心的なところは我が社と同じ方針をしており、年の離れた中高齢男性から若い女性への申し込みは社内でシャットアウトしてくれて、他の相談所には迷惑をかけないようにしている。
しかし、仲人やコーディネーターが、男性会員の「言いなり」になって「伝書鳩」に成り下がっている相談所がある。
従って、特定の同じ相談所から、年の離れた年上男性会員からの打診が寄せられる現象が発生している。
お見合いに至る確率は0パーセントだってわかってるくせに、よくやるよ。
その手の相談所は、ご年配の男性会員の御成婚を心から願ってサポートをしているのではなく、「金づる」か「養分」としか見てないのだろうね。