「誤用」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 誤用とは

2023-10-14

なんだかんだ日本イスラエル寄りになりそう

イスラエルパレスチナ、何が正しくて何が悪かとかそういう倫理的な問答は置いておく前提で。

なんか、はてなだとハマスの残虐行為避難しつつ、ウクライナの罪を強く糾弾してパレスチナ一定の同情を見せるようなコメントが人気だけどさー、たぶん世の中的にはこういうコメント世間ズレ(誤用)したマイナー意見になりそう。

単位で見たら曖昧な態度でどちらの勢力にもあまり積極的に関わらず、適当人道支援に金を出してお茶を濁すのが正解なんだろうけど、ただ米英なんかを中心に西欧社会イスラエル寄りなことを思うと、日本も強いて言えばくらいでイスラエル寄りになるのは不可避でしょ。

軍事絡みじゃアメリカのケツ舐めるしかないのが日本なんだから

市民感情で見ても、なんか西側諸国応援してるならそっちが正しいんだろうな~、くらいの感想の人は少なくないだろうし。

はてなでも色んな社会ネタで「西側陣営の一員でありたいならかくあるべき」って意見はしばしば見るけど、西洋追従こそ是とする人が多いのが日本という国なんだから

あと、ハマス宗教戦士っぽさも日本だと大きなマイナスになるだろうね。

エルサレム絡みで宗教は深く問題に根差してるので、宗教臭さはハマスだけの問題じゃないけど、それでも脱臭しきれてない狂信過激派オーラハマスが群を抜いている。

宗教観の薄い日本じゃ、こういう勢力が一番引かれる。

から素朴な感覚として、日本は微イスラエル寄りがメジャー価値観になると思う。

2023-10-09

新本格ファンの見た陰謀論傾倒作家現代ニッポン論壇事情数十年史

次の文章を眺めてみて欲しい。

『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気妄想を、いわゆる正気論理で枠囲いされるものではない。第二に、以前の小説作品と大きく違って、可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが作品内で主題化されないほどに内在的なものとして組み込まれ浸透しているかである。』

インターネットぶつかりおじさんにカンパし、一度ブロックされて解除された後2023年10月の今に至ってもなお彼やその賛同者の多くをX(旧twitter)でフォローし続けている、推理小説作家評論家小森健太朗著作探偵小説論理学」269ページから引用した文章である

氏のSNSにおける華々しい戦歴説明割愛する。冒頭で引いた氏の文章を眺めることからはじめ、氏のSNS上における無数の陰謀論傾倒の人生、ひいては暇アノン化する文化人ネットユーザたちについてなんらかの理解を得ることができないか見てみたいのである

====

 

単刀直入に言って、日本語が怪しい。

『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気妄想を、いわゆる正気論理で枠囲いされるものではない。』

主語がないのは先に出ているかである。一つ前の文の「西尾維新作品」がこの文の主語である。そして、この第一に~第二に~というのは疑問に対する答えの列挙である

『それではなぜ、なぜことさら西尾維新作品様相論理親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』

冒頭の文の一つ前に置かれたこの文がその問いである。なぜ「それでは」なのかというと更に一つ前の文で↓のように認定しているかである

様相論理一般が、それらの作品により適合するのではなく、われわれの住む世界にある論理、どの作品にもある論理一般において様相論理は適合性を有している』

まり、著者はこの箇所で「西尾維新作品こそ様相論理が合う」と言いたいのである(なお、『様相論理は適合性を有している』だとか『様相論理親和性のある』とかい語句意味不明)。

 

それを踏まえた上でも文の後半は日本語おかしい。いやそもそも『それではなぜ、なぜことさら西尾維新作品様相論理親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』の「‥‥作品を~~とりあげられるべきなのか」という文も変なのだが。受動態ならば‥‥作品が~~とりあげられるべきなのかとすべきであろう。とはいえ文意理解できている(と信じたい)ので無視しよう。

さて引用の一文目は次のように書き直せそうである

・(西尾維新作品では)狂気妄想が、いわゆる正気論理で枠囲いされるものではない

・(西尾維新作品は)狂気妄想を、いわゆる正気論理で枠囲いされるものとしていない。

引用した文のある段落の一つ前の段落で、彼らの作品における狂気の取り扱い方について『現実正気論理が前提として背後にある。狂気や、いわば正気世界に枠囲いされる形で、際立たせられる』と説明されている。この書き方ならば前世紀に書かれたチェスタトン泡坂妻夫らのミステリ作品との違いを述べていることが明確である

なお別の案として、第二に~の述語に繋がっていると見ることもできる。が、そうして読むと能動態・受動態が変になるのである

・『二十世紀に書かれたミステリ作品と違って、狂気妄想を、いわゆる正気論理で枠囲いされるものではない』‥‥『ものとして組み込まれ浸透しているかである

 

