2021-08-09

五輪の開・閉会式をなんでそんなに重要視するのか

今回の東京五輪では開会式閉会式はてなでやたら評判が悪いけれど。

本来五輪で見せるべきは、人間限界に挑むアスリートの姿であって、本来開会式だの閉会式だのは付随したセレモニーに過ぎないはずである

サッカーラグビーワールドカップやら世界陸上やらウインブルドンやらで、開会式それ自体を楽しみに待ってる人は、そんなにいないだろう。

なぜか五輪だけは、開催国アイデアを尽くしたショーをみせるのが当然のようになってるけど、それこそ国威発揚コマーシャリズムテレビ放映権ビジネスが結びついた、異様な見世物の行き着いた地点ではないのか。

聖火リレーも含めた壮麗なページェントとしての開会式ルーツナチスドイツ政権下で開かれたベルリンオリンピックにあることを、みんなもう少し思い出した方が良いと思う。

本来開会式なんて選手が集まって開会宣言選手宣誓やって、あとは花火上げて景気づけにブルーインパルスでも飛ばしておいたらそれでいいんのかもしれない。いや、それが本来だろうという気もする。

はてぶみてて興味深いのは、わりと今回の五輪開催自体批判的な人が、こと開会式に限ってはダサかっただのmikiko案がみたかった電通が中抜しやがってバカヤロー的な方向で批判してる例が散見されること。

五輪は嫌いだけど、アイデアを尽くした面白いショーは見たかったということか。

五輪におけるアスリート活躍が“お菓子本体”だとするならば、開・閉会式なんておまけのオモチャじゃないのか?と思うのだが。

  • 何でもいいから批判の種が欲しいんだろ 五輪賛成派はおまけと思ってるからどうでもいい

  • 結婚式とか成人式とか卒業式とかイベントごとよりも毎日の生活の過ごし方の方が大切だけど その日、参加者に輝いてる自分をどれだけ見せつけたかが大事だと思ってる人大勢いるじゃ...

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