はてなキーワード: 伊藤計劃とは
美しい物語が好きなら、読んでびっくりしてくれ。伊藤計劃、神林長平がでてるのに何で入っていないのか……。長久遅筆型作家だが出す度SF大賞かっさらう、日本の文系SFの極北。
ぜひ、グランヴァカンス読んで「まあまあ普通だな」とおもってから、ラギッドガール読んでほしい。
短編集「自生の夢」は、進化しすぎたGoogleとATOKの中で生きる人類がある日いきついてしまった底を描くSFでしか読めない表題作が素晴らしい。
今年16年ぶり長編新作の零號琴は、どうせなにかでかい賞をとるので今読んどくとでかい顔ができる。
ある宇宙の一角で特殊な楽器を扱う専門家の主人公と強化人間で美少年の相方の冒険もの……。というプロットなのはまちがいないんだけど、そうおもって読み始めるととんでもない目にあう。
音楽を小説で表す、というアプローチをここまで圧巻の描写で繰り出してしまうの、本当に体験型小説の白眉。ここだけでも書籍代以上の価値ある。
しかし、それだけで終わらない……。ちょっとネタバレするとクライマックスは、この世で最も美しくグロテスクで豪華絢爛なオタク悪ふざけ小説、になります。
ゴレンジャーとかまどマギとかプリキュアとか女体化とか男の娘とか出てきて、最終的に更地になる。
SFにしかない、へんな本だよ。テーマはおそらく「ジャンル小説が生まれてくるときの動機」。
もう少し気軽なのだと、「トランスヒューマンガンマ線バースト童話集」三方行成。
トランスヒューマン=強化人間がいる世界で、ガンマ線バーストがでてくる、シンデレラとか竹取物語とか白雪姫とかがよめる。
みんなが好きな甲殻機動隊もでてくる(誤字じゃないよ)
Netflixだと攻殻機動隊を勧められるんだけど、最初から見ると大変そうで尻込み
追記
STEINS;GATE(方向は違うかも)○
ブラックラグーン ○
スペースダンディ
電脳コイル ○
秘密 〜The Revelation〜
C
Recommendations
幼女戦記 ○
エンゼルコップ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%97
関連:https://myanimelist.net/anime/5630/Higashi_no_Eden/userrecs
○がついているのは増田がすでにみたことがあるもの(眠くて全部かけなかった
さらに追記
ヨルムンガンド ○
関連:伊藤計劃 -> https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E8%A8%88%E5%8A%83
関連:士郎正宗 -> https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E9%83%8E%E6%AD%A3%E5%AE%97
なんか一部見通しと重複あるかもだけど
なんか人間関係がドロドロなのが好きなのかもしれない。
>「マイナスは確実にあるが、もしかしたらプラスもある」より「確実にマイナスはない」のほうが合理的
というところに引っかかった誤解が多いみたいだ。
おそらく、苦痛は-5あるけど幸福が+10ある場合、-5+10=+5の幸福な人生というイメージをしている。
そうではない。
生まれないことは0。
幸福が+10あっても苦痛が-5あるなら苦痛は確実に存在している。
だから子供を産むことは苦痛を産み出すことなんだ(だから産まないほうがいい)、というのが元増田の論理。
でもこれは論理的に弱い(状況次第で覆しうる)んじゃないかな。
たとえば苦痛も不幸もない状況。
遺伝子操作で痛覚をなくし、洗脳と薬物で強制的に幸福にする、というように。
オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』をさらに推し進めたディストピア的な状況(『すばらしい新世界』は培養ビンで生まれた子供が睡眠時教育で疑問を持たないよう教育され、少しでも不快な気分になるとドラッグで「楽しい気分」になる)
「幸福」「不幸」「苦痛」その他もろもろを感じる主体自体を産み出すことの是非を問題にしたほうがいいと思うな。
この点はベネター『生まれてこないほうが良かった~』もシオラン『生誕の災厄』もいまいちで、ショーペンハウエル『意志と表象としての世界』の方がいいような気がする(よく理解できていないのでわからないが……)
ネットや雑誌問わず『虐殺器官』の感想でよくあるのが、「虐殺の言語」(文法だっけ? 忘れた)とは何か解らなかった、もう少し内実に言及があったほうが良かった、というものだ。
だが私は、これに対しては反対の意見で、それはなぜかと言うと、「虐殺の言語」的なモノは世の中に結構溢れていると思うからだ。
王様のブランチを今視てるんだけど、映画をさらに見たり、テレビをさらに見たり、本をさらに見たり、美味しいものを紹介したり、面白い施設を廻ったり。
人々の欲望を刺激して「これ面白そうだな」「これ見てみたいな」「やってみたいな」という気持ちを惹起させる。これは直接ではないにせよ「虐殺の言語」の変奏に他ならない。
世の中の商品(アニメや漫画や映画)は、人間の思考や属性に訴えかけるようなものが少なからず含まれている。そうしないと売れない。あるいは見てもらえない。または、楽しんでもらえない。
巧みに「言語」が含まれる作品は、多くの人が語ったり意見を戦わせて、やがては名作と言われるかもしれない。
あまりに「言語」が解りやすい(例えば、「腐女子向け」「サブカル厨向け」みたいな)と、「言語」外に属する人々からは避けられ「テンプレ作品」などと言われ蔑まれるかもしれない。
とにかく、世の中には流行の基底にある、人々の心情を揺り動かす「コード」というか「公約数」的なものがある。
たとえば秋元康は、この「コード」をかなり正確に掴んだからこそ、世代を超えてあんなに売れ筋を生みだすことができるのだろう。
そうした社会の様態を表現したのが「虐殺の言語」だったのであり、それは世の中に色んな形式で実際に偏在している。だから作品中での「虐殺の言語」がどうであるかは問題にはならないと思う。
「ぼくらはジャパリパークに堕ちるでしょうかね」
カバンちゃんは言った。カバンを持っていて、見たことのないけものであるカバンちゃん。だから、目の前の地獄を放置することに関して、カバンちゃんがこれまでどのように折り合いをつけているのかわたしには想像もつかない。サンドスターから発生したその日に、信頼できるけものにじゃパリマンでももらったのだろうか。
「わたしはけものだようー。ジャパリパークでんでんについて気の利いたことは言えそうにないなあ」
カバンちゃんはそう言って、悲しそうに微笑んだ。
「そうだな、ここはすでにジャパリパークだ」
ジャガーが笑う。ここがジャパリパークだとしたら、わたしたちのバスは地獄めぐりしていることになる。ペンギンたちもびっくりだ。
しかしカバンちゃんはそうじゃないと言って自分の頭を指差した。
「ジャパリパークはここにあります。頭のなか、脳みそのなかに。全十二話+一話のパターンに。目の前の風景はジャパリパークなんかじゃない。逃れられますからね。目を閉じればそれだけで消えるし、ぼくらはテレビを切って普通の生活に戻る。だけど、ジャパリパークからは逃れられない。だって、それはこの頭のなかにある地獄ですから」
コツメカワウソが笑って訊く。聞いた話だとコツメカワウソは毎日すべり台であそんでいるらしいが、それは昔からそうだったんだね、すごーい。きみは習慣以上のことはやらないけものなんだね。すべり台ですべっているけもののどれだけがコツメカワウソみたいにねっしんな信仰? を持っているのかな? ほんとうのところって誰にもわからないからな〜〜?
「わからないよ」カバンちゃんはコツメカワウソにそう答え、「ジャパリパークがぼくのなかにあるのは知っている。だって、見たことがあるからね。けれど、図書館はまだ見たことがない。図書館は人間の世界だから、フレンズの退化した脳におさまるようなものじゃないかもしれないね。あるいは、しんざきおにいさんに訊かないとわからないのかも」
「さて、諸君」スナネコが会話を割り、「考察はそこまでにしようや。そろそろ放映が始まる時刻だ」
どこからか音楽が流れてくる。どうぶつビスケッツの「ようこそジャパリパークへ」。視聴者の脳みそが溶けてアマゾンのランキングを紅く照らし出す地獄のようなアニメには、皮肉としか言いようのない美しいオープニング・ソングだ。わたしたちは音源の方向へと這い進む。わたしの後ろには十四匹のフレンズたちが付き従っている。三十分後にはどれだけのけものがのけものにされずにすんでいるだろうか。
全体としては。
とても。
おもしろかったです。