はてなキーワード: 賢明とは
1回目のワクチンは副反応が翌日の発熱と1週間続いた腕の痛みだけだった
2回目のワクチンは、1週間微熱が続いて何処にも出られず、腕の痛みは1回目よりもキツく、しばらく左肩が五十肩状態だった
3回目のブースター接種はもっと厳しい副反応になるのが目に見えている。
オミクロンの死者は数えるほどしか出てないし、ブースター接種による死者は既に日本で2人出たと言う報告が厚労省から出ている。
いつもどおり「因果関係は不明」とのたまわっているが、年齢が70歳と57歳なので不明扱いするのは愚の絶頂だろう。
またブースター接種しても感染防止にはあまり役に立たないと言うデータや報道があちこちに出ている。
つまり、ブースター接種のデメリット・リスクがメリットを上回ってしまっている。
https://anond.hatelabo.jp/20220102190352
そして乗り物運転関係での刑務所懲役囚人のほぼ全員は自動車運転手。
自動車の運転なんてしなければこれらのリスクは回避できる。コスト面でも持たないが最善。
車離れは個人にとっても社会にとっても賢い選択肢なのは間違いない。
日本国民には居住移転の自由、つまり引っ越しの自由があり、自動車なんて馬鹿げた負債を持たずとも便利に暮らせる地域はいくでもある。
地方でも都市部なら自動車なんて負債は要らんしな。ネット通販と電動アシスト自転車と公共交通があれば便利に健康的に暮らしていける。
40年間所有で3396万円以上も無駄になる負債、それが自動車。
持たないが最善、賢明であり、自動車を持つのは計算ができない馬鹿、阿呆、愚か者。
まとめると。
・自動車乗車中の年間死者数は1200人と極めて多い
https://anond.hatelabo.jp/20220102190352
自動車乗車中の年間死者数は1200人以上と、実は極めて多い。
運転は刑務所懲役リスクもあり。免許離れは人々が賢明になった証。
クルマは維持費の塊で、40年間で3396万円もカネが出ていく。
そのうえカネを生み出さない。
そういうのを負債という。
で、クルマは40年間で3396万円も無駄になる負債だという事実がある。
そりゃ現代で利口な人ほど負債であるクルマなんて持ちませんわ(笑)
自動車カルト(今では 車カス と呼ばれ嫌われているダサい存在)の時代が異常だっただけ。
だから資産1億円以上ある堀江貴文や西村博之といった頭の良い実業家ほどクルマなんつう馬鹿しか買わない、阿呆しか持たない負債に近づかないんだよね。
配偶者や恋人のことを、風俗との対比やセックス1回あたりのコストと比較するには無理がある。
でもあえて比較するなら、配偶者や恋人は「パートナーを占有するためのゲームサブスクリプション」だ。
相手はほかでもない自分のことを思ってくれるし、逆に自分も相手のことを思わなければならない。
セックスはゲームのサブスク期間中におけるおまけイベント程度の扱いと考えた方がいい(中にはメインの人もいるが)。
でもその中のレアイベントに重課金や廃課金も厭わないガチ勢も世の中たくさんいる。
問題なのはプレイヤーである人間本体には老化という避けられない時間的制約があり、そろそろやってみようかなと思ったときには
発生しないイベントや体力的に無理なイベントも多数あるということだ。
人類始まって以来みんながやっている最長寿ゲームサブスク、参加するなら早い方がいい。
自民党が政権失ったころ、アナクロ右派や宗教右翼まで取り込んでウイング広げないと主流を保てなかったのと同じで、いまの左派もメガリアや極左に近い所までウイングを広げないと数を保てないんだよね。そんで、どっちもその取り込んだ連中をヨシヨシするためにおかしなことになってるわけで、それらの党の本質がそのオカシゲなものとイコールだとは思わないなあ。
特に表現規制とかの問題については、その「おかしな連中」の発言ばかりが目立ってウンザリする。そもそも、その右と左の「オカシゲ」な人らの言ってることって実はよく似てるので、悪いけどそこでくっついてくんね?とさえ思う。そうすりゃ右派左派はもう少し落ち着いて対話できるんじゃないか。
転職して入った会社が普通なのか自分がコロナに日和り過ぎなのかわからないので普通を教えてほしい。
会社はリモート出社が基本自由で必要のある時だけ出社するような形。(自分は入って日が浅いので出社頻度が今は多い)
平、役職者かかわらず何名かマスクを着けずに会話したりリモート会議でガンガン発言したりしていて
あとウレタンマスクしている人も何名かいる。ほとんど意味ないの知らないのか。
不織布マスクつけろ。外部からも感染症対策の情報まともにキャッチできてないあほだと思われるぞ、と自分は内心思っている。
自分は家の外では常に不織布マスクをして飲食店でも食べ飲みする時だけマスクを外す(会話するときはマスクをつける)。
携帯用の消毒液をもってこまめに消毒してる。
これが普通だと思っている。
今思えば面接のときに感染症対策はどんなものをしているか聞くべきだった。が、まさかこんな会社があるとは全く想定していなかった。
彼らに注意したいがまともに感染症対策で着てない人間に注意して危害を加えられた事件を見てると怖いし
それに普通の市民を爆撃してみたって何の役にも立ちはしない――引き合わんよ」と京都市への投下には反対した。
記者会見でルメイは「戦争はソ連の参戦がなくても、原爆がなくても、二週間以内に終わっていたでしょう。原爆投下は、戦争終結とはなんら関係ありません」と答えている。
しかし晩年の1988年には、著書で「原爆を使用せずに戦争を終わらせることができたとしても、私は、原爆投下は、賢明な決定だったと思います。なぜなら原爆投下が降伏交渉を早めたのです」と語り、
原爆投下は、上陸作戦前に日本を降伏させ、百万のアメリカ兵の命を救った(=ダウンフォール作戦を決行せずに済んだ)というアメリカ合衆国連邦政府の公式説明を支持している
選挙の立候補に必要な経済力の敷居を下げた方がいいといってたパネラーがいたけどどうかね。
今の選挙制度にも堪えないような貧乏人にまともなやつはいないと思うんだけど。
そりゃ金持ちにも汚職とかあろうが逆に言えば有能な奴も金持ちのなかにしかいないだろ。
というかそれぐらいの金も稼げてない時点で無能な証拠なんだよな。
十万刻みで所得の差がある程度のほとんどのサラリーマンは社会の寛大な心により働かせてもらってるだけの貧乏人。実は知的障害が通う作業所との差は程度問題かもしれない。
有能ならたとえ稼げるようになるまでのラグが生じることはあってもいずれ確実に頭角を現す。
ラグが生じてる程度のことは現実的に考えれば目を瞑るべきで、それよりも敷居は下げるべきじゃない。
有能なやつのなかに悪徳なやつもいるというリスクを孕む程度の金持ちから選ぶか、(ラグに目を瞑れば)無能率が100%の貧乏人も選挙活動できるようにするか、どっちか賢明かいうまでもないと思うが。
健常者様のための社会に害を及ぼす私が生きているのはおかしな話。
弱肉強食の世の中において、弱者は滅びるしかない。にも関わらず、私は何十年も生きている。
これ以上生きたところで何も貢献できない。むしろ、無敵の人として犯罪に走るかもしれない。そう思うと怖くてたまらない。
優秀でなければ種は生き残れない。そのために劣った個体は排除される。
その考えに則れば、私は劣った個体でしょう。劣った遺伝子を後世に遺さないために、私は死ぬしかない。だが、劣った個体にも寿命はある。私もあと数十年は生きる。時を待つくらいなら、自殺した方が賢明だろう。
まず、20年ほど前に流行った「恐怖のナポリタン」というコピペがある。
ある日、私は森に迷ってしまった。
夜になりお腹も減ってきた。
そんな中、一軒のお店を見つけた。
変な名前の店だ。
数分後、ナポリタンがくる。私は食べる。
……なんか変だ。しょっぱい。変にしょっぱい。頭が痛い。
私は苦情を言った。
数分後、ナポリタンがくる。私は食べる。今度は平気みたいだ。
私は店をでる。
しばらくして、私は気づいてしまった……
まずこの日本文はナンセンスである。怖い話のように書かれているが実際は意味がわからない。分からなくて正解である。ただこれをきっかけに「深読みしたら怖い話になるような話を作る」「怖くない怖い風の話(なんなら怖い風ですらない話)をなんとか深読みして怖さを作り出す」遊びが少しの間流行った。
しかし最近(最近とはここ10年くらい)ググると、「英文にすると分かるがもともとは英文の笑い話である」という解釈が出てくる。最後のオチは「This is a restaurant famous for neapolitan」であり、neapolitanにはスラングで「不潔な料理」という意味があるという。
当時は「なるほどね〜」なんて納得していたが、今日久しぶりに思い出して「本当かな?」と思うようになった。だってナポリタンは日本料理である。「ナポリタンはナポリにはない」というのは有名な話だ。そんなナポリタンが英語の小話に出てくるか?という疑問だ。
「neapolitan スラング」なんかで検索しても例の考察をソースとした話しか出てこない。また料理のナポリタンはNaporitanと綴る、という情報も出てきた(ウィキペディア)。段々怪しくなってきた。
そこで賢明な諸氏に質問したいのだが、本当にneapolitan(もしくはNaporitan)に「不潔な料理」というスラングの意味はありますか?
コミュニケーション能力なし。学歴なし。ニート予備軍かつ犯罪者予備軍の私には絶望しか待っていません。
社会的な側面で考えれば、犯罪者になるのはは是が非でも避けたい。
ならばニートか?親に申し訳なさを感じながら生きていくのは苦痛でしかないだろう。
残るは自死…これも結果としては親を悲しませてしまうだろうが、上記に比べれば賢明な選択なのではないか。犯罪者やニートになる前にこの世から去る…社会貢献や親孝行につながるのではないか。
……死ねない。余計なものが邪魔をして死ねない。道具も用意して場所も決めたのに。
あと少し、あと少し、死へと突き動かす何かが欲しい。精神をズタズタにするほどの、生きることよりも死ぬことの方が何倍にも輝いて見えるような何かを。
こんなことを考えて、結局一日が過ぎる。
発達障害をもつ私がのうのうと生きているのはおかしな話。いわば欠陥品に産まれたことは、両親にとっては「子ガチャ」失敗でしかないだろう。
本来なら排除されるべき人間が生きることは、社会に悪影響を及ぼす可能性がある。
健常者を中心として社会が回っていくのだから、障害者が排除されるのは避けられない。
京王線の事件のニュースを観て、将来私はこうなる可能性があると考えると、恐怖に襲われる。他者に危害を加えるくらいなら、自分からこの世を去るのが得策なのではないか。
ニート予備軍かつ犯罪者予備軍の私がこの世から去ることは、社会貢献や親孝行になるのではないか。
両親には申し訳ないが、犯罪に走り、関係のない人間を巻き込むくらいなら、自己完結させた方が賢明だろう。
来世では健常者として生きたい。