この能動態・受動態が変というのが引用の二文目の問題でもある。

例によって主語だが『‥‥組み込まれ浸透している』の主語はなんだろうか?そもそも『組み込まれ』『浸透している』は同じ主語を持つのだろうか?候補は『西尾維新作品』と『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』の二つである

西尾維新作品』は『組み込まれ』がおかしいのは‥を組み込むという能動態に直せば明らかである。『西尾維新作品』を目的語とした「西尾維新作品を組み込んでいる」には意味を見出すことは不可能である

西尾維新作品』は『浸透している』は、意味としてはありえる。だが使えるのは読者の認知度などを述べる文脈などであり、どこに浸透しているとかいった説明の無いこの文では意味を持たないであろう。

すると『西尾維新作品』は、『西尾維新作品では』という句であり、主語は『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』と見るべきである。これならば受動能動態を変えても意味が通じるであろう。

・(西尾維新作品では)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』は‥‥組み込まれ浸透している

・(西尾維新作品には)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』が‥‥組み込まれ浸透している

いけそうであるしかしそう理解すると今度は九段の文の書き方があまりにも奇妙に見えると言わざるを得ないのである

『(西尾維新作品では)可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが……組み込まれ浸透しているかである。』

「を、それが」と書いた理由はなにかあ在るのであろうか‥‥???「‥‥を」とするならば「それが」をそこに付けず「組み込み、そしてそれが浸透している」というようにすべきだし、受動態のまま「組み込まれ」を使いたいならば「を」をなくして「‥‥が~~組み込まれ浸透している」と書くべきであろう。なぜここまでねじくれた、好意的に見て文法違反スレスレで読みにくい書き方をしているのだろうか‥‥???著者も校正者もなにかおかしいと思わなかったのだろうか???

 

余談だが、様相論理において可能世界ごとに分岐(というか異なる)のは、命題への真偽値の割り当てであったり個体領域である。それらは一般的にいって「論理」と呼ばれるものではない。このあたりも意味不明なのである。ようはポストモダンにおける科学誤用濫用の仲間である。さておきこれまで氏の華々しい戦歴を目にしてきた者の意見として言うと、氏の癖として、彼がカンパしているインターネットぶつかりおじさんと同様に、勝手定義した「A」を、他の意味「A」と気軽につなげて論証をするというものがある。いわゆる「媒概念曖昧の虚偽」と言われたりするやつである。こうした論証上の誤りに無頓着な事も陰謀論にたやすくはまる一因と言えるのかもしれない。

 

海法紀光や、アレな発言非難する者がしばしば指摘していることであるが、氏は、理由をあげたり説明したりといったいわゆる論証をする際こういった文章を頻発する傾向がある。特に自身の立論が苦しくなってくると、文法崩壊していると感じられる弁明が増えるように見えるのである(quantumspin氏による批判とそれへの応答なども参照せよ)。主語や述語がみつけにくいのもよくあるパターンひとつである小説以外の活動に関しては、ずっとそういうやり方で通して来ているのかもしれない。

これは結論に対して必死理由を拵えているせいというのもあるのかもしれない。そのような、結論にあわせて理屈を拵えることをよしとする姿勢もまた陰謀論への傾倒を片側から支えているようにも思えるのである

 

などなどと、かつて新本格ムーブメント到来に歓喜したものとして心苦しい気持ちを抱いていたのであるが、最近大きなヒントを見つけることができた。

https://twitter.com/furukawa1917/status/1708364352540246446

https://megalodon.jp/2023-1009-1415-22/https://twitter.com:443/komorikentarou/status/1708094283780325790

『「人類進歩」といった虚構観念蔓延させ』

氏にとって人類進歩虚構観念であるらしい。勿論、氏のいう虚構観念は、非難されればすぐにその中身を適当に入れ換えられるブラックボックスであり、「生活費切り詰めてカンパ」と同じ程度の軽口でしかないのやもしれない。

だが、そういうことかと得心もしたのである

かつてポストモダン思想が華やかなりしころ、同じ世代にあって「進歩なんて幻想だ」と嘯いた者は多かったのではないだろうか。なにしろ特に思想政治について色を出さず、特に「後期クイーン問題」等の話題珍説披露したこともない有栖川有栖氏の作品においても、「ホイッグ史観」「進歩史観」といったかたちで冷めた態度が見られるのである

311以降かどうかは定かでないが、SNS上では、ミステリ業界の「知の欺瞞」が手ひどく叩かれる時期があった。氏も基礎的な誤解を指摘されてはよくわからない弁明を書き連ね、最終的に相手が呆れて去っていくということがしばしばあった。その後、左翼リベラル敵対的な気分をもつひとは自らを「科学的」と自認するようになり、小森もなんとなく菊池誠氏などをRTしたり科学的な雰囲気のある人々の輪に入ることで、これまたなんとなくのうちに過去の知の欺瞞有耶無耶になった。

