はてなキーワード: vtUberとは
推しが死んだ。
死んだ、というのには語弊がある。彼はただ私たちには観測できなくなっただけでこの世界に生きている。名前を出していいのか分からないのでぼかしたが、先日活動を終了した某vtuberのことである。
私が彼を観測し始めたのはちょうど活動終了を発表した頃で、リアルタイムで追っていたのはわずか数週間にすぎない。グッズだってボイスだって僅かながら出ていたものを集めただけで、推しと呼ぶにはあまりにも些細なものかもしれないが、便宜上推しと呼ばせてもらう。
そのほんの短い一ヶ月の間に私は彼に落ちた。配信もリアルタイムで追える時は追っていたし追えなくてもアーカイブを見た。彼を描く真似事までした。けれど彼は逝ってしまった。生きる、という言葉と無数のアーカイブだけを残して。
正直居なくなったことに実感はわかなかった。私は新規のオタクだから彼のチャンネルには無数の未視聴のアーカイブが残っていたしそれを見ていればまたたくまにおすすめが彼のアーカイブや切り抜きで埋まった。初めての彼に触れることはそう難しいことではなかった。
それと同時に私は中の人にも興味を持った。vという文化の中で中の人の話をするのはタブーと言われているが、私は彼の中身に興味があったからだ。彼の中身は一ヶ月ほど活動をしておらず、それから稼働し始めた。新しいアーカイブ、新しい情報。中の人とvは違うのはわかっていたが、それはそれで楽しかった。
だけど最近になって彼の引退後の動画が二本立て続けに公開され、彼のいないまま誕生日を迎えた。新規の彼はもう摂取できないという悲しみと、けれどやっぱり動く彼は可愛くてひたすらに筆をとった。そして誕生日が来た。
私も数日前から用意をして、投稿して、無数の作者が彼を描いて、楽しかった、楽しかったはずなのに。彼の箱内の人物は誰も彼の誕生日に言及しない。辛うじて一つだけRTされたイラストがあったのみだ。彼の誕生日は確かに祝われている。しかしそこには祝われる対象であるはずの彼が存在せず、主役不在のまま私たちは祭りを続けた。
何をやっているんだろう、と思った。彼はもういないのに、一体何にすがろうとしているんだろう。新規の私でもこんななのに、昔から界隈にいた方は辛かったに違いない。実際、青鳥のTLでは喜びや感謝と共に彼が居ない苦しみや悲しみが吐露されていた。
ぷつんと糸が途切れたのは、中の人と呼ばれる人が配信を始めた時だった。私はそこに居られなくなり携帯を閉じて一人悶々としていた。中の人がいるのは初めからわかっている。インターネットの海に彼は存在しない。わかっていた、わかっていたはずなのに。
多分私が彼が死んだのだと理解したのはその時だったように思う。生きると言った彼を死んだと表現するのは不謹慎だし許されることではないのかもしれないが、彼はもうここにはいないのだ。私たちが祝っていた彼の誕生日はなんの晴れやかな日でもなかった。
とりあえず、私は中の人を追うのを辞めようと思う。そもそも、中の人に彼の偶像を求めるのが間違いだったのだ。彼は彼でしかない。中の人は中の人でしかない。わかってはいたはずなのに、わかっていなかった。
正直、あんなにたくさんあるアーカイブも、今もまだ亡霊になってしまう私たちや、これから彼を知る人にとって惨いと思う。あれがなければ私はとっくに彼を探そうとするのを辞めていた。だけど彼が好きだから消されたら困る。あまりにも矛盾している。
明日には前言撤回しているのかもしれないが、とりあえず決意を込めて。匿名だからとタブーに触れてしまったかもしれないのは本当に申し訳ないと思っている。誕生日おめでとう。素直に祝えなくてごめん。ケーキは勝手に食った。
それはわかる
理系の
VTuberさんが3D配信で数式を解説してたりするけど、そういう尖ったのがほしい。
3Dで都市工学とか教えてみたり、純粋な娯楽をするにしても目新しいものにしたりしてほしいよね。
姫(お客様)相手に「シャンパン入れてくれ」「次のイベントまでに〇〇万用意しといてくれ」みたいに言える、集金意識が高いホストほど客が切れない。
逆に「無理しなくていいよ」とか「来てくれるだけでうれしいよ」みたいな優しいだけのホストは客がすぐ切れる
ホスト遊びしてるような女って「男のために金を使える自分」が好きなんだろうなって何となく思ってた
