はてなキーワード: 相対的貧困とは
小中学生のときに学校で必要なものは買ってもらったが、教育上の問題がと言われて流行りのものや欲しい物などは買ってもらえず親の言いなり
他の子どもたちが持っているものがおしゃれに見えて、子供ながらに引け目を感じていた。
教育上問題があると言われて、みんなが持ってるゲームを自分だけ持っていなかったり、漫画を買うことができないことはもちろんのこと、
何より辛かったのは買えない遊べないことよりも、周りの人たちの話題に入れず疎外感を覚え続けなければならなかったことかもしれない。
受験で進学先を決めるときには、親の決めた学校のはもちろんのこと、その先の進路も医学部に行く進路しかならないような感じでしか決められず、
どんなに自分のやりたいことがあっても親が敷いたレールの上を走る進学になってしまった。
もしも医者じゃない家庭だったのなら、ちゃんとした学校生活を過ごせて、自分の行きたい大学で好きなことを勉強しながらキャンパスライフをおくってみたかった。
就職してからは、お金はもらえるが、出世コース自分のやりたいことではなく限られたものしかないように思えた。
一向に自分のやりたいことはできないしし、幸せな人生を築くことなんて自分には一生縁がないんだろうと感じた。
ご飯が毎日食べられる、寝る家がある、義務教育までは受けられるっていう絶対的貧困ラインは超えていたとは思う。
でも、相対的貧困によってずっと心が貧しくて、生きていて楽しいと思えたことがなかった。
もう消えてしまいたい。
小中学生のときに学校で必要なものは買ってもらったが、教育上の問題がと言われて流行りのものや欲しい物などは買ってもらえず親の言いなり
他の子どもたちが持っているものがおしゃれに見えて、子供ながらに引け目を感じていた。
教育上問題があると言われて、みんなが持ってるゲームを自分だけ持っていなかったり、漫画を買うことができないことはもちろんのこと、
何より辛かったのは買えない遊べないことよりも、周りの人たちの話題に入れず疎外感を覚え続けなければならなかったことかもしれない。
受験で進学先を決めるときには、親の決めた学校のはもちろんのこと、その先の進路も医学部に行く進路しかならないような感じでしか決められず、
どんなに自分のやりたいことがあっても親が敷いたレールの上を走る進学になってしまった。
もしも医者じゃない家庭だったのなら、ちゃんとした学校生活を過ごせて、自分の行きたい大学で好きなことを勉強しながらキャンパスライフをおくってみたかった。
就職してからは、お金はもらえるが、出世コース自分のやりたいことではなく限られたものしかないように思えた。
一向に自分のやりたいことはできないしし、幸せな人生を築くことなんて自分には一生縁がないんだろうと感じた。
ご飯が毎日食べられる、寝る家がある、義務教育までは受けられるっていう絶対的貧困ラインは超えていたとは思う。
でも、相対的貧困によってずっと心が貧しくて、生きていて楽しいと思えたことがなかった。
もう消えてしまいたい。
小中学生のときに学校で必要なものは、いとこのお下がりばかりで新しく買うなんてことがなかった。
自分のものだけ色褪せていたり、デザインが一昔前のもので子供ながらに引け目を感じていた。
みんなが持ってるゲームを自分だけ持っていなかったり、漫画を買うことができないことはもちろんのこと、
何より辛かったのは買えない遊べないことよりも、周りの人たちの話題に入れず疎外感を覚え続けなければならなかったことかもしれない。
高校の進学先を決めるときには、公立しか選べないのはもちろんのこと、進学校かどうかではなく就職率が高いところを選ばなければならないような感じでしか決められず、
勉強を頑張ってきたにも関わらずランクを下げての進学になってしまった。
もしも余裕のある家庭だったのなら、ちゃんとした進学校に通って、ちゃんとした大学で好きなことを勉強しながらキャンパスライフをおくってみたかった。
就職してからは、同じ仕事でも大卒の方がお金が貰えてたり、出世コースも高卒だと限られたものしかないように思えた。
一向に生活はよくならないし、幸せな家庭を築くことなんて自分には一生縁がないんだろうと感じた。
ご飯が毎日食べられる、寝る家がある、義務教育までは受けられるっていう絶対的貧困ラインは超えていたとは思う。
でも、相対的貧困によってずっと心が貧しくて、生きていて楽しいと思えたことがなかった。
もう消えてしまいたい。
相対的貧困、多浪、自衛官、医学生という経歴をもつ私(見る人が見れば特定できるだろうがあえて触れないでいただきたい)が最近思うことがある。それは自分が所属する集団がいかに変わろうとも自分が見えている世界は変わらないということである。
多浪時代に感じていたこと、自衛官の時に思っていたこと、そして今医学生として感じていること。これらは全て表現型を変えてはいるものの残念ながら同じことなのだ。医学部進学をあきらめて180度違う世界に入っても、自衛官を辞して再び学問の世界に入っても、自らが原始に望んでいた世界に入るために高齢ながら19,20の学友と轡を並べつつ予備校へ行き受験し医学の道へ進んでも、私の価値観に対して大ナタを振るってくれるものなど在りはしなかった。