しか上記発言から察せられるように、頭はポストモダンのままだったのである。この点を傍証する発言ひとつではない。

 

https://megalodon.jp/2023-1009-1430-28/https://twitter.com:443/komorikentarou/status/1566269069547819008?lang=jp

『紀藤さんは、カルト宗教弁別ができる超越的な裁定であると自認しておられるのでしょうか?』

これは、統一協会話題になった際、紀藤弁護士発言に対して、なされた引用RTである

カルトであるカルトでないか区別ができることが『超越的な裁定』だと言うのである。その理由もふるっている。

カルト宗教の線引きがわからないのではなく、できないと言っています。』

まさにあの堕落したポストモダン思想かぶれたあの世代の、あの辟易するような懐疑的態度を思い起こさせるものである!!!認識的な不確実性を理由として判断の正しさを否定する。現実的・実践的な正しさをすっ飛ばして「超越的」なものに基礎づけようとする(そして、その不可能からお好みの結論を導く)。‥‥ところで、なぜ「分からない」「できない」「不確実だ」という判断だけは正しいと信じられるのか自分にはまったく理解できないのだが‥‥‥笠井潔なら教えてくれるのであろうか‥‥???

 

結局の話、己の欲する結論のためにいい加減な理由づけを許容する態度、あらゆる価値・論証・実践合理性等を無効化した気になれる堕落したポストモダン思想メチャクチャナ言説をまともに文章を読み批判をすることのできない現代ニッポン論壇・批評コミュニティの無力さ、そうしたものが無数に積みあがって悲惨な令和の余.命事件へと通じる道が敷かれたのかもしれないと思うのである

思うにこれは一人の哀れな高齢男性だけの問題ではないのである

2023-10-05

誤用意味の方の確信犯を正しい表現でいいたいんだけどどんな言葉ある?

たったいま執筆の「核心」を得たわ。

的を得た(誤用という説と誤用ではないという説と、そのそれぞれへの反論があるややこしい慣用句)」ってやつね。

冒頭に出した「クイズヘキサゴン」は、終盤で「クイズヘキサゴンⅡ」にすべきという核心。

なんでかっていうとクイズヘキサゴンは知の格闘技と呼ばれるほど奥深いクイズ形式なんだが、Ⅱになった途端にバカバカ踊りになる。

から「退廃」というものを手軽に表現できるんだ。小説時間が進む方向に合わせてヘキサゴン無印ヘキサゴンⅡにするだけ。

結局、蝉の声が染み込んだ岩の件とかも、これの逆方向の変種でしかないということ。

このヘキサゴン操作こそ表現のもの

2023-10-03

anond:20231003130106

まぁ自分も誤字・誤用はなくなって欲しいとは思ってるよ。ほぼ諦めてる側だけど。

じゃあ、例えば「確信犯」とかはもう無理かね。

世間一般ではそうでもないかも知れないけど、若者の中では8割くらいで「延々と」が「永遠と」になってるのを体感してるので、これも何とかして欲しいところ。(ネットいくら言っても変わらなかった)

面白いもっと知りたいわ。

anond:20231003125239

実は人間は「いままで正しいと思っていた言葉誤用だった」みたいなネタが大好きだし他人誤用を指摘するのも大好きなんだよ。

社会の8割くらいまで広がったらどうにもならんが4割くらいならまだぜんぜん挽回できる。

的を得る」とかだいぶ減っただろ。

まあ「的を得る」は後から「やっぱ誤用じゃなくね?」となってるのが面白いところなんだが。

anond:20231003123329

じゃあ元の話に戻るけど、その誤字を・誤用を指摘しても、現実にそれらが広まることを止められなかった例があるわけだから、既にその誤用が広まってしまってる時点で、それを目にした第三者が許容する・しない、どちらの心持ちであっても意味なくね?って話。

直接対面してる相手誤用してるなら指摘できるけど、誰かが目の届かないところで話してる・話してた場面には居合わせられないし何も言えない。

理想的に、全ての人間がそれぞれ正しい知識を持ち、かつ学び続け、もし会話中に誤用があったらすぐそれを指摘し合う社会になったら、防げるかもね。(元マスはそういう方向に万人を啓蒙したいのかも知れないけど) だけど、そこでそれを阻害するのが上で言った「社会グループ化」じゃないかな、と。

anond:20231003123015

いや普通に誤字・誤用が広まったものも多いだろ。というか「日本語の乱れ」として指摘されるのはそういう誤字・誤用だろ。

2023-10-02

anond:20231001193911

言葉生物って言い回し、もう誤用収集つかないレベルで定着したあとに「もう……さすがにしょうがないよね……」って自分を納得させるために使うならわかるけど誤用一般化を積極的正当化しようとする人が使ってることが多い。同時代言葉意味が同定出来なかったら、普通に誤伝達の懸念とか、契約責任問題悪用されそうで怖いんだが…

2023-10-01

anond:20231001101840

誤用じゃなくて話し言葉を書き下してるだけでは?

anond:20230930173420

でも誤用社会の標準として認められてしまうことは普通にあるよ。

個人的にはその最たるものが「課金」だと思ってる。

誰も彼もが疑いもせず誤用として使ってて、それを指摘したほうが野暮とされる。

2023-09-30

そんなに誤用誤用言うならいっそ言葉変えろや三大

1.涼しい顔をする

 誤用むちゃ大変な境遇にもかかわらず平静を保ってる顔をする

 本来意味自分関係のある事柄であるにもかかわらず知らん顔をする

→「知らん顔をする」に替えろ

2.忸怩たる思い

 誤用むちゃ残念な気持ちになる

 本来意味むちゃ恥かしい気持ちになる

→「恥じたる思い」に替えろ

3.情けは人の為ならず

 誤用他人に情けをかけるとつけあがってそいつのためになんない

 本来意味他人に情けかけておくと恩返し的なものがあって結果自分のためになる

→「情けは自分の為」に替えろ

anond:20230930171740

わかりやすさ重視、誤用より誤読を無くすことを優先しているからだろ。

それがいいとか悪いとか別にして一貫性はある。

TVというのは歴史的いか裾野を広げるか?を追求して生きたメディアだ。

多少間違いがあっても頭の優劣による理解力の差を無くすことを追求してきた。

その姿勢にはポリシーがある。

anond:20230930172151

まさにその通りだと思う。

ら抜き言葉のように、誰にも誤解が生じない言語用法は「誤用」ではない。

単に「昔とは言い方が違う」だけでしかない。

それは個人の好みであり、正しい用法として押し付けものではない。

この「1番」についても、言語多様性範疇だと思う。

というか、文法や語法は法律と同じで、世間が変わったらアップデートされるべきだ。

実際に、私たち古文を話しているわけではない。適宜、それらを更新してきたのだ。

から既存文法や語法と、現在皆が使う用法合致していないのなら、その文法や語法の方が間違っているとさえ言える。

例えば、辞書だって用例採集」として、時代に合わせて更新され続けている。

まり文法や語法に沿った日本語よりも、今普通に使われている日本語こそ「正しい日本語」だと、個人的には思う。

anond:20230930171740

誤用、とかじゃねぇんだわ

社会が使えばそれが標準

いい加減学習しろ

NHKまで「一番」を「1番」と書くようになってしまった

副詞としての「一番」は熟語である。「ビールが一番好き」「こういう日はビールが一番」などには、漢数字を使うべきだ。

助数詞として「番」が添えられる場合、たとえばバッター打順などであれば算用数字の「1番」でかまわない。

このふたつの簡単な見分け方は、数字の部分を他の数に置き換えても意味が通るかどうか。

たとえば、「ビールが2番好き」と言うことはない。

 

数字を含む熟語算用数字を混ぜる誤用が近年増えている。というか、テレビテロップが多用されるようになった頃から多い。

中でも「1番」は誤用の目立つ言葉の筆頭だったのだが、とうとうNHKまでこの誤用を平気で電波に乗せるようになってしまった。同じ日の同じニュース番組内で「第3者」という誤用やらかしていたので、この日のテロップ係がかなり意識低い系だったものと思われる。「第三者」も「二人称」などと同じくそれじたいがひとつ熟語であるので、算用数字を使ってはいけない。

 

そのうち「1石2鳥」、「3寒4温」、「5臓6腑」、「7転8倒」、「8面6臂」、「1010色」、「50歩100歩」、「議論100出」、「1000軍10000馬」などの表現テレビで見られるようになっていくだろう。「2人3脚」はすでに広く使われていそうだ。

anond:20230930133458

元増田じゃないけど

https://www.weblio.jp/content/%E6%82%A6%E3%81%AB%E6%B5%B8%E3%82%8B

ウェブ国語辞典だし、悦に浸るはもともと悦に入る誤用から始まってる表現から気になるのもわかるが、突っかかることでもなかろう

誤用から一般化して正規化した言葉なんて他にもいくらでもある

2023-09-29

敬語誤用程度で激怒に至る男性ってそれもう前頭葉が壊死してるだろ

2023-09-26

anond:20230926225207

言語学専攻じゃないのでどうでもいいし中身より誤用しか言及しないのはもうほぼ論破されたって自供してるようなもんだよね

anond:20230925223754

課金するが普通になった世の中でこういう誤用を指摘しても空しい気もする

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