はてなキーワード: 放射能とは
https://q.hatena.ne.jp/1451115847
こういう、当時貴重な食料を被災者にいきわたらせないよう買いだめしてしかし自分も食べずに無駄にする人間のパニックにフィクションがあれば効いたよね早めのシン・ゴジラだったっていう話じゃないの
放射能を過剰に恐れることで福島に多大な風評被害を与えた人たちの事を考えると、ゴジラの放射能は2週間で大丈夫です、という描写をした『シン・ゴジラ』がどんだけ偉大かわかる。あれは、ちゃんと勉強した人の表現ですよ。シンゴジラは福島復興に貢献してる。— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) January 18, 2020
あれは未知の放射性元素で、ゴジラ健在時は相当放射能汚染がひどくて人は近寄れないような線量だった
しかしゴジラ凍結後に"運良く"半減期が短い物質で東京はまだ死んでいないかもしれないことが発覚した、という話でしかなかった
つまり半減期が絶望的に長い期間の物質で汚染されていた可能性もあったわけで、日本人の尽力でゴジラが活動停止したことと同じようにご都合主義のフィクションでしかないし、放射能汚染すべてが2週間で生物に問題ない汚染に収まるという話でもない
https://www.sankei.com/world/news/200108/wor2001080033-n1.html
【ソウル=名村隆寛】東京五輪を前に、防護服姿の人が聖火リレーで走る姿を描いて、東京での「放射能の安全性」を揶揄(やゆ)するようなポスターが今月6日、韓国の首都ソウルにある日本大使館の敷地の壁に貼られたことが分かった。福島第1原発事故を念頭に、放射能汚染があると印象づける狙いとみられる。聯合ニュースなど複数の韓国メディアが報じた。
ポスターを製作して貼ったのは「サイバー外交使節団」を名乗るVANK(バンク)という団体。ポスターは3種類で、東京五輪のマークのほか、「TOKYO 2020」の文字や、日の丸が描かれている。
同団体はポスターに関し、「五輪の開催成功と、選手や観客の安全、放射能処理施設(の設置)を願うため、日本オリンピック準備委員会(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会を指すとみられる)に公式書簡の形で配信する予定」という。また、「五輪開幕前まで継続し、ポスターを全世界の主要な場所で積極的に配布する」とし、「国際社会に幅広い共感が形成されることを願う」と国際世論の同調を狙っている。
「東京五輪の成功」を願ってのポスター製作としているが、日本での五輪開催に水を差すことで妨害する意図があるとみられる。
日本大使館は現在、新築工事が中断しており、ポスターは工事現場を囲む壁に貼りつけられた。6日のうちにはがされたようで、日本大使館関係者は韓国での報道により、問題行為があったことを知ったという。
どこが?
この人たちが何を恐れてるか分かった。
セクハラであるとか差別であるとか認めると殺される!と思ってるんだな。本気で。
実際は殺されるどころか、セクハラも差別もあちこちで普通に蔓延ってるし
平気で行う人も沢山いるし、それを認めた所で精々謝罪で終了(謝罪すらしないケースが大半)なのに。
https://anond.hatelabo.jp/20191106133742にもう一つ付け加えるか。
「女向けなら男を差別する表現が溢れかえっているのにオタクが同じ事をすると規制しろと言われて、
それに従わないと殺される!」と思ってるんだな、彼ら。
「フェミ」という権力者が自分らを「嫌いだから」と言う理由で殺そうとしているのに対して必死で抵抗している、って構図になってるのか。
自分をサイコパス殺人鬼から逃げる無垢な主人公くらいに思ってるんだ。
認知が歪み過ぎていて手に負えない。
天皇の写真←ヘイトではないが、ヘイトと勘違いしても仕方ない。展示側に説明責任がある
放射能最高←見ればヘイトじゃないとわかるのだが、デマに騙されてしまうことは人間ならあり得ること
慰安婦像←「ヘイト」と「政治的偏り」の区別がつかないのは単純に認知が歪んでいるのでは
以上、宇崎ちゃんを全力擁護した表現の自由戦士による三文解説でした。
補足だけど、天皇の写真もそうだし「日本しね」もそうだけど、元の表現自体にヘイトの意味合いはなくても、それを援用する第三者の中にはヘイトだと言われるのが妥当な人もいただろう。しかしその例にしても「流行語から死語にしたい」と言った政治家を叩くのはおかしいよね。
慰安婦像に関しては、戦前の日韓併合が正当だったかどうかの問題が根幹にある。
ちなみに1960年に日韓で締結された日韓基本条約内では「かつての日韓併合は正しかった」とはっきりと明記されている。
昭和天皇を燃やして踏みつけたり、「放射能最高!」については議論の余地はない。
愛知トリエンナーレの芸術展の問題は単なる歴史問題ではなく、東アジアにおける現在進行形の問題にもつながっている。
正直あいちトリエンナーレ関係のニュースは補助金関連の辺りから食傷気味であえて距離を取っていた。
Chim↑Pomが炎上してるってのをネットで見ても、「まぁ元々ある程度炎上商法的な立ち位置だしな…」と思ってしまったのも事実だし、「被曝最高!」「放射能最高!」の文字列が並ぶニュース記事を見て、「あぁこれだけ見れば物言いたくなる人がいて当然だな」とまず思った。
昨晩のTBSラジオ「session22」のOPにリーダーの卯城さんが出演し、作品の意図と、「気合100連発」の音声がO.A.されていた。
https://twitter.com/session_22/status/1182282259946041345?s=21
帰りの車中でこれを聞いてて初めて詳細を知ったんだけど、自分は正直なところ、分別のつく人ならこれを福島ヘイトと捉えるわけがないと思った。
悪意のある誤読や切り取りか、ニュースの見出しだけ見て判断してしまったのでない限り、作品を鑑賞した上でそのような感想を持つことは考えにくい。
…と思っていたんだが、卯城さんが表現の自由について至極真っ当な「正論」を話しているのを聞いていると、この数年来感じていた違和感が思い起こされてしまった。
あえて手垢のついた言葉を使うが、その正論はどこまでいっても「リベラル」な正論なのだ。
ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』とダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』の議論を下敷きにすれば、保守はシステム1に、リベラルはシステム2に主に訴えかける主張だ。
リベラルな言論空間は、徹頭徹尾システム2で考え抜いた言葉が要求される。
要するに、面倒臭いのだ。
フェイクニュースの流行やトランプ以降の世界は、「ネット空間で誰もが発言できバズを狙えるようになったことで、個人の承認欲求がこの『面倒臭さ』を圧倒してしまった」ということで、かなりの部分説明できると個人的には思っている。
ただ、アートを含めた文化全般の価値を信じ抜きたい人間としては、その面倒臭さ(=作品の文脈や、各カルチャーの歴史を調べた上で作品に接する態度)を軽視する風潮にはどこまでも抵抗していきたいと強く思う。
文脈を一切排除した現代アートは語義矛盾だ。20世紀以降の芸術はそれまでのスタンダードを破壊することに拘泥しすぎたきらいはあるが、作品の意図を読み解くためには、19世紀までの西洋美術の功罪を知ることが必須だ。
これはクラシック音楽のスタンダードからの脱却を図った現代音楽を聴く際にも求められる態度だ(クラシックの素養なしにサティやストラヴィンスキーやシュトックハウゼンを十分楽しめる人はまずいないだろう。)。
またそれは、パンクの登場が世間に与えた衝撃を知るためにはロックの誕生からプログレ・商業ロックに至るロック史を知る必要があり、エルヴィスが世間に与えた影響を知るためには19世紀末以降のアメリカのポピュラー音楽史を知る必要があるのと同じことだ。
それはとても面倒臭くて時間がかかる作業だ。しかしその作業なしに、過去を顧みることなしに、創造は有り得ない。
ポピュラー文化は人口に膾炙してこそ文字通りポピュラーになるわけで、文脈を知らない人を巻き込んでいく必要性のためにこの桎梏を抱えざるを得ないわけだが、情報が溢れる現代においてはその困難さの質が極めて短期間で変容してしまうように思う。
ただ、文化が社会の発展に寄与した功績を理解できる人ならば、こうした時間のかかる作業がマネタイズできない時代においてこそ、その価値が保全される必要性をひしひしと感じているのではないだろうか。