ある程度歳を取り、貧困を経験し、凝り固まってしまった人格というものは、多少の衝撃では矯正し得るものではないということを身をもって痛感させられた。
逆説的に、若く平凡以上の、所謂親ガチャなどと自分の生まれを揶揄できるほどの親に恵まれている諸兄にとってみれば、自分の所属する集団の如何によって「目覚めた」であるとか「本当の自分・人生を見付けた」であるとかといったことがいえるのではないかと思う。自分が固まっていない、価値観を固定されるほどの幼年時代をおくっていないものであればあるほど、頭を殴られるような経験はしておくべきなのだろう。
もう要らない物事や終わった文化になってるのかもうちょっと説明が欲しい。
PTAが終わってるなら保護者会も終わっていることになるし、それを言い出せばもう、学校という仕組みそのものが..となるかもしれない。
ただ、人間が社会的動物である以上、自分は正直どれも終わった文化だとは思ってない。
例えば、一都三県の児童たちにオリパラ観戦をさせるのか否かの判断は学校ごとにすることになっている。
PTAがあるとそこでそれなりに意見を集約し、保護者の温度感を理解できるだろうとは思う。
学校と交渉をしないといけない場合もPTAを通せばかなり強く出られるが、PTAがないと分割して統治されてしまうだろう。
学校行事においてもそれなりに人手が必要で、それは教員では賄えないし、児童にそんな責任を負わせられない。
その場合、PTAがその部分を負うことで高すぎる負担なく行事を実行することができる。
...と考えてPTAの存在にそれなりに自分は理解を示すんだけどね。
夏休みの思い出はお弁当みたいに貧富の差がもろに見えるから、むしろそういうのの差が少ない時代にはよかったと思う。
戦後すぐはその辺がもろに見えてよくなかっただろうし、7人に1人が相対的貧困にあると言われている現代でも再考が必要かもしれない。
3Dプリンターによって建築に関わるコストが超低コストになって低所得者でも3LDKくらい余裕で住めるようになって、
物流がドローン配送などにより都会と田舎の格差もほぼなくなる。
食糧生産も自動化・効率化が進んで誰でも栄養豊富で美味しい料理を好きなだけ食べられるようになって、
娯楽もサブスクや無料コンテンツが今より豊富になって無料で楽しいコンテンツだけでも消化しようにも全く追いつけないような感じに。
良質な教育コンテンツのアクセスなども容易になって、少なくとも『教育機会の不平等』みたいなのも今よりは是正される。
そんな物質的な貧困がなくなった未来の世界でも相対的貧困みたいな概念ってあるのかな。
その場合、モノやカネではなく人との関わりや属するコミュニティが貧弱な社会的孤立した弱者男性みたいな人間だけが苦しみ続ける世界になりそう。
就職氷河期に対しての施策はいろいろとあったと思うんだけれど、大して功を奏しなかったというのがワイの認識。
試用期間中の賃金は自治体が持つからとりあえず雇ってもらうチャレンジ雇用みたいな制度とか第二新卒採用とかあったと思う。
でも、雇用の調整弁をいくらでも開け閉めできる派遣労働者という果実を手にしてしまった企業にはそんなにリスクを伴う制度は受け入れられなかった。
若者の雇用拡充のためにニューディール政策みたいな手段もとれたと思うけれど、国の借金問題が声高に叫ばれるようになり、緊縮財政が当たり前になってそれもなくなった。
その一方で男女共同参画により、若者たちは分断されたから集まって暴動を起こすみたいなことはしにくくなったね。
男女共同参画が生み出したものはパワーカップルと相対的貧困層。氷河期世代でも親の代よりもずっと稼いでいる人もいれば、親のすねをかじらないと生活できない人までいる。かつては収入の多い男性と専業主婦というペアリングが普通だったので、世帯収入に今ほどの格差はなかった。貧乏な夫婦でも共働きで世帯収入を上げられたからね。今は、パワーカップルが貧乏な夫婦を金で殴ってくる。ものの値段が需要と供給で決まる以上、不動産などパワーカップルが値段をつり上げ、そうでない層は買えなくなった。若者で共闘できるはずもない。
水商売の母子家庭は時代が変わっても似たようなもんだろうから除外するとして、専業主婦なんてあり得ないからまあ共働きだよな。昔の底辺の定番といえば、父親はアル中の半ニートの日雇い肉体労働者で、母親はパートで清掃員とかだけど、今のトレンドじゃ父親底辺プログラマー(年収300万円)、母親は非正規雇用の事務員(200万)かな。
底辺家庭の父親ってのは、アル中で暴力を振るうのが定番だが、より令和っぽいのはソシャゲ中毒のモラハラ男か。帰宅してすぐにゲームを起動して罵声を上げながらボイチャしてるってのが現代の底辺親父かな。母親は多分(父親もおそらくそうだが)知的ボーダーだろう。だからこそ離婚できない。で、ワンオペ育児でネグレクト気味、ストレスから終始ヒステリックなんだろう。
食卓に並ぶのはパックのままの惣菜。子供は習い事や塾通いでなく学童。子供ももちろん知的ボーダーで、のび太レベルに授業についていけない。貧乏でもスイッチライトは持ってそうだな。で将来の夢はYouTuberかゲーム実況者。