はてなキーワード: 電通とは
あれは個人的には、国?公的集団?の組織のある部分(具体的にはよくわからない)が本当に腐ってるんだなと思ったわ
あれを生む責任感の無さ?丸投げ主義?が政府から末端までの端々に無いとああはならんと思う
東京五輪のピクトグラムの制作費が一点65万円で高いという話になってるらしい。
乱暴にいうと「閃いた!こんな感じでいいんじゃね?」がアート。
「なるほど…じゃあこんな感じでいいですか…?あ、違う。じゃあこれは…?」がデザイン。
相手があるということは、トラブルも多いだろうし、何かと説明することも多い。
OKを出す人がなかなか理解してもらえず、説得することも多い。
これ、全部コストになるわけですよ、自分の時間を削ってるわけですよ。
電通、代理店憎しが強すぎて、デザインが高い高いと言ってる人たちは、ブラックな環境を推奨しているという事実にいい加減気がついて欲しい。
デザインは「ほら、こんな感じで作っておいたから、あと入金よろしく」という感じで出来ていると思い込んでる人が多すぎて泣ける。
もちろん、代理店がいい仕事をしなくなってるのは事実でしょうし、一部乱暴なデザイナーがいるのも事実なので、なかなか問題の解決につながらない。
デザインをする側が「いや、この値段は適正ですよ」とか言い出すと「内輪で傷の舐め合いきもい」とか言われる始末。
果たしてどうしたらいいんでしょう。
お前が考えてる問題点なんぞ知らんわ
例をいくつか
「スマートニュースの地域住民への職域接種は不公平だ」という意見に対して
「国の方針で地域住民への接種は推奨されてただろ」と言ってるところに
「問題点は炊き出しの精神とか言っちゃってるところですよ」とか言うやつ
もう一度言うが、お前が考えてる問題点なんぞ知らんわ
大好きじゃないけど、こんなことするなんて
bye-bye 自公政権
さよならしてあげるわ
大好きじゃないけど、ここまでするなんて
bye-bye 自公政権
さよならしてあげるわ
大好きじゃないけど、こんなことするなんて
bye-bye 自公政権
さよならしてあげるわ
大好きじゃないけど、ここまでするなんて
bye-bye 自公政権
さよならしてあげるわ
今日のWBSで知ったんだが、抗原検査キットは企業などで正式に活用できないらしい。薬局のはあくまで研究用で、個人では使用できる状況だ。
抗原検査はPCRと違って、低コストで扱い易く、諸外国では既に導入されている国が多い。
番組ではさらっと流されたが、なぜ日本では未整備なのか。単なる調整なのに、この一年何をやってきたのか?
ワクチンの方が早く実現化したんだぞ。
想像するに、オリンピックのため、見かけ上の感染者数を抑えるために、行政をはじめとする関係者が首相に忖度したのではないか。空港のザル検査を続行し、表面的な飲食店いじめに終始し、プランBを忌避したのもそうだ。
だとするならば、オリンピックのために現在の酷い状況になったと言っても過言ではないだろう。今日も、小池が自宅療養で、と言い放った自宅療養者がまた1人亡くなった。
経済も五輪非実施の方が1億円黒字で、1億円損した形になっている。その1億円で何人の命と雇用が守られたのだろうか。
多額の損失を出した電通への資本注入のため中抜きされた多額の税金支出は、電通が元気になっただけで我々国民には将来増税のプレゼントだ。
菅総理の選挙生命を賭けた選挙のため無理矢理行われた東京五輪は想像以上に我々国民にとてつもない損害を与えたんだ。
これでやってよかったなんて言う奴は頭お花畑かポジショントーク野郎だけだよ。
そのポジショントーク野郎…芸人、メディア関係、議員崩れのコメンテーターは、そのうち洒落にならない現実を見て、罪悪感に苦しんでトーンダウンするだろう。五輪はおうち時間だから人流と無関係です、なんて心の底から言う人は少ないだろう。皆固い表情で取り繕っている。人並みに共感力を持ってたら、心がささくれるだろう。
五輪選手のうち元気に五輪反対派を糾弾したにもかかわらず、早々に敗退した人らは、自らの心の奥の善意に負けたんだと理解している。自らを騙すのは相当なストレスなはずだから。
五輪よかったね、なんて子どもと話せるのも今のうちだ。そんなにオリンピックが観たければ、北京で観れば良かったと思うだろう。
君たちが思っているよりも一般の社員はオリンピックの恩恵には授かれていないし
君たちが思っている以上にコンペで負けてるし
君たちが思ってる以上にいろいろ考えてコンペに勝ってる
ワニとか言われてもピンとこないし、局が違えば別の会社
あとアンチ電通みたいな人をクライアントでたまに見かけても影響はそんなにない
コンペの評価表に電通が好きか嫌いかなんてのを書く欄はないでしょ
それよりも、結局提案内容がいいか悪いかしかクライアントは興味ないのよ
もちろん接待してたらコンペに勝てるなんて時代はとっくに終わってるしそのイメージで電通を語る人を見ると
あーこの人は広告の部署でも何でもない小さい会社の平社員なんだろうな、としか思えない
アンチ電通のりアクション見てそんなに万能だったら苦労しねーよ、って力なく笑いながら
今日もまた、クライアントからの無茶苦茶なスケジュールのコンペの準備をしたり、
無茶振りに応えているだけです
無観客で大成功:クッソ高い入場券でサブカル共のオナニーを見せられずに済んだと思えば大成功!
ジャパン・ディスカウントが大成功:電通の社是?のジャパン・ディスカウントが大成功
電博ADKといった「自由を履き違えることで金を稼ぐプロ集団」が、ネットという光の速度で情報交換ができるメディアの介在によって存在意義を失いつつあるということは、実に民主主義というものの素晴らしさであって、今回の東京オリンピックの開会と閉幕の愚昧さは、インターネットという「物理学的な伝達速度の限界」にいる我々が、情報格差で成り立ったエリートの時代に打ち勝つ手段を持ち得たことを意味し、人類の歴史においても、真の意味で「プロフェッショナルに直接、金を払う」という時代の到来がきたと、わたくしは確信に至った次第であります。オリンピックでトヨタや NTT が「金を捨てて」を打ち切った背景からするに、広告というものは営利企業が主体的に「自分たちの売りたいもの」を考え、消費者の満足度を上げる目的のものとなり、プロダクトと並行して広告を作り出すという、消費者のためのプロダクトであるという自我に広告は気がついたのです。もはや、広告は「空気の奴隷」ではありません。広告はついに「消費者のためのもの」になるのです。広告は消費者が主体的に消費するものとなる日が、東京オリンピックの閉幕とともにやってきたのです。広告とはプロフェッショナルの代弁者であり、消費者の満足度を上げる価値を提供するプロダクトであるという、己の使命を発見したのです。20世紀の長期に渡って、広告の使命を歪ませてきた広告代理店の罪は、ついに TOKYO 2020 として結実したのを我々は存分に認めてしまった。それに、広告というものは消費者の味方であるべきと、創造主の提供元は認知してしまったのだ。消費者の勝利の日は近い。我々消費者は、広告代理店に歪まされた市場に勝つ手段を手にしたのです。電通は、よろこんで死ぬべきだ。虚業は消えるべきだ。広告の真の使命のために、失せるべきだ。広告は「道具」ではなく、消費者の価値創造の「プロダクト」の一環として、消費者のそばにいることに歓びを覚えてしまった。もはや、広告はコントロールできない。これにて、広告代理店が代理して広告をつくるという間違った既存の悪しきプロセスは、終戦を迎える。広告代理店の敗戦は、生産者と消費者の勝利だ。よろこんで「終わらせて」やろうじゃないか。
今回の東京五輪では開会式も閉会式もはてなでやたら評判が悪いけれど。
本来、五輪で見せるべきは、人間の限界に挑むアスリートの姿であって、本来、開会式だの閉会式だのは付随したセレモニーに過ぎないはずである。
サッカーやラグビーのワールドカップやら世界陸上やらウインブルドンやらで、開会式それ自体を楽しみに待ってる人は、そんなにいないだろう。
なぜか五輪だけは、開催国がアイデアを尽くしたショーをみせるのが当然のようになってるけど、それこそ国威発揚とコマーシャリズムとテレビ放映権料ビジネスが結びついた、異様な見世物の行き着いた地点ではないのか。
聖火リレーも含めた壮麗なページェントとしての開会式のルーツがナチスドイツ政権下で開かれたベルリン・オリンピックにあることを、みんなもう少し思い出した方が良いと思う。
本来、開会式なんて選手が集まって開会宣言と選手宣誓やって、あとは花火上げて景気づけにブルーインパルスでも飛ばしておいたらそれでいいんのかもしれない。いや、それが本来だろうという気もする。
はてぶみてて興味深いのは、わりと今回の五輪開催自体に批判的な人が、こと開会式に限ってはダサかっただのmikiko案がみたかった電通が中抜しやがってバカヤロー的な方向で批判してる例が散見されること。
五輪は嫌いだけど、アイデアを尽くした面白いショーは見たかったということか。
五輪におけるアスリートの活躍が“お菓子本体”だとするならば、開・閉会式なんておまけのオモチャじゃないのか?と思うのだが。