みんな「〇〇君、ナンバー(売上順位)上げるために頑張ってるから私も頑張って稼ぐね」みたいなこと言ってたな
フェミニストとして一緒くたにされがちな中にも、明らかな異質性がある。
どんな場合でも常に女性の肩を持とうとするグループ(女性至上主義的フェミニズム)と、その場にいる人々の弱者度を計算して最弱属性の人を擁護するグループ(弱者至上主義的フェミニズム)。
この二種類のフェミニストグループは、宇崎ちゃん問題やVTuber問題のように女性が被害に遭っている場面では、協力して敵を攻撃する。
しかし、女性よりも弱い属性の人がいて、その属性と女性で利害が対立している場面では、二つのグループ間でも激しい攻撃の応酬となる。
2022年10月より ミライアカリがMCを務める音楽番組 が開始されると聞いて思いついたことをつらつらと述べる。
先日活動休止したキズナアイには「未来」のイメージがあった。未来はバーチャルタレントが当たり前のようにテレビ出演する日が来るのかもしれないと視聴者に思わせる存在感があった。そしてあたりの柔らかい万人受けするキャラクターデザインであった。
では今いるVTuberでキズナアイの抜けたニッチを埋められるVTuberはいるのか?
ほとんどのVTuberは現存する漫画アニメから断片的にデザインモチーフを借用しており、いまいち未来感がない。ホロライブもにじさんじも全滅である。いま形成されつつあるアイドルVTuberというサブジャンルもアイドルという現実の存在をデザインモチーフとして借用しているのでやはり全滅である。万人受けという観点では、ケモ耳が生えているだけでテレビ業界における万人受け基準を満たさないだろう。
VTuberに詳しいリスナーからすればミライアカリは下ネタ好きのうるさい女だが、歌・踊り・MCもこなすマルチタレントであり、あたりの柔らかい万人受けするキャラクターデザインである。胸が大きいのでフェミの攻撃対象になる恐れが心配される程度である。そして最も重要なポイントとしてキズナアイの猿マネではない。あくまでも未来からやってきた二人目のバーチャルタレントの立ち位置を維持している。ミライアカリはキズナアイの後を継げる可能性がある。
懸念ポイントもある。キズナアイには企画に膨大な金をかけるという運営方針がありそれが未来感の演出に効果的だった。ミライアカリの運営に同じことができるのか?バンダイナムコの本気度が試される。
一方的な男性目線でそうしたやりとりが作られ、声優をはじめとする女性はそれに付き合わされている、というとらえかたはいくらか違っていると思う。
vtuberの配信をみていると胸ネタに頻繁に出くわす。いまだにこんなにやってんの?と思うくらいに。女性V同士で貧乳キャラの子をいじってその子がキレてみせる、みたいなやりとり。
(男性Vがいじることはまずない。リアルセクハラじみるからだろう)
もちろん女性Vの視聴者の大半は男性であり、彼らのコメントによってそうしたネタが受ける風潮が生まれ、需要に応えた振る舞いをしている部分も大きいのだろうけど、当の女性Vたちが胸ネタを楽しんでいないようにも見えない。ほんとに嫌だったら何回もやらないだろう。
男女関係なく、美少女キャラが好きな人はだいたい彼女らを性的に楽しむことが好きだ。架空の美少女キャラは実在女性とはまったく別の存在である。バストサイズなどの性的な特徴によってかたちづくられ、おおっぴらに性的な目線をむけてよい存在。
現実に胸の大きさがどう扱われるかとは無関係、キャラの胸はキャラの胸であってそれをいじり倒すことは楽しい、という感覚。性的なキャラを自身で演じあうことを、女性Vたちは楽しんでいるように思える。
元増田の話に戻すと、その台詞を書いたのは女性脚本家かもしれないし、女性声優も楽しんで演じていることもあるだろう。(くそつまんねーと思ってる人もいるでしょうけど)
まあそれはそれとして、その手のいじりは定型的でつまらないです。特に貧乳いじり。実質周りが貧乳をいじってるのにそのキャラが勝手に僻んでるような構図にされるのが嫌い。
長めの休業でから復活してファンが喜んだのだが、数か月したらやはり引退というパターンがにじさんじの人気女性VTuberだと複数あったから、杞憂だったと結論づけて月ノ美兎が編み込みをほどいたのが救済や希望の象徴と捉えるのは早くないか?
「胸の大きさで優劣を評価しているのは男性側の性欲による価値観」「男性脚本家の想像上の生き物」が時代錯誤でダメって、めちゃくちゃ性嫌悪、もしくは男性嫌悪(ミサンドリー)じゃん。
声のデカい奴/小さい奴がその声のデカさを自分でネタにしたりいじられたり、時には魅力や強みになったりってのは世間で当然行われているけど、乳のデカい/小さいは男性の性欲由来は非難すべきなのか?
声のデカい小さいもダメです!って言い出すんなら、それはどこまでも広がってって他人に注目すること自体ダメってなるだろうな、そうならないなら不誠実だし。けどそんなのは望んではいないんだろ。
大体、女オタクだって巨乳キャラ見て「胸でっかw」とか喜んでるやつもいれば、貧乳キャラが巨乳キャラにグヌヌする展開を描く女作家、巨乳VTuberと貧乳VTuberの間の胸トーク、自分のスレンダー体型を強みにする自撮り垢など色々いる。
「胸に注目するのは男の性欲由来で時代錯誤」という指摘は男性嫌悪なのでよくないし、そもそも胸に注目するのは男性性欲だというのが間違いである。増田の考え方には二重の意味で欠点がある。
タイトル通り。
彼女いない歴=人生かつ女の子と手を繋いだこともデートした事もない純粋童貞だ。最近では特に珍しくない普通の人間です。
そんな純粋童貞を代表して問わせてもらうと、恋愛の何が素晴らしいかが不明ということです。
違和感は小学校の教科書で説明を読んだときからあった。説明を読んでも実感としてピンと来ないんだ。恋愛もひょっとして自己啓発本を売るための口実なんじゃないかってくらい、感覚的に理解できない。
ちなオタクでもあるので、より一層の解らなさが募る。
だって、本当にそれが素晴らしい趣味なら、誰かが布教活動するハズじゃないですか。
こちとらVtuber もアニメもSFもmacOSも自作キーボードも、それぞれで沼ったジャンルを推してきたんですよ。
カタギの人にも良さみが理解できるように、解説記事を書いたり宣伝活動をしてきた。
はてな匿名ダイアリーでも、推し増田、お馴染みでしょ?
なのに、恋愛のススメ、という内容の記事は一切見たことがないよね。
これって恋愛が特に人生において重要ではない、“客観的証拠” だと思う。
お気持ちの非難・対人論法の罵倒では破壊不能な “客観的証拠” がここにある。
タバコやパチンコ、ソシャゲ、お酒にも縁遠い人生を送ってきた。
付き合いで酒くらいは飲むけれど、一人で飲んでもドーパミンは放出されない。
同じように、恋愛もしない。今までは人生の欠損のように思っていたけど、よく考えると逆だ。
恋愛をしない事で他のよりコスパのいい趣味に可処分時間を注げるんだ。
僕らって実は——…恵まれてる。