2009-12-31

年の瀬から年明けにかけての雰囲気は嫌いだ。なぜだ?どうすればいい

なぜだろう、うまく言葉にできないけどもの凄い嫌悪感自分の中で蠢いてる。

周り(自分を取りまくすべてのモノ)の雰囲気がワシャワシャとせわしないから、自分も落ち着かないのだろうか。でもなぜそれに対して拒絶感が現れてくるのか分からない。

”この特別な期間を独りで過ごすから”からかもしれない。確かに例年この時期は(この時期に限らずとも)独りで過ごしてきた記憶が強いし、今年においてはXmasから外界と全く接触していない。

が、以前Xmas大晦日元日を数人の友人と過ごした時に、元来自分には人嫌い+ぼっち属性があるためか、「ひとりで静かに過ごしたい」と幾度となく悔んだ経験もある。

でも素直になってみてわかった。やっぱり”独りが寂しい”のだと。”一人は好きだが、独りは嫌い”なのだと。そう声高に叫べない自分がいて強がってしまう。そしてどんな形であれ”集団で”enjoyしてそうな人間に嫉妬し、攻撃的になる。結果、坊主憎けりゃ何とやらで、攻撃対象がこの時期に向けられ、その反動で虚しくなると。この時期の芸能人blogは連日連夜で飲み会だの忘年会だのイベントだので酷いものだが、それらを見るとムシャクシャしては虚しくなる理由もここにあるのだろう。

だからと言って唯一無二の~とか心からの~とかいう関係はいらない。その付き合いが友達にしろ恋人にしろ、己が必要とする以上の関係にまで発展したら絶対に面倒くさくなるという自信が自分にはある。これは元来の特性であって、そこまで深入りはしたくないし関わりたくないというものだ。だから必要な分だけレンジでチンできるご飯みたいな関係が自分にとっては理想である。

なんというか、この点を考えれば風俗は最適ではないか。赤の他人だが自分の好みの人間と一回限りの性的快楽を得られる。知らない男のペニスを何本も何本も突っ込まれた人間とは付き合いたくもないので、まず恋愛に発展しない自信もある。でも性病が怖いし、チキン自分風俗に行く勇気もない。さてどうする。

そこで思ったのがメイドカフェ。うん、これだね。というかむしろこっちの方がリスクコスト両方のバランスがいいかと。奴らは金さえ出せばどんなにグロメキモヲタだろうと相手してくれる。ここでも恋ないしはセックスに発展する可能性はほぼ皆無に近いだろうから、相手がもし性病持ちだとしても感染する心配はまずない。とにかくこの寂しい自分の一時的な話相手になってくれればいい。それ以上の発展は望まない。ああ、なんて理想的かつ合理的。最近メイドさんは残念な娘もさることながら、可愛い娘が多い、、気もするし。

そうだ、そうだったのか。わかった!よし、今更だがメイドカフェに行こう!

と考えて早8時間、いつものようにPCの前に座る自分home来年もこの腰の重さは相変わらずのようです。ああ疲れた。第九見よっと。

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