はてなキーワード: アテネオリンピックとは
だよな。
冷静に考えればマラソンや駅伝だって観客は選手に触ったり抱きついたりできる距離感だし、
振ってる旗が当たるみたいなことや、車が横切ったり(これは稀だろうけど)することはあるわけで、
それに対して「再発防止!!」みたいにならないんだからそこまでバカじゃないと思う。
日本人の大半がマラソンでは一線を引いておとなしく観戦しているのと比較して、
えっ、コース上にこんなに人が出てくんの?えっ、なんか触ってない?っていう驚きと、
マラソンと違ってスピードが速く制御がきかないことから大クラッシュになったことで騒いでる人が大半だと思う。
Opi-Omiおばさんの「イェーイおじいちゃんおばあちゃん見てるー?」みたいなノリノリの笑顔の絵力があったのも一役買っている。
あれがただ突っ立っててよそ見して接触しただけならここまで大ごとにはならなかった
(元増田にもあるけど観客と接触して事故になることは割とよくあることなので)と思う。
やっと80年代回帰が始まった。この分だと、90年代回帰が始まるのは、2010年頃になるだろうか。
ラジオから流れてくる80年代ポップスのカバー曲を聴きながら私はそう思った。
2010年。私が25歳になる年。同じ世代の大半の人がおそらくそうであるように、私は25歳の私を想像することができない。21世紀に入ってからというものの、時間感覚が酷く曖昧で、今18歳であることすら、実感が湧いてこないのである。
1995年と聞くと、つい最近のことに思えてしまう自分がいる。2001年、地下鉄の延伸。2002年、サッカーワールドカップ日韓共催。2004年アテネオリンピック開催・・・。小学生の頃教科書に載っていた未来の予定が、どんどん既成事実になっていく。あの頃の私には教科書の中の未来はどれも実現不可能なことのように思えたのに・・・。
ノストラダムスの大予言について、あれほど熱心に議論を交わしていた人々は一体何処に消えたのだろう?
ノストラダムスの予言の年、私は14歳だ。結構生きられる、と思っていた。そして1999年の7月1日のニュースでは、アナウンサーが笑顔で「さて、この世界もあと一ヶ月になりました」と言うはずだと思っていた。まるで年の瀬のニュースのように・・・。
人々は世紀末という言葉を忘れた。21世紀という言葉も、昔ほど使われなくなった。70年代や80年代のことはよく話題にのぼるのに、今が何年代と呼ばれるかについては、誰も口にしない。
物心がついてから10年余りが経った。総理大臣は何人代わっただろう。冷夏は何回あっただろう。巨人は何回優勝しただろう。
私たちの世代は昭和最後の一人になりうる。何歳まで生きたら、昭和の最期を見届けられるのだろう。明治はもうすぐだ。大正もすぐ後を追う。多くの人が愛した昭和が完全に歴史の中に入るのはいつのことだろう。
歴史は巨視的に見れば円軌道を回っているだけにすぎないのかもしれない。人はその一切片を直線であると思って生きていくしかないのかもしれない。
精子の性能と、精子がもつゲノムの関連性は明らかでない。精原細胞が細胞質を共有していること、さらにヒストンがプロタミンに置換されることで新規遺伝子発現は高度に抑制されることから、運動性の高い精子から優秀な個体が生まれるという仮説には疑問の余地がある。ついでにいうなら、精子のもつ遺伝情報は個体を構成するには不十分であるということも、この論を否定する材料になるだろう。また、受精のプロセスにおいて、必要な精子は一つではない。卵丘細胞-卵子複合体を突破して透明帯に到達するには、少なくとも1000個の精子が必要であると考えられている。受精競争と社会での競争を比較するアナロジーは個人的には嫌いではないが、その本質は競争というよりはむしろ協力といえる。結論として、増田が優れた精子から生まれたという主張が仮に真実であったとしても、だから水泳が得意だというのはおごりでしかない。優れた競泳選手は競争の中で成長できることを知っているから謙虚なものだ。北島康介選手の名言を紹介しておく。
日本が一番、金メダルを取ったのが2004年のアテネオリンピックだけど、アテネオリンピックの年は日本の景気も良かった。(国民レベルの実感はないまでも、いざなみ景気で株価も上がっていた)そしてその時の総理大臣が小泉純一郎である。
小泉総理について論客によって評価は異なるものの、2004年は北朝鮮の拉致被害者を帰国させるという歴史的な快挙をしたわけだが、バブル崩壊後の「日本の追い上げ」を演出した時の総理と言っても過言ではないだろう。
小泉総理のように強いリーターシップを持った人が居るなら、国内の閉塞感も薄れるだろうし、余裕も生まれる。選手がミスをしても叩くと言う事も少ないのではないだろうか。(2004年当時を鮮明に覚えていないので、相変わらずメダルを取れない選手を叩きまくっていたかもしれないが・・・)
一方、今年のロンドンオリンピック。日本はまだ金を2個しか取っていない。レスリングで増加が期待できるものの、陸上競技では可能性は低いだろう。
近年で今年のオリンピックと似た年が1992年のバルセロナオリンピックだった。金が3個と少なく、銀と銅が多い。やはりバブルがはじけた後で景気の悪いオリンピックだった。次のアトランタオリンピックも金が3つだけど、やはり景気が悪くて、次の年の1997年に消費税を5%に増税した。
こう考えると、オリンピックと景気って連動してるんだな。日本が景気悪くて閉塞感に満ち、総理大臣がコロコロ変わるような時代は、金メダルの数も少なく、結果も悪い。他国を調べてないからよく分からないけど、他国もそうなんだろうか。
やっと80年代回帰が始まった。この分だと、90年代回帰が始まるのは、2010年頃になるだろうか。
ラジオから流れてくる80年代ポップスのカバー曲を聴きながら私はそう思った。
2010年。私が25歳になる年。同じ世代の大半の人がおそらくそうであるように、私は25歳の私を想像することができない。21世紀に入ってからというものの、時間感覚が酷く曖昧で、今18歳であることすら、実感が湧いてこないのである。
1995年と聞くと、つい最近のことに思えてしまう自分がいる。2001年、地下鉄の延伸。2002年、サッカーワールドカップ日韓共催。2004年アテネオリンピック開催・・・。小学生の頃教科書に載っていた未来の予定が、どんどん既成事実になっていく。あの頃の私には教科書の中の未来はどれも実現不可能なことのように思えたのに・・・。
ノストラダムスの大予言について、あれほど熱心に議論を交わしていた人々は一体何処に消えたのだろう?
ノストラダムスの予言の年、私は14歳だ。結構生きられる、と思っていた。そして1999年の7月1日のニュースでは、アナウンサーが笑顔で「さて、この世界もあと一ヶ月になりました」と言うはずだと思っていた。まるで年の瀬のニュースのように・・・。
人々は世紀末という言葉を忘れた。21世紀という言葉も、昔ほど使われなくなった。70年代や80年代のことはよく話題にのぼるのに、今が何年代と呼ばれるかについては、誰も口にしない。
物心がついてから10年余りが経った。総理大臣は何人代わっただろう。冷夏は何回あっただろう。巨人は何回優勝しただろう。
私たちの世代は昭和最後の一人になりうる。何歳まで生きたら、昭和の最期を見届けられるのだろう。明治はもうすぐだ。大正もすぐ後を追う。多くの人が愛した昭和が完全に歴史の中に入るのはいつのことだろう。
歴史は巨視的に見れば円軌道を回っているだけにすぎないのかもしれない。人はその一切片を直線であると思って生きていくしかないのかもしれない。
チベット支援者のブログ『ゴール地点に中国人は入れるのに、僕たちは入れなかった』
『警察はチベット支援者のみを目の敵にし、中国人は見逃した』『日本の警察に失望した』
当たり前だろ。聖火リレー邪魔する奴を排除するのが警察の仕事なんだから。
アテネオリンピックの時、マラソンで一位をひた走るデリマ選手が、
変なおじさんの乱入によって優勝を逃したという悲しい事件があった。
『変なおじさん許せない!』
聖火リレーを妨害してる人って、あの変なおじさんと一緒だって事にみんな気付こうよ。
積み上げて来たものをぶち壊したあいつに、みんなも腹が立ったはずだ!
チベット支援者は、リレーを妨害する人たちを糾弾しなきゃいけない。正当な抗議活動ができなくなったのは、
そいつらのせいなんだから。中国人が優遇されて、支援者が目の敵にされるのはそいつらのせいなんだから。
そんなの悔しいだろ!
警察は仕事をしただけ。支援者は正当な抗議活動がしたかっただけ。中国人はリレーを成功させたかっただけ。みんな真剣なのに、妨害者だけが全てを逆撫でしてるんですよ。