はてなキーワード: イタリアンとは
ブコメでも言及してる人いるけど、うちはもう30代以上の人間しかいなくてもっぱら血糖値と高血圧の人の血管ケアを一番に考えて
野菜(サラダ、おひたし等)→野菜とタンパク質のおかず→タンパク質のおかず→コメなど糖質→お茶や汁物って順番で食べるようにしてるよ 結構奥さんの食べ方に似てない?
で、献立は私が全部考えて私が作っているけどやっぱり味のバランス、彩り、塩分の配分とかご飯との相性は考えるから増田の気持ちもわかる
でもタンパク質のおかずの後半になる頃には野菜を食べて時間も経っているから、タンパク質のメインのおかずとご飯を同時に食べるように各々調整してもらうようにしてそれでよしとしてる
私はもう夜は完全におコメを食べないのであれだけど、この辺はそれぞれの裁量でやればいいと思うんだよね
みんなそれぞれの好みがあるし野菜のおかずもちょっとだけ残しておいてご飯と食べてくれてたりするから
私としては最後までちゃんとおいしく完食してくれさえすれば全然文句ないかな、残しても汚く食べ散らかさないことと不自由でないだけの箸の持ち方だけちゃんとしてたらそれで良くない?
(私は自分の右手が悪くなってから物理的に箸をまともに持てなくなったので、そうなってからガチガチの箸の持ち方お育ち判断基準を恥じ箸の持ち方もそれぞれが食べよい方法で構わないのでは論者になりました)
少し順番は違うけれども、懐石とかイタリアン・フレンチやその他料理のコースで出てくるレストランでもばっかり食べするわけで、
増田自身もあいまいなものとして受け止めてるように日常生活の家庭料理の場合でなんとなくできあがってきた規範ぽいものがあるだけでそれがマナー違反とかってわけではないと思うんだよね
健康的にも理に適ってて医師も進めてるからこの食べ方で家族のだれも抵抗はない 寿司屋でコメ分離して残すとかじゃなきゃいいと思う(寿司屋では普通に寿司を食べるよ!)
たとえば幼少のころから中高生の頃までずいぶん色んな友達の家に遊びに行ってご飯をごちそうになったけれど、大皿で出てくる家そうじゃない家食べ方が決まってる家、とりわけ箸やスプーンのある家ない家その他……とあってそれぞれだなーと思ったものの著しくマナー違反だのあの家はおかしいなどと思ったことはない
多分これは間違いようのない規範なのだろうと思ったとたんそうでない人、自分の考え方と違う人が許せなくなるんだけどそれはすごく不自由だと思う
子どもについて不安になるとすれば、そういう部分をガチガチに叩き込みすぎて他人の方法を一切認めない子どもに育ててしまうこと、
他人を育ちのどうこうでジャッジしてそれを言葉に出したりするのを恥じない人間になることの方を心配した方がいいかなって思うかなあ
美味しさって普通いろんなレイヤーがあると思うんだけど、それを一つの物差しで測ってるような違和感がある
高級イタリアンはもちろん美味いけど、コンビニのパスタや冷凍食品のパスタも最近はクオリティ高くてそれなりに美味しいと思う
でも冷凍食品のパスタが高級店に出てきたら「なんか…あんまり美味しくないね…」ってなるだろ
美味しさの受容度は期待値によって変わるので、期待値より上か下かで評価が決まるし、気分や場面によって行く場所のレベルを使い分けるのが普通
そういう意味でサイゼリヤは、普通の社会人が「今日は美味しいもの食べに行くか」的な期待値で行くところではないというだけでは?
食いもんだと思う
と言っても高級志向の人(おひとり様3万とかする店)のお眼鏡に適う店はなかなか無いがの
けど、地元食材を使ったイタリアンやフレンチや肉バルはマジでなかなかなのですわ
あと場所によっては地元の農家のちゃんとした製法のハムやソーセージやチーズ食えるよ
安定して高給あるの羨ましいね
ワイは何度も仕事巻き取りに東京帰ったりして1年の半分くらい東京にいたとか
めっちゃあったしな
キングカズは神だと思っている。
7年ほど前の正月休みに両親と静岡市のカズ実家(もんじゃ焼き屋)に食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりキングカズが玄関から入ってきた。
カズが「俺いつもの~」と言って二階へ上がろうとすると、店内にいた高校生集団が「カズさん!」「カズさんかっけー!」などと騒ぎ出し、カズが戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13,4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使いサインをしてくれた。
高校生達がカズの母校静岡学園のサッカー部だとわかったカズはいい笑顔で会話を交わしていた。
そしてカズは「またな~」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親はカズの気さくさとかっこよさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、店員さん(カズ妹)が階段の上を指差しながら「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
作る料理のジャンルによって調味料の頻度ってかなり変わるのよね。
昔、和食を作っていたころ砂糖がかなりの勢いで減っていたけど、塩は全然減らなかった。
和食だとしょうゆ+砂糖orみりん+酒の三点セットで味付けすることが多いから。
ところが、中華、イタリアンとかの頻度が増え、和食の頻度が減ってきたら、砂糖を使うことが少なくなってきた(代わりに、初手ニンニクみじん切りが異常に多くなった)
さらに、和食で作るメニューが固定化※されてくると、砂糖を使う機会は皆無になった。
自炊は以前の何倍もやるようになっているのに。調味料入れの中の砂糖は一向に減らない。
つくる料理のジャンルによって使う調味料はかなり変わるのは間違いないと思う。
※作るのは、各種鍋(鍋の素を使用)、麺類(めんつゆを使用)、味噌汁・豚汁(味噌のみ)、魚塩焼き(塩のみ)、干物(調味料未使用)といったところ。
その頃は実家から都内まで通勤していた。電車は止まってしまい、帰宅難民になった。
同じように都内で働いている妹、そしてお墓参りのために、たまたまその日に上京していた母も家に帰れなくなった。
線路が陥没したため、最寄り駅までは行く事ができない。途中駅まで行く電車に乗り、私と母はバスを乗り継いで翌日なんとか帰宅した。
妹は隣駅に住んでいる同僚と一緒に行動しており、同僚のご家族が都内まで車で迎えに来てくれたので、その車に同乗し、家まで送ってもらって帰ってきた。
「○○ちゃん、電車止まっているけど、私今日の夜ディナーを予約してるんだ。一緒に行く予定だった友達はたぶん来れないと思うの。でも、お店はもしかしたら営業してるかもしれないから、一緒に行こうよ」
家に帰れねー、どうするかと考えていた妹に、同僚は声をかけたという。
銀座の予約の取れないイタリアンで、諦めるのは悔しいから、と誘われた妹は、店はやっていないんじゃないかと思いつつも帰る方向は同じなので同僚についていく事にした。
やっと取れた予約だったのに悔しいくやしいと店の前で嘆く同僚に、「せっかく来てくださったので、いつもはしないんですが、よろしければどうぞ」と、店員は包みを渡した。一度店内に戻ってわざわざ包んでくれたのだ。妹は自分は元々予約していた客ではないと言ったが、妹の分もくれた。
その後、同僚のご家族が迎えに来たので、妹は包みを持ったまま帰宅した。
当時父は単身赴任で関西にいたのでおらず、母と私も帰宅して、ようやく三人揃ったけれど、実家付近は断水していて、水が出ない。初動の時点で地元にいなかったので、買い物などもできなかった。家には食べる物がほとんどなかった。
水は近所の井戸を使っているおうちから分けてもらい、それでお湯を沸かして、食事をした。
そして――妹がもらってきた包みの中身を食べた。中身はパンだった。それも結構なボリュームの。
「フォカッチャかな」
「銀座のなんてお店だったの」
「えー、覚えてない……」
女三人で美味しい美味しい言ってパンを食べた。美味しい物って食べるとほっとする。色々出遅れてしまって、これからどうしようって不安になっていた時だったので、すごく気持ちが楽になった。
後々店名が発覚して、「あー、あの有名な店か!」ってなった。シェフのお名前は、あまりこの手の事に詳しくない私でも知っている。
パンを渡してくれたのは、オーナーの采配だったのか、店員さんの機転だったのかはわからないけど、あの時はどうもありがとう。
メディアでお名前を見ると、震災の次の日に食べたパンの事を思い出す。
もう一回あのパン食べたいなって思いながら、まだお店には行けていない。
「再投稿は甘え」などという嫌がらせの書き込みにあって意気消沈している時期にネットで広告を見かけて行くことにした。国立の施設だから学費は完全無料で、寮費も安い。シンプルだけどきれいな部屋に泊まって一泊200円くらい。寮には自分と同じように「再投稿は甘え」のつきまといにあって暗い顔をしている人たちがけっこういたけど、授業が進むにつれてみんな明るくなっていった。
午前中は再投稿理論の授業。再投稿することは埋もれているコンテンツを多くの人に発見してもらうことで、すべての人を豊かにする、再投稿は正しいことなのだということを理論的に学ぶ。投稿思想史の授業もあり、再投稿は人が生まれながらにして持っている権利で、誰にも奪うことができないものだと確信することができた。
学校の中には立派な食堂があって、某イタリアンレストランのチェーンに内装がよく似ている。料理はボリュームが多い割に価格も良心的で、入店後にその場で再投稿をするとドリンクバーが無料になる。だから店内で再投稿の練習をしている人をけっこう見かけた。
午後は実技の授業で、3人に1人位の割合でチューターがついて、どれくらいの頻度でいつ頃の時間帯に再投稿すれば効果的か、実例を示しながら教えてくれる。「再投稿は甘え」がついても再投稿を続けることで振り切れることがわかったのは大きかった。再投稿をした周りの人たちと励まし合ってポジティブな気持ちになることができた。
こういう暮らしを半年くらいして戻ってきたところなんだけど、また来年くらいに支援学校へ行ってもいいかなと感じている。再投稿することのミッションを理解して、コンテンツを効果的に提示する実力も身についたので、これからもどんどん再投稿をしていこうと思う。