2017-12-30

anond:20171230111228

>「マイナスは確実にあるが、もしかしたらプラスもある」より「確実にマイナスはない」のほうが合理的

というところに引っかかった誤解が多いみたいだ。

おそらく、苦痛は-5あるけど幸福+10ある場合、-5+10=+5の幸福人生というイメージをしている。

から期待値というような言葉が出てきてしまう。

そうではない。

まれないことは0。

幸福+10あっても苦痛が-5あるなら苦痛は確実に存在している。

から子供を産むことは苦痛を産み出すことなんだ(だから産まないほうがいい)、というのが元増田論理

でもこれは論理的に弱い(状況次第で覆しうる)んじゃないかな。

たとえば苦痛も不幸もない状況。

遺伝子操作で痛覚をなくし、洗脳と薬物で強制的幸福にする、というように。

オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』をさら推し進めたディストピア的な状況(『すばらしい新世界』は培養ビンで生まれ子供睡眠教育で疑問を持たないよう教育され、少しでも不快な気分になるとドラッグで「楽しい気分」になる)

伊藤計劃の『ハーモニー』も近いか

幸福」「不幸」「苦痛」その他もろもろを感じる主体自体を産み出すことの是非を問題にしたほうがいいと思うな。

この点はベネター『生まれてこないほうが良かった~』もシオラン『生誕の災厄』もいまいちで、ショーペンハウエル意志と表象としての世界』の方がいいような気がする(よく理解できていないのでわからないが……)

まぁいずれにしろ反出生主義者として現代日本の状況は良い方向に向かっている、といえるんじゃないでしょうか。

ネターの翻訳も出ましたし、おそらく歴史もっとも反出生主義的な世界を生きる幸福を味わって生きていきましょう